感じるままに
何事にも無関心
それが、子供の頃、家族に心配された一番の事。赤子が息をする為に一番最初にする事が、産声を上げる事。私はそれすら上げなかったと言う。無事生きていると確認され、安心した周囲の人間、何より母は、私を何より誰より心配し、本来なら使用人に任せる事も、率先して行ってくれた。
我が家は代々商人としてこの国に暮らす、大商家である。父、母、兄、姉、二の兄、私という家族構成で、家族仲も非常に良好、取引先も王家から農家まで幅広く信頼をされている、誰が見てもお世辞抜きに羨まれる家庭だった。そんな我が家の現状中で決まっている事は、兄が父の跡を継ぐ事、姉が海を越えた先の国の貿易商の長男に嫁ぐ事、二の兄が世界を飛び回り、情報や物資を調達する事だ。私に対しての決まり事は無い。それは何故か。最初に言った通り、私が何事にも無関心だったからである。
赤子が産声を上げなかった事ですら心配されたのだが、その後も本来お腹が空いた、眠たい、不快だ等と、赤子が当然に泣く事で、私は一切泣かなかったと言う。それだけでなく、いくらあやしても笑わず、声を上げる事も殆ど無かったそうだ。そんな私をよく気味悪がらず育ててくれたと思う。否、気味悪がってはいたのかもしれない。何か良くない物に憑りつかれているのかも、と教会に連れて行かれた事も朧気に覚えている。そんな物心付いた頃、兄達に叩かれたり悪口を言われた事も有ったが、何ら反応を示さない私に、兄達は逆にごめんね本当は違うんだと、私に少しでも何でも良いから反応して欲しかったのだと大泣きもされた。本当に、愛されているのだろう。こんなに気持ち悪い人間に、めげずに接し、家族として輪に入れようと、無償の愛を与えてくれていたのだから。
歳を重ねるにつれ、周りの環境、置かれた自分の立場や今後の事を考えられる様になってくると、このままでは家族が壊れてしまう、そして何より非常に遣り難いと気付いた。
私は感情に欠陥を持った人間である。否、人間の格好をした何か、人間擬きである。そんな出来損ないのせいで、優れた人間である、優しく、誰もが羨む家族を壊すわけには行かない。それは非常に困る。そう気付いた日から、私は様々な人を観察し、真似をした。鏡の前で、今まで動かしたことの無い表情筋を動かし、笑い、悲しみ、怒りを練習した。何かに対して興味を持ち、喜ぶ練習をした。そして、当初ぎこちなかったそれは、徐々に周りに感動されるまでになって行った。そう、家族を含め、心配し、愛してくれていた人達に、私が人並みに成ったと認められたのである。
そんな過去が有ったせいで、私に対しての決まりが無いのだ。可能な限り、好きな事をさせてやりたい。その中で遣りたい事を見付ければ良い。そんな家族の意向なのだ。
◇
「…姉さん、もうそろそろ終わりにしない?」
現在、私は姉の部屋に居る。ランチを摂ってからずっと…もう日が沈んでいる。目の前に広がるのは、色とりどりのジュエリー達。最初はドレス、次は靴だった。ここまでも長かった。
「何言っているの、貴女が身に付ける物よ。それに我が家が下手な物を身に付けて御覧なさい、流行りがおかしな事になってしまうわ」
「そうだけれど…」
我が家は王家から農家まで信頼を得る大商家、ティーニ家。全てとまでは行かないが、服や靴やジュエリーや香水も、家具や装飾品も、菓子を含む食事の類も、農耕機具や工具も、花も色も、この国の流行は我が家が発信と言っても過言ではない。その中心に居るのが、私を除く家族達である。決して妥協をしない姿勢は、とても素晴らしい、と称賛されている。だからこそ信頼され、大きくなるのだろう、廃れないのだろう。本当に人間擬きが居てはいけない場所だったのだ。せめて人並み成っておいて良かった。でもそれ以上は無理だ。私に彼等の様なストイックさは無いし、情熱も無い。所詮、人擬き。何にも無関心、無感動な心を持たない、人並みの皮を被った人間擬き。それは今尚、現在進行形である。
「髪留めはこれが良いと思うのよ、貴女の髪はストレートだから……よし、決めたわ。この形でエメラルドをメインにデザイン出来る?」
「勿論です」
「じゃあそうして。先ずデザインが出来上がったら見せて頂戴。ねえ、貴方がこの国に居る間、アティを借りて良いわよね?」
「先に彼に了承を貰った様なものじゃないか。全く、リコには困ったものだね?」
「申し訳ございません…」
「ああ、誤解しないで。私もアティも君に似合わない物を身に付けさせるつもりは無いし、妥協をするつもりも無いんだ。その点ではリコに諸手を上げて賛成している。ただね、長時間君の時間を貰っておきながら、疲れさせているのに気付かないのは困ったものだと思ったんだ」
そこが彼女らしいと言えばそれまでなのだけどね、と義兄、姉の婚約者であるハータ・アレサーダは苦笑いを浮かべる。そして彼の横でデザイナーのアティ・バーラも同じ様な表情をしていた。
「ああマル、ごめんなさいね私ったらつい夢中になってしまって。ハータの言う通りね、一気に遣らなくても良かったと言うのに…」
「いいえ姉さん、私の為にありがとう。出来上がりを楽しみにしてるわ」
「マル…」
「駄目だよマル、甘やかしちゃ」
「ちょっと貴方は黙っていて!」
姉と義兄は仲が良い。婚約したのも、義兄がこの国に来て姉と出会い、恋に落ちたからだ。今から三年前、姉が18歳、義兄が20歳の時だ。今年の冬、結婚式を彼の国とこの国で挙げる予定で、その後姉は彼の国に住むことになる。現在その準備にも追われてバタバタしてる。義兄が今此処に居るのも、それが理由だ。そしてアティは義兄が姉に紹介した、彼の国屈指のデザイナーだ。今彼のデザインしたジュエリー類は、少なくとも一年以上待たないと手に入らないとか。そんな彼を懇意に出来る環境は、我が家ならではなんだろう。義兄自身もとても凄い人だ。彼が手に入れられない物は無い、と言われている貿易商頭なのである。物には人物すら含まれる程だ。そんな彼が認めた姉と言う存在も、今後更に認められ、輝く存在となるのだろう。
「…未だ此処に居るのか、マル」
痴話喧嘩が始まった部屋に、兄が顔を出した。部屋の扉を開いたままだった事も有り、文字通りひょっこりと現れた。確か父と共に商談していた筈で、そんな彼が此処に居るという事は、終わったのだろう。
「騒がしい声がしたからな。リコ、ハータ、お前達が楽しむのは構わないが、マルとアティを解放してからにしてくれないか」
「あ…」
「…すまない、二人とも。リコの事を言えなくなってしまったな」
兄の言葉に二人が気まず気な顔をした。私とアティは思わず顔を見合わせ、苦笑いをせずにはいられなかった。それ以外、外野は出来ない。仲睦まじいのは良い事だ。
「アティ、ジュエリーの件は宜しく頼むよ」
「はい、お任せ下さい」
「リコ、他に何か残っているのか?」
「いいえ、全て終わったわ」
「なら食事にしよう。ハータが持ってきてくれた魚介でウチのシェフが腕を振るってくれたんでな」
ウチのシェフ…二の兄か。二の兄は昔から料理に興味を持ち、主に食材に関係する事に熱意を持っていて、昔から彼が家に居る時は殆ど二の兄が準備するのだ。因みに、我が家の担当と言うか強い部分は、祖父母も含めると工業系が祖父、植物や色等は祖母、父は鉱山や金融、母は医学を含めた学問、兄は人的要因や交渉等全体的に、二の兄は食品や食に関する事、姉は服飾や社交である。私は勿論皆無である。強いて言うのなら、用心棒だろうか。と言っても、体力も無ければ剣も体術もろくに使えず、雇っている人達の方が比べ物にならない位素晴らしいけれど。じゃあ何故用心棒などと思うのか…それは、私が人擬きであって、その命しかないからである。これを言うと絶対に家族が怒ったり泣いたりするので誰にも言っていないが、私は、例え人擬きであっても、母が命を懸けた存在である。だからこの命は、無駄にしてはならないのだと思っている。この奇妙な存在を愛してくれている人達に返さねばならない。返せるものは何か、私自身しかない。だから、何かあった時、私はこの身を差し出そうと思っている。何か、それは有事や利害関係と言った全てを含めてだ。その価値程度は、この家の人間なのだからある筈だと思っている。無ければ…誰の迷惑にもならぬ様、何処かで死ねば良い。
「マル」
「?」
「おいで、一緒に行こう」
差し出された手、微笑んだ穏やかな優しい顔。兄は私を未だ子供だと思っているのだと思う。因みに、今迄散々選んでいた物達は全て、私の成人を祝う為の物。この国での成人は15歳で、今年私はそれを迎える。貴族は王城の中のホールで、貴族ではない人間は各教会で盛大に祝われる。町もまた、お祭り騒ぎになる一大イベントである。私自身、誕生日は当の前に過ぎているが、この行事をしないと成人になった気がしないと周囲は言うので、恐らく兄達や他の人達も例外無くそう思っているのだと思う。誕生日以上に張り切る家はざらだ。
私は兄の手を取り、兄の横に就く。その後ろに姉と義兄、アティが続く。
「お前が好きな料理が出ると良いな」
「ルド兄さんが作るものは全て美味しいもの、楽しみだわ」
「そうだね」
他愛のない話をしながら、ダイニングルームへ向かう。兄のエスコートで中へ入ると、既に両親が座っていた。私達を笑顔で出迎えてくれる。
「マル、リコに良い物を選んでもらえたかな?」
「ええ、少し疲れちゃったけれど」
「ふふふ、仕方ないわ。男性ならば兎も角、女性は色々準備が必要なんですもの」
「さあ、皆座りなさい。料理が直ぐに来る」
父に促され、其々席に着く。私の席は、母の横だ。
「リコ、良い物を揃えられそう?」
「勿論よ。アティのジュエリーが完成すれば完璧」
「そう、それは良かったわ。アティ、よろしくお願いしますね」
「はい、勿論です」
「ハータ、君達の方も順調か?」
「ええ、お陰様で。ただ招待客の件で、少々ご相談出来ればと考えておりました」
「おや、問題が?」
「問題と言うか…派閥の件ですね」
「ああ…成る程」
母と姉とアティ、そして父と兄と義兄が会話をする。その姿を見ながら、彼等の仲の良さを実感する。父は代々の商家の人間で、母は貴族だった。本来身分が違う二人ではあるが、そもそも祖父母の関係も祖母が貴族であったりする。我が家の様に、商家の人間の中で片方が貴族出身と言うのは、特段珍しい事ではない。商家は貴族に繋ぎが出来るし、人脈が増える。貴族はお抱えの商人を得られ流行を一早く得る事が出来るし、そもそも金銭面的に潤う。他にも挙げれば大小様々有るが、人脈や稼ぎを財産とする商家と、見栄と金を大事にする貴族にとっては、互いにメリットが有るのだ。が、我が家の場合、少し違う。メリットについては例外ではないが、祖父母も両親も、立派な恋愛結婚なのだ。祖母の持つ目に祖父が惚れ、熱意有る祖父に祖母が惚れた。母の力に父が惚れ、父の振る舞いに母が惚れた、のだそう。互いの利益の為に結ぶ婚姻が多い中、我が家は中々珍し部類だ、と以前照れながら父が語ってくれた。一緒に聞いていた我が兄姉達は、非常に微妙な顔をしていたのを思い出す。
「はいはいー、お待たせしましたー」
そうこうしている内に、二の兄が本来のシェフと共に現れた。カートを押しながら。
「久し振りに腕がなったよ、マルの誕生日以来かな」
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべながら、二の兄はシェフと共に前菜をテーブルへと並べて行く。
「ルド、お前も一緒に食べるんだろう?」
「うん?勿論。前菜だけだよ、俺が配膳するのは」
そう言ってシェフに目配せすると、二の兄も席へと着いた。長兄であるティーニ家嗣子、グノエ・ティーニ。そして長女のリコット・ティーニ。次兄のルド・ティーニ。そして末子の私、マルガ・ティーニ。父ウォアップ・ティーニ、母ドマ・ティーニを両親に持つ私達。そして姉の婚約者ハータ・アレサーダとデザイナーアティ・バーラ。この場の全員をゆっくりと見回す。錚々たる集まりだと思う。国の重鎮ですら、この面子を揃えるとなると、大金が必要になるだろう。そんな漠然とした思いが私の空っぽの頭に浮かぶ。
「マル?どうかした?」
「いいえ、料理が楽しみだなと思っていただけ」
「そう?なら楽しみにしてて、全部美味しいから」
「流石ルド兄さんね」
自信過剰な台詞だが、彼の舌や腕は確かだ。勿論人それぞれ好みも有るのだろうが、少なくとも此処に居る人間は皆味覚は二の兄と同じである。そして他にも美味と感じる人々が多いからこそ、流行るのだ。
先程浮かんだどうでも良い考えを捨て、私は楽しい食事に集中する事にした。