ヒュルル、ヒュルルと風の音。
ヒュルル、ヒュルルと風が石牢の中で唄をうたう。ヒュルル、ヒュルルと鳴くよな音が流れている。わたくしの耳にそれが入り身に伝わる。
ヒュルル、ヒュルル、ピューピュー、ヒュルル、音が様々に聴こえる。固く冷たい床に身を伏せ唇を当てる、貴方を思い出す、目を閉じる、想いが還る。
「お前とは終わりだ!」
ピリピリと痛む頬をおさえているわたくし。目の前の夫は赤く頬を染め激高している。メラメラと宿している、碧空色の瞳に怒りの色、わたくしを見つめている。
わたくしを見つめている。貴方の美しい相貌が、わたくしだけを見つめている。愛しいリチャード、我が夫よ。
「侍女の髪を皇太子妃のお前が切るとは!それも我に色目を使った咎とな、何をしているのだ!」
頬は熱く熱を持つ、ヒソヒソと針の言葉が周りから沸き立つ、耳にヒソヒソと風が入り込む。醜く嫉妬をしてしまうわたくし。それは貴方が花から花へ移るから、王族として仕方ないとわかっている。だけど心に燃える想いは抑えられない。
頬に貴方が与えた熱よりも、わたくしの中に宿るモノはもっと、もっと熱く、激しく渦巻いている言葉にするならそれは、貴方への愛。その想いは、わたくしが身に着けていた美徳を焼き尽くす。
他国の女、嫁いで来たときからそう呼ばれるわたくし、供として来た護衛の騎士や侍女達とは口をきいてはならぬと言われ、与えられる筈の物は一切与えられず、皇太子妃として名目的に衣装を与えられ、宝石を与えられ飾りにすぎないわたくし。
惨めと思う事はあった、理不尽とも、でも構わない、わたくしはリチャードが、愛する夫が側に居ればそれでいい。それだけで幸せ、貴方だけがわたくしのよすが、わたくしの想いを、夫である彼が受け止めてくだされば、それでいい。
しかしリチャードは、わたくしを時なに、こうして疎んじる。だけどそれはきっとわたくし達の愛を、燃え上がらせようとする貴方の策略。わたくしが嫉妬に負け貴方に想いを寄せるものに手荒な真似をし、貴方にわたくしを見てもらおうとする、わたくしの策略の様な。
わたくしは軽く伏せていた目を夫に向けた。手を上げたのが恥ずかしいのか、バツの悪そうな顔をしているリチャードの姿、わたくしは何も思わない、何故なら貴方は私を許すのはわかっているから。わたくしは生国で女王である地位にある母上が亡くなれば、戻りその後を継ぐ事を貴方は知っているから。
「そなたが国に戻る時は、我も共に参ろう」
二冠を戴く事を望んでいたリチャードは、その事を知った時からそう話す。なのでわたくしを切り捨てる事は無い。だから、わたくしに手を上げた貴方は近づいて来る。許せ、悪かったと抱きしめ、わたくしに甘く囁く、何も知らずにささやく。貴方の大きな腕の中で小鳥の様に抱きしめられ、優しいわたくしだけの貴方を感じた。
ヒュルル、ヒュルル、ゴウゴウ、ゴゴゴゴウ、
風の音、空の鳴く音、嵐でも来るのだろうか、高い塔の上、空に近いそこで隙間風が吹き抜ける中、床にうつ伏せ頬寄せて目を閉じている。
貴方の戴冠式、きらめく姿を想い出す。そしてわたくし達の王子の立太子式、目まぐるしく時が過ぎた、王子が花嫁を娶った時、生国から王位を継ぐように報せが来た。
わたくしは国に帰り女王となった。リチャードも王位を息子に譲ると言葉通りに共に来てくれた。それは彼の欲得の上、王位を寄越せとわたくしに囁いて来た。もちろん答えは否、共同統治さえも権限を与えなかった。
貴方はわたくしだけの者、女王の男、それだけ。そうしなければ、わたくしだけのリチャードに出来ない。彼はお気に入りの寵姫を侍女として幾人か連れてきた。わたくしは女王として、その者達に銅貨一枚与えなかった。
城のお仕着せの服を与え、住まう所を与え、食べ物を与える、それだけで良いではないかと考えたから、侍女として働く者達は皆そうなのだから、彼女達も同じ待遇に処しただけ。
ふわり、石の床に伏すわたくしの前に、白い羽毛が舞い降りた、白い色がわたくしの目に入る。白、白い、白い色、その色は薔薇の花びらの様、貴方と初めて顔を合わした婚礼の時に、王宮の庭に咲き誇っていた花の色。
それを花束にして、貴方はわたくしに差し出してくれた。婚礼の時のしきたりだと笑顔で教えてくれた。恋をした。わたくしはリチャードの全てを愛した。彼はわたくしの全てになった。
手をそろりと差し出し、羽に触ろうとする、ヒュルリと風がいたずらに吹き、それをフワリと宙に上げる。
「あ、アハ、アハハハ、待って、待って」
起き上がり捕まえようとする。白い色、白い色、薔薇の花びら、空の雲、死してから三年三ヶ月経った時のリチャードの白。最後の別れ、ここサンベルベンの大聖堂で黒の棺桶の蓋を開け、白い骨となった貴方に相応しい、優雅で綺羅びやかな王の衣装を着せ、その白い口元に重ねた、わたくしの紅の色。
目に浮かぶ、白い貴方に愛の誓いの様に染めた紅色、あの神父は確かにわたくしに言った。貴方を亡くし嘆き悲しむ女王に対して、城に訪れた彼は慰める為に確かに言った。
「リチャード様は蘇りになりましょう」
だからわたくしは、黒の棺の中のリチャードと共に、漆黒のドレスに身を包み、黒いヴェールを被り、遠く離れたここに貴方を納める事にした。三年三ヶ月の旅をした。漆黒の馬車で荒野を進んだ。
ヒュルル、ヒュルル、ヒューヒュー、風の音は荒野を想い出す、棺の窓を時々に開けて貴方を見る、青くかたく白く黒く、柔らかく崩れていく貴方を眺めていた。香油の匂い、貴方の匂い、わたくしだけに見せる貴方の姿。
ようやくわたくしだけのリチャードとなった。棺に寄り添いわたくしは幸せを感じた。そのまま、そのままいつまでも何時までも、側にいたかった。女王でなければ、それができたかもしれない、喪に服す三年三ヶ月、すべてを使い果たした、時が終わりわたくしは、御者にここにたどり着く事を許した。
ふわり、フウワリと羽が舞う。
「アハハハ、待って、待って、アハハハ」
窮屈に縛るモノは何も無い、最後の別れを果たした時、わたくしはここにはいった。塔の上に来た。天に昇って逝ったリチャードの側近くに居たかったから、女王の言う事に逆らう者など誰一人としていなかった。
「アハハハ、アハハハ、リチャード、リチャード」
愛する夫の名前を大きな声で呼んでも、声立て笑うのにもはしたないと言われる事は無い。身を縛るコルセットも、足に食い込むヒールも無い、頭に重いほど飾られる花や宝石も、石を散りばめられ、刺繍を刺した重い裾長く引くドレスも、首に手首に指に耳に飾られていた宝飾品も、何も無い。
羽を追いかけてクルクルと回る、手を上に差し出しクルクルと回り追いかける。ねずみ色の布で作られた靴が脱げた。ペタペタと裸足で石を踏む。綺羅びやかな紳士淑女が集うた舞踏会の夜の如く、軽やかに舞いながら追いかける。
「アハハハ、キャーハハハハ!アハハハ、リチャード、リチャード、天国の花園でわたくしの為に手折ってくださったの?アハハハ、ここに花びらを落としてくださったの?アハハハ、ホホホホホ、ホホホホ」
笑う、わたくしはとても愉快、カサカサした唇がプツと切れた、ぺろりとはしたなく舐める、指でそれを引く、紅の様に。わたくしだけの貴方になったその白い口元に、残したそれの様に、血の赤を唇にのせる。
ヒュルル、ヒュルルと風が石牢の中で唄をうたう。ヒュルル、ヒュルルと鳴くよな音が流れている。わたくしの耳にそれが入り身に伝わる。
フワリ、ふうわり白い羽が舞う、薔薇の花びらの様な白い色、わたくしはそれを追いかける。
リチャード、リチャード、愛しいアナタ、アハハハ、アハハハ、ホホホホ、笑いながら自由を、何も縛られない今に……、わたくしはとても心地よい幸せを感じる。
完 ━。