やっと名前で呼んでくれたね 3
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「私の今の姿は、大学生の時の姿です。そりゃ千佳子も驚きますよ。気づいているからこそ、あんなに不安定なんでしょう」
帰宅して、続いての事情聴取は牧穂さん。詳しくは夕食の後で、と牧穂さんが作ってくれた筑前煮を食べた後に、牧穂さんは訥々と語り始めた。
「私が生きていたころの名前は、塚原菜穂子です。未広さんたちの通う南柄高校の卒業生で、千佳子の同級生でした。先生方には記憶操作術を使っていたので、ばれなかったんです」
県立で入れ替わりが激しいとはいえ、牧穂さんが通っていたのはそこまで昔ではないはずだし、千佳子先生が教え子だったって先生も何人かいるから、そうでもしないとバレるよなあとと確かに思った。
「使っているはずでした。でも、千佳子にはなぜか通用しなかったんです」
「千佳子先生にだけ」
「はい。3年生の三島先生っているじゃないですか。あの先生は異動で帰ってきたばかりって言ってましたけど、私と千佳子は教え子です」
確か地歴の三島先生。千佳子先生は学生時代も小っちゃかったんだ、っていって千佳子先生に怒られている先生だ。
「担任との顔合わせで初めて会ったときに、千佳子は私を見て、明らかに動揺しました。私だって動揺しました。この世に残してきた親友が目の前にいるのと、その親友に記憶操作が効かないのと、いわゆるダブルパンチですよ、狼狽えないわけがありません」
牧穂さんは苦笑いを浮かべる。その光景を想像してみると、とても筆舌しがたいものだった。
でも、僕でも表現できることがある。千佳子先生と牧穂さんがつながったということだ。
親友を大学生の時に失った千佳子先生。目の前に現れたのは、自分のことを『東金先生』と呼ぶ転校生。
遭難して、滑落して、死んで、吸血鬼になった。これもまた筆舌しがたい死に方だったに違いない牧穂さん。行き着く先は、かつての親友の教え子として。あくまでも『湯西川牧穂』として、新しい担任の先生を『東金先生』と呼んで、敬語を使った。
「お互いに記憶を消してしまわなければいけなかったのに、お互いに記憶が残って嘘の関係を築いています……何なんですかこれは」
話していくうちに、牧穂さんの表情は悲しげなものからどんどんと険しいものに変わっていく。拳に力が入り、爪が肌に食い込んでいた。
「……どうして千佳子があそこにいるんですか!」
そして堰を切ったように、牧穂さんの口から言葉がどんどんとこぼれていく。
「千佳子が母校にいるなんて、私は何も聴かされてない。いないことの確認をしなかった私も悪いかもしれません。けれど、ただ知らない男の子を護るためにここに来て、なんで別れた親友の悲しい顔を毎日毎日見なければいけないの? 私がどんな思いで『はじめまして』って笑ったと思っているんです? それより先に『ごめん』って言うべきだったのに。私は」
敬語とタメ語が混ざっていて、もうめちゃくちゃだった。顔を覆った牧穂さんから、まるでビー玉のようにあふれる涙が止まらない。止めたくても、僕には止められない。きっと千佳子先生でも止められない。
「いっそぶちまけてしまって千佳子の度肝を抜かせた方が良かったのかもしれません。でも、私はそれをしなかった。何と言われるのかが怖くて、自分が吸血鬼だって言ったら、千佳子はどんな反応をするのかって。でもわかってます。それ以上に、親友を親友だとわかっている相手に、よそよそしい態度を取ることが本当に怖かったんです」
どちらの選択をすることも怖い。ずっと僕たちの前では笑顔でいた牧穂さんは、ずっとその恐怖と戦っていた。
『太陽のような笑顔をしていましたよ』
そう言ったときの牧穂さんの顔を思い出して、胸が締め付けられる。
牧穂さんのことはもちろん、今回の吸血鬼案件についても千佳子先生には話していない。要らぬ心配をかけまいと思ったからだ。もちろん、事件のことは調べているだろうけれど、それが吸血鬼だってことはとてもじゃないけど思い浮かばないはずだ、
「怖いけど、私は未広さんを護るために来ました。親友に会いに来たわけじゃない。必死にそう言い聞かせてきたんですけどね。ダメみたいです」
「そりゃ、厳しいと思いますよ」
きっと令奈もそういうことを思っていたのかもしれない。
「……こんなこと言ってごめんなさい、未広さん」
「こちらこそごめんなさい、ありがとうございます」
「……どうして、未広さんがお礼を言うんですか」
「牧穂さんの気持ち、ぶちまけてくれたんで」
「未広さんの前でこんなこと言っちゃいけないのに」
「僕だからこそ言っていいんですよ。今だけかもしれませんが、僕たちは一緒に住む家族なんですから。家族に本音を話すのは、当然の所業です」
吸血鬼がいきなり家にやってきて戸惑ったけど、一緒に過ごしてきて僕は牧穂さんのことを信頼するようになっている。だからこそ、力になれるなら。
「あなたは牧穂さんであっても菜穂子さんです。親友の前に現れたんだったら、包み隠さないでいいじゃないですか! 僕の心配をするよりも先に、吸血鬼であるかどうかを明かす心配をする前に、牧穂さんが菜穂子さんであることを明かす心配をすればよかったんです。きっと誰も怒りません。だって、僕は牧穂さんが心配ですし、牧穂さんと同じくらい、僕だって千佳子先生のことが心配なんですから」
高校生になってから初めての担任で、新聞部の顧問で、気の置けないことを話すことができる頼もしい教師だ。千佳子先生が沈んでいるんだったら、
僕からいうことは一つだけです。
「千佳子先生があなたを見誤るわけがない!」
「それに、牧穂さんは言いました。大それたことを考えているって」
千佳子先生と牧穂さんが過ごした時間より短いけれども、僕にはわかっていることがある。これは最初から推測じゃなくて、確信だ。
「——大それたことをしたって、千佳子先生なら笑って許してくれるから」
「牧穂ちゃん、もう体調は平気?」
「はい、ご心配をおかけしました」
翌日、登校途中に千佳子先生と鉢合わせした牧穂さんは、難なく千佳子先生とあいさつを交わした。元気に姿を見せたことに安心したらしくて、千佳子先生は小さく笑った。
「良かったー、心配したんだよ」
真実をぶちまけて、涼み亭のあんみつを平らげた牧穂さんは、僕が作るからといった夕飯を代わりに作って、一晩寝たら回復した。
結局のところ、まだ何も解決はしていない。
校門を潜り、教師と生徒は逆の方向へと歩いていく。それに倣って僕たちもそうする。
「それじゃ、またあとで教室でね」
「あの、東金先生」
小さく手を振って職員室へ向かおうとする千佳子先生を牧穂さんは呼び止めた。先生は振り返って立ち止まって、小首を傾げた。牧穂さんはそれに一瞬ひるんだように見えたけれど、胸に手を当てて、意を決して言った。
「今日の放課後、お話があります。あの、2人きりでお願いします」
こうして牧穂さんは小さくも大きい一歩を踏み出した。





