あなたはどの面下げて未広先輩の前に現れたんですか 4
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「……怖かった」
「何が?」
「あの子」
「美菜ちゃん?」
「うん、殺されるかと思った」
もう死んじゃってるんだけどね、と自虐的に付け加える。平手を張られた時の表情をうかがい知ることはできなかったんだけど、この令奈の怖がりようですべてを察することができた。
「あの子、後輩さん?」
「うん、良い後輩だよ」
「好きなんだ」
「どうしてそうなるの」
「私のこと好きだったのに、浮気するんだ」
「そうじゃないって」
こうして話していると、いつもの令奈だった。確かにあの日死んだ、高津令奈だった。どうしてここにいるのかっていうのは、冷静に考えればわかる。
彼女は吸血鬼だった。
「説明してもらおうか、令奈」
新聞部の部室に着くなり、栄恵が令奈を睨みつけるようにして切り出したので、僕は窘める。
「栄恵」
「未広はこの状態でボクに落ち着けというのか、君がそれを言うのか」
「僕だって落ち着いてない。この状況が何なのかわからないよ。でも」
「でも、の後が続かないじゃないか」
声を荒げる栄恵に、僕は何も言い返せなかった。そんな僕を見かねて、令奈が助け舟を出してきた。
「栄恵ちゃんごめん、未広ちゃんを責めないで」
「だったら」
「……だったら?」
令奈のその一言に、栄恵も閉口する。後に続く言葉はここにいる3人は知っている。なぜ、という問いだ。
「何を言われようと、この状況を作ったのは私なんだから。未広ちゃんを責めちゃダメ」
「だったら君に聴く。この状況はなんなんだ? 君は今ここにいるはずがない。なのに、どうして、君はここにいるんだ?」
捲し立てる栄恵に、結局令奈も黙ってしまう。僕を責めてはいけないけれど、自分が責められてうまく説明する自信はないのかもしれない、この特殊な状況じゃ。
「あの、どうぞ」
三者三様で黙りこくったところで、静寂を破った美菜ちゃんがティーカップを令奈の前に置いた。そして、令奈に向かって深々と頭を下げた。
「……いきなり殴ってごめんなさい」
あとで訳を聴いたら、つい手が出てしまっていたんです、とシュンとした声でいうものだから僕もそれ以上は言えず、美菜ちゃんには紅茶を淹れてもらっていたのだ。どうして新聞部の部室に紅茶を淹れられるセットがあるのかというのは、本来生徒会にバレてはまずいんだけど、会長もたまにお茶を飲みに来るしお相子だ。
「ありがとう、頭上げて。私紅茶好きなんだ。あなたが萎れてたら美味しくなくなっちゃうよ。えーと」
「七山美菜です。新聞部の後輩です」
「七山さん」
「美菜でいいですよ。新聞部の先輩ですし……敵ですから」
「ん?」
「なんでもありません」
最後の方が途切れて聞こえなかったから訊き返した令奈だったけれど、いつもの美菜ちゃんごとくむくれてうやむやにされてしまった。
「未広ちゃん、美菜ちゃん可愛いね」
「……今度はグーで殴ってやりましょうか」
拳を握る美菜ちゃんをなだめつつ、四者、紅茶を飲んで仕切り直しの雰囲気になったのでそうしたあと、栄恵が切り出した。
「一つずつ質問していく。令奈、君は生きているのか?」
「ううん、私は一度死んだよ」
「じゃあ、何で死んだはずの君がここにいるんだ?」
「……わかってるくせに」
「君のその口から聞かないと信じられない。聞いても信じられないが」
「まったく、栄恵ちゃんは変わらないな」
いつもの栄恵ちゃんだー、という調子で乾いた笑いを浮かべた後、令奈は淡々と事実を告げた。
「私は吸血鬼になったから、栄恵ちゃんたちの前にいるんだ」
事実を聴いたところで信じられない、というのはやっぱりそうだ。この状況を受け入れるには難い。けれど、令奈の口から真実を教えてもらえたことは、少し良かったかもしれない。
「それで、令奈さんは未広先輩を襲いに来たというわけですか」
「残念だけど、そうなんだ」
「どうしてですか。わたしじゃダメなんですか」
「美菜ちゃんじゃダメ」
「だから、どうしてですか」
「未広ちゃんじゃなきゃダメ」
「そんなに未広先輩のこと好きなんですか」
「違う、好きなのは違わないけど! 未広ちゃんの血を吸わないと帰れないの」
後輩の鋭い質問に突っ込みを入れつつ、悲壮感のこもった表情で令奈はつぶやいた。というか美菜ちゃんなんてことを聴いてくれるのか。照れてしまう。って睨むならそんな質問するな後輩。
でも、ただ血を吸ったからといって直ちに吸血鬼になるわけじゃないし、それくらいのミッションだったら。
「僕の血を吸うくらいだったら別に」
「違うの!」
僕の声を制して、令奈は、まるでこの世の終わりのような表情を浮かべた。
「未広ちゃんを吸血鬼にしないと、帰れないの」
血を吸う先のその行為、吸血鬼にするために自分の血を首から注ぐ行為。それはすなわち吸血鬼にするためのマスト。
「だったら、僕を狙ってる吸血鬼っていうのは怜奈だったんだ」
「一緒にいる吸血鬼から聞いたの?」
「そうだよ」
「いつも一緒にいるから近寄れなかったんだよ。というか、近づくなって言われたんだ」
「誰から?」
「匿名希望さん。スマホに電話してきてね、吸血鬼が張り付いているから近づくのは待てって言われてたから近づけなかったんだけど、たまたま今日は一緒にいないって言われたから、今日決行しに来たんだ」
僕と牧穂さんが一緒にいないことをかぎつけたのだろうか。ということはその匿名希望さんはこの学校にいるかもしれないということか。でもそれが一般の生徒か吸血鬼かっていうのはわからない。身内を疑いたくはないけれど、その可能性もあるってこと。
栄恵と美菜ちゃんもその可能性を察したのか、お互いに顔を見合わせる。でも、3人とも同じ動きをしたということは3人はあり得ないだろう、たぶん。あとは博人……あいつは裏表ないから候補から削除。
「たぶん身内じゃないと思うよ。身内だったら、私のことを高津さんって呼ばないはずだから。私の知っている人で高津さん、って呼ぶ人はいないから」
3人を安心させるように令奈は言う。
「美菜ちゃんも違うと思うよ。顔を突き合わせてみて違うって思った。でしょ?」
「もちろんです。わたしが未広先輩を陥れることに協力するはずがありません」
「うん、それでこそ新聞部の後輩です」
にっこりと笑う令奈に、なぜかどこか美菜ちゃんは不機嫌そうだ。
「ちなみに僕と一緒に入る吸血鬼のことは知ってるの?」
「ううん。近づけなかったからわからないよ。けれど、女の子ってことは聴いてる」
聴いてる、ってことはそれもおそらく匿名希望さんの情報だろう。ということは、今まで令奈は虎視眈々と僕を狙ってはいたけれど、近づけてすらいなかったということ。取り越し苦労もいいところだった、というのは僕じゃなくて牧穂さんが言うことか。
「私よりも年上のお姉さんで、料理が美味いっていうのも聴いてる。同居してるっていうのも知ってる」
どこまで教えたんだろうその匿名希望さんは。
「未広ちゃんの浮気もの」
「だから浮気じゃないったら」
「どうせ私のことなんか忘れて惚れちゃってたんでしょ」
「忘れてないったら! 線香あげに行ったし! 大体令奈が悪いんじゃないか」
「そりゃ私は悪いけど、現を抜かすことを赦した覚えはありません」
「だったら!」
死ぬなよ。
その言葉が出かかって、喉元で止まった。今それを言ってはいけない気がした。
「だったら、死ぬなよ」
でも、代わりに令奈がその言葉を自分で言った。
「私だって、死にたくなかったよ。吸血鬼になんてなりたくなかった。よりにもよって、何で私が未広ちゃんを。私は何か罪を犯したのかな」
令奈は今にも涙をこぼしそうな顔をして、ポツリとこぼした。
「こうやって未広ちゃんと栄恵ちゃんともう一度会えてうれしいのに、でも、私は吸血鬼で、友達を吸血鬼にしなきゃ帰れない。なんなんだろうね、これ」
僕たちが訊きたいことは山ほどある。けれど一つだけ分かったことがある。令奈が自死に追い込まれたのには、何か理由がある。おそらく吸血鬼絡みの。
栄恵もやるせない表情を見せて、そんな令奈に何も言葉をかけられなかった。
そんな時だった。
「遅くなりました!」
牧穂さんが部室に登場した。佐竹先生に呼ばれてしまって作戦に参加できなくなっていたのだ。さすがに吸血鬼を掴まえたとあっては、牧穂さんがいなければ話にならないと博人に伝達を頼んだところだった。
「全く佐竹先生も人使いが荒いんですから。あれは生徒がやるべき仕事じゃないですよ、まったく。博人さんに代わってもらいましたが、悪いことをしました」
珍しく独り言を言いながら怒っていた牧穂さんは、見慣れぬ女子の前で視線を止めて、にこりとした。
「作戦成功、噂の吸血鬼さんですね」
自分がそれなのをすっかり棚に上げつつその顔を確認して、
「……令奈ちゃん?」
文字通り固まった。
牧穂さんが人を「ちゃん」付けで呼ぶのを初めて聴いた。それは、令奈と牧穂さんがそういう関係だということのしるしであって。
「牧穂ちゃん」
令奈の呼び方でそれは証明された。まさか二人が知り合いだったなんて。いや、同じ吸血鬼だったらその可能性もあるのか。
でも、何かがおかしい。
牧穂さんは僕の過去を知っていた。僕の好きだった人が自殺していたことを知っていた。だけれど、
——それが令奈だとは言わなかった。
「どの面下げて私の前に現れたのよ!」
美菜ちゃんの受け売りの言葉を、固まっている牧穂さんは受け止めつつ目を泳がせた。待望の再会なんてとんでもない。令奈が向けている瞳は、憎悪のそれだった。令奈は牧穂さんに駆け寄って、胸ぐらを掴む。呆気に取られている僕たちをよそに、令奈は涙を浮かべながら叫ぶ。
「あなたが私を吸血鬼にしたんでしょ!」
牧穂さんは相変わらず困惑した表情を浮かべながら、激情する令奈を見呆けている。
「私が、あなたを……?」
覚えがないという風な表情を見せると、令奈は牧穂さんのワイシャツを掴む力を強めて、語気を荒らげた。
「あなたが……あなたが私の血を吸って耳元で囁いたんじゃない! あなたは吸血鬼になるのよ、って!」
牧穂さんの力が抜けていき、膝から崩れ落ちた。
「私が言ったんですか……そんなことばを」
「忘れるはずがないよ。私は牧穂ちゃんのこと、すっごく信じてたのに! なのに、私はそれで吸血鬼になって、大好きな人を吸血鬼に……」
最後まで言い切らないうちに、令奈は牧穂さんを乱暴に振り払って、部室を駆けて出していった。その後を栄恵が追いかける。
床に倒れて残された牧穂さんを抱き起こしつつ、出口の方向を見る。夜の学校の廊下に非常灯が光っているだけだった。
牧穂さんを見ると、明らかに動揺というか錯乱していた。そして、力のこもっていない声でうわごとのように言葉をこぼした。
「未広さん、わたし」
「落ち着いてください!」
「牧穂先輩落ち着いて!」
頭を抱えて機械人形のようにうわ言を繰り返す牧穂さんを、美菜ちゃんと一緒に必死になだめる。不意にLINEの通知音が聞こえて、牧穂さんを美菜ちゃんに任せてスマホを見た。
「見失った」
栄恵から来たLINEの文面と謝罪のスタンプを見て、僕は頭を抱えた。





