春日井くんは私を助けてくれる? 3
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眠れなくて水分補給をしようとリビングへと向かうと、キッチンの灯りがついていた。誰か起きてるのかな、と近づいてみると、姉さんのパジャマを着た美菜ちゃんが冷蔵庫の前に立っていた。
「あー、せんぱいだー。みひろせんぱーい。あさですよーあさー、おみずー」
この後輩、相当に寝ぼけている。なんか前にもこんなことがあった気がする。
お望み通り水の入ったコップを渡すと、美菜ちゃんは一気にそれを飲み干して息を吐いた。
「ああ、生き返りました……って未広先輩?」
我に返った美菜ちゃんは目を見開いた。
「なにするつもりですかこんな真夜中に! 物事には順序というものがありましてですね」
あたふたして抗議する後輩にデコピンを二発食らわせると、美菜ちゃんは額を抑えて瞼をギュッと閉じた。
「いきなりひどい!」
「……寝起きはもう少し強くなろうか」
寝起きが毎回これだと僕の命が持たない気がする。
「もうちょっと怖い目に遭った後輩のことを思いやろうって言う気持ちはないんですか」
それはもっともなんだけど、デコピンでもかまさないと美菜ちゃんがふわふわしたままだからどうにもならない。
「だから泊めたんでしょ、うちに」
「それは感謝してますけど。ありがとうございます」
素直にお礼の言葉を述べる美菜ちゃんにもう一杯水を差し出す。
「後輩の危機だもん、当然だよ。それに、特に美菜ちゃんだし」
美菜ちゃんが目の前でピンチなのに、黙って見ていられるほどお人よしでもないし。
「特にっていうのはわたしが特別だということですか」
「否定はしないよ」
「そうですか」
美菜ちゃんはそれだけ言って水を飲む。それきり会話が途切れてしまったので、とりあえずリビングの灯りをつけてソファーに座り込む。
『というわけで、美菜ちゃんを保護します』
『ミナ、今夜は一緒に寝よう』
『腕によりをかけて夕ご飯つくるよー!』
僕の号令によって、春日井家は吸血鬼から美菜ちゃんを護るべく決意した。そしてとりあえず美菜ちゃんを我が家に泊めることになった。後輩の危機だというのに、よっぽど嬉しいのか姉さんとエミールは手放しで喜んでいた。美菜ちゃんは苦笑いしながら、どこか本調子でないのかソファーにへたり込むことが多かった。
寝て少しは回復して寝起きを乗り越えたので、今の美菜ちゃんはすっかりいつもの調子だった。
「確認ですけど、あれは美濃部先輩だったんですか?」
「うん。美濃部さんの声だった」
僕は美菜ちゃんの問いに自信をもって答えた。あの短い間のやり取りだったけれど、間違えるはずがない。美菜ちゃんは襲われた時から意識がはっきりしなかったらしく、犯人の顔も声も何も心当たりがないようだった。
「でも、敬語だった」
「敬語ですか」
「生徒会室で初めて会った時からずっと、美濃部さんに敬語を使われたことなんてなかったのに」
初対面の時から「春日井くんよろしくねー」といった感じで軽く接してくれた美濃部さんが、今日の去り際に僕に対して初めて敬語を使った。美濃部さんが美菜ちゃんを襲おうとしたことと同じくらい、僕はそこがすごく引っかかっていた。
僕がそれを顔に出していたせいか、美菜ちゃんもうーんと考え込むような顔をして、やがて言った。
「もしかして美濃部先輩も二重人格なんじゃ」
美菜ちゃんが挙げた可能性に、僕は被せ気味に否定の言葉を発した。
「まさか」
「わたしだって、今まで翠先輩が『あたし』だなんて言ってることを見たことがありませんでした」
直近の具体例を挙げながら美菜ちゃんは肯く。突飛な話だけど確かに、いつもとは違う一面をいきなり見せられたというのは状況がすごく似ている。
「わたしを襲ったのがもう一人の美濃部先輩だと思います。確信はないですけど」
僕の人を見る目が足りないのかもしれないけれど、総合的に考えて、正直今の美濃部さんが人を襲う吸血鬼ではないと思っていた。真夏先輩の遺志を受け継いで、後輩を護るために動いている。勝手にそう思いたかっただけなのかもしれないけれど。
「ちょっと調べてみますか。というか、聴いてみますか」
二重人格のことなら二重人格の人に聴け。ということで、翠ちゃんに明日、というか今日学校で相談してみることにした。
少し吸血鬼の話をして午前2時を回ったので、さすがに寝ることにした。
「あの、未広先輩」
部屋に戻ろうとした僕を美菜ちゃんが引き留めた。
「なに」
「後輩の危機なら、その、そばに居て護っててくれてもいいんですよ」
「そばにって」
「例えば。例えばの話ですよ。その、一緒に寝てくれるとか」
僕の服を手でちょこっと摘みながら、消え入りそうな声で美菜ちゃんは言った。
「美菜ちゃんがその、良いなら」
「二度も言わせないでください」
そうして美菜ちゃんはエミールの部屋ではなく、僕の部屋へと入っていった。言い訳の様だけどなにもしていない。添い寝をしただけ。決してなにもいたしてない。僕がしたのは朝起きた時の美菜ちゃんの気を確かに取り戻すことだけだった。





