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個人的な話

批判について

作者: オリンポス

努力が報われなくても嘆かなくていい。今は報われなくても、5年後には報われるかもしれないし、10年後になってようやく報われるかもしれない。でも、今ここで努力をやめたら将来嘆くことになる。

「小説家になろう」で過激な発言を受け、

消沈してしまったという経験は幸運にしてありませんが、

他サイト様で掲載していると往々にして

辛口のコメントが寄せられてくることがあります。


「この作品は詩にも小説にもなり損なったメモ帳」

「表面をなぞった無意味な日本語の羅列」


そんな風に酷評(…ではないと思いますが)を

されてしまうこともあるわけです。

(ぼくとしてはこのような感想も大歓迎です)


ですが、それを見た知り合いに、

「あんなことを書かれて平気なの?」

と言われることが多くなり、

また、プライベートでも、

「あそこまで言われたら普通はキレるよ。

オリンポスって温厚だよね」

などと過大評価されることが非常に多いので、

価値観の相違について述べたいと思います。



まず、ぼくが小説を書く上で

意識していることが2つあります。


①「批評家に反論するようなことをして

自分を貶めたりはぜったいするな」

(トルーマン・カポーティ)


②「わたしは無教養な技術屋だからさ」

(カート・ヴォネガット)


カポーティは『ティファニーで朝食を』の作者で

ヴォネガットは『チャンピオンたちの朝食』の作者です。

オリンポスは『朝食はご飯派』だと公言しています。




①について


今でこそ苦い良薬も飲み込むようにしていますが、

小説を書き始めた当初は、結構反論していました。

みんなにもあると思いますが、

そこには持論やこだわりがあったんです。

今でも譲れない一線はありますが、

それ以外については、

フレキシブルな対応をするように変えました。


そこには明確な理由があって、

「趣味として楽しみたいならこれでいいけど、

ぼくはプロになるからこのままじゃいけないな」

と真剣に悩んだわけですよ。


批判されたら、普通は悔しいです。

悔しいけど、そのままにしていたら、

また同じことを言われます。最悪です。

だから、

成長の種になりそうな言葉は、

きちんとノートにまとめていました。

芽が出たかどうかは知りませんが、

おかげさまで、

それなりに書けるようになったと自負しております。


話が脱線しますけど、

ぼくは空間把握能力が著しく低い、

筋金入りの方向音痴です。

だからよく道に迷います。

小説も同じです。

多ジャンルを書いているのは、

どの道が正しいのかわからないからです。

どれを書くべきか迷っています。


だから批判的な感想は、

ぼくにとっては道しるべとなっているのです。


(P.S)

だからと言って、

「いやー、批判されて嬉しいなあ!」

と思っているわけではないですよ。

ぼくのためを思って発言してくれているのか、

否かは、見ればわかりますので。



②について


そもそも「技術屋」とは

思われていないかもしれませんし、

「無教養な駄文家」と思われていても

それはそれで結構なんですが、

ぼくは自身のことを、

「無教養な技術屋」だと思っています。


純文学を目指す動機にもなったんですけど、

小説家って、物語だけじゃなく、

文章そのもにも面白味がいると思うんです。


ぼくは便宜的に、

「リーダビリティ」って呼んでいるんですが、

人を引き付ける文章は、

人を魅了する物語と同等だと思っています。


だから多種多様な文体を見て、学んで、

軟硬織り交ぜた文体を意識して書いています。


『ストロベリーナイト』の誉田哲也先生は、

読者の読むスピードさえも計算して、

ルビや漢字の配分を考えているそうですが、

それはぼくも意識しています。


『学問のすゝめ』の福沢諭吉先生は、

サルでもわかる文章を書け。

直木賞作家の井上ひさしさんは、

万人に伝わる文章を書け。

と、総じてわかりやすい文章を推しています。


ぼくも初期作品は、

『文章が独りよがりになっている』

『読者を意識して書け!』

と言われていたので、

「俺は無教養な技術屋だから

自分だけわかればいいんだ」

という思想は、

よくないんだなと知りました。


これも批判のおかげですよね。


(P.S)

「教養がある」なんて

言われることもあるにはありますが、

本当にそんなことはないです。

ぼくは低学歴だし、偏差値も低いです。


「モンテッソーリ教育について」でも述べましたが、

興味のない学問を勉強していても、

非効率的で、非生産的だと思っているからです。

自分の興味のある分野にしか傾倒しません。




次に「批判は悪いことではない」と思います。

このように述べると語弊がありますが、

「質の高い批判は良い」という意味です。


例を挙げると、

ⅰ「面白くなかった」

ⅱ「○○の論理が破綻しており、世界観に違和感があった。キャラクターにも個性がなく、道具として扱っている印象がぬぐえない。もう一度、設定とキャラクター造形に力を入れて、書き直すことをおすすめする」


こうあった場合、

「ⅰ」から学ぶことはないので、

ただ単純にやる気がなくなるだけです。

「ⅱ」は丁寧に指摘してあるので、

次回作以降の質の向上に大きく貢献してくれます。


このように質の高い批判はOKだと思います。

それにネットに載せる以上は、

多少の悪口は覚悟しておくべきでしょう。


(P.S)

ツイッターなどでは文字数制限があるため、

「面白くなかった」と短く書かれやすいです。

どこに投稿してもいいですが、

自分のニーズに合った場所を選ぶと、

いちいち批判に目くじら立てなくて済むと思います。




最後になりますが、

「批判されるだけマシ」です!

批判する価値もないと思われたら、

だれからも、何も言われません。

これは悲しいです。


どんな小説も作者だけでは完結しません。

読者がいて初めて完結するのです。

ぼくの知り合いにも、

「小説を書いたけど、ネットに出すのが怖い」

と言っている人がいました。


でも出してみたら、

意外に好評だったと言うのです。


だれにだって「初めて」はあるものです。

最初からうまくできる人なんていません。

だからこそ謙虚に、

「教えていただく」という気持ちで、

これからも執筆に励んでいきたいと思っています。


(P.S)

何を言われてもぼくの心が折れることはないでしょう。

これからも挫折はすると思いますが、

心が折れるなんてことは、

普通に生活をしていて、

全身の骨が折れるよりも確率が低いです。


結局自分の心を折ることができるのは、

自分自身だけなんですよ。

それだけはだれにも邪魔できません。


泥中でもハスが綺麗な花を咲かせるように、

ぼく達もどんな環境であれ、

自分の花を咲かせることができれば、

こんなに素晴らしいことはありませんよね!

批判を前向きに受け止めるようにすれば、

見方が変わるのではと思いました。

「批判が怖くて何もできない」

という意見もわかりますが、

「何もできない状態」を批判する人もいますよ!

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[良い点] おお!最後がかっこいい!(//∇//) まあ、私も文章が「〜た。」続きで少しだけ語感が悪かったと言われて、ああ、簡単に書きすぎたかと笑ってましたが(ネットは簡単のがいいからと聞いて)、それ…
[良い点] 小説に対する熱い思いが胸を打ちました! 同じ書き手として、僕も頑張らないとと思える、良いお話でした! [一言] 「結局自分の心を折ることができるのは、自分自身だけなんですよ。それだけはだれ…
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