あいにうもれる
よっこいしょ、と腰を折り曲げて、それから拾い上げる。
白いコピー用紙で折られた紙飛行機だ。
持ち上げて、腰を伸ばせば、ぽすっ、と更に紙飛行機が落ちてきて頭にぶつかる。
軽いので痛みはないが、何だこれ、とは思う。
足元には一、二、三、四、それなりの数の紙飛行機が落ちている。
自然環境を壊すつもりなのか、視線を上げてそれを投げ続けている人物を確認した。
ベランダに佇んでいるのは、良く見慣れた真っ赤な髪の幼馴染みだ。
「おい……」こちらの呟きは聞こえていないようで、また、紙飛行機が落ちてくる。
大して飛ばないそれは、折り方が悪いのか、はたまた、投げ方が悪いのか。
良く分からないが、取り敢えずしゃがみ込み、落ちている紙飛行機を全て回収し、腕の中に収めて走り出す。
ドダダダダダダ、騒がしい足音を響かせ「MIOちゃんんんんん!」部屋に入り込む。
ベランダのある部屋の扉を開けば、案の定窓を開けてベランダに出ている幼馴染みのMIOちゃんが、足音と声に気付いて振り向いていた。
鮮やかな赤が目に眩しく、痛い。
「何してるの……自然環境破壊だよ」
はぁ、と浅く息が漏れる。
抱えていた紙飛行機が幾つか足元に落ちていき、壁に肩を寄せて片足で扉を支えるボクを見て、MIOちゃんは笑う。
元々下がり気味の目元と眉が、揃って下を向き、代わりに引き上げられた口角からは「おかえり、作ちゃん」弾んだ声が吐き出された。
***
その部屋は、ボクの寝室だった。
ベッドが置かれた簡素な部屋だが、手持ちの本が多い為に、大きな本棚が一つ、二つと壁に沿って置いてある。
そうして今現在、床の上には大量の紙飛行機。
ストン、と床に腰を下ろしたボクに対し、部屋に上がり込んでいたMIOちゃんは、未だにせっせと紙飛行機を折っている。
ボク達の周りには、紙飛行機がばら撒かれたままで、ボクの寝室だと言うのに、居心地が悪い。
MIOちゃんは爪を紙に擦り付けるようにして、綺麗な折り目を付けている。
「私はね、作ちゃん。とっても重要かつ重大な決意をしたんだよ」
「はい?」
ボクは眉を顰める。
言葉に言葉を重ねるような、回りくどさすら感じる喋り方は、ボクに酷似していた。
寧ろ、酷似させているのだろう。
しかし、MIOちゃんはボクの顔を見ることなく、言葉を続ける。
「作ちゃんのことをね、諦めようとしたの。憧れを捨てて、恋するのを辞めて、でも写真は続けて、優しい旦那さんと家庭を持って、作ちゃんの結婚式に呼ばれて、おめでとう、って言ってあげようと思ったんだ」
つらつらと並べ立てられる言葉に、何とも形容し難い声が漏れた。
相槌にもならないそれだと言うのに、MIOちゃんは気にした様子すらない。
それどころか、目を伏せたまま、せっせと折々と紙飛行機を量産していく。
髪の色とは違う黒々とした睫毛が、その穏やかな表情に小さな影を作っている。
「……MIOちゃん、疲れ過ぎて頭馬鹿になっちゃったの?病院行く?」
部屋の片隅に置かれた大きなエナメルバッグ。
スポーツをする中学生が良く使用するような黒く光るそれは、有名なメーカーのもので、しかし、長年使われてきてエナメル素材が所々剥がれていた。
そんなエナメルバッグの中身は、MIOちゃんの着替え一式に合わせて、カメラ本体に複数のレンズなどの付属品が詰め込まれているのをボクは知っている。
遠出で写真を撮った後、自宅に帰ることなくボクの家に上がり込んでいるのだ。
「本気だよ。すっごく」
「……それとこれと、何の関係があったの?」
とつとつ、音を立てて床を指す。
「下に凄い落ちてたよ」MIOちゃんは聞いているのかいないのか分からない相槌を打ち、出来上がった紙飛行機を下から覗き込む。
その傍らには、これから更に折るつもりらしいコピー用紙が積み上げられていた。
どれもこれも既に半分に折られているが、何か、と手を伸ばす。
「これ、何か書いて……」
ない?と問い掛けようとしたものの、開いた二つ折りのコピー用紙の中身によって、言葉は失われる。
積み上げられているコピー用紙を、次から次へと開いては足元には落とす。
ぱらぱらぱら、ぱさ、コピー用紙に書かれた文字は見覚えのあるものだが、その内容はどれも違う。
一枚目、目が割と死んでる。
二枚目、人の顔と名前を覚えない。
三枚目、直ぐに死のうとする。
四枚目、私の部屋から写真を持って行く。
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
割と誹謗中傷地味た内容もちらほら混ざっており、あれー?と棒読みで首を捻る。
「悪口だよ!!」直ぐに首を戻し、最後の一枚として持っていたコピー用紙を床に叩き付けた。
締りのない音が聞こえたが、MIOちゃんは分かり易く、むっ、と顔を顰める。
「MIOちゃん実はボクのこと嫌いなの?!」
「違うよ!作ちゃんの好きなところだもん!!」
ぷう、と頬が膨らむ。
ボクは予想外の言葉に――そもそも内容が内容なのだ――閉口する。
MIOちゃんは眺めていた紙飛行機を投げた。
「書いて飛ばしたら、忘れると思ったんだ」
紙飛行機は、外へ向かって投げた時よりも安定して部屋の中を回る。
くるりくるり、宙で何度か回ると、ゆっくりと床に滑るように落ちていく。
しかし、MIOちゃんは手を止めずに、近場にある紙飛行機を次々飛ばす。
「でも、書き始めたら止まらなくなったの。たまに納得できなかったことも、不器用な生き方も、自分を持ってるところも、紙が足りないくらい」
まだ折る。
まだ飛ばす。
視界の隅に捉えたのは、広げられたコピー用紙で、見慣れた文字で『それでも生きてるところ』と書かれている。
生きている、ではなく、生かされている、の間違いではないのか。
物心付いた時には既にMIOちゃんとは幼馴染みだった。
その頃はまだ、自然な黒混じりの茶髪だったが、今となっては鮮やかな赤色の方が見慣れてしまって、それだけ長い間一緒にいるんだと実感する。
「作ちゃんがたくさんで」
飛ばす、飛ばす、折る。
部屋のあちこちに紙飛行機が不時着していた。
「それが全部大事で」
折り終えた紙飛行機がボクに向けられる。
「飛ばしてたら、会いたくなった」
すい、紙飛行機が飛ばされた。
薄茶の瞳が弓形に細められるのを見ていると、とすり、音を立てて紙飛行機がボクの胸元に当たり、膝へと落ちていく。
「それで?」片手でそれを受け止め「ボクのことは諦められそうなの?」問い掛ける。
ふわり、視線がボクに向けられ、丁寧に折られた紙飛行機がボクの頭上を飛んだ。
「あはっ」弾んだ笑い声と共に、MIOちゃんも飛んだ。
「ごめんね。――全然」
ボクは受け身すら取れず、飛び込んで来たMIOちゃんに押し倒され、ゴンッ、と後頭部と床をぶつけて鈍い音を立てた。
痺れるような痛みに小さく唸る。
しかし、目の前でボクの首に手を回したMIOちゃんは目尻も眉尻も揃って下げて笑う。
ボクの背中では幾つかの紙飛行機が押し潰されており、ああ、と内心溜息。
「馬鹿だなぁ」
本当に阿呆みたい、視界の隅に溢れ返った紙飛行機を見る。
きゃらきゃら、女の子らしく高い笑い声を響かせたMIOちゃんは、その隙間で頷いて見せ、ボクに頬を寄せた。