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会社の中で

作者: 神坂一郷

   一


 あぁ、今日も終わった。早く家に帰ってビール飲んで寝よう。酒に誘われたが生憎給料日前で小遣いが無いし、明日もこの少ない小遣いで昼飯食わなきゃならんから。

   

 さて、テレビでも見るか。しかし、相変わらずろくなニュースがないなぁ。暗くなるような話題ばかりだ。といっても、俺もいつ何時この人達の様になるかわかりゃしない。他人事じゃないよなぁ。

 時代は変わるとは言え、こうした弱い立場の人間はいつの世にもいた。たまたま今の時代はこの人達で、近い将来は自分がそうなるかもしれない。特に年を取って今みたいに働けなくなったら、いや、それ以前でも病気や事故で働けなくなったら。

 止めよう、こんな事を考えるのは。それより明日も仕事にいかなきゃいけないから、今この瞬間の発泡酒の旨さと、録画しておいたお気に入りの番組で楽しもう。

   

   二


 いつもの事だが、朝は辛い。どうして目覚まし時計のような無遠慮な物に叩き起こされて、満員電車で立ってなくてはいけないんだろう。

 俺は何をしているんだろう。

 「何をしているんだ。」

 会社に行って仕事して給料貰う為に生きてるんだよ。でなきゃ生活できないからな。生きる為だ。

 「だったら、どうしてそんなに辛い。」

 生きるって事は辛い事なんだよ。きっと。でも俺より辛い生活している人間がいる。昨日ニュースでも言ってたしな。

 「それで自分より辛い人がいるから、我慢している。」

 そうじゃないけど。

 「お前は小さい時からそうだね。今を何とかしたい。皆が幸せでありたい。泣いている人がいたら、困っている人がいたら、助けてあげたい。と真剣に思っているのに、自分にはそれを実行する力が無いからと言って、見て見ぬ振りをしてきた。虐められている同級生に対して、助けてあげたいと思っても、仕返しが怖くて、逆に加担した。同僚が理不尽な上司からの命令で、過労死するのではないかと思う位大変な状態になっていても、自分には助けてあげられるような知識技術がないから何も言わない。上司に意見出来るほどの能力も度胸もない。それに」

 あぁ、もういいよ。その通りだよ。俺には何の力もない。今を生きるのに精一杯さ。それの何が悪い。

 「いや、悪く無い。それがお前の望んだ生き方だろう。」

 別に望んじゃあいないさ。これでも、自分なりに頑張ってきたつもりだ。少しでも、せめて自分の回りだけでも所謂弱者を助けたいと思った。その為に役立つような勉強もした。でも何も変わらなかった。俺は俺の限界を知ったのさ。だからこの有様だ。

 皆が幸せな世の中を作る力が欲しいな。

    

   三


 「おはようございます。おはようございます。」

 毎日恒例の朝礼。これによって、何と無くだが気合が入る気がする。この勢いで得意先を回って、注文を頂いてくる訳だ。俺は自分で言うのも何だが、決して営業成績が悪い方ではない。しかしどの世界でも、いや、どの会社でもと言うべきか、所謂出来る人間がいる。よく言う8:2の法則ってやつか、会社の利益の8割に貢献している人間は、全社員の2割の人間に過ぎないってやつ。そういう意味では、俺は8割の部類に入る人間だ。

取り敢えずはデスクワークだ。昨日予定しておいた顧客先に行く為に、準備をしなくては。


 「久しぶりだね、田中君、最近どう。


 この人は俺と年が近いせいか、気軽に話し掛けてきてくれる。女性ではあるが、会社にとって、2割の部類に入っている人だ。笑顔が可愛いし、愛嬌もある上頭の回転も速い。この様な人から営業を受けたら、相手は嫌な顔はしないだろう。


 あぁ、都賀さん。どうしたんですか。話しかけてくるって久しぶりですね。新規部署での管理職は大変ですか。

 「何か、棘のある言い方だなぁ。田中君の上司の八田課長に少し話があってね。それより今晩空いてる。言っとくけど、田中君の考えているような意味じゃないよ。」


 そりゃあそうだろう。俺だって自分自身をわかっているつもりだ。それに俺自身彼女を女性という感覚では捕らえていない。頼れるお姉さんという感覚の方が近いだろう。


 えぇ、僕は年中暇ですよ。でも、お金ないですよ。

 「じゃ、今晩一緒にご飯でも食べに行こう。お金の心配はご無用だよ。」


 そういうと、さっさと去っていった。相変わらず唐突だ。


   四


 「改めてだけど、久しぶり。元気してた。部署が変わってから、田中君の事が目に入らなくなってさ。ちょっとは心配してたんだよ。」

 ちょっとですか。相変わらずサービス残業続きですよ。取り敢えず乾杯。

 「朝も言ったけど最近どうなのよ。」

 さっき言ったとおりですよ。サービス残業続きで嫌になりますね。

「そういう事じゃなくてさ。何て言うんだろ、仕事へのやりがいとか、将来の目的とかさ。」

 そういう話はしないで下さいよ。せっかくのビールが台無しですよ。それに、こんな料理なんて滅多に食べられないんですから。何か楽しい話は無いんですか。


 そう言いながら、自分自身がそんな楽しい話題なんて持ってない訳だが。


 「じゃ、田中君が楽しくなる話題にしましょ。」


 まるで、待っていたかのように切り出してきた。何の話だろう。


「朝、八田課長に会ってきたっていったでしょ。何故だと思う。」

 何でしょうね。仕事の依頼とかですか。勘弁してくださいよ。ウチの上司の癖知ってるでしょ。他の部署の仕事を安請け合いして部下にやらせて、自分は成果のみを持っていく。部下はたまったもんじゃない。失敗すれば部下のせい。成功すれば俺の指導が良かったせい。それで辞めていく同僚が何人いたか。都賀さんだって経験してるじゃないですか。


 そう、都賀さんは、俺以上に使われていた。妙齢の女性が毎日終電だなんて、俺が親なら会社に苦情を言って辞めさせるところだ。だけど彼女は頑張って、本来の営業成績を落とすどころかむしろ上げて、その結果会社が新たに立ち上げた人事部の中の教育管理課という部門の管理者となった。元上司は何故自分じゃないのかと納得出来なかったらしいが、やはり見ている人は見ているという事だ。


 「そう、それよ。私はそういう会社そのものを変えたいとずっと思ってきたの。ウチの会社の労働条件は見た目には良いように映るかもしれないけど、実際は酷いものだわ。建前上は使用者と労働者が双方納得の上、見做し残業やら裁量労働やらフレックスやらと導入、労使協定を結んでいるけど、現実は想定時間以上の労働を余儀なくされているし、決定権が何も無いから裁量労働なんてどこにも無い。フレックスなんて誰がやっているの。」

 難しい言葉が出て来ましたね。何ですかそれ。

 「ごめん。ちょっと、興奮しちゃったみたい。でも労働者は使用者のコマではないの。労働者が辞めたらじゃあ次入れればいいっていうやり方は私は賛成できないの。」

 それで、教育管理者の都賀さんが正に会社のコマでいる私に何の用ですか。


 我ながら冷めた返事だ。そんな事は充分判っている。だからと言って所詮雇われの身。こんな飲み屋で愚痴ったからといってどうなる。判っているけど、変える力なんて俺には無い。

 「でも、その力が欲しいのだろう。」

 欲しい。その力があれば弱者を助ける事ができる。みんなが幸せな世の中にできる。それが俺の望みだ。

 「それがお前の望みだ。」


 「田中君、会社に不満持っているでしょ。」

 え。

「隠さなくてもいいよ。私が営業部に居た時、田中君は凄く頑張ってた。ところが今や当初の目的を忘れたのか、不真面目になったのか判らないけどあの頃の勢いが無いもんね。」

 そんな事無いですよ。所詮この程度という事ですよ。それとも教育管理者としての指導ですか。最近田中はたるんどる。だから教育しなくては。と。

 「だから棘のある言い方しないの。」


 何故だろう。つい、冷たい対応をしてしまう自分が居る。そんなつもりは無いのだが。


「変えたいと思わない。」

 そんな力は俺には無いですよ。

「もちろん、今はそうね。」


 判ってはいるものの、他人からこうはっきり言われると腹が立つものだ。


 それで、一体何の用ですか。


 早急に用件を済ませて帰りたくなった。都賀さんには好意を持っている俺だが、今は一緒に居たくない。何故俺が責められなくてはならない。


 「そう、不機嫌にならないでよ。話っていうのはそこ。変える力の話。さっき、田中君には今は力が無いと言ったでしょ。あくまで今なのよ。」

 よく意味がわかりませんが。

 「人はね、何を言ったかでは動かない。誰が言ったかで動くの。」

 逆じゃないですか。誰が何を言おうと、その内容を重視すべきだと思いますけど。」

 「本来はそう思うわ。でも現実は違うの。例えば同じ命令を私と八田が言ったとして、田中君はどちらの言う事を素直に聞けるかしら。」

 俺の上司は奴だから、奴の命令を聞くしかないでしょ。

 「素直に聞けるかどうかよ。」


 そりゃあ、言うまでも無い。都賀さんだ。


 「今の例は少し極端だけど、誰が言ったかで人は動くものよ。それに賛同はできなくても、それが現実だと思うわ。いい内容でも悪い内容でもね。私はそれに気が付いて、どうすれば私の意見が通りやすくなるかを考えた。それで私の選んだのは、誰から見ても仕事が出来ると言われる存在になる事。その為に頑張ったわ。結果、今の形になっている。今の私は八田と対等、いやそれ以上だわ。」

 都賀さんってそんなに上昇志向のある方でしたっけ。

 「上昇志向じゃないよ。さっきも言った通り、変える力を得る為よ。」


 いつもの可愛い笑顔で喋っている。が、こんな事を考え、実行し、結果も今の所出している彼女は眩しく見えた。それだけ、俺自身は暗いのだろう。


 「でもね、最近疲れたんだ。忙しくてね。こんなこと会社じゃ言えないし、態度にも出さないけどね。それで最近燻っている田中君に声を掛けたわけ。もう奴との話は付いているわよ。田中君は私と一緒に会社を変えるの。」


 愛嬌一杯の、満面の笑みでさらっと言ってのけた。これが自信というものか。


 「でも、今の所内諾だけ。残っているのは田中君の返事よ。」


 そう言いながら、都賀さんはビールと食事を追加注文している。


 ちょ、ちょっと、藪から棒ですよ。急に言われても返事なんて出来ないですよ。

 「そうよ。だから、今言ったの。」

 いや、あのですねぇ。

 「これが今の私の力。田中君には悪い言い方だけど、社内のお荷物をどうするかについては私の意見が最優先される。」

 お荷物ですか。俺は。


 愛想笑いしている自分に気が付く。自分では成績は悪く無い方だと思っていたが、会社としてはそう思っていないようだ。ビールが不味い。もう本当に帰りたい。


 「でも、今までの様に社員を使い捨てにはしたくない。適材適所ってよく言うけど、それを本当に実践したい。それが出来たら皆幸せになると思う。明るくなると思う。そして皆の目的が一つになれば、訳の判らないルールなんて必要なくなると思う。訳の判らないルールで労働者を縛る必要が無くなると思う。所謂弱者を救う事が出来ると思う。でも私達だけじゃ無理。協力者が必要なの。」

 都賀さんなら一人でも出来ると思いますがね。実績あるし。それに部下がいるのだから、部下と協力し合うべきだと思いますよ。

 「だから、部下になれって言ってるの。さっきも言ったでしょ。疲れてきたの。」


 何故だろうか。部下になれって言ってるのという言葉の後のビールがまた美味しく思えてきた。このキャラクターには敵わない。心地良い敗北感だ。

   

   五


 「じゃ、いい返事期待しているわよ。」


 家路へと歩く彼女の後ろ姿を見た。結構飲んでいるのに真直ぐに歩く彼女は、周りのネオンよりも輝いているように見えた。そして、俺は自分の暗い足元を見ながら家に帰ってきた。


 俺が会社のお荷物か。力になってあげたいと考えてきた弱者の一人が、今の俺そのものだ。

 「そう、今のお前は弱者だ。」

 どうすればいい。

 「どうすればいいと思う。」

 このままでいた所で、どうしようもない。それは判っている。都賀さんはそんな弱者である俺に道をつけてくれたのかな。

 「彼女はお前の思っている事、考えている事と同じような考えを持ち、行動した。」

 カッコいいな。彼女は。

 「お前もそうなりたいんだろう。」

 なりたいね。

 「なればいい。」

 どうやって。

 「まだ、そうやって聞くのか。」

 そうだな。答えは出ている。やるか、やらないかだよな。しかし具体的に何をどうしたいのだろう。彼女の話は聞いてはいたが、具体的ではない。そんな中で俺に何をさせようというんだ。

 「協力して欲しいと言っていたじゃないか」

 だから、何を協力するんだ。

 「お前自身が納得いかない事全てだろう。お前が考える会社運営というものじゃないのか。」

 俺に会社運営なんか出来る訳がないだろう。

 「そう言いながら、いつもこうすべきだ、ああすべきだと考えているじゃないか。酒を飲みながら。」

 間違いないよ。考えている。でも、それがうまくいくかどうかなんて判らないじゃないか。

 「誰も先の事なんて判らないよ。お前自身それを良く知っているじゃないか。」

 明日はわが身ってやつか。

 「それは違うよ。」

 じゃあ、何だ。

 「お前は明日も無事に生きていられると、本当に思っているのか。」

 思ってないよ。今晩にも大地震が来て死ぬかもしれない。

 「そういう事。」

 でも生きている可能性があるから、仕事しなくてはならない。でも、

 「また、堂々巡りになっているぞ。」

 そうだな。最初に戻ろう。やるか、やらないかだ。

  

   六


 「おはようございます。おはようございます。」

 いつもの行事が終わった。さて、都賀さんに会いにいくか。


 「おはよう。田中君。」

 おはようございます。

 「で、どう。期待していいのかな。」

 期待に副えるかどうかわかりませんが、部下になる方向で考えています。

 「ありがとう。じゃあ、早速社長の所に行きましょう。」

 はい。


 行動が早い。既に根回しは済んでいると言っていたからだろうか。こういう所は中小零細企業の得意とする所だろう。


 「失礼します。」

 「おぉ、都賀君か。どうした。」

 「先日来お話してきました件について、田中君の意向も固まりましたので、そのご報告に上がりました。」

 「おぉ、そうか。田中君が抜けると営業の方が苦しくなるが、都賀君の部門の仕事も重要だ。頑張ってくれよ。」


 よく言えるものだ。俺をお荷物だと判断したくせに。こういう判りきった世辞を言われると腹が立つ。が、はいと元気に答えてしまう自分がもっと情けない。しかし、その情けない自分から脱却するんだ。


 「さて、私の部署に戻りましょ。既に田中君の机もあるよ。」

 ありがとうございます。早速ですが、課長の中長期計画をお伺いしたいのですが。

 「一応書面化してあるから、目を通しておいて。はい、これ。」

 ありがとうございます。

 「でも、暫くは元の部署での引き継ぎ業務をしなければいけないでしょう。どれくらいの期間が必要なの。」

 そうですね。2週間もあれば充分です。


 さっきも思ったが、さすがは中小企業だ。良く言えば、機敏な対応と素早い行動力。悪く言えばいいかげんだ。


 「判ったわ。じゃ、2週間後。」

 はい。


 2週間とは言ったが、引継ぎなんて簡単なものだ。引継ぐ同僚と一緒に得意先を回り、挨拶をする。その程度だ。後は同僚からの質問や疑問に対して答えていけばいい。

 それよりも今の俺の興味は都賀さんからもらった計画表だ。なるほど、適材適所なんて言っていただけに人材の有効活用なんて言葉がある。その為の具体的行動案と将来的な展望か。さて、この内容に関して俺が出来る事は何だ。

  

   七


 2週間が過ぎようとしている。都賀さんの計画表は一通り把握したが、何故か釈然としない。会社はこうすれば良くなるという内容ばかりだ。しかしこれも止むを得ないという所か。会社にとって都合の悪い事は出来ない。労働組合の無い中小零細企業や同属会社なら尚更だ。だがこれでは会社を変える事は出来ない。弱い立場の人間を救うことは出来ない。都賀さんの本音はどこにある。

 「おや。偶然だね。田中君」

 あぁ、課長。お疲れ様です。

 「もう仕事終わってるから、プライベートだよ。」

 そういえば、もうこんな時間ですね。

 「いよいよ来週からだね。私の力になってくれるのは。」

 そうですね。そうそう、もし時間有ればこのまま晩御飯一緒に行きませんか。

 「ごめん。用事があるんだ。」

 そう。彼氏とデートですか。

 「そんなんじゃないよ。」


 顔が少し赤くなっている。当らずとも遠からずという事か。都賀さんの計画表の裏の本音が聞きたかったが、仕方ない。


 「じ、じゃあ、また来週。宜しくね。」

 了解です。


 こういう、少し取り乱したような様子の都賀さんを見るのは初めてだ。相手の男が羨ましいよ。


 さて、俺ならどういう計画を立てる。

 「どうして、彼女の考えでは弱者を救えないと思うんだ。」

 会社が儲かる事が前提だからさ。

 「会社が儲かると弱者は救われないのか。」

 資本主義ってのは極端に言えば資本の奪い合いなんだよ。従業員が良い成績を出したといって、その利益が全てその従業員に返ってくる訳じゃない。

 「そりゃあそうだろう。会社の商品やら、ネームバリューやらを使って仕事しているのだから、会社にもその利益を貰う資格はあると思う。」

 その通りだが、今は利益を会社が全て持っていく。労働者の給料は何ら変わらない。それどころか、給料を減らす事しか考えていない。

 「何故そう思う。」

 さっきも言ったろ。奪い合いだからさ。資本、簡単に言えばお金だ。それをより多く手に入れる為には、経費は少ない方が絶対に良い。だから会社は労働者から奪っているんだ。奪い易いからな。嫌なら辞めろで終りだ。

そういう仕組みが出来上がっているから、必然的に弱者が生まれる。薄給重労働でも、黙って仕事をしなくては生活できないからな。

 「会社自身が資金を蓄えてなければ、新規事業とか研究開発なんて事が出来なくなって、会社は倒産してしまう事だってあるんじゃないのか。」

 中小零細企業なんか会社のお金と社長のお金は同じ財布なんだよ。それだけじゃ飽き足らず何の知識も持っていない家族を役員にして、労働者の知らない所で役員報酬という形で搾取しているんだ。もちろん、株主配当という形での搾取もね。大企業だったらちゃんと会社に留保しているかもしれないが、それでも株主はより高い配当を求めるし、役員だって高い給与を望む。結果、大企業だろうと中小だろうと労働者が搾取されるのは同じだ。

 「なるほどね。それで、お前ならどうするんだ。」

 俺は、会社の利益を全て労働者に還元したい。決算なんて事を年一回やるだろう。それでその会社の利益が判る。その分を全て労働者に戻し、次の年度はまた一から出発させるんだ。それなら一年間薄給であっても、年に一度頑張った分が戻ってくる訳だから今迄よりも年収は上がる。

 「その年の会社の業績が悪かったらどうするんだ。お前の言う年収が下がる事だってあるだろう。」

 それはそれで諦めが付くさ。会社が利益の全てを還元してくれると判っていればね。少なくとも俺はそう思う。それに仕事しないで給料だけよこせっていうのは、弱者じゃない。単なるタカリだ。もっと言えば俺は会社が利益の全てを吐き出した為に倒産しても構わないと思っている。会社を潰してはいけないなんて思っていない。そう思っているのは今の立場を失いたくない連中だけだ。

 「会社が倒産したらその会社がやっていたことが出来なくなって、社会に迷惑を掛けるとは思わないのか。」

 思わないね。若干の混乱はあるかもしれないが、その会社の事業は必然的に別の会社に引き継がれる。社会に何の迷惑も掛けないさ。もし引き継がれないとしたら、それは社会が必要としていないということだ。

 「なるほど。それがお前の考えか。」

 そうだね。

 「実際にできるのか。」

 出来るようにならなきゃいけない。都賀さんも言ってたろう。そういうことの出来る力を得るんだ。その為に会社から、いや会社の一番の権限者である社長の信頼を得るんだ。信用じゃあ駄目だ。信じられて頼られなくてはいけない。

 「具体的には。」

 当面は会社の為に仕事する事だね。そうして実績を上げれば目標に近づくだろう。暫くは考えている事と全く逆の事をしなければいけないから疲れるだろうね。

 「そうだね。でも、やると決めたのだろう。」

 そうさ。

 「そうだね。」

 でも都賀さんが何を考えているかが気になる。そのうち聞くチャンスはあるだろう。

  

   八


 課長、おはようございます。今日から正式に人事部教育管理課にお世話になります。

 「おはよう。はい、皆注目。今日から私たちの仲間になる。田中君です。宜しくね。」

 「宜しくお願いします。」

 宜しくお願いします。


 一通りの紹介を貰った。皆とは言いながら、俺を含めて3人の部下か。これで人手が足りないっていうのか。


 「じゃあ、暫くは私と一緒に行動してね。その方が早く仕事を覚えられるし、質問なんかも随時受け付けられるから。」

 わかりました。宜しくお願いします。


 こちらとしてもそのほうがいい。これなら都賀さんの本音を聞く機会はいくらでもあるだろう。まずは都賀さんの手伝いをやりながら、他の二人を観察させてもらおう。一緒に仕事をするんだから、ある程度見ておかなくては。一人は男性、当然俺よりも若い。どうやら、都賀さんの計画の実質的な組み立てをしているのだろう。もう一人は女性、こちらも若い。実際の組み立てた計画の書面化と雑用といったところか。


 「田中君、これから出掛けるから一緒に来てね。」

 はい。


 移動中の車内。もちろん運転は俺。さて、本音を聞いてみるか。


 課長の中長期計画ですが、一通り把握しました。あの計画が旨く行けば、会社は今よりも良くなるでしょうね。

 「そう言ってくれると嬉しいわ。でも実際には問題が山積み。佐野君だけでは全部所の取り纏めは出来ないからね。田中君と分担して欲しいの。」

 あぁ、佐野君ってあの若い男の子ですね。具体的には私は何を。

 「佐野君は私の考える内容を纏める事は得意だけど、それを実際に社員に落とし込む力は無いの。だからそれを田中君にやって欲しいのよ。」

 実践的な教育という意味ですか。

 「そうよ。」

 ちょっと待って下さい。私だって無理だと思いますけど。

 「前も言った事があると思うけど、誰が言うかで人は動くの。佐野君ではまだ若いわ。それに比べれば、田中君は営業部という現場を良く知っているし、相手に合わせて話す事も慣れているでしょ。」

 そう言って頂けるのはありがたいですけど、その私だって営業部のお荷物だったんですよ。そんな人間の言う事を他の社員が素直に聞けるとは思えません。

 「だから、頑張って貰わなくちゃね。」

 上司の命令には逆らえません。

 「宜しくね。」


 いつもこの笑顔にしてやられる。命令を素直に聞ける、聞けないというのはこういうことだろう。さて、そろそろ切り出すか。


 もう一つ質問いいですか。

 「はい、どうぞ。」

 あの計画は、簡単に言うと人材を有効活用することで業務効率を上げて会社に利益をもたらすという事だと思うんですが、他の狙いといったものはありますか。

 「他の狙い。」

 例えば、其々の頑張りに合った報酬を支給するとか。

 「それは難しいわ。私にはそこまでの決定権は無いし、それを判断するのは社長よ。私はその人に合った仕事をしてもらう事で、その人が幸せになればと思ってやってるの。社員が自分に合った仕事をするという事は、その人にとっては幸せなことだと思うの。世の中お金だけじゃない、とは言い難いけど、楽しんで仕事をすれば結果もついてくるし、それがお金だったりするんじゃないかしら。」

 そうですか。課長は今よりもっと力を付けて、報酬といった部分での社員への還元にまで意見できるようになろうとは考えていませんか。

 「さっきからお金の話が続くわね。田中君ってそんなにお金お金って言う人だったかしら。」

 いや、このご時世、一番判りやすく評価するという点と、社員が一番喜ぶという点では、報酬という形が良いと思いまして。

 「なるほどね。そういう見方もあるか。そうね。出来るようにはなりたいけど、会社のお金だからね。簡単には行かないでしょう。下手にボーナスとか支給して、会社が回らなくなりました、倒産の危機です、となったら困るのは逆に私たちよ。」


 これが本音か。言っている事は正論だ。だが、労働の対価が奪われているという所までは気が付いていない。いや、気が付いていても、そういうものだと割り切っているのだろう。労働者に合った仕事をさせることは確かに本人も楽しいかもしれない。会社が儲かれば少しは賃金も上がるかもしれない。だが、あくまでかもしれないだ。どちらにしても、弱者は弱者のままだ。奪われる方だ。

  

   九


 さて、ビールでも飲むか。都賀さんの考えは分かった。そして俺はどう動けばいい。

 「どうしたいんだ。」

 彼女の言っている事は正論だよ。だけど、俺には会社の言い分にしか聞こえない。会社の存続が前提だからね。それは前にも言ったように、資本家が利益を奪い続ける事と同義だ。それに業務効率を上げるという事は、機械になれと言っているようにしか聞こえない。効率が上がって労働者が残業しなくなっても、結果的には会社が儲かる。残業代という費用がなくなる上に、仕事が早くなるんだからね。やはり、自分の考えで動きたい。

 「会社が倒産してもか。」

 前も言ったろ。俺は会社が倒産しても構わないと。労働の対価は全て還元すべきだ。

 「そう言っていたね。」

 さて、それが出来る力を掴まなくてはならない。前にも思ったが疲れるだろうな。力を掴むまで。

 「でも、やると決心したのだろう。先は見えなくても。」

 そうだね。

  

   十


 おはようございます。

 「おはよう。今日は具体的にやってもらいたい事を説明するわ。」

 はい。

 「まずはこれに目を通してね。それが終わったら又私に声を掛けて。」

 わかりました。


 何だこれ。労働者一人一人の適正。あぁ、営業部にいた時に適正検査みたいなものだということで、答えさせられた検査の結果か。

なるほど、面白いな。渉外能力やら事務処理能力やらの細かい項目が点数でグラフ化されている。当然、気になるのは自分の結果だが。無い。何故だ。


 課長。一通り見させてもらいました。

 「どう思った。」

 労働者個々の得意分野を客観的に洗い出し、その個人の能力が充分発揮される部署への転属を実施することで会社全体の効率を上げることができる。それに第三者機関の結果ですから、偏見がありません。信用できるデータだと思います。もちろん、その第三者機関が信用できる会社であればですが。

 「そう。自分に合った業務をしてもらうことでストレスを軽減できるわ。そうすれば、自然と生き生きしてくるはずよ。そしてやる気が出るから、仕事の効率が良くなる。すると、仕事が楽しくなる。もっと生き生きしてくる。幸福のスパイラルが出来上がるわ。」

 必然的に会社の業績もよくなると。

 「もちろんね。ボーナスが楽しみになるわね。」


 実に楽しそうだ。彼女自身が今幸福のスパイラルにいるのだろう。


 でも、実際にどうするんですか。事務処理が得意だからと言って、該当者を全て事務部門に回したら他が手薄になります。

 「そこは、その人が実際に何をやりたいかよ。この結果だけで話を進める事は出来ないわ。このデータはあくまで参考。いくら事務処理能力が長けていても、本人が営業を希望していたら営業をしてもらうわ。その時に本人が自分の持つ高い能力を把握してそれを営業に活かせるかどうか。いや、活かしてもらわないといけないの。私達の仕事はこの部分ね。個々の希望と能力を把握して、業務上どう活かせるかを気付いてもらう為に。言ってみれば、カウンセラーかしら。」

 なるほど、カウンセラーですか。それを私と佐野君の二人で行う訳ですか。

 「そう。でも佐野君は他の仕事もあるから、実質的には田中君が前線に出てもらうことになるわ。」

 判りました。


 都賀さんの企画を佐野君が実務化し、俺がそれに則った行動をする。そして細かな実務上の処理は菅野さんに手伝ってもらう。といった組織か。昔の戦国時代風に言えば、大名が都賀さん。家老が佐野君。俺は侍大将。と言った所か。歴史に詳しくは無いから、菅野さんの位置はわからないな。でも、必要な人材だ。


 もう一つ質問があります。

 「何。」

 私の診断結果がありませんでした。それに、佐野君や菅野さんの結果もありません。何故ですか。

 「あぁ、それは私が持ってるの。だって、部下を見るのは上司の務めでしょ。私が知らなきゃ何も出来ないじゃない。でも、口頭では伝えているのよ。で、三人とも私の下で協力してくれるって事で今の形になっているわけ。」

 他の部署の管理者には渡さないんですか。

 「渡さないわよ。だって、私たちの仕事はその他部署の管理者を含めてのものだもの。私たちの仕事を他の偉いさんに投げるわけには行かないでしょ。」

 なるほど。判りました。


   十一


 今日から一人一人面接を通して個々を把握することになる。でも、元同僚や上司を相手にするのは正直やりにくい。しかし、やらなければならない。自分自身の目標の為に。


 お疲れ様です。お忙しい中お時間を頂いてありがとうございます。時間は限られていますので、早速面談を行います。なお、質問に対して、正直に思っていることをお話して下さい。良い事でも、悪い事でも構いません。 また、決して口外する事はありません。


 なるほど。酒が入っていないから、あからさまな不満といったものは出てこないが、オブラートに包みながら出てくる。会社への不満、仕事への不満、待遇への不満、上司への不満、同僚への不満、中には俺を羨む奴までいた。何故お前がといった具合だ。予想はしていたが、俺に八つ当たりして気が晴れるならそうするがいい。俺はそんなお前でも助けてやるさ。

 さて、もっともやりにくい相手が始まる。元上司の奴だ。


 「おう、田中ぁ。偉くなったもんだなぁ。」


 入ってくるなりこれだ。


 八田課長、お疲れ様です。お忙しい中お時間を、

 「おう、さっさと済まそうや。」

 判りました。では幾つか質問させて頂きますので、宜しくお願いします。

 「その前に、何でお前なんだ。都賀さんは。」

 いや、都賀課長は別の仕事があります。この面談は私が行う様指示されていますので、ご協力下さい。

 「大体どうして新規部門に俺が抜擢されなかったんだ。この会社の中で、俺ほど貢献している奴はいないぞ。都賀だって俺の指導が良かったからこそだろうに。その上、役立たずだったお前に面談されるとは、どういうことだ。」

 えぇと、始めさせてもらってもいいでしょうか。

 「なぁ、お前どんな手を使ったんだ。」

 は。

 「何か無けりゃ、お前が新規部門に引っ張られるはずが無いだろう。」

 いい加減にして下さい。私は上司の命令で仕事をしています。更に言えばその命令は社長から出ています。あなたはその社長の命令が聞けないとでも。私の人事異動に疑問を持っていたのなら、何故あの時質問されなかったのですか。


こんなものだ。組織の中でしがみついて生きている限り、絶対権力者には逆らえない。八田は典型だ。虎の威を借りるのが得意で、自己保身に長けている。これも長所なのだろうか。しかしその性格のお陰で、他の連中よりも判りやすい。そのお前でさえ、俺は助けなければならない。

  

   十二


 第一回目の面談は一通り終わった。これから、その結果を4人で話し合って方針を立てなければいけない。

 「疲れたか。」

 そりゃ、疲れるさ。でも、面白かったよ。特に八田の奴の面談はね。

 「どう面白かったんだ。」

 最初ぐだぐだと俺に絡んできたくせに、俺が一喝すると黙り込んだからね。それが、面白かったよ。

 「そういえば、お前があんな事を言うのは会社の中では初めてじゃないか。」

 そうだね。営業部に居た時は黙っていたからね。お前が言ったとおり、臆病だったのさ。

 「今は臆病じゃないのか。」

 いや、あの時と変わっていないと思うよ。ただ違うのは今の俺には目標があって、それをやり遂げるという気持ちがあるからだよ。

 「ほう、お前をそういう気持ちにさせた彼女には感謝しないとな。」

 まったくだ。俺が営業部に居た所で何も変わらないという事を彼女は見抜いてくれた。そして、俺に道を開いてくれた。

 「それで、これからどうしていくんだ。」

 考えてあるよ。それを今から会議で意見するつもりだ。


 「さて、全員の面談が終了した所で、今から田中君と菅野さんの作ってくれた資料を元に一人一人方向性を付けていきましょう。まずはこの人からね。ふーん、渉外能力は高いけど、性格的にはおとなしい。でもって本人は今営業だけど、本当は内勤が希望ね。皆の意見を頂戴。」

 「僕は本人が内勤を希望しているので、内勤の業務に異動させるべきだと思います。それに性格が控えめなので、営業では本人も苦しいと考えます。」

 「私は今の営業部での内勤業務が彼には合っていると思います。」

 「田中君はどう。」

 私は彼の場合、今まで通り営業部で良いと思います。データ上にも出ているように、彼の交渉能力は高いです。それは以前同じ部署で見てきたのでわかります。内勤をさせても一時的には活発になるでしょうが、長くは持たないと考えます。

 「営業部で今まで通りに外勤してもらった方が、彼の能力が発揮されると考える訳ね。」

 はい。しかしそれには彼に、というか、全社員共通ですが、目標を持たせる事です。それも会社としての目標です。今居る場所で、それをどう個人レベルに合った目標にさせていくか。そしてそれを継続させなければいけません。

 「具体的に言ってくれない。わかりづらいわ。」

 例えば蟻です。蟻は女王の為に役割分担をし、其々の持ち場で能力を発揮しています。働き蟻に戦闘蟻といった具合に。蟻には感情といったものが無いでしょうから皆何も言わず仕事しています。文句を言って仕事を辞める蟻はいません。会社組織だって蟻社会と似たようなものです。

 「ちょっと待って、田中君は労働者を蟻として、文句を言わせずに働かすべきと考えている訳。」

 それはありません。私だってそんな事言われたら嫌ですから。では話を続けます。蟻は女王のために働きます。では、労働者は何の為に働くか。むろん自分自身やその家族の生活の為です。労働者の意識がそれだけに向いていては、最終目標としている会社への貢献を達成する事は難しいと思います。蟻と違い、自分第一ですからね。ではどうするか。社員が一丸となる目標、我が社にもありますよね、経営理念とその為の目標が。それを再度教育し、其々の部署で労働者一人一人が会社の目標を達成する為に、自分が何をすべきかを考えさせ、その考えた結果について努力してもらう事が必要です。それに個々の能力に合った力を更に伸ばそうという訳ですから、嫌な事を勉強するよりも効率よく本人の知識技術となります。その上その知識技術はその労働者個人のスキルとなる訳ですから、自分第一と考えている労働者にも指導しやすいです。このことが出来れば、業務効率の向上が継続し続けることになります。結果として会社の業績は上がります。

 「社員一人一人に目標を持ってもらうというのは、考えていた事なんだけど、具体的にどうするかという案が浮かばなかったのよね。佐野君は何か具体的な案ある。」

 「僕はこう思います。例えば営業部門であれば、商法などビジネスに関係する法規などは必要な知識、総務労務であれば、労働基準法は必要な知識です。ですからこれら関係する法規の勉強をしてもらって、資格取得してもらう。これなら労働者自身のスキルにもなり、会社としても社員のレベルが上がりますから、業績がよくなります。」

 「田中君は。」

 賛成です。やり方としてはいきなり上級な勉強をさせず、低いランクのところからチャレンジしてもらうことですね。例えば資格へのチャレンジであれば、まずは三級、四級のレベルからといった具合です。それから一つの目標が達成したからといって、努力を止めてもらう訳にはいきません。ですからこうしたシートを各個人に記載してもらい、コピーして一部を我々が預ります。これを元に今後も面談の中で指導していくというのはどうでしょう。

 「挑戦シート。」

 はい、説明させて頂きます。まずは大目標。定年までに自分がどうなっていたいのかを記入してもらいます。そして今の自分。自分自身を客観的に見て現状を記載します。そして、今の自分から大目標に至るまでの中小目標。例えばビジネス法規四級とか三級とか記載していきます。もちろん書けない場合もあるでしょう。ですので最初は私たちが面談の中で一緒になって記入していきます。こうした試みは既存の方法ですが、大体はやったらやりっぱなしです。それを私たちが月に一回ペースで指導していく訳です。

 「レベルの上がった優秀な人材が退職してもっとよい条件の会社に行く事だってあるわ。そうなると、会社の損失になるわよ。その点はどう。」

 個人の考えはそれぞれですからね。そうした事が起こる事もあります。しかし課長が言われたように、この会社で幸せだと思ってくれるようになれば良いことですし、またそうするのが我々の仕事でしょう。

 「判ったわ。やってみましょう。その前に其々の部署での大目標とそこまでの階段はある程度私たちが用意しなきゃね。これは私がやるわ。それが出来てから、導入しましょう。それから田中君。」

 はい。

 「指導とは言っても、相手も感情のある人間だからね。下手に出て、説得するという考え方で面談をしてね。佐野君も同様にね。」

 「判りました。」

 「じゃあ、最初に戻って一人一人方向性を付けていきましょうか。」


   十三


 「今日の会議はお前らしくなかったな。いや、本来のお前が表面に出たということかな。」

 どっちだろうね。いずれにしても俺の意見は通った。しかし都賀さんは人の使い方を良くわかっているな。

 「と言うと。」

 俺や佐野君の意見はとっくに都賀さんの中では出来ていたという事だよ。でなければあんなにあっさりと意見を取り入れるはずが無い。俺達に言わせたのさ。そうすれば俺たちは俺たちの意見が認められたという事で今後もやる気が出てくるって訳。

 「意見がまったく逆や、出ない場合もあるだろう。」

 同じような意見が出てくると思っていたんだろうね。

 「いい関係だな。お前の仲間は。」

 そうなのかな。

 「違うのか。」

 良くわからないが、たぶん俺以外は全員目的を共有しているよ。俺は本心は別にあるからね。

 「なるほどね。でも全従業員の目的を会社に合わせて共有させるなんてことができるのか。お前のような人間だっているだろう。」

 やるのさ。

 「どうやって。」

 まずは管理職連中を洗脳しなければならない。川に例えれば、汚い川は下流から掃除しても中々綺麗にはならないけど、上流を綺麗にして綺麗な水を流し続ければ、下流も必然的に綺麗になるからね。だから上流である管理職連中が会社の為に働くよう仕向けなくてはいけない。それが出来れば、その下に居る部下たちはそれに倣うだろう。もちろん毎日のように「会社の為に」という気持ちを与え続けなければならないけどね。その為には社長にも出てもらう。

 「洗脳。」

 そうだよ。経営理念やらその為の目標なんて、所詮は大義名分だよ。例えば宗教なんか近いと思うね。盲目的になった信者は何でもやるだろう。教主様の為に。殺生は駄目ですと言っていてもその思想、会社でいう経営理念の邪魔になる他の宗教に対しては殺し合ったりするんだからね。それと同じで我が社はこういう素晴らしい経営理念の下で業務をしています。この素晴らしい経営理念の達成の為、皆さんの力を貸してください、と言って美化しているんだ。それに感銘受けたような場合は信者になって社長の為に何でもやるようになるだろう。例え提供した労働以下の賃金でも頂けるだけありがたいと思うだろうね。これが洗脳された状態。

 「なるほど。」

 儲かるって漢字は信者って書くんだよ。

 「あ、本当だ。」

 俺はまず管理職連中を社長の信者にしなければいけない。社長を儲けさせるためにね。その為には教主である社長にも出てもらわないといけない。

 「疲れるだろう。やりたい事の為に、やりたくない事をやるのは。」

 本当だよ。


   十四


 課長よろしいですか。

 「何、田中君」

 昨日の会議で思ったんですが、この部署は一つの目標に向かって団結していますよね。そのせいか、これからの仕事もワクワクしてしょうがありません。ですがこうしたワクワク感を全従業員に持ってもらう為に、一つ考えたんです。

 「何を。」

 現状、管理職の方々も従業員も目標が一つになっていないと思うんです。

 「そうよ。だから私たちの取り組みでそれをしていこうとしているんじゃない。」

 そうです。しかし、私達だけでは与え続ける事が難しいと思うんです。何故なら人間今日と明日とでは意見が違うようなことがあります。常に会社の為に、そしてそれが自分の為になるという考え方を与え続ける事が必要と思います。それを行うには我々だけでは不可能です。

 「人間が足りないって事。」

 そうです。

 「だからって、これ以上の増員は不可能だわ。」

 そこで、管理職の方々にも協力してもらうというのはどうでしょう。

 「でも、これは私たちのやるべきことよ。他の管理職の皆を使う事は出来ないわ。」

 そうでしょうか。従業員にとってその直属上司は接する機会の一番多い存在です。親の背中を見て子は育つといいますよね。直属上司自身が先ほどの考え方を持ち、かつ部下に接していく方が日頃の教育となると思うんです。それに上司は部下を育てる事も仕事の一つですからね。労働者の気持ちをまず直属の上司に向けさせる。つまりこの人の為に、と思ってもらうようにする。それには上司自身が部下に接しないといけません。私たちの部署がいい例だと思うんですよ。

 「こそばゆいわね。で、その管理職の皆にはどうやって教育していくのかしら。」

 社長自ら行って貰います。社長自らの言葉の方が良いでしょう。

 「言いたい事は判ったわ。でも、皆協力してくれるかしら。これが難しいから私たちでと思っていたんだけど。特に社長がね。」


 さすがは都賀さんだ。俺の意見は既に持っていたようだ。だが、同時に抱える問題をどうするかで引っ掛かっていた。それに都賀さんは昔から人に頼るような人じゃないから、仕事を他の部署に依頼する事に抵抗があるのだろう。営業時代にそのおかげで忙しかったからな。だからいっそ私達でと考えていたに違いない。


 宜しければ私が社長にお願いしてみますが、どうでしょう。

 「判ったわ。やってみましょう。後で二人で社長の所に行きましょう。」

 はい。

 

   十五


 「失礼します。」

 失礼します。

 「おぉ、どうしたんだ。何か不都合な事でも起きたのか。」

 「実は社長にお願いが有ってまいりました。」

 「出来る事なら協力するよ。会社の為だからな。でも、こう見えてわしも忙しいんでな。手短に頼む。」


 確かに接待も大事な社長業の一つだろうが、お気に入りの取引先ばかりを相手にして、新規取引先に対しては一切接待してないからな。遊んでいるとしか思えない。一回の接待でいくら会社の金を使ってるんだ。俺たちが取引先の接待をするときには費用を出してくれないくせに、自分の場合は会社の金を使うのか。


 「管理職の教育に関して、社長にご協力をお願いしたいのです。」

 「何をだね。」


 さすがは都賀さんだ。先の俺との話をうまく伝えている。だが社長はやはり気乗りしていないようだ。


 「ふむ。言いたい事は判るが、君たちは私の代理だ。その立場で臨めばいいと思うんだがね。」

 「しかし、社長あっての会社です。社長が前面に出る出ないでは部下の士気も変わってきます。」

 「ふむ。」

 私からも宜しいでしょうか。

 「あぁ。」

 先ほど部下を育てるのは上司の仕事の一つだと申し上げました。それは同様に管理職を育てるのは更にその上、つまり社長なのです。管理職が会社の為に、社長の為に、という気持ちにさせるには、私達では力不足なんです。社長が前線に出て頂ければ、会社は益々発展していく事でしょう。

 「まぁ、我が社の管理職連中といっても数が多いわけじゃないし、そんなに時間は取られないだろう。わしが出る事で会社が発展する可能性があるなら、やってみるか。費用がかかるわけじゃないしな。」

 ありがとうございます。

 「ありがとうございます。」

 「じゃあ、具体的に何をわしにさせたいのか明日教えてくれ。今から用事が入っているんでな。」

 わかりました。


 さて、一応の協力はしてもらえそうだ。しかし案外普通に了承したな。もっと逃げるかと思っていたが「会社の為と社長の為」を「わしの利益の為」と読み替えていたんだろうな。


 「田中君、具体的に社長にどう動いてもらおうと考えているの。当然考えてあるんでしょ。私は考えてなかったからね。」

 もちろん考えてありますよ。まずは営業部がやっている朝礼。これに社長も出てもらいます。毎日ね。それと、総務や経理といった部署にも毎朝顔を出してもらいます。

 「何の為に。」

 労働者にも社長という存在を身近に感じてもらう為です。見たことも無いような人間に忠誠は誓えませんからね。

 「他には。」

 顔出しが終了したら、全管理職が社長室に集まって、経理理念とその為の目標を暗唱します。その中で社長自身が皆に一声一声掛けていきます。お前たちが頼りだから頑張ってくれといった具合にね。幸い社長は、失礼な言い方ですがボンクラ社長ではありません。叩き上げの方だけあって人を見る目を持っています。だからこそ、今の都賀さん、失礼、課長があると思うのです。だから、管理職の皆さんを自分に向けさせる事は難しい事ではないと思います。それに管理職として今いるからには、既に少なからず忠誠心を持っていますからね。ここの所は私たちの出る幕はありません。私たちは頃合いを見て、管理職の皆さんにも同様の事を自分の部署でやって貰う様指導する事です。直属の部下が上司の為にと思うようにね。しかし管理職とは言え個々の人の使い方は其々ですから、この部分で私達の仕事になってくるでしょう。いかに部下に認められるかという指導ですね。この点は課長の得意分野ではないですか。

 「得意かどうかはともかく、何とか出来そうね。」

 部下の指導は私がやります。面談を通して、いかに上司があなたを頼りにしているかといった具合にね。

 「という事は、これから管理職の面談は私がやるべきと言うわけね。忙しくなるわぁ。」

 課長、顔が笑ってますよ。

 「そうね。楽しみだからね。田中君はどう。」

 疲れますね。すみません。つい本音が。でも私も楽しみですよ。これから変わっていくんですからね。

  

   十六


 「社長が毎朝出るようになってから半年近く経つが、どうだ、手ごたえはあるか。」

 そうだね。管理職連中は元々社長に対して、この人に付いていこうという感覚を持っていたから、その上更にお前が頼りだと毎日言われていれば以前より数段忠誠心は上がっていると思うよ。さすがは社長だ。自分の選んだお気に入り連中なんだから、やり易いしな。たまに管理職連中引き連れて接待もしてるし。これが効いているんだろう。今まで無かった事らしいし。

 「褒めてるのか貶してるのか判らない言い方だな。」

 一応は褒めているよ。それに都賀さんの指導効果も相乗効果をもたらしているんだろうね。問題は部下だ。やはり中々直属上司に忠誠心を持つまで行かない奴らがいる。

 「おまえ自身がそうだろう。」

 俺は都賀さんは嫌いじゃないよ。

 「お前の言う忠誠心を持っているのか。」

 残念ながら持ってません。会社にはね。

 「だろう。」

 会社での俺は役者なんだよ。本心は別にある。以前から言ってきたことだ。

 「その部下という連中もお前と同じで別の本心があるんじゃないか。」

 その通りだよ。俺の見た中では会社から居なくなってもらった方がいい人間が少なからず居る。

 「クビにするつもりか。」

 それは出来ないな。そんな事を言ったら都賀さんの目的から外れる事になる。

 「じゃあ、どうするつもりだ。」

 そうだな。上司に忠誠心を持てないって事は、単純に言えばその上司とは人間性としてどうしても合わないって事だろう。人間好き嫌いは必ずあるもんだ。かといって異動させても、その部署の抱えられる人数にも限りがある。となれば。

 「どうする。」

 少し早い気がするけど、俺自身の目的の為に働いてもらうか。

 「お前の目的は労働者から搾取する経営者に対抗する事だったな。」

 そう、会社の利益を全て労働者に還元するんだ。でもいきなりは難しいだろう。この半年で、社長とはそれなりに話が出来るようになったが、やはり決定権は社長にある。俺が一人吼えても効果は無い。そこで協力者を作る。

 「彼女がお前を引っ張ったときのようにか。」

 そう。さっき俺が会社を辞めてもらった方がいいという人間を使う。どうやら面談で話してきた限り、俺と同じような不満を持っている様子だからね。

 「単に仕事したくないっていう連中じゃないのか。お前の言うタカリはいないのか。」

 取り敢えずはいないね。見た目はタカリだが、今は目標が無い上に将来も不安、このままでいいのだろうか、とか、俺は出来る人間なのに評価してくれないからやる気が出ない、とか、こんな安月給で何処まで働かせるんだ、とかね。そんな奴らに俺の目的を話し協力してもらう。

 「協力者を得てどうして行くつもりだ。」

 そうだね。労働組合をまず立ち上げる事を第一目標にしよう。労働者は使用者つまり経営者と対等な立場だからね。そういう組合を作る権利があるのさ。

 「そう言えば、そんな法律もあったな。お前がこの前読んでた。」

 そう。そこで皆で要求していくんだ。今まで誰もやってこなかったが、俺がやってやるさ。

 「出来るといいな。」

 不安なのか。

 「お前が一番分かるだろう」


   十七


 さて、篠田君は2回目の面談だね。今日はあなたの今後の目標について確認します。

 「今後の目標とはどういう事ですか。」

 あなたは今総務部にいます。前回の面談で、あなたは今のままで良いと言っていましたが、私たちとしてはあなたにもっと楽しく仕事をして貰う為、実務に関係した勉強を何かしてもらおうと考えています。例えばパソコンにもっと詳しくなってもらうとか、労働基準法の勉強とかね。

 「楽しく仕事とおっしゃいますが、仕事に追われていて勉強どころじゃありませんよ。それを言われるのであれば、人員を増やして欲しいです。そりゃあ、そうした勉強はしたいと思っていますよ。私自身のスキルにもなりますからね。でもさっきも言ったとおり、それどころじゃないのが現状です。その上、あれをやれ、これをやれではこちらの身が持ちません。無理な相談です。」

 しかし、知識を付ける事によって業務がスムーズに行くこともあります。今までの無駄に気が付いてそれを止めるとか、効率の良い方法に気が付くとかね。それが続けば仕事が楽になると同時に楽しくなってくると思うんですよ。

 「おっしゃる事は判りますが、現実を見て欲しいです。勉強する時間は勤務時間としてくれるのですか。出来ないですよね。もし、通常の業務をした後でというのであれば、一日何時間あっても足りません。ほぼ毎日終電に近い時間まで仕事しているんです。」

 おっしゃる通り、現状では勉強時間を勤務時間とすることは出来ません。鶏が先か、卵が先かという問題になっていますが、答えはありません。どちらかを先に行うしかないんです。

 「それで、先にあなたがやって下さいということですか。」

 その通りです。

 「田中さんは色々な人と面談しています。だから口が堅いと信じてお話ししていいですか。」

 一番最初に申し上げました通り、誰にも言いません。社長にはこういう意見が出ていると話す事はありますが、個人を特定するようなことは絶対にしません。そうしないと、誰も正直に話してくれませんからね。信用して下さい。

 「最初の面談でも話しましたが、私はこの会社で将来に希望がありません。今のままでいいのかといつも考えています。はっきり言って薄給重労働ですからね。だから先ほど言われたように、勉強によってスキルを身につけることはやりたいんです。自分の為に。だけど、その時間が無い。正直言って会社を辞めて暫く勉強すべきかとも思っています。」

 そうですか。でもあなたの上司は、あなたがいるお陰ですごく助かっていると言っていますよ。あなたは、上司が嫌いですか。

 「好きでも嫌いでもないですね。でもどちらかで答えるなら、嫌いの方です。」

 それは、どうしてですか。

 「上司が好きという部下がいるんですか。」

 なるほど。でも、私の場合は上司の都賀課長を尊敬していますよ。これは私の個人的な意見ですが、あなたとあなたの上司の目標が一致していないと思うんです。この目的の為に一緒に頑張れる仲間という状態になることができれば、篠田君の抱える不安もなくなると思います。学生時代に仲間と一緒に取り組んだ文化祭とか楽しくなかったですか。そういう関係が大事だと思うんです。それができれば、楽しい事ばかりですよ。時間が無い事を理由にはしません。

 「言いたい事は判ります。ですが私は給料をもらって生活しているんです。安月給なりに。仮に田中さんのように会社で仲間ができて、楽しくいい仕事ができるようになっても、生活が厳しい事に変わりありません。頑張った見返りがなければ、いずれまた、不安に陥る事は目に見えますよ。」


 やはり、この男は正直だな。大体は上司が頼りにしているとか自分のスキルになるのだからという事を言えば、そうですか、頑張ってみます。となってきた。これが本心から言っているかどうかは別として、一応前向きに取り組んで貰っている。しかしこの男の場合、会社を見限っている。辞める寸前だ。普通なら辞めて貰った方がいい。会社に不満を持っているまま続けられてもいい結果はでないからな。こいつにも俺の本心を話すか。給料が少ないといっている位だから、味方になってくれるだろう。


   十八


 我ながらよく頑張ったな。自分で自分を褒めるよ。俺が都賀さんの部下になって早3年だ。この間色々とあったが、結果的には業務効率は上がって、会社は利益を出している。残念ながらと言うべきか、予想通りと言うべきか、賃金は変わらないけどね。

俺も社内で一目置かれるようになった。最初の頃はお前に言われる筋合いは無いといった視線が痛かったが、その内にそうした視線は無くなってきた。俺自身今の仕事が合っているのだろう。そして全労働者が気持ちよく目的を持って仕事をしているのが良く分かる。でもこれからだ。まだ組合の結成までいけていない。俺に協力してくれている人達のお陰で、俺の意見に賛同してくれる人間は全労働者の大半以上になっているが、何故か踏み切れない。


 「お疲れ様、田中君。」

 お疲れ様です。

 「明日は休みだし、久しぶりに皆で食事でも一緒にどう。」

 いいですよ。

 「じゃ、決定。」


 いつもの居酒屋。この3年間、この4人でよくやってきたものだ。そう思うと、ビールが旨い。


 「取り敢えず、計画は達成できたと思うわ。みんなありがとう。次は新たな体制の中で頑張って貰うわ。」

 新たな体制って何ですか。


 相変わらず唐突だ。俺を自分の部下に誘った時と変わらない。


 「実はね、私退職するの。皆には黙っていたけど、ようやく後を任せられる人材が出来たから、自分自身の幸せに向かってもいいかなって思って。それに私もいい年だしね。」

 ということはご結婚ですか。

 「早い話そうね。」

 それはおめでとうございます。でも、正直課長がいないと不安でもありますね。

 「だから、後を任せるって言ってるでしょ。」

 誰にですか。

 「あなたよ。田中君。」

 力不足ですよ。

 「そうかしら。あなたが思っている以上に、田中という存在は会社の中で大きくなったのよ。今のあなたなら、社長だって信用しているしね。それに、佐野君と菅野さんもあなたを信頼しているわ。本人の前では言わなかったかもしれないけど、私は良く聞いてきたもの。田中さんは凄いってね。」

 そうなのかい。


 満面の笑みで俺にそうですといってくれている。なるほど、適材適所か。でも俺に言わせれば、都賀さんの方が遥かに凄いと思うのだが・・。


 「そういう訳で、頑張ってね。あなたの役割は今以上に大きくなるわ。」


 ビールが旨いと感じる一方で、あまり旨く感じていない自分を感じる。都賀さんが結婚するからか、それともこの先の不安か。


 「それから田中君。」

 はい。

 「何をしようとしているのか大体判っているけど、慎重にね。」

 知ってるんですか。

 「大体ね。人の口には蓋は出来ないわ。でも田中君のやりたいことには賛成。」

 じゃあ、会社を辞めずに協力してくださいよ。

 「一度はそう思ったわ。組合を作って労働者の意見を聞いてもらう。遣り甲斐があるじゃない。でも、結婚は待ってくれないからね。親もうるさいし。」

 結婚しても仕事は出来るじゃないですか。

 「旦那は自営業なのよ。私が手伝ってあげなきゃね。」

 そうですか。残念です。

 「そんな顔しないの。さっきも言ったでしょ。あなたの役割は今以上に大きくなるんだから。頑張らなきゃね。」

 はい。 


   十九


 俺が課長ね。営業部で燻っていた頃に比べれば、遣り甲斐があっていい。都賀さんはやはり凄い。この俺が今こんな事を思っているんだから。しかし、結婚か。少しだけ悲しいな。

 「お前は今の現状で満足しているようだが、このままでいいのか。」

 正直言って、このままでいいと思うよ。

 「当初の目的はどうした。」

 皆が幸せに仕事をしているんだ。それを壊すのか。

 「壊すとは。」

 もし会社が潰れたら今のようにはいかない。せっかくの幸せを奪うのに抵抗を感じるよ。

 「お前は言っていたろう。弱者を助けたいと。労働者から搾取する事は許せないと。」

 確かにね。

 「お前は今、弱者ではないと感じているからそう思うようになった。違うか。」

 「今、弱者はいないと思っているのか。」

 「お前自身が搾取され続けていると判っていても、これでいいと思うのか。」

 俺にどうしろって言うんだ。

 「それはお前が決める事だ。」

 会社が潰れたら皆から恨まれる事になるぞ。

 「先の事が判ってお前は今の部署に入ったのか。今こうなっていると判ってて彼女の部下になったのか。」

 あの時とは状況が違う。

 「なるほど。失う事が恐くなった訳だ。だから、組合とやらを作る決心も無いと。」

 「当たりか。今のお前は搾取されているとはいっても、搾取している側についているからな。どうだ。奪う側についている感想は。」

 うるさい。

「昔、お前が忌み嫌った連中が今のお前だ。もう一度聞く。このままでいいのか。それに、お前を信じて続けてきた連中もいるのだろう。」



   二十


 都賀さんが退職してから早一ヶ月。この部署にも人員補充ということで、篠田という男性が入ってきた。引っ張って来たのは俺自身。総務部で燻っていた奴だ。丁度昔の俺だな。それに組合を作りたいと直接話をした人間の一人だ。年齢が俺に近いから物事も言い易い。俺が行動に移す際に一番協力してもらうことになるだろう。


 「課長。」

 あぁ、俺の事か。どうにもまだその呼ばれ方に慣れないよ。

 「でも、役職で呼ぶように言われていますからね。慣れてくださいよ。」

 そうだね。

 「ところで、今晩一杯どうですか。」

 あぁ、いいよ。でも、正直今月は厳しいから少しだけな。


 仕事終わりに居酒屋へ行く。昔に比べて頻度が増えた。給料自体そんなに上がっていないんだが、独身の強みだろう。俺の給料で結婚して子供を作る勇気は無い。

 「課長、お話があるんですがね。」

 何だ。

 「組合はいつ作るんですか。」

 その話か。


 正直今まで逃げてきた。やると言っておきながら、いざという今の段階で行動をしていないのは事実だ。


 正直言って時期を待っているんだよ。

 「時期ですか。」

 そう。

 「その時期はどうなったら来るんですか。待ち遠しいんですよ、俺は。」

 とりあえず、もう少し待ってくれよ。今はまだ機が熟していないんだ。

 「うーん。良く判りませんけど、課長がそう言われるならもう少し待ちますよ。」

 でも、その時がきたら、篠田にはしっかり動いてもらわなけりゃな。

 「それは任せてください。でも、立役者の課長が指示をくれないと動けないですからね。宜しくお願いしますよ。」

 あぁ。

  

 今日の帰り道は何故か暗いな。

 「そろそろ行動しないといけないんじゃないのか。」

 「お前が撒いてきた種だ。そろそろ刈入れないと腐っていくぞ。」

 そうだな。その通りだ。俺が撒いてきた種だ。会社の為にね。

 「まだ、失う事が怖いのか。先のことなんて判らないのに。」

 そうだね。正直言って怖いと感じているよ。会社のためとは言え、ここまで頑張ってきたんだ。そして今の地位を手に入れた。管理職連中と対等どころか、はっきり言って俺の方が上だ。それを失うのは怖い。嫌だ。誰だってそう思うよ。

 「結婚して家庭を持つ勇気が無い給料で、本当にそう思うのか。」

 それは。

 「お前が言ってたことだ。」

 でも、俺自身は今幸せだ。他の皆だってそう思っている。

 「お前はそれでいいかもしれないが、他のお前を信じて今まで付いてきた連中は果してそう思っているだろうかね。今日も言われたろう。篠田だっけ。奴は今のままでいいとは思っていないよ。」

 「まぁ、いい。判断するのはお前だ。弱者を救いたいと思ってきたが、自分が良ければ良しとするのも大事なお前の判断だ。」

 「どうする。」

 どうする。俺。


   二十一


 決心がついたよ。

 「ほう。それで。」

 撒いた種は良く育てていかなきゃね。

 「最悪全てを失う事になってもか」

 あぁ、それに言っておきながらやらないというのも格好が悪いしね。

 「それがお前の選択なんだな。」

 あぁ。


 さて、いつものように仕事をするか。

 「課長。社長から内線です。」

 ありがとう。はい、田中ですが。

 「おう、すぐにわしのところへ来てくれ。」

 はい。わかりました。


 どうした。いつもの俺に対する物腰じゃあない。何か仕事上不都合な事でも起きたか。


 「課長、少しだけいいですか。」

 どうした。篠田君。

 「申し訳ありません。私がつい喋ってしまいました。」

 そうか。いや、いつかはこうなっているよ。その時が今来ただけの事だ。

 「すみません。朝社長とすれ違った時に、話しかけられたんです。田中は頑張っているかと。そこでつい、組合という言葉がでてしまいました。申し訳ありません。」


 あの社長の事だ。俺が何かをしようとしている事は感じてきているはずだ。だからこそ、すぐに呼び出したのだろう。これは揉めるな。しかもこっちは何も準備が出来ていない。どう説得するか、時期をみて団体で意見しようかと考えていたが仕方がない。俺単独で当るしかなくなった。勝てるか。


 田中です。失礼します。

 「おう。まあ、そこに座れ。」

 はい。

 「お前、従業員を集めて労働組合を作ろうとしているそうだな。」

 誰がそのような事を。

 「誰でもいい。で、どうなんだ。」


 ここで、しらばっくれる訳にはいかない。今朝決心したばかりだ。今この時が大事な時だ。


 はい。考えています。

 「お前は何を言ってるんだ。そんなもの絶対に認めんぞ。」

 お言葉ですが、労働者にはその権利があります。法律でも認められていますし、労働者の要求を、

 「お前は会社を潰すつもりか。お前は会社が潰れたとき、全ての責任を負えるのか。馬鹿もいい加減にしろ。いいか、この会社をどうするかは全てわしが決める。その権利がわしにはある。」

 労働者が意見する事が会社を危うくするんですか。労働者が社長の為に仕事をするにあたって言いたい事がある時、労働者の意見を聞くのは当然じゃありませんか。

 「聞いているだろう。お前たちのやりたいようにわしはやらせてきた。」

 私には、所謂労働対価が適正であるとは思えません。皆の面談を通して判ったことですが、賃金の低さのお陰でモチベーションの上がらない人間もいるのです。

 「お前から見ればそうだろうが、わしはわしなりの考えで給料払っているだろうが。それが不満だと言うなら会社を去ってもらって構わないぞ。」

 労働者から言わせて頂ければ、給料は大事な労働意欲の要素です。それが満たされていないと感じていれば、自然と意欲もなくなります。

 「その為にお前たちが今まで仕事してきたんだろうが。給料を上げれば意欲も高くなるに決まっているだろうが。それをしたくないから、いや、それが出来ないから、お前たちに皆の意欲を高めるよう仕事させたんだ。」

 それにも、限界があります。

 「何言ってやがる。皆わしに忠誠を誓ってくれているだろうが。」

 そういう形にしてきたからです。でもそれも、

 「うるさい。いいか。お前には何の決定権も無い。組合とやらにも会社の決定権は無い。わしが認めないと言ったら認めない。労働者の意見を何でもはいはい聞いていたら会社は潰れるんだ。そういう会社をわしはたくさん見てきた。労働者は会社を、つまりわしを信じて仕事をしていればいいんだ。」

 労働者が全員労働意欲を失ったらそれこそ会社は倒産します。

 「そういう人間を雇っているつもりは無い。もしそういう人間がいたら会社の方針に合わないから去ってもらった方が会社の為になる。働き手がいなくなっても、募集すれば幾らでも集まるんだ。」

 そのお考えが良くないと思うんです。労働者は会社のコマではありません。

 「そのコマが一人前に意見するのか。そんなことは一人前になってから吐け。」

 ですが社長、

 「うるさいと言っただろう。わしも忙しいんだ。お前に一つ言って置く。お前はクビだ。わしに敵対する人間は要らないからな。」

 解雇ですか。なぜそうなるんです。合点がいきません。

 「わしに逆らったからだ。単純明快だろうが。」

 労働者の意見は無視するということですか。

 「何度も言わすな。お前らの言うことを聞いていたら会社が潰れるんだ。」

 会社が潰れたら今までのように美味しい汁を吸えなくなるとお考えですか。

 「ばっ、馬鹿な事を言っているんじゃない。」

 では何なのですか。労働者には働かせたい、でも賃金を上げるのは嫌だ、この状況で利益となったお金はどこに消えているんですか。

 「やかましい。いい加減にしろ。お前はクビだ。さっさといなくなれ。」

 労働基準監督所に相談させて頂きますよ。

 「したきゃすればいいだろ。だがな、あいつ等に何ができる。労働基準法とやらの最低基準はクリアしているんだ。それに注意された所で、罰金があるわけでもなし、無視すればいいんだからな。」

  

   二十二

 

 昼間から一人で飲む発泡酒。お気に入りの番組を録画しなくても見ることができる。これはこれで幸せだ。

 「後悔しているのか。」

 いや、後悔してないよ。自分で決めて自分で取った行動だ。

 「そうか。」

 そうさ。絶対的な権力には逆らえない。その上賛同する人間が一人もいなければ、仕方ない。

 「労働基準監督署とやらには行ったのか。」

 いや、行ってないよ。行っても同じだ。俺の解雇は不当とされるだろうが、こんな状況で会社にいられるわけが無い。

 「時間を掛けて根回ししたのにな。」

 そうだな、大部分は俺の考えに賛同してくれた。

 「それが、どうしてお前一人が悪者扱いされてしまった。」

 また、聞くのか。単純なことさ。さっきも言ったが、絶対的な権力には逆らえない。社長はあの後、全社員を集めて怒鳴ったそうだよ。田中の口車に乗るな。間違いなく後で泣く事になる。俺はお前たちとその家族の生活も背負っているんだ。だから、俺を信じて仕事をしてくれればいいんだとね。要は一声吠えられて皆保身に走っただけの事だ。

 「その時に誰かが、例えば篠田とか佐野あたりが声を上げていたらどうだったろうね。お前に賛同してくれている人間が殆どだったんだろう。皆が協力してくれていれば、どうなったろうね。」

 どうかな。利益を全て吐き出すまではいかなくとも、皆の給料は上がったかもね。労働者の大半をクビにしたら、次の労働者を入れるにしても、暫くは会社自体が回らなくなるからね。それはそれで会社の危機だ。今のようには仕事が出来なくなる。それは判っているだろうから、飲みたくない条件でも少しは飲んだだろうね。

 「それをしなくていいように、お前一人を生贄にしたということか。」

 そうだね。権力者から見れば見せしめ効果もあったと思うよ。これであの会社の中で、社長の意に合わない意見をする人間はいなくなった。悔しいけど、皆を社長の信者に仕立て上げたのはこの俺だ。

 「でも、信者になっていない連中もいるだろう。」

 その連中がどうするかはその人間次第だよ。

 「あのままでいれば良かったと思っていないか。」

 もう言うなよ。発泡酒が不味くなる。おや、電話が掛かってきた。

 もしもし。あぁ、都賀さんですか。

 「お久しぶり。菅野さんから聞いたよ。暫く暇みたいじゃない。で、田中君が良かったらちょっとウチの仕事手伝ってもらえないかなって思ってさ。ほら、ウチの旦那自営業じゃない。私も手伝ってはいるけど、忙しくなってきてね。どうかな。」

 相変わらず唐突ですね。

 「私の性格知ってるでしょ。」

 ・・・。

 「・・・。」

 ・・・・・・・・・っ。

 「・・・頑張ったね。」

 ・・・泣いていいですか。

            

 終



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― 新着の感想 ―
[一言] 壮絶な挫折ですね。でも、主人公はこのような最後を期待していたのかもしれない、と思いました。人は変えたいと思いながらも最終的には破壊の先にある未知に恐怖を覚えるし立ち止まってしまう。 そして、…
2014/12/28 07:50 退会済み
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