第8話
感想頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします。
日は大分傾いており、夜の帳が今か今かと手ぐすねを引いて待ち構えている。
俺達は道具をドズに積み込み、川沿いを進んだ。
フリージアの話だと小川と街道が使づく場所があり、そこで街道に合流すれば楽だと聞いたからだ。
ドズはお腹が一杯になったのか、やる気に満ち溢れた目をして指示を出していないのに進んでくれる。
代わりにガーディが、先ほどからずっと上の空だ。
「ガーディ」
「……」
「ガーディさーん、…っふう」
手に握っている筈の手綱は、ただ持っているだけで緩々だ。
幸い、ガーディの時はなんとなくで進んでくれる馬だから進行に問題はないが、どうしたもんか。
まさかここまで考え込むとはな、一度フリージアに良い返事をしていたから大丈夫かと思ったけど、まだまだ消化不良か。
まあ金はあるし今日はゆっくり宿に泊まって考えてもらうか。
「ドズ、このまま頼むぜ、っよっと」
俺は暇潰しにと、拾っていた二つの小石を片手でジャグリングしながら言った。
ドズは、長い尻尾を器用に動かし馬上の俺に当てると、シニカルな笑みを浮かべ太い鼻息を吐いた。
夕暮れ時の小川沿いを俺達は進む。
俺はガーディ優しくを見つめながら小石を弄まさぐり、ガーディは物思いに耽けり、ドズはそんなガーディの邪魔をしないようにゆっくりと歩いている。
「ん?なんだありゃ」
ふと、視界の端に何かが映る。
視線を走らせると、川の向こう岸の遠くに集団を見つけた。
集団はなにやらこちらを目指し進んでいるように見える。
とりあえずは刺激をしないように、このまま様子を見る事にした。
「あんな集団で、何か用事があるのかね」
俺は気楽に構えた、まだ距離はあるし、フリージアからこういう時は焦って行動をするなと言われたからだ。
ある程度距離が近づいた事で、何の集団なのか分かった。
「軍か…」
馬上には鎧を着た男の姿があり、その男の後ろに整然とついてくる兵士の姿が見える。
兵士と言ってもその装備は様々だ、一部の兵は統一された鎧をつけて馬上の者もいるが、他はバラバラで鎧をつけていない者もいるように見える。
「小領主の軍か」
彼らは急がず騒がず慌てず、ただ整然と行進している。
その様相―――装備はバラバラなのに、統一された行動―――に違和感を覚えるが、害意を感じないので注意を払うだけに留めた。
(この感じじゃあ、フリージアの言う通り刺激しない方が良さそうだな)
小領主の軍は人族の集団で百人ほどだろうか、もし戦う事になったら面倒だなと溜息を吐く、まあそんな事はありえないだろうが。
彼らはレイゾールの下っ端貴族の軍だろう、なんでこんなところにいるのか知らないが、街道近くで事を起こせるはずがない。
そんな事をしたら、ウェアリルを怒らせることになるだろう。
そしたら彼らは御仕舞だ、自分の領地どころか、下手したら国ごと潰されるだろう。
ここは高みの見物といくか。
「まあなんだか知らんが、頑張れよ」
俺は油断をしていたんだろうか、それとも、久しぶりに見た軍に緊張し、周囲に対する注意が疎かになっていたのかもしれない。
もしくは、両方か。
気付いた時には遅かった。
川のコチラ岸、つまりレイゾール軍と向かい合う方向からも軍がこちらに歩みを進めていたのだ。
「っな――――――」
俺がその軍に気付いた瞬間に、双方が鬨を上げ突撃を始めた。
先ほどのまでの歩みが嘘のような迅速さで進撃するレイゾール軍。
対するのは、ウェアリルの小領主の軍だろうか?似たような数で、こちらも負けない素早い突撃だ。
互いの軍からは騎兵が飛び出し、弓を番えている。
弓の感じから俺達が狙われているわけではなさそうだが、俺達は互いの軍の進行上にいる。
(っ不味い)
「えっあれ、ッキャア」
ガーディが気付いた、突然の事で慌てているので強引に抱きかかえ大人しくさせたら、逆らわずに身体を預けてくる。
飛び出して逃げるのは止めた方が良さそうだな。
余計な刺激になって弓に狙われかねん、弾いて逃げる事はできるが、それがさらなる刺激になって俺達が両方から狙われるという恐ろしい展開も考えれる。
静観も止めた方が良さそうだな、このペースだと下手したら巻き込まれる。
攻撃は論外。
(…ここは、インパクトのある一撃を見せてからの双方への恫喝)
これが一番格好良いだろう。
勿論それだけじゃない、示威行動をすることで私は戦う気はないですよ、戦うのは厄介ですよと、さりげなく(物理的)伝える事ができる。
決まりだな。
「「「「ゥウオオオオオオオオオオオ!!」」」」
鬨の声を張り上げながら見る見る内にお互いの距離が詰まる、張りつめられた弓が放たれようとしていた。
俺は意識を集中し、突き出した手に“力”を溜めて解き放つ。
【マルテ】
掌から眩い閃光が迸る、圧倒的なまでの“力”を周囲に見せつけながら、放たれた力は狙いたがわず地を穿つ。
鬨を飲込んだその轟音は、兵達を威圧しながら辺り一帯に響き渡った。
音が止み、光が収まった後には、大きく抉れられた大地の姿。
「双方矛を収めろ!やるというなら俺が相手になるぞ!!」
俺は俺達を挟んで対陣している双方に軍に言い放った。
騎兵は急停止すると唖然として声を失い、向かい合っている兵士達は、破壊された大地を目の当たりにし、皆一様に怯え黙り込んでいる。
双方の指揮官達は、俺の事を化け物でも見るような眼差しになり青ざめていた。
(さっさとずらかるか)
腕の中のガーディは僅かな身じろぎもせずに俺に身体を預けたままだ。
ドズは、突然馬上から繰り出された一撃に驚いて止まっている。
「ガーディ行くぞ」
「は、はい、ドズ」
ガーディの指示に気付いたドズは、俺を見て溜息を吐いた後に、泰然とそして堂々と歩み始めた。
この四足は空気を読める馬である。
互いの軍は、俺達を茫然と見たまま動き出す気配はない。
ドズは進路上に穿たれたクレーターを避けて歩みを進める。
クレータは小川の至近にできており、あと僅かな力を境目に加えれば、水が流れ込むだろう。
「仕上げだな」
俺は手の中で弄もてあそんでいた小石を、境目に投げ付けた。
小石は狙い通り境目へとぶつかると、その力を衝撃へと変え、境目を揺らした。
僅かな均衡を保っていた境目はあっさり崩れ、クレーターの中へ水が入り込んでいく。
俺はそれを見て満足そうに頷いた。
「ラベンダー池のできあがりだ」
「…ラベンダー池ですか?」
「ああ、記念みたいなもんだ」
以前いた大陸では、俺はこうして足跡を残すのが趣味でもあった。
中央域ではわりと有名だった、公式名称として名を認められた事もあるぐらいだ。
まあ悪名だったが。
この池は、この大陸に初めて意図して残した俺の足跡、いわば俺の公認。
既にこの大陸に幾つか残してあるが、あれは意図して作ったものじゃない、言わば俺の非公認だ。
だんだん、この大陸にいるのも悪くないと思い始めたって事かな。
池を通り過ぎる時、俺は盗賊達との争いを思い出した。
(“力”の精度は落ちちゃいないな)
やはり犬人族はなんらかの方法で俺の“力”に干渉したんだろう。
他種族の力は面倒だな。
赤焼けの空が大地を包む。
俺達はそのまま両軍に静かに見送られ、街へと歩み続けた。
俺達はクリムソンクと呼ばれる城塞都市に入った。
市門で木片(身分証)を見せ、通過税を払い門をくぐり大通りを歩く。
「うわー大きい街ですね」
「おう、小振りだが城が見えるから、城塞都市ってところか」
いつもは街の囲壁の外の宿屋を使っている、というのも通過税をとられるからだ。
この大陸の街や都市は大体が壁で覆われている、基本的には賊、敵対勢力への警戒らしいが他にも理由はある。
種族の管理をするのに便利だからという事らしい、よっぽど他種族は子供達を人族の前に出したくないらしいな。
まあ“力”の制御ができない子供に近づきたいと思う人族もいないだろうけど。
「壁の中に入るのは久しぶりですね」
「……悪いな」
「責めてないですよ、っもう」
ガーディの口から出た言葉が俺に突き刺さる、俺の自業自得だが、壁の中に入るのは俺がマスタービアジャッジの称号を授かって以来だ。
ガーディは俺が謝ったのを受け、頬を膨らませ拗ねた。
「っああ悪い悪い」
「分かればいいんです。…皆、壁の中で暮らせたらいいんですけどね」
軽い調子で返した俺に、ガーディは尊大に頷くと、大きな願いを口にした。
囲壁があるという事は、街の収容力が決まっているという事だ。
つまり、安全な街に住みたいと思う者も空きがなければ入る事ができず、しょうがないので比較的安全な囲壁の近くに住み始めるというわけだ。
「それが一番だけどな、けど、壁の外に町があるおかげで何とかやってこれたのもあるし、俺はこれでいいと思うぞ」
「それはそうですけど、外の街は賑やかですけど、少し怖いです」
外の街の起こり単純だ。
囲壁の近くに人が住む、すると需要が生まれる、そうすれば商人が供給を始める、それがさらなる人の流入を加速させる。
こうして街の外に、第二の街とも呼べるものができるわけだ。
外の街は基本的に出入り自由だから、人の入れ替わりも多く当然それに応じて宿も多い、安宿ばかりだけどな。
俺達はその中でもプレートの通じる店を探して、なんとか凌いできた。
だからか、俺はこういう第二の街を気に入っている、治安に不安を感じるが、壁の中より物価は安いし、欲しい物は大体揃うし、面白い奴が多い。
壁の中の奴は、なんていうか保守的な奴が多いイメージだ。
まあ酒場の連中は違ったけどな。
「そうだな、門がないから誰でも出入り自由だしな、まあ俺はそれが好きなんだけど」
「私はまだ慣れません、けど、今回は壁の仲だから安心です」
そう、今回は壁の中で宿をとる事にした。
金はできたし、小領主とはいえ軍を恫喝したからな、報復されるとは思わないが、ガーディの事も考え安全な壁の中に泊まる事にした。
都市の中では騎乗が許されていないので、俺とガーディはドズを引き、クリムソンクの街並みを珍しそうに眺めながら進んだ。
大通りに立ち並んでいる建物の壁面を、たいまつの炎が揺らめきながら照らしている。
門で聞いた厩のある宿屋を見つけると、プレートを見せ安くなった宿代を払い部屋に入る。
「おおっ結構いい部屋だな」
「ベットも大きいです」
「こりゃゆっくり休めれそうだ」
「はい」
部屋の中の家具が充実していた。
寝台に小棚、このあたりは大体どの宿屋でもあるが、さらに机に椅子、洗面用の桶を置ける洗面台までついている。
明日までの付き合いとはいえ、部屋の充実は心の充実。
俺達はうきうきしながら荷物を片づけた。
「それじゃあ飯でも食いに行くか」
「っはい」
俺とガーディは食堂に行き夕食をとった。
まだ遅い時間ではないので、人がチラホラと食事をしていた。
「この街は犬人族が多いんですね」
「狼人族と犬人族は仲が良いらしいからな、それにクーシェルからこの国に来るなら、レイゾールを抜けた方が便がいい、迂回路の方はちいと不便だしな。まあクーシェルの東部に住んでる奴等なら迂回路のが近いけど」
「私、クーシェルに行くのが楽しみです。いっぱい色んな人がいるんですよね」
「らしいな、6族でもないのに大陸一の大国か…」
女中が料理を持ってきた、肉と野菜がたっぷり入ったスープに、サラダ、それとメインの肉料理。
久しぶりの御馳走に唾を飲み込む、隣のガーディからは感嘆の声が漏れる。
「「巨人の恵みに感謝を」」
「うおっ、うめえ」
「お肉、お肉です」
俺達は舌鼓を打ちながら食事に邁進した。
食べ、飲み、すすり、噛み千切り、俺達は心行くまで食事を楽しんだ。
「はあ、食った食ったぁ」
「おいしかったです~」
夢心地で腹を撫でながら、ガーディに話しかける。
「国境を超えるのに一人銀貨五枚かかる話は聞いたよな」
「はい、門でラベンダーさんが話しているのを聞きました」
「俺達が持っているのは、銀貨にして二十五枚相当だ。明日出発するとして、消耗品を揃えて国境を超えると手元には十枚も残らないだろうな。ドズの越境にも金が掛かるしな。」
「はい、街に入るのにお金がかかるのは知ってましたけど、隣の国に行くのにお金がかかるのには驚いちゃいました」
「だよな、俺もてっきり宿みたいに記帳して、こいつをもらって終わりだと思ってたよ」
俺は木片をとりだして眺める。
木片は刻印が押されているだけの簡素なものだった。
「だから俺達は銀貨十枚でワルケリアを目指すことになるわけだ」
「それは厳しいですね…」
「厳しいな、そこで俺から提案がある」
俺は真面目な顔を作り、ガーディに向き直る。
ガーディも雰囲気を察してか、居住まいを正し俺に相対する。
「はい、なんですか」
「俺達は、これまでなんとか旅を続けてこれた。それはガーディの献身もあったし、ドズの我慢もあった。しかしなんといっても生活保護があったからだ」
と言い、俺はプレートが入っている胸を叩く。
「はい」
ガーディは、献身の辺りで少し照れるも、すぐに真面目な表情に戻し返事をした。
「俺達の旅は過酷だ、遊び人の玄人と辺境にいた小娘の二人旅だからな、当然無駄も大きい、そしてそれに気付いていなかった。しかし気付くことができた、…フリージアと言う俺達の師とも呼べる奴の御蔭でな。俺は、俺達が今までしなかった事をあえてしようと思う、その聖域を汚してこそ俺達の旅は成功に導かれるだろう!」
いつの間にか俺の声は大きくなり、食堂中が俺に注目している。
ガーディの喉がゴクリとなった。
「そ、それは…」
静かになった食堂にガーディの声が静かに響き渡る。
「ドズを売ろう」
虎パンチをくらった。
鈍い悲鳴を上げた俺を見た食堂の連中は、なんだ痴話喧嘩かとそれぞれの会話に戻っていく。
ガーディはムスッとした表情になり俺を見上げた。
「わりぃ、冗談だ冗談、ちょっと変な空気になってたし緩めようと思ってな」
「っもう」
「本命は、茶道具一式とかさ。聞いただろう?芸術品や伝統工芸が唸っている俺達の旅道具を」
「はい、確かにいっぱいでした」
あの後に荷物を見せたら、さらにフリージアに指摘されたのだ。
そしてフリージアの独演会になってしまった。
なんであんなに詳しいんだよ、ジプシーてそういう職なの?とか思わなくなくもない。
「そろそろさ、あいつ等を解放してやろうぜ。狭い空間に押し込めて、上下に揺すられお互いに擦れ合って、あいつ等に子供ができちまうぞ」
俺は身振り手振りで芸術品達の現状を伝えた。
「…」
「本当に子どもができるなら儲かるし、いつまでも持っておいてもいいけど、実際は喧嘩して傷つけあっているだろう?」
実際に、陶器の類は細かい装飾の一部が欠けたり、鉄製は擦れて表面に傷ができたのもある。
ガーディは黙って聞いている。
「だからさ、売って金にしちまおうぜ。俺達は良い旅ができる、あいつ等は良い暮らしができる、ウィンウィンだ」
俺は満足そうに言い切りガーディを見つめる。
「……でも、旅の思い出があります、ラベンダーさんとの思い出が」
俯いたガーディは、ポツリと悲しそうに呟いた。
(そう言われるとまいっちまうな)
俺は溜息を吐き、譲歩することにした。
「……わかった、明日一日だ。明日一日金策しよう。駄目だったら少しだけでも売るぞ、今までの街と違ってここはデカい、できれば価値のわかる奴に譲りたいからな」
「…はい」
納得しきれないガーディに、俺は明るく言い放つ。
「ガーディの気持ちは分かった。金策さえできれば俺も売る気はない!売らない為にも明日お互い頑張ろうな」
「っはい」
ガーディは俺の言葉を受け、瞳に炎を灯し返事をした。
気合いが入って大変よろしい。
俺達は話を切り上げ部屋に戻ると就寝の準備をしていた。
すると突然、部屋の扉が叩かれた。
「失礼する、ラベンダー殿は居られるか?」
「…」
「夜分に失礼する、開けてもらえないだろうか?」
俺はガーディに部屋の奥に行くように身振りで指示を出すと、扉にゆっくり近づいた。
油断なく構え、鍵を開けると扉から離れる。
「鍵は開けた、勝手に入ってこい」
「それでは失礼致す」
中年の人族の男だ。
身体から剣呑な雰囲気を発している男だ、身形はしっかりしており、ただの街人とは一線を画している。
男が扉を抜け、部屋に入ったところで俺は鋭く声を掛ける。
「そこで動くな」
扉を閉めると立ち止まり、油断なく俺を見据える男。
「誰だ」
俺はいつでも“力”の行使ができるように備える。
「私はレイゾール帝国ビクトリア騎士爵家が家臣、従士長のウィッチャーと申す」
男―――ウィッチャーは堂々と胸を張ると厳かに名乗りを上げた。
「なんで俺の名を知ってる」
「宿の記帳を確認させていただいた」
確かに宿に記帳したのは俺の名だ。
「なんのようだ」
男は様子を改め、声を潜めると言った。
「…実は我が主、ビクトリアが貴殿の腕を見込みましてな、その力を借り受けたいと…」
「続きを」
「本日の夕暮れ時に、貴殿を挟んで対峙していた陣営。貴殿から見て川を渡った先の陣営が、我がビクトリア騎士爵家の領軍です」
俺はさらに先を促した。
「そこで貴殿の魔術を見た。…正直、あの時は肝が冷えましたな、敵になれば恐ろしいと。しかし味方になれば話は別、我が主の仇敵、ルースリアに痛恨の一打を加える事が出来る、そう主が思いましてな。些か急すぎる話ではあるがラベンダー殿、貴殿の力を貸していただきたい」
ウィッチャーは真剣な表情で頭を下げた。
「どういうことだ、アンタらレイゾールは守勢に徹していると聞いた。アンタも見ただろ?俺の魔術を使えば守勢の範囲を超えちまうんじゃねえのか?」
眉を顰め、口籠りながらウィッチャーは言った。
「それは…事情を告げる事はできませぬ、しかし今回に限りその心配はない。…ビクトリア家にとって千載一遇の機会、どうか、どうか御頼み申す」
男はさらに頭を下げると、声を絞る。
「駄目だ、話が見えないし、そんな危険は冒せん」
「…この通り、お力をお貸しください」
驚いた事に、男は跪くと頭を下げて言った。
プライドの高そうな男だが、頼み方を心得ているらしい。
「…」
「力を貸して頂けるのであれば、銀貨百五十枚を報酬としてお譲りします。事がなった暁にはさらなる用意も」
伏したまま俺に告げた。
(ひゃ、百五十枚だと!?)
「続きを」
俺は驚きを内心にしまい泰然と話を促す。
「この場で一部をお渡しすることも、我が陣に来ていただければその場で残りをお譲りします」
「……」
「正規の手段で国境を超えるとなれば金銭が嵩みます、旅の身の上でその金額は堪える事でしょう」
男の声が室内を満たしたが、その声に反応する者はなく室内が静穏に包まれる。
そのまま時間が過ぎる。
微動だにしない俺に、男は業を煮やしたのか突然雰囲気を変えて呟いた。
「…それに少女をお連れのご様子、旅に危険はつきものでしょうな」
ウィッチャーは立ち上がると、重苦しい雰囲気を取り払い軽い調子で声を出す。
「返事をすぐにとは申しません、そうですな、明後日には返事を頂きたい」
「…」
「ヒンスルという宿に当家の者がおります、その者に言ってくださればすぐにでも案内しましょう」
「分かった」
「それでは失礼致す」
男は軽く会釈をすると部屋をでようとする。
「待て、一つ言っておく。…ガーディに何かしたら―――」
俺は一つの硬貨を皮袋から出して指で摘まむと、相手に見える様に掲げた。
【ベリサルダ】
摘ままれた硬貨を淡い光が覆い、室内を薄く照らす。
燐光が霧散すると、摘まんでいた硬貨はコマ切れとなり、静かに落ちると室内に散らばった。
俺が指を離すと最後の一欠けらが床に落ち、甲高い音がした。
「お前んとこの領地は巨人の瞳になるからな。…俺を怒らせるなよ、大陸に両目を揃えたくなきゃな」
「ッゥ…」
男は顔色を変えると出て行った。
俺は鍵を閉めると溜息を吐いく。
「ラベンダーさん」
不安そうな表情のガーディが俺の袖を掴む。
「心配するなガーディ、お前の事は俺が守る」
「…はい」
僅かに表情を緩めるガーディを見ると俺は頭をかき、軽い口調で言った。
「っそれにしてもどうすっかなあ」
「戦うんですか」
「悩む、正直金は欲しいしな。金策と芸術品が宛にならない可能性もあるし」
「……」
ガーディがまた不安そうに俯いた。
俺は優しく抱きしめると頭を撫でて慰め続けた。
気分が落ち着いたのか、ガーディは俺を見上げると明るい声を出した。
「ごめんなさい、ラベンダーさんの方が大変なのに」
「気にすんな俺は大人だからな。ガーディはまだ子供だ、子供は慰められるのが仕事だ」
俺はおどけた調子で返す。
「私はもう大人です」
子供の単語に反応し、少しムッとなるガーディ。
「おいおい俺の仕事を取り上げる気か?大人は仕事がないと碌な事しないんだぞ」
「確かにそうですね、じゃあもう少しだけ…」
ガーディは笑った後、また抱き付いてきた。
俺は彼女を抱きしめながら考える。
確かバビアナの話だと、傭兵の相場は一日銅貨一八〇枚、銀貨にして一.八枚。
弓の技能持ちでも銀貨二.三枚だと聞いた、団長格になると跳ね上がるらしいが、それでも一五〇枚なんて聞いてない、こりゃ破格の報酬だな。
魔術師の評価は水ものらしいけど、これは俺の理術に相当な期待を抱いた証拠か。
自分の力ながら鼻が高いな。
すると扉からまたノックの音がする、俺達は扉を見た後、顔を見合わせた。
「ラベンダー殿はいらっしゃるか?」
「ああいるぞ」
「夜分に失礼致します、お話をさせて頂けないでしょうか?」
俺達は見つめたままお互いに頷くと、ガーディは部屋の奥へ、俺は先ほど同様に油断なく構え、鍵を開け距離をとった。
「鍵は開けたから勝手に入れ」
「それでは、失礼致します」
先ほどのウィッチャーより若く柔和な雰囲気を持つ人族の男だ。
「私はウェアリル王国ルースリア騎士爵家の従士長を務めております、イヤーツという者でございます。貴殿がラベンダー殿ですかな?」
「そうだ、なんのようだ?」
イヤーツは目を見張ると若いな、と呟く。
「先程家人の者が、ビクトリア家の出入りがあったことを確認しました。お味方になられるように言われたのですかな?」
「さあな」
「ふーん、あの貧乏人共に些少の金銭で請われたのでしょう、同情しますぞ。我がルースリア家は違います。話はご存じのようですから単刀直入に申し上げます。銀貨二百五十枚、この場で即金でお支払しましょう」
(ビクトリア百五十枚に対してルースリアは二百五十枚か)
「随分張るな」
俺の言葉を聞いたイヤーツは、鼻で息を大きく吸い込むと。
「当然でしょう、あのような矮小な者共に何度も煮え湯を飲まされましたからな、我が家としましては、ここで将来の禍根を絶ち、大きく飛躍しようと思っております」
一気に言い切った、それから少し落ち着いた声を出し、
「勿論、私達の願いが成就した際には、追加で銀貨百枚お支払しましょう」
「…」
「御返事は早めに欲しいのですが、そうですね、二日後には頂きましょうか」
「…」
「キンアルという宿屋に当家の者をおいております。そのものに仰って頂ければ、すぐにでもご案内致しましょう」
イヤーツは余裕のある仕草で一礼する。
「それではまたお会いしましょう」
「ああ、一応言っておく、ガーディに余計な真似をす―――」
「あの貧乏人共はそのような事を、我が家は違います。あの者達とは心の有り様が違いますゆえ御安心下さい。それでは」
笑みすら浮かべ、俺の心配を杞憂だと切って捨てた。
改めて一礼すると、ゆったりとした足取りで出て行った。
なんかしてやられた気分にさせられるな。
「ラベンダーさん…なんか大変な事になっちゃいましたね」
先ほどとは違った意味で、不安そうな表情で困惑気味のガーディ。
俺もこうなるとは思わなかった。
「どうしよう」
ありがとうございました。