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里山の博物館

作者: under_

 男は期待と不安を抱きながら車で山道を走っていた。

 男が目的地であるE村へ赴くのは実に十年ぶりだった。

 男は現在、とある大学の准教授だが、初めてE村を訪れた時は、まだ大学院生だった。彼の専門は民俗学で、研究の一環として、山間部にあり典型的な里山集落といえるE村のフィールド調査を行ったのだ。ここで得られた研究成果は、当時の指導教員はおろか、学会の重鎮たちをも唸らせるほどであり、更に大学の広報に勧められるまま執筆し、出版した調査報告の解説書は、学術系の書籍としては異例のベストセラーとなったのだ。

 彼にとってE村は研究者としての地位を確立できた拝むべき土地であり、未だ多くの研究テーマが眠る金の鉱脈であり、それこそ足を向けては眠れない場所となっていた。

 その後、准教授は様々な仕事に追われ、長らくE村から遠ざかっていたが、ようやく念願叶い、足を向けることができたのだった。


 車はトンネルを抜け、とうとうE村に入った。

 四方を囲む山々は青々した樹木が整然と植えられ、複雑に区画分けされた棚田には水が張られ、まだまだ丈の短い稲が並んでいた。

 眼下に広がる光景を見て、准教授は安堵した。

 E村にまつわる歴史と民俗を紹介した書籍を准教授が出版した直後、『現在に残る古き良き里山の歴史を体感しよう』という合言葉とともに、大勢の観光客がE村とその周辺に押し寄せたらしい。その波に押されて、E村が大きく様変わりしてはいないか、と危惧していたのだ。観光地化の弊害は、准教授も常々頭を悩ませる問題だった。

 しかし、村の様子を見る限り、少々休耕田が増えたものの、十年前とほとんど変わっていなかった。

 ちゃんと保存されている、と准教授は嬉しく思いながら、アクセルを踏んだ。


 しばらく農道を走り、村の中心にある役場に到着した。

 外来用駐車場に停めると、待ち構えていたかのように、役場の建物から中年の男が走り寄ってきた。

「先生、よくいらっしゃいました」

「どうも、ご無沙汰しております」

 と、お互い挨拶を交わす。

 役場から出てきた男は以前准教授がE村の調査をした時に、色々と世話をしてくれた人だ。今回、准教授が村を訪れることを伝えると、再び案内役を買って出てくれたのだ。以前会った時はとても愛想の良い笑顔が特徴の人で、その笑顔は今も健在だった。しかし、

「先生も順調に出世されているようで。……ええ、私もとうとう観光課の課長ですよ」

 などと近況を語る、白髪が増えた課長の姿に、やはり過ぎ去った年月を感じざるを得なかった。

 課長に案内され、准教授は役場の応接室に通された。部屋の壁には来月行われる村祭の宣伝用ポスターと、その横にすっかり色あせした、准教授が出版した書籍の宣伝ポスターが貼られていた。准教授は今更ながら恥ずかしくなって、目を逸らした。

 准教授の視線に気付いた課長は、はははっと大げさに笑った。

「先生、ご謙遜ならさずとも。先生の本のおかげで観光客が増え、この村は辛うじて生き残ることができているのですから。……あとで村長もお会いしたいと申しておりました」

 准教授は首を振った。「いえ、あくまで私はE村に残された文化や、先人たちが語り継いでこられた言葉をただ文章として書き起こしただけですから。本当に誇るべきは脈々と歴史を積み重ねてきた村の住人の皆さんですよ」

「それを発掘してくださったのはひとえに先生のお力によるものです。先生が居なければ、これらは全て埋もれて消えてしまっていたでしょう」

 と、力強く言った課長だったが、すぐさま表情を険しくした。

「しかし最近はその観光客も右肩下がり。人々の関心を持続させるのがいかに大変かということを、今になって強く思い知らされました」

「まあ、どこもそうでしょうね」

 と、准教授は神妙な面持ちで応えた。

 初めは都会にはない里山の風景、語り継がれる伝承など、物珍しさを求めてやってくる観光客だが、所詮それは一過性のものに過ぎない、ということは様々な地方村落を研究してきた准教授には理解できた。

「しかし先生」課長が身を乗り出した。「私たちもただ指をくわえて、見ていただけじゃありません。観光客を再び増やすために、村を挙げての一大プロジェクトが行われているのです。是非先生にも見ていただき、ご意見を伺いたいのです」

「は、はあ……。わかりました」

 准教授は村おこしのために研究をしたわけではないが、関わった土地の苦境を見て見ぬ振りができるほど冷酷でもなかった。それに恩のある課長の頼みを断れるはずもない。しかし、一大プロジェクトとは何だろう? 最近の流行りに沿うならば、地域密着型アートイベントか映画やアニメのロケ地の呼び込みだろうか。しかしその方面の専門家ではない故、自分に適切な意見が出せるだろうか、と准教授が考えていたが、続いて課長が発した言葉に、耳を疑った。

「ただ、その前に先生にお伝えしておくことがあります。……西田のおじいさんが昨年亡くなりました」

 准教授は愕然として声が出せなかった。

 西川のおじいさん。かつてその老人から聞いた村の伝承やしきたりこそ、研究の中核を担うものであり、彼の証言がなければ、今の准教授も無かったに違いない。

「それから、隣村の山路さん、それにおきくおばあさんもこの前……」

 と、かつて世話になった人たちが次々鬼籍に入ったことを伝える課長の唇をじっと見つめながら、准教授は生きている間に今一度お会いしたかった、もう少し早く訪れていれば、と忙しさにかまけ村を訪れるのを後回しにしていた自分の怠惰を後悔した。


 せめてお世話になった方々の墓参りをしたい、准教授がそう伝えると、課長自らが案内してくれることになった。

「こうやって、再び先生をご案内できるなんて、本当に懐かしい」

 公用車のハンドルを握った課長が嬉しそうに言った。

 車中で十年前の思い出をあれこれと話している間に、山の中腹にある共同墓地に到着した。

 西田のおじいさんの黒ずんだ墓石に向かって、准教授は目を閉じて手を合わせた。生前、家の縁側で胡座をかきながら静かに真正面を見つめる姿はまさに昔の頑固親父を体現した人であった。准教授が訪ねて話を聞かせて欲しいと頼むと、「若造が偉そうに……」と悪態をつきながらも、夜遅くまで取材に付き合ってくれたことを思い出す。まだまだ聞きたいこと、聞いておくべきことがあったのに……。

 しかし、西田のおじいさんが特殊ではない。この国では今まさに、これまで名もなき人びとによって脈々と受け継がれてきた、これこそ歴史ともいうべき古い言い伝えやしきたりが姿を消そうとしている。これらを少しても後世に伝えていかなければ、と准教授は自身の使命を改めて深く胸に刻み込んだ。


 墓地から車へ戻る途中、准教授は思い出したように、課長に向かって訊ねた。

「そういえば、先ほど役場で、村挙げての一大プロジェクトがどうとか言っていましたが、それは一体なんですか?」

 西田のおじいさんの話を聞いてすぐにここへ向かったので、すっかり聞きそびれていた。

「ああ、それはですね」課長が車内の時計へ目を向ける。「おっと、もうこんな時間か。……先生、ちょっと付き合ってもらっても良いでしょうか。もうすぐ閉まってしまいますので」

「ええ、構いません」と、准教授は頷いた。


 共同墓地から二十分ほど車を走らせ、背丈の高い木々に囲まれた山の中腹に辿り着いた。

 車から降りた時、准教授は思わず目を見張った。

「ここが、私たちが新たな観光の目玉として作った、E村歴史民俗博物館です」

 と、課長が誇らしげに言った。

 そこには、山野に囲まれた村からはとても想像できないほど近未来的なメタリック調で総ガラス張りの建物がそびえ立っていた。ここだけ里山から切り離された異空間にすら感じられた。

「れ……歴史博物館ですか、ここが?」

「はい、そうです」課長が頷いた。「ささ、是非中をご覧になってください」

 施設内には、昔E村一帯で使用されていた農機具や古地図などが展示されていて、たしかに歴史民俗博物館といえるものだった。しかし煌々と室内を照らすLED照明、タッチパネル式の解説用ディスプレイ、E村の四季を疑似体験するHMDを使ったVRなど、どちらかというと最新設備の整った科学館のような印象を受けた。

「ずいぶん近代的なんですね」

 と、准教授が訊ねると、課長は得意げに言った。

「はい、古き時代のこの村を知っていただくのと同時に、新しい里山像を打ち出せたら、と思いまして、有名な建築家さんやメカデザイナーさんなんかにも協力してもらって設計したのです。それに、こういった感じの建物の方が若者受けも良さそうでしょ。……ここです、この博物館の最大の目玉は」

 准教授は課長に促されるまま部屋に入った。

 薄暗い室内の奥、一段高いところにスポットライトが当たり、そこに一人の老人が微動だにせず座っていた。准教授はその老人の顔に見覚えがあった。

「ま、まさか……西田のおじいさん!」

 准教授は驚いて一歩前へ進み出ると、突然老人の口が動いた。

「よう来た」

 老人から発せられた声音も西田のおじいさんそっくりだった。

 それと同時に、僅かな違和感も覚えた。よくよく見てみると老人の動きは少しぎこちなく、声のイントネーションも少々不自然だ。

 ようやく准教授は理解した。これは西田のおじいさんを模したロボットなのだ、と。

 老人顏のロボットは周囲を見渡すようにゆっくりと首を振りながら、

「昔々な、この里の北の山に、それは大きな一匹の狸がいたんじゃ……」

 と、准教授も知っているE村に伝わる昔話を語り始めた。

 背後から課長が静かに言った。

「西田のおじいさんが亡くなった時、このままでは村の貴重な語り部が失われてしまう、という危機感が私たちにもありました。どうやって村の伝統を引き継いでいこうか。過疎が進むこの村で新たな語り部となってくれる人を見つけるのは正直難しいです。そこで思いついたのです。ロボットにすれば末長く語ってくれると」

 准教授は、身振り手振りを交えて昔語りをするロボットの姿を見つめたまま、何も言うことができなかった。

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