怪しい同乗者
「見てリーフ! 鳥があんなにいっぱいいるよ!」
「あっちには牛がいるよ牛! すごい勢いで小さくなってく。速いなあ」
走り出した列車の窓から、ノルン達は、身を乗り出してはしゃいでいた。
「ジー……お客様にご案内申し上げます――」
車内放送が部屋に流れると、リーフは、芽をぴんと立たせて部屋の中をきょろきょろと見回す。今は車内なので、ノルンの母に貰った麦わら帽子は、荷台の上だ。
「誰か何か言った?」
「車内放送っていうんだ。あのスピーカーから声が出るんだよ」
ノルンは、個室の天井の角を指差した。
「当列車は、ドラートからジスプロまで連続走行を行います。走行中は危険ですので、窓から身を乗り出したり、飛び降りたりしないでください。また――」
「本当だ。箱が喋っている。あははは!」
リーフは、何か可笑しかったのかけらけらと笑った。
すると隣の部屋との壁が思い切り叩かれる。
「うるせえぞ! アニキが睡眠中だろうが!」
続いてガラの悪そうな男の声が、壁越しに響いてきた。
ノルン達は静かに席に座り、
「怒られちゃったね」
リーフは、口に指を一本当てて、しーとする。
「そこまでしなくても、普通の声で話している分には大丈夫さ。それより、そろそろご飯にしようか? リーフもお腹減っただろう?」
「わーい。ご飯、ご飯!」
どご、と壁が再び殴られ、リーフは口を両手で塞いだ。
ノルンは、リュックの中に詰まった食糧を物色し始める。
「ジー……お客様にご案内申し上げます。当列車はまもなく、虫雲を通過致します。恐れ入りますが、窓を閉めてお過ごし下さいますようお願い致します」
「むしぐも?」
意味はわからないが、とりあえず窓を締め切り、外に注目する。
夕焼け色の空が急に曇り、あっという間に真っ黒になった。ぞぞぞ、と列車が風を切るのとは別の音が響き、窓の外が完全な闇に包まれる。
「急に真っ暗になった……これがむしぐも?」
「わー! 虫がいっぱいだねノルン」
「えっ? 虫?」
リーフに言われて、ノルンは、窓に顔を近づけた。目を細め、注意深く闇の中を探ると、所々に切れ目があり、黒光りする複眼が無数にひしめき合っているのがわかった。
「すごいなぁ、これ全部虫かぁ。それにしても、よくわかったねリーフ」
ノルンが窓からリーフの方に振り返ると、彼女は皮袋の中から、柄の付いた網を取り出すところだった。
「それで何するつもり?」
ノルンは、恐る恐る彼女に尋ねてみる。
「虫を捕るの。今なら捕り放題だよ!」
リーフは、嬉しそうに獲物を手に窓に迫った。
「ちょっとリーフ! 今窓を開けたら――」
「ほい」
ノルンの抗議も空しく、リーフは、あっさりと窓を開放する。
ガチガチという羽音が、煩いほどに部屋に溢れたが、走行する列車と平行に飛んでいた虫が、中に大挙することはなかった。
リーフは、黒い壁の中に網を突っ込みぐりぐりとかき回した。
ものの数十秒で、突然の闇の時間は終わり、また黄昏に染まる平原が窓の外に広がる。
ただ、リーフの網は、真っ黒い塊になっていた。
「よし!」
リーフは、黒い塊を車内に引き込み、席に座った。
網の中でひしめく虫は、バッタのような形をしていて、よく見ると黒ではなく深い緑色だ。
だがノルンが気がかりなのは、虫の詳細な形状などではない。リーフがそれをどうするつもりなのか、非常に恐かった。
「それも全部コレクションなの?」
「ううん食べるの。ノルンにもあげるからね!」
「いや、僕達は買って来た食料があるじゃないか」
「それも食べるけど、これも食べるの」
リーフは、慣れた手つきで虫を掴み、そしてそのまま生で口に入れてしまう。
「うわあああ! 生で食べちゃダメだよリーフ! 出して出して!」
と叫んでも既に時遅し――リーフは、良い音をたてながら、虫を食べてしまった。
「う、うわぁ……」
ノルンは、カルチャーショックを受けながら、美味しそうに頬張るリーフに尋ねる。
「気持ち悪くないの?」
「森ではよく虫を食べていたよ! ノルンにもはい!」
リーフは、無邪気にノルンの口に活きの良い虫を突き入れた。
「!」
ノルンは、リーフのお節介にじたばたと動き回った。口の中では、得体の知れない何か細いものが蠢いている。
「んー!」
ノルンがそれを吐き出そうとすると、
「噛まないと美味しくないよ?」
リーフは、親切にもノルンの頭と顎を押さえて、「えい」と力を込める。
「んんんんん!」
ノルンは、床に転がってより深く悶え苦しむ――が、口の中に広がったのは、香ばしく甘い味だった。
「――て、あれ? 美味い?」
「美味しいって言ったでしょ」
リーフはそう言って、胸を張る。
「食べて見るもんだなあ」
先程まで気持ち悪いだけに思えた虫が、急に食材に見えてきた。
「この虫が食べられるって、リーフは知っていたんだ?」
リーフの博識に感心しながら聞いてみると、
「知らないけど、虫はたいてい食べられるから」
あまり聞きたくない答えが返ってきた。
「……今度からは、辞典で調べてから食べようね?」
ノルンは、野性味溢れるリーフに諭すように語る。
ノックも何もなしに扉が開かれたのは、その時だった。
通路には、長身の男が立っていた。やつれた顔は血色が悪く、左右色違いの眠そうな目は、虚ろに宙を見つめている。
どう見ても怪しいその男は、服装も奇妙だった。人間の目のような模様が無数に描かれた紫色のマントを羽織り、右の肩に鳥の巣の様な飾りを載せていた。
怪しい男は、何の断りもなく部屋にすすっと入ってきて、そのまま空いていたリーフの隣の席に座った。
「やっと空いていた」
ぼそりと呟き、男は目を閉じて眠り始めてしまう。
「私リーフ。あなたは?」
リーフは、臆することなく、その男に自己紹介した。
しかし、彼から返事はない。リーフがつんつんと指で突いても、ぴくりともしない。
顔色も悪かったし、相当疲れていたのだろう。
「疲れていたみたいだし、そっとしておこうよ。どうせ空いている席だし」
「面白い格好だね」
リーフは、興味津々で男のマントを摘んだり、鳥の巣をいじったりした。
だが、どれだけリーフがちょっかいを出しても、熟睡している男は目を覚まさない。
「ちょっとリーフ、止めなって」
ノルンの制止に、リーフは、ちょこんと席に戻る。
「なんだか元気ないねこの人……あっ、そうだ!」
リーフは、網の中で蠢く虫をつかみ出し、眠りこけている怪しい男に近寄った。
「そうだってまさか――」
「えい!」
安心しきった表情で休息する男の口に、リーフは元気よく虫をねじ込む。
「んむんむ……ん?」
男は口に飛び込んだ異物に眉をひそめ、そして目を見開いた。
「んー! んんう! ぺっぺっ!」
男は、口の異物を慌てて吐き出す。そして、床でも蠢く虫から彼の前方に座るノルンへと視線をゆっくり動かした。
「誰だ? 気持ちよく寝ていた俺の口に、虫ぶっこんだクソガキは?」
部屋に入ってきた時の弱々しい感じとは打って変わり、今は街で絡んできたチンピラのような凄みがある。
「お前しかいないな? お前だな。いい度胸だ小僧」
指を鳴らし、低い声でノルンに迫った。
「ええと、元気がなかったみたいだから、ちょっと滋養強壮に――」
ノルンは、なんとか穏便にその場を収めようとする。
だが、その説明を遮るように、リーフがノルンの前に立ち塞がった。
「美味しいんだよこれ」
リーフは、無邪気に男の吐き出した虫を拾って、再度男の口に突き入れた。
「んん!」
「はい噛んで」
リーフは、またもや人様の頭と顎に手を添えて力を込める。
「んんーーーーーーーー!」
男は、一瞬悶絶してから脱力して、席に沈んだ。
「――て、あれ? 美味いな」
が、彼は、すぐに意識を取り戻して、意外に美味しい虫を頬張った。
「でしょ。美味しいよねその虫」
同意が得られてリーフは喜んだ。
「まあ結果美味かったら良かったが、寝ている他人の口に得体の知れないものを突っ込むのは、どうかと思うぞお前等……虫まだあるか?」
「うん。はい」
リーフは、ぱんぱんに膨れている虫網を男に渡す。
男は、礼も言わずに虫を食べ始めた。
ノルンは、リーフと顔を見合わせ、
「あのぉ――」
「ん? 何だ?」
「それ、僕達の大切な食料なんですけど」
「ああそうなの?」
男は、そっけなく答えて、最後に一握り虫を取り出してから網をリーフに返した。
渡す前の半分以下まで網の中身は減っていた。
「ううぅ、私達の食べ物が……」
リーフは、涙目で男を見つめた。
「あの、僕ノルンです。こっちはリーフ」
「ああそう」
男は、ノルン達に何の興味もなさそうに、もぐもぐと食べ続けた。
「独りでいっぱい食べてずるいよ! みんなで仲良く分けたかったのに!」
リーフは、手をグーにして、眉を斜めにした。
「なんだ葉っぱ娘、暴力か? 暴力でものごとを解決しようとするのか? 感心せんなあ、そういう粗暴な行いは」
「いやでも……僕に暴力を振るいそうな凄い剣幕で迫っていましたよね?」
ついついノルンは、男の揚げ足を取ってしまう。
「あれは言葉による平和的な解決を試みようとした、俺の優しさだ。断じて暴力などではない」
「そんなことはいいから、虫を食べたの謝って!」
「何だ何だ。お前達には、年長者を敬う心がないのか? まあ何か育ち悪そうだもんなお前達。虫は食うし。そんなことじゃあ、俺みたいな立派な大人になれないぞ?」
「立派な大人?」
ノルンは、思わず首を傾げた。
「小僧、何か言ったか?」
ぎろりと男の鋭い視線が飛んでくる。
「あ、いえ何も……それよりも、危ないですよ」
「ああん? 何が危ないって――」
男は視線を下に向ける。彼の懐には、いつの間にかリーフが潜り込んでいた。
「食べ物の恨みー!」
「ぐぼぉほ!」
リーフの渾身のストレートが、男のみぞおちにきれいに入り、男はがっくりと座席に沈んだ。
「よし。悪者をやっつけた!」
リーフは、さらに、皮袋から取り出した縄で男をぐるぐる巻きにした。
「いや、そこまでやらなくても」
「謝るまでこのままです! さあ、謝って!」
「落ち着いてリーフ。その人、気を失っているから」
「うるせえって言ってんだろうが!」
叩きつけるような勢いで再び扉が開けられて、二人組みの男が部屋に現れる。
物凄い剣幕で現れた二人は、ドラートの街でノルンに絡んできた男達だった。