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08 数奇な運命



 ヴァンパイアのダリウスに、気を失った蓮と一緒に抱えられて運ばれた先は、高い高いマンションの最上階の部屋。ベランダから入ると、ミシェルが両腕で私を抱き締めた。


「無事でよかった! 紅!」

「あ……ミシェルも、無事でよかった……」


 怪我は血を飲んで治したらしい。綺麗なライトグリーンの瞳で安心したように笑うミシェルを、自分からギュッと抱き締めた。そうすればギュッと返してくれた。

 蓮の怪我も治そうと、ミシェルは血液パックを冷蔵庫から取り出す。ダリウスがソファーに下ろした蓮の頬を叩いて、ミシェルは飲ませようとした。

 生活感はないけれど、必要最低限の家具が置いてある真新しい部屋。カウンター越しに見えるキッチンには、冷蔵庫しかない。料理器具がなかった。カウンター前には、リビングテーブルと椅子。私達のいるリビングには、ソファーとカーペットがあってもテレビがない。

 目を覚ました蓮の食事を凝視しないように、部屋を観察していた私に、ダリウスは黙ってテーブル椅子を持ってきてくれた。

「ありがとう」と言えば、ダリウスは頷くだけ。座って見上げると、ダリウスは目を合わせた。彼ににこりと笑いかけても、俯くように頭を下げられるだけ。

 なにか、話さなくてはいけないことがあるはずなのに、それがなにかわからず、私も俯いた。

 ふと、ポケットにしまった小瓶を思い出して、取り出して見る。ヴァンパイアの毒。この香りに誘われるように、私の頭の中に映像が浮かんだ。もう一度、この花の香りを嗅ごうと思った。

 すると、血を飲み終えた蓮が立ち上がり、着替え始める。赤い血に染まったシャツは床に落として、ミシェルが出した別の襟つきのシャツを着た。ちらりと肌が見えたけれど、傷跡はどこにもない。


「……紅。それは?」


 私の手の中の小瓶を見付け、蓮は問う。私は答えずに俯いた。


「……紅?」


 私は掌の中で、小瓶を回しながら、質問をする。


「リディアって、誰?」


 ただでさえ静かだった部屋が、その瞬間、沈黙した。


「――――知らない」


 蓮の答えは、私の心を突き刺す。


「なんで嘘をつくの!!」


 声を上げて、私は立ち上がった。


「もう記憶が戻ってることくらいわかる! なんで私にっ、嘘つくの!? ジェレン!」

「……紅」


 痛くて堪らなくなる胸を押さえながら、呼ぶ蓮から離れる。


「それとも、全部嘘だったの? もうっ……わからなくなる……」


 1つの嘘が、全部覆い隠してしまう。全部を疑ってしまう。

 今まで見てきた夢はなに? あれは記憶なの? いつのものなの?

 蓮が、ジェレンがその問いに答えてくれないと、混乱でおかしくなりそうだ。

 でも、彼は嘘をつく。

それがどうしようもなく、痛い。胸を引き裂かれるようで、私の中で誰かが泣き叫んでいるようで、辛くなる。


「……本当に……記憶をなくしていたんだ」


 ジェレンは、静かに答えた。


「……私の血で?」


 小瓶を差し出して、私は確認する。表情を固くしたジェレンは、躊躇しながら頷いた。

 それで確信する。どんなダメージを受けても、記憶をなくさないはずのヴァンパイアが、記憶をなくした理由。


「私は……"鬼殺し"なの?」


 ヴァンパイアを殺す猛毒の存在。鬼殺し。花のエキスと血を混ぜ合わせたそれが、ヴァンパイアを殺せる。


「……俺は少量のエキスで毒になった君の血で……一時的に記憶をなくした」


 拳を強く握り締めて、ジェレンは明かした。彼が初めから嘘をついていたわけじゃないと、わかって安堵する。けれども、ジェレンが目を背けて苦しそうにしかめた顔に困惑した。まるで、話したくなかった様子に、ショックを受けている。

 私とジェレンを交互に見ているミシェルは、テーブルに座ってことの成り行きを見守っていた。ダリウスも、玄関に繋がるであろう廊下に立ち、黙って私達を見ている。


「……ヴァンパイアを唯一殺せる毒を持つ人間"鬼殺し"は……君は何度もこの世に生まれ変わる。神が誤って造ったヴァンパイアを殺すため、君の存在を造ったという」


 ジェレンが静かに告げた話は、どこか聞き覚えがあって、すとんと私の中に落ちた。


「……私は……何度も、生まれ変わって……貴方達に会ったの?」


 この数日見ていた夢は、やはり記憶。生まれ変わる前の、私自身の記憶だった。

 私をいとおしそうに様々な名で呼ぶのは、紛れもない彼だった。

 なのに、目の前の彼は、答えることに躊躇するように顔を歪めて、でも最後には頷く。


「リディア。5度目に逢った、君の名だ。127年前、イタリアで……」


 痛みに堪えるように、ジェレンは続けた。


「ラティーシャ。4度目は、その58年前のイギリスだ」


 痛みが深くなったように、俯く。


「アネモア。3度目は、その100年前のギリシャ」


 思い浮かぶのは、水面に映る少女。彼の声で、語ることを約束させた私。


「カルメン。2度目は、その120年前……メキシコ」


 今、語る彼の声は、悲痛に堪えるようだった。


「イリナ。初めて出会った場所は、ルーマニア。今から545年前だ……」


 青い瞳が、私に戻る。


「きっかけはイリナを身ごもっていた母親がアスワングに襲われているところを、助けたことだった。偶然、母親に恩があったんだ。26年後、ヴァンパイアハンターになった君が、俺を捜し出して出逢った。相容れない存在だったのに、俺達は惹かれ合い、そして……」


 愛し合った。ジェレンは、口にはしなかった。


「自分がアスワングに襲われた原因を調べ、そして自分が鬼殺しという存在だと知り、ヴァンパイアを殺すこそが自分の使命だと信じていたが……俺を理解してくれた彼女は、俺を愛してくれた。だが、彼女の相棒はそれを許さず、彼女の血を搾り取って殺そうとした……」


 またジェレンが目を背ける。それ以上言えないと言わんばかりに言葉を詰まらせたけれど、やがて口を開いた。


「死にかけたイリナは、生まれ変わったら見つけてほしいと言った。俺も必ず見付け出すと約束した」


 愛すると誓いながら、涙を降らせた彼の夢を思い出す。違う、記憶だ。

 全てが繋がった。彼の声で、語られたことで、全てを受け止めることが出来た。全てが私の記憶で、私の悲鳴で、私の悲しみで、私の恐怖で、私の愛情だったんだ。

 不老不死のヴァンパイアと、ヴァンパイアを殺す猛毒。本来相容れない存在だったのに、何度も巡り逢いながら、愛し合った。

その事実を受け止めて、深く呼吸をする。混乱は、引いていった。


「……どうして……思い出してから、話してくれなかったの?」


 理解できないのは、ジェレンが記憶をなくしたフリを続けたことだ。

 私が問うと、立ち尽くしたジェレンが青い瞳を向けた。悲しみに揺らいだ瞳。苦しそうに歪めた顔に、無理して微笑みを浮かべたジェレンは、白状した。


「初めからやり直したかった……」


 初めから……?


「イリナに、人間のままで死なせてほしいと……約束したから……」


 一度、唇を噛み締めると続きを言った。


「俺が言わなければ、思い出さずに済んで……君は、ヴァンパイアに成って、俺と永久(とわ)に生きてくれると思ったんだ……」


 悲しみに微笑んだジェレンの言葉は、深く私の中に突き刺さる。


「どうして……そんな……」


 記憶が刻まれた魂が悲痛な叫びを上げるように痛む胸を押さえながら、私は問う。


「もう……君の死を見送りたくない……だから、ヴァンパイアに成ってほしかった……。俺が言わなければ……思い出せない。どうせ、君は覚えていないだろ? ヴァンパイアに成ることを、拒む理由を。イリナが拒んだから、拒んだ。ただそれだけなんだろ? ……君も忘れているなら、俺も忘れてしまいたかった」


 ヴァンパイアにしない約束を忘れ去るために、語ることをやめた。

 私の死を幾度も見送ってきたジェレンの悲しみは、苦しみは、想像を絶するものだろう。

 この500年、一緒に過ごせた時間はどれくらい? この500年、私を愛する時間より、私の死を悲しむ時間の方が多かっただろう。

 でもね、蓮。でもね、ジェレン。


「ジェレン……」


 涙と一緒に小瓶を落として、私は両手でジェレンの頬を包んだ。


「――――一緒に、ローマに行けなくって……ごめんなさい……」


 リディアが、最後にした約束。

 貴方が語らなくとも、覚えている。鮮明に思い出せなくとも、確かにこの魂に刻まれている。


「……っ……すまないっ……すまないっ、紅っ」


 目を見開いたジェレンは、ついに涙を溢す。

 ジェレンは、私を否定した。今までの私を、なかったことにしようとした。

 だから、私の魂は悲鳴を上げていたんだ。かけがえのない思い出を、かけがえのない時間を、かけがえのない愛を、鮮明に覚えているジェレンになかったように振る舞われて、心が張り裂けそうだった。

 私を抱き締めようと伸ばされたジェレンの腕を避けて、一歩後ろに身を引く。


「……終わりにしましょう、ジェレン」


 身を裂く思いで、それを告げる。涙が止まらない。揺れてしまう視界に映るジェレンは、言葉をなくしていた。


「もう捜さないで……いい……。ごめんなさい。ジェレン。何度も死に逝く私を許して。死を見せた私をどうか許して。深い悲しみを負わせた私を許して。貴方を何度も傷付けた私を許して。ごめんなさい、ジェレン。私は吸血鬼には」


 なれない。


「ならない。もう、終わりにしましょう……」

「嫌だ……何故……」

「他に愛する人を見付けて」


 か細い声を出して問う蓮に、精一杯笑って見せたかった。でも失敗してしまい、今にも泣き崩れてしまいそうになった私は、その場から逃げ出す。

 何度も何度も、愛する人を置いて息絶えた記憶が過る。何度も何度も、愛する人に死を見せた記憶が過る。死の恐怖と、悲しみが波のように押し寄せて私を飲み込もうとした。

 息も出来ないくらいの悲しみから逃げるために飛び出した屋上で、冷たい春の風を一杯に吸い込む。

 すると、彼の呼ぶ声が過った。様々な名前で、でも同じ愛しい声で呼ぶ。その声で、堪えられてきたのだと思い知る。でも、もう、彼を解放してあげなくちゃ。

 夜空を見上げて、込み上がった悲しみに溺れないように息を吸った。溢れて止まらない涙のせいで、星は1つも見付けられない。


「……紅様」


 私を追い掛けてきたダリウスが、隣に立ちハンカチを差し出してきた。初めて、今の名を呼んだ。


「……リディアが」


 私はハンカチを受け取らず、彼に話さなくてはいけないことを言う。


「死んだのは、貴方のせいではないわ」


 リディアは、ハンターに捕まったダリウスを救おうとして、頭を撃ち抜かれて死んだ。


「貴女様を守るよう任されていたのにッ」


 ダリウスはその場に跪いた。


「自分だけが助かり、貴女様をッ、見殺しにッ……!!」


 やっぱり私の言葉は、彼に届かなかった。

遊佐に偽善と言われてムキになってしまったのは、これだ。自分を正当化していたけれど、心のどこかで私の死を追わせてしまったことを悔やんでいた。ダリウスなら、こうなってしまうと、理解していたんだ。


「……ごめんなさい、ダリウス」


 私は、そっと顔を伏せたダリウスの頭を撫でる。


「長い間……苦しませてしまって、ごめんなさい。私は、死んでもまた貴方達に会える。でも貴方達が死んだらきっと、二度と会えないわ」


 生まれ変わることが決まっている私なら、長い時間を生きるヴァンパイアと再会できるから。


「――――……貴方が、生きていて、よかった」


 救えたことに安堵して、私が微笑むと、ダリウスは涙を流した。そしてまた頭を下げる。


「貴女様の最後の言葉を……伝えるために、死に物狂いで、生きましたッ……」

「ごめんなさい……ありがとう」


 自分の死を覚悟して、ダリウスにジェレンへの伝言を頼んだ。私が撃たれたあと、ダリウスはハンターから逃げて、ジェレンに伝えてくれたらしい。

 私の死を負わせたことと、生きていてくれたことに、謝罪と感謝を伝えるとダリウスは静かに頷いた。


「また……貴女様に、救われました……」


 ダリウスと出逢った日が、微かに瞼の裏に浮かんだ。アネモアの時だ。死にかけていたダリウスを見付けて、手を差し出した。それからダリウスは、尽くしてくれていたんだ。


「リディアッ!!」


 ミシェルの声。聞いたことのない怒声に振り返ると、頬を叩かれた。ヴァンパイアにしては弱く、加減されたものでも、私はよろめく。見れば、涙を流しながら、ミシェルが私を睨んでいた。





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