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06 鬼殺しの花



冷酷なハンターの尋問。

ダーク注意。



 廃墟の建物の地下へ、連れてこられた。ドアは重たそうな鉄が一つ、それが唯一の出入り口と考えるべきだろう。視界の右側の方にはもう一つ部屋があるらしいが、その先に出口があるとは思えない。私は両手首に縄を巻かれて拘束されて、椅子に座らせられた。


「紅の母親ってちょっと能天気過ぎない? 事件から1週間しか経ってないのに、娘が夜いなくなるなら不安がれっつーの。刑事といるって話しても、迎いに行くなりなんなり言えよって。手のかからない娘だと親のつとめを怠っちゃうわけ? どんだけ出来る子なのくぅちゃん」


 拳を作った両手の間の縄を見つめていれば、私の母に連絡し終えた結崎が、もう一つ椅子を目の前に置いて、腰を下ろす。

 仕方がない。両親には私を心配する習慣はない。心配は無用だと、私が言動で示してきたから。


「さてと……まったく。バカなことしたね、紅」


 視線を上げれば、コートを脱いだ黒いブイネック姿で笑いかけていた。


「ヴァンパイアに加担してもいいことなんてないよー? どうせ、利用されて利用されて、最後にはポイか、殺されるだけ」


 初めはノリの軽いバーテン風に思えたけれど、拷問器具が並ぶテーブルに並んでいるせいか、彼がハンターだとしっかり認識できる。目立たなくとも、ヴァンパイアと戦うために鍛え上げられた身体をしているはず。

 私は到底敵わない。でも戦ってどうにかするつもりはなかった。話は聞いてもらえるようだから、解放のチャンスを待つ。

 私がこうして落ち着いて考えられるのは、彼が私を撃ち殺すとは思えないからだ。


「ハンターの貴方こそ、バカなことしましたね。なにも知らない一般人をヴァンパイアの餌にするなんて」


 怒りを押さえ込む努力をして、私は時間を稼ぐ。


「もしかして、あの女ヴァンパイアに、吹き込まれたー?」


 結崎は軽く笑った。


「無関係だった人間を死なせたんですよ、結崎刑事」

「あ、俺、刑事じゃないんだわ。それに結崎でもない。本当は遊佐ゆさ


 そんなこと、どうだっていい。

刑事じゃないことは納得だ。でもだからって、なにも知らない一般人を巻き込んで死なせていい言い訳にならない。

 反省の色も、罪悪感も見せない彼を睨んでしまう。


「そう怒るなよ、紅ちゃん。生きてたんだからさ。他の連中は運が悪かったんだよ。事故なんだって」


 責めるなと、結崎こと遊佐は両手を上げて見せる。事故ですって?


「確かに人間を拉致したのは、餌にするためだよ。でも無事に返すつもりだったんだ。君達を使って見事ヴァンパイア達を誘き出せた。薬を盛った血を飲んで動けなくなったヴァンパイアを一人残らず始末する、あとはそれだけだったのに、別のヴァンパイアが現れて台無しさ。追い掛けてる間に捕まえたヴァンパイアが逃げ出して、なんかの拍子で火事。俺が戻ってきた時には、君は病院に運ばれてた」


 ヴァンパイアが逃げ出すことも、餌として用意された一般人が火炙りになったことも、誤算。失敗に終わった。それが事件の真相。

 冷酷なヴァンパイアハンターの罠が、餌だけを死なせた事故。


「……薬って……ヴァンパイアの毒のことですか?」

「あー、そこまで聞いたんだ。そう。人間を気絶させるための薬と、ヴァンパイアの毒のブレンドさ」

「……毒なのに、死なないんですか?」

「せいぜい動けなくするのが精一杯。君達には嗅がせただけだから、効果も短かったんだよなぁ。毒で死んでくれたら弾丸に仕込んで撃ち込むんだけど。銀だって、一時的に過ぎないんだなぁ、これが」


 何故もっと早く、気付かなかったのだろう。バンの座席に染み付いていたのは、ヴァンパイアの毒の香り。拉致された時に嗅いだ香りだった。手掛かりは目の前にあったのに、私はバカだ。不甲斐なさで唇を噛みたくなった。


「毎回こうやって一般人巻き込むのですか、ハンターは」

「まぁごくたまにさ。今回はどうしても仕留めたい獲物だったんだよ。2ヶ月かけた作戦だったのに、ぱぁーさ」

「……一つ、わかりません」


 作戦の失敗を悔やむ遊佐は、死者のことなんて微塵も気に病んでいない。それを恨めしく思うが、どうこうできない。


「餌として選んだのは、大人しいタイプですよね? 例えなにかを目撃しても、警察に言えないような、他人にも話せそうにもない大人しい人間を狙った、そうでしょう?」


 加田さんも川島さんも、そのタイプだったから餌として拉致された。他もそうだろう。万が一、目を覚まして、見てはいけないものを見てしまっても大した問題を起こさない、そんなタイプ。

 遊佐は目を見開くと、口元を楽しそうにつり上げた。


「さっすが、優秀な紅ちゃん。その通り。ま、例え目撃されても、上がうまぁく揉み消してくれるんだけどね」


 ハンターは、思う以上に大きな組織らしい。


「私はそのタイプから外れているはずですよね」


 つかさず言うと、遊佐が更に笑みを深める。


「そう、紅ちゃんは病室で会ってわかったよ。絶対に自分で真相を突き止めるために、行動するって。現にここまで来ちゃったね」


 一度立ち上がると、椅子の向きを変えてから座って、背凭れに腕を置いた。私の方に突き出されたブーツが、楽しげに左右揺れている。


「餌を探している間に、君を見付けた」


 やっと私を選んだ理由を話した。


「目が放せなかったし、美人だし、一人だったし、終わったら口説こうと思って巻き込んだ」

「……」

「ヴァンパイアから助けたって、口実で。流石に惚れるだろ?」

「……」

「まぁ、嘘つかずにこうして深く知り合うことができたんだけどねー」


 まったく。呆れた人だ。一般人を巻き込む最中に、私情を絡めて私を巻き込んだ。

 それは私が今、無傷でいられる理由でもある。一般人が死んでも平気な顔をするハンターだ。ミシェルのことを聞き出すために、拷問してもおかしくない。

 カタンッ、と拷問器具が一つ、乱暴に置かれた。鉛色の器具が並ぶテーブルの向こうに、不機嫌な表情をしている白人の男がいる。二十代後半ぐらいで、癖の強い黒髪の下から、黒い瞳を遊佐に向けていた。

 遊佐の相棒、というより上司だろう。それは私の予想外。遊佐が一人なら、説得も簡単だっただろう。

 私を気に入らなさそうなその男が邪魔をするはず。私を解放することに賛成はしないだろう。


「はいはーい。やりますよー」


 無言で急かされた遊佐は、やる気のない声を出して、連れてきた目的を果たすことにした。


「紅、君に噛み付いたヴァンパイアはどこだ?」


 てっきり、ミシェルのことを訊くのかと思ったのに、蓮の居場所を問われて焦りが走る。でも無反応を貫く。


「知りませんが」

「あの女ヴァンパイアは、紅が助けたヴァンパイアの下僕みたいなもんさ。青い目のヴァンパイアを助けて、あの女ヴァンパイアも助けたのに……知らないって通用するわけねーじゃん」


 尋問を始めてから、遊佐は冷たい雰囲気を放つ。笑みを浮かべていても、瞳は嘘を見抜くために鋭く私を見張っていた。

 やはり蓮はボスのような存在で、ミシェルは従っていたんだ。2人の関係を知っているなら、私がとぼけても無駄だ。


「……退院後に登校した日、彼が会いに来ました」


 私は真実をなるべく、なるべく忠実に話すことにした。嘘なんて、真実を着飾る程度十分。肝心の情報だけを覆い隠す。


「毒のせいで記憶をなくして、私しか頼れる相手がいないからと」

「それ信じたの?」


 遊佐が話の腰を折る。その声は、同時に「バカじゃないの」と嘲笑っているように聞こえた。


「……はい。嘘をついているようには、思えなかったので」


 あの時は……。


「ぶははっ! これだからヴァンパイアに手を貸す人間はっ! なぁ、ダニエル!」


 ベシベシとテーブルを叩きながら声を上げて笑うから、拷問器具もまるで笑うかのようにガタガタと揺れた。

 ダニエルと呼ばれた男に目を向けると、私に軽蔑の眼差しを向けている。


「どうしてこうもたぶらかされる連中は、チョロすぎるんだ。自惚れすぎだろ。魅惑的な容姿の持ち主が、自分を愛して頼ってるって? 騙されてるに決まってんだろ、鏡見ろって、愛される顔かよ。魅惑的な美女や美男が、なにを見て愛したと思ってんだ。自分にそんな価値あるものがあるのかよ。ねーよ。てめぇらは自惚れて妄想して酔いしれてるだけなんだよっ。どいつもっ、こいつもっ、くそバカ野郎っ!!」


 いきなり声を荒くして地下室の中に轟かせたから、私は身を引く。静まり返ったそこに、私が座るパイプ椅子が軋んだ。

 遊佐は他人を罵倒をしているように見えて、本当は特定の誰かに向けて言い放っているようだった。それは私なんかではない。別の誰か……。

 私から外れていた遊佐の視線が戻ると、気を取り直したように笑みを浮かべた。


「教えてやるよ、紅。あいつらは怪物だ。どんなに魅力的な人間の姿をしても、人間を喰らう悪い悪い怪物だ」


 私を諭すように、でも嫌悪ととも吐き捨てるように告げる。


「そして銀色の弾丸で頭をぶち抜こうが、ハンマーで割ろうが潰そうが、脳みそを毒漬けにしようが、ヴァンパイアは記憶をなくさねぇんだよ」


 その事実が、私の中に深く突き刺さった。


「ヴァンパイアは人間と違うんだ。記憶喪失なんて、アンタを利用するための演技。優しいから、そこをつけ込まれたんだろ」


 違う。そうじゃない。

私の元に現れた時、確かに彼は記憶をなくしていた。あれは演技じゃない。信じ込みたいからではない。

 火事の中、私が目を覚ました時、蓮はまだ気を失っていた。他のヴァンパイアは既に脱出していたのに、蓮だけが逃げ遅れていた。

 遊佐が杭を刺して更に動きを封じたが、仲間の誰かが引き抜いたようだから、それが原因だとは思えない。きっとヴァンパイアの仲間も、毒の効き目が切れて自力で脱出が出来ると判断して、杭を抜いただけで先に脱出したのだろう。

 毒のせい。私の中の毒の量が多かったのか。でも、遊佐は毒では記憶をなくさないと言う。

 他のヴァンパイアと違う点はなに? ――――私の血を飲んだこと。

 私の血……――。

 睡蓮に似た白い花が、咲く。それが赤い血に染まる。そんなイメージが浮かんで戦慄が走ったから、頭を振って払った。

 嫌だ。これ以上は、考えたくもない。


「そうショック受けるなって。俺がちゃんと殺してやるから」


 遊佐が察したつもりで言った。私の顔は真っ青になっているらしい。その台詞は、更に私の顔色を悪くするものでしかなかった。


「ヴァンパイアを殺す方法は一つ。その身体をバラバラにして、燃やして灰にすることだ。そうでもしなきゃ死なない連中だ、おぞましい怪物だろ」


 蓮がそんな目に遭うと思うと、また戦慄が走る。


「どうして……」


 私は口を開く。


「貴方はそうなってしまったの?」


 時々、遊佐から狂気を感じていたけれど、理解に苦しむ。ヴァンパイアは、ただの怪物だと言い張る。

 ミシェルは明るくお喋り好きなヴァンパイアで、蓮は……ジェレンは愛情深いヴァンパイアだ。

 遊佐の憎悪は一体どこからくる? ジェレンがなにをしたというの? それを知って、私は理解できるのだろうか。

茶目っ気のある笑みを浮かべられる彼に、なにがあったの?


「俺が初めての仕事は、16年前」


 頬杖をついた遊佐が、語り始めた。16年前、私はまだ母のお腹の中だ。


「俺は6歳で、初めて親父に仕事をさせてもらえた。フィリピンには、アスワングって呼ばれている変わり種のヴァンパイアが住み着いてるんだ。その群れが活発に動いているっていうから、その退治。アスワングって、超おぞましい怪物なんだぜ? 昼こそは美女の姿だが、襲う時は上半身で蝙蝠みたいな翼を広げて飛び回る」


 フィリピンのヴァンパイア。

恐ろしい姿が脳裏に浮かんで、気分が悪くなっていく。悪寒に包まれるようだった。


「まるで戦争だった。あいつらが嵐を起こすように喚いて襲い掛かった。あの光景を見た人間なら、ヴァンパイアを信用なんてしねぇよ。それがヴァンパイアの本性。血に飢えた化け物だ」

「……私いた」

「え?」


 悪寒で震えそうな身体を押さえ付けるように堪えながら、私はか細い声を出す。


「16年前……私を妊娠してたのに、母はフィリピンに旅行に行ってて……嵐が起きてたって……」


 母が、話してくれた。

私を妊娠していながら、友人と旅行していた。でも、嵐で宿から出られなかったという。


「宿の亭主が……アスワングに……私が狙われてるって騒いだって……」


 それは子どもに聞かせる怖い話。都市伝説と同じ。

嵐の中からアスワングの声が聞こえると思い込み、お腹の中の私を守ってくれたという。

 アスワングは蛇のような長い長い舌を伸ばし、血を吸う。家の隙間から舌を伸ばして、食べられないように一晩中起きて警戒させられた。そんな不思議な経験を、笑い話として母は語った。私がヴァンパイアの存在に惹かれたのは、その縁があったかもしれない。


「……へぇー、16年前に、同じ地にいたなんて……。出逢ったのは運命じゃない?」


 遊佐が、茶化すように笑いかけた。

 でも、私は笑えない。

もっとなにかがある気がするけれど、それに考えがいきつくことを拒絶した。


「……紅ちゃん」


 遊佐の呼ぶ声に反応して、彼と目を合わせる。手にはあの小瓶。ヴァンパイアの毒。


「この花のエキスは、フィリピンに咲くんだ。名前は鬼殺し。元は大昔のハンターの呼び名だったらしい。そのハンターの血と、この花のエキスを合わせると、ヴァンパイアを殺す毒になったって、伝説がある。だからそのハンターは鬼殺しと呼ばれ、鬼殺しの花と呼ばれるようになった」


 小瓶のコルクを外して、遊佐が突き付けたから私は身を引く。遊佐の目が、鋭く細められた。


「紅、この匂いに過剰反応するけど……まさか、ヴァンパイアの血を飲んだんじゃねぇーよな」

「ほざくなっ!」


 私の声が、突き刺すようにその場に響く。遊佐も驚いて目を開くけど、私自身驚いた。私らしくもない言葉と声音だ。まるで誰かが代わりに怒鳴ったようだった。


「あ、あの……違うんです、飲んでません……何故そんなことを」

「……ヴァンパイアの血を飲んだ人間は……人間の血を減らすことで、体内でヴァンパイアの血が増幅してヴァンパイアへと変えるらしい」


 ヴァンパイアの血が、人間をヴァンパイアにする。私がヴァンパイアに成るために、血を飲んだと疑っていた。


「この花のエキスは、ヴァンパイアの血を攻撃する。だからヴァンパイアは匂いさえも過剰に拒絶するんだが」

「違います」


 私は強く、苛立ちを帯びた声で否定した。


「……」


 鬼殺しの花と呼ばれた花のエキスの香りは、気持ち悪さを増幅させる。しかめて俯くと、遊佐は小瓶の蓋を閉めてくれた。

 しかし、パシャッと頬に花のエキスがかけられる。濃厚な香りに噎せながら顔を上げれば、ダニエルと呼ばれた男が空の小瓶を手にしていた。


「そこまですることないだろ! ほら、ヴァンパイアじゃない!」


 遊佐は立ち上がると、テーブルに置いてあったタオルで拭いてくれる。でも私はその香りが嫌で嫌で嫌で、もがく。

 ジャングルの中で数多に咲き誇る白い花が、脳裏に浮かぶ。それはすぐに赤く染まっていく。美しいのに、おぞましい光景。嫌だ嫌だ嫌だ。

 そこに立つのは、一人の女性。白いワンピースを着た彼女の胸から、血が広がっている。彼女は――――心臓がない。

 恐ろしいそれを振り払いたい。ドクドクと心臓が巡らせる血が、戦慄しながら私の肌を駆け巡っている。

 この香りのない酸素が吸いたい。息が、息が、したい。


「おい、紅。深呼吸しろ、落ち着けって」

「お、お願いっ……外の空気を……お願いっ」


 拘束されたままの両手で遊佐の手を掴む。今にも過呼吸になりそうな私は、言葉に詰まりながらも懇願する。


「大丈夫だって、紅」


 遊佐は優しく声をかけて私の頭を撫でた。


「水買ってきてやるから、深呼吸してな。待ってて」


 私の頬から匂いも拭い終わると、遊佐は微笑みを向けてから重たいドアを開いて出ていく。

 まだ空気にそれが残っているせいで、気分が悪いままの私は俯く。縄を見つめて、両手を握り締めた。

 少し呼吸が落ち着いた私は、横に顔を向ける。ダニエルはそこに立って私を見張っていた。私はもう一度、俯く。


「……彼は、優しいですね」


 呼吸をコントロールする努力をしながら、私は声をかける。


「……いつもなら、拷問して聞き出すところだ」


 ダニエルは初めて私に声を聞かせた。

この地下はいわば、拷問部屋。本当はミシェルの拷問のために、用意されたのだろう。人間相手でも、拷問をするつもり。


「でも、彼は私を傷付けることに反対しているから」


 私は顔を上げて、にっこりと微笑んで見せる。


「拷問はできませんね」


 私の挑発に、ダニエルは乗った。思惑通りに近付き私の前に立つと、銃を額に突き付ける。

 銃で脅されることは予想の範囲のはずだったのに、私は動揺した。

 煙草をくわえた眼帯の男が、私に銃を突き付ける。瞬きすると私を見下ろす長身のダニエルに姿が戻った。その顔は酷似している。


「ヴァンパイアに加担するような人間は、死刑が決まっているんだ」


 吐き捨てられた言葉に、聞き覚えがあった。彼に酷似した眼帯の男もそう言って、私を。私を。


「貴方、私を殺した?」


 呼吸も痛くなる死の恐怖が、背中から抱き締めるように私を包み込む。

 私を殺した男と酷似したダニエルの顔が歪み、私の正気を疑う。

 冷たいものが、私の頭を貫いたのを感じた途端、私は震え上がった。同時に油断したダニエルの銃を掴む。

 縄を結ばれた時、わざと両手を握り締めて空間を作っておいた。手を広げれば、縄は緩む。その縄を銃に巻き付けるように、銃口を天井に向けた。縄を左手で押し出して銃の向きを固定し、右手でダニエルの顔を突く。それで怯ませて逃げるつもりだった。

 でもダニエルは後ろに身を引いて、避ける。私の手は、長身の彼に届かない。チャンスを――――逃した。

 動揺が走る。次はどうするべきなんだ。私なんて簡単に捩じ伏せられる。あまりのパニックのせいか、目の前が眩んだ。

 けれども、瞬く間に光景が変わった。ダニエルは胸を押さえて私から離れている。左手は縄を振り、銃を左の壁の隅まで投げ飛ばしていた。何が起きたのか、わからない。


「くっ……貴様っ!」


 ダニエルが私を取り押さえようと手を伸ばす。次は自分がなにをしたのか、はっきりわかった。

 ダニエルの手を掴むと肘の裏を殴って曲げさせ、捻り上げる。そして彼の右膝の裏を蹴って跪かせると、肩を押し潰すように捩じ伏せた。そしてダニエルの胸に、なにかを突き刺すように拳を叩き落とす。


「かはっ!」


 衝撃で息を吐いたダニエルから、私はすぐに離れた。叩き落とした拳になにかを握ったつもりだったけど、開けばなにもない。

 まるで身体を誰に乗っ取られたよう。いや、違う。癖のように、身体に染み付いた動きのようだった。

 呆然とした私の鼓膜に銃声が突き刺さり、部屋に木霊する。見るとドアの前に、銃を向けた遊佐がいた。


「おい、大丈夫かよ、ダニエル」

「……はいっ……申し訳、ありません」


 遊佐とダニエルのその会話を聞いて、私の血の気が引く。

 遊佐は両手を上げた私の元に歩み寄る。次の瞬間、首を掴まれテーブルに押し倒された。


「優しくしてりゃいい気になりやがって」


 ダニエルが上司だなんて、大きな勘違いだった。遊佐こそが、一般人を罠の餌にした作戦を指揮した冷酷なハンターの親玉。

 私は完全に脱出のチャンスを逃したと思い知る。遊佐が命令したから、ダニエルは私を傷付けなかった。でも、もう、遊佐の許容範囲を越す行動をした私の安全は、保証されない。




20150115

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