04 初めての嘘
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20150114
微かに揺れる水面に、一人の少女が映る。黒髪は灼熱の太陽の金色を帯びていて、白い肌は少し日に焼けていた。
「思い出せ」
見覚えのある黒い瞳は強く、私を見つめて言う。
「思い出せ。魂に刻みし記憶を、その心の臓が宿す記憶を、滞る血が宿す記憶を、思い出すのだ」
彼女の後ろに、誰かが映る。
「なにをしている、アネモア」
声をかけられ、少女が振り返った。明るい茶髪が陽射しの金色に色付いた男を、私も少女の目で見る。
私は、少女だった。少女は水面に映る自分を見ていたのだ。
「彼が語らなかった時のために、生まれ変わった己に伝言を、と思って」
「……あやつが、お前を捜すことを止めると、考えているのか」
「ヴァシリス……遥か未来のことは見通せないが、いつかは告げるべき時が来る」
少女は再び、水面に映る自分を見つめる。
「同じ時を、生きてはゆけない……。この記憶を思い出した時が、その時だ」
水面の鏡は激しく揺れて、そしてなにも映らなくなった。
いくつもの悲しみが、押し寄せる。それはそれぞれ色が違うようで、でも息をすることも苦しいくらい同じ深い悲しみ。
多くの名が聴こえる。その名を呼ぶ声は、一人。穏やかで優しい声は、私をいとおしそうに呼ぶ。
けれども、それはあまりにも遠くて、遠くて、遠くて、はっきり聞き取れなかった。
もっと近くで。
もっと近くで。
もっと近くで。
もっと、近付いて。
遥か遠くのものに手を伸ばすけれど、悲しみの波が私を飲み込みそうで、呼吸が出来なくなりそうだった。
†◆†
「紅!」
ハッとして、目を開く。
「朝御飯できたわよ。あたし、ちょっと出掛けてくるわね」
部屋には母がいた。呆然としてしまったけど、私は頷く。
隣に、蓮がいない。でもすぐに机の下に隠れているところを見付けた。母が近付いてくるのを察知して身を隠したのだろう。
起き上がった私は、朝陽に輝くレースのカーテンを見つめた。
「紅……大丈夫か?」
蓮が穏やかで優しい声をかける。
「うん……少し、夢を見て……。色んな映画を観たせいかな、変だった」
笑ってみせるけど、ぼんやりしてしまう。
きっと、なにかの映画で観たシーンだ。いくつもの映画を観てきた、それを夢の中で思い出しただけのこと。そう言い聞かせたけど、どの映画なのかは、思い出せなかった。
「今日は……ラブストーリーの映画を観るか? それなら、いい夢を見るだろう」
ベッドのそばに膝をついて、私を見上げた蓮があのヴァンパイアラブストーリーのDVDを観ようと提案する。昨日のことを鮮明に思い出した私は、首を横に振った。
「あの、えっと……今日は、映画館に行きましょう? そうだ、忘れてた。観たい映画が昨日から公開されたの、それを一緒に観に行ってくれる?」
家で二人きりにならないように、観たい映画があったと思い出して提案する。
本当は友人を誘うつもりだったけど、事件のせいですっかり忘れてしまった。
「映画館……。ヴァンパイアの映画?」
「ううん。これはエルフと人間の恋を描いたもの。壮大なファンタジーの世界を描いたのに、少しコメディなやり取りをする二人の恋の話が海外で話題になってるんだって。いい?」
興味がないのかと首を傾げたけれど、蓮は行くと答えてくれる。
喜んで私は朝食を済ませて、着替えた。アイボリーのフリルのブラウスのリボンをきつく結び、ハイウェストの赤いスカートを履く。
髪は軽くカールをつけ、そして右耳の前の前髪と、右耳の後ろの襟元に、赤いメッシュのエクステをつけた。休日はほとんどつけているお気に入りだ。
洗面所の鏡で確認している最中、私は我に返る。これではデートを楽しんでいる女の子だ。
デートのつもりではなく、ただ単に映画を観に行くだけ。外に行けば、抱き締められることも、押し倒されることもないから……。
そう思うけれど、デートというワードが頭から離れなくて、落ち着きなく前髪を撫でた。深呼吸をしてから、蓮と二人で映画館に行く。
駅ビルに映画館があるから、そこでチケットを二つ買ってさっそく観た。
†◆†
最初は激しい戦いから始まる。悪から世界を救うため、様々な種族が剣を振るって戦っていた。人間の女戦士と、エルフの戦士は互いを守りながら、愛を深めていた。女戦士は、この戦いで命を落としてもまたこの世に生まれた時、彼を愛すと愛を伝えた。
そして、決戦の時。
女戦士の最後の一振りで、戦争の終止符は打たれた。世界は救われた。しかし、命の雫を流しすぎた女戦士は、エルフの腕の中で息絶えた。終わりを迎えた戦場で、エルフは彼女の亡骸を抱き締めて悲しんだ。
再び彼女と巡り会うために、エルフは彼女の愛を魔法に変えた。それは予言となり、世界に広まった。
英雄は記憶を抱き、この世に生まれ変わる。
限りなき命を持つエルフは、実現を待った。そして100年後、彼女はこの世に産まれた。
しかし、女戦士の生まれ変わりの少女は、勝手に口約束を魔法に変えたことを怒る。剣を持つこともままならない小さな身体で、かつて愛したエルフが住む森に向かった。
エルフと再会。彼は一目見るなり、彼女だと気付き、喜びに染まる笑みを浮かべた。しかし少女は罵声を飛ばす。
生まれ変わった不満を並べ立てる少女に、エルフは「もう私を愛していないと言うのか?」と問う。
「愛している! 生まれ変わった今でも、貴方を愛している! しかし生まれ変わっても私は人間、貴方はエルフ! 同じ時を生きられない!」
何故エルフに生まれ変わらせてくれなかった、と少女は背を向けた。長い時を生きるエルフに、別れようと告げる。
しかしエルフは諦めない。人間が不老になる宝石があると伝え、ともに旅をして見付けようと持ち掛ける。
ともに生きるための旅。それが始まった。記憶を辿りながら、互いの愛を確かめ、そして深めた。
やがて、ドラゴンが守る宝石をいただき、それを手にした少女とエルフが永久の愛を誓って結ばれた。
†◆†
愛と冒険の物語を観終えた私は、余韻に浸るように、カフェテリアのテラス席で呆ける。
素敵な物語だったけれど、どうもヒロインの台詞がこびりついて拭えなかった。
それは夢の中でアネモアと呼ばれた少女が、口にしたものと似た言葉だったからだろう。
生まれ変わっても、人間の命は限られている。不老の魔法の宝石を手に入れない限り、不老のエルフとはともに生きていけない。いや、不老のヴァンパイアとは生きていけない。
「……」
ちらり、と向かいに座る蓮を見る。彼もぼんやりとテーブルを見つめていた。
どこか、顔色が悪いように見える。色白の肌は少し隈が浮いているようだ。
「蓮……大丈夫?」
私に青い瞳を向けると頷いてみせた。そうは見えない。血を飲まなきゃいけないのでは……?
心配で見つめたら、蓮は「大丈夫」と言った。
「どうだった? 楽しんだ?」
「あ、うん。素敵だった。再会した時のエルフの笑顔にはときめいちゃったな。海外の女の子達がメロメロになってるだろうね。綺麗な容姿で、勇ましく戦っていたあとに、あんな無邪気な笑みで輝かせた目で彼女を見るんだもの」
「……そう」
プラチナゴールドの長い髪を靡かせたエルフが、愛する人を見つめる輝かしい瞳と無邪気な笑顔は、素晴らしい演技だった。観れてよかったと笑みを溢すけれど、蓮の視線はまたテーブルに落ちてしまう。
「……蓮は、楽しくなかった?」
「そんなことはない。楽しめたよ」
青い瞳を私に向けると、蓮は柔らかい表情になる。それを見て、私はホッとした。笑わないけれど、蓮は嘘をつかない。楽しめたなら、よかった。
「……紅は」
私がジュースを飲んでいると、蓮が言う。
「エルフと人間、どちらに生まれ変わりたい?」
その問いに、悲しみの波が押し寄せてきたのを感じた。それは冷たく、私の背中から冷やしていく。
「選べないわ。誰も来世を選んで生まれ変われない」
堪えるように、力んで言ってしまった。例え話のはずなのに、事実を言い放ってしまい、蓮は目を見開く。
この話は、まるで傷に塩を塗るみたいで、避けたいものに思えた。傷付けるような言葉。私は一度目を伏せる。
「永久に愛する人と生きられるのは、素敵よね」
笑った顔を上げて、誤魔化す。
「本屋に寄りたいな。いい?」
帰る前に寄りたいと言うと、蓮は柔らかい表情に戻っていて頷いてくれた。
駅ビルの本屋に入り浸る。特に買わないけれど、本なら蓮が少し反応をしてくれるので探ってみた。
蓮は映画を観ないヴァンパイアだったらしい。まぁ、好き好んで自分の種族がモデルになった映画は観ないわね。
「蓮はきっと、日本に来てずいぶん経つんだと思う。日本語が上手いもの」
推測を言いながら、海外からの作品を漁っていたら、右手を握り締められた。蓮はなにも言わない。私もなにも言わず、照れを隠すために本を漁り続けた。
手を繋ぐことは、まるで身体の一部のようで、温かくて放しがたい。私達は外さないまま、帰り道を歩いた。
日が傾き始めて、空が少し暗い色に染まる下を歩いて、ちらりと蓮に目を向ける。蓮は私を見ていた。今にも微笑みそうな柔らかい表情。
長い指が私の指の間に滑り込んで、包むように優しく握り締める。
こんな雰囲気になることを避けたくて外に連れ出したのに、結局こうなるのは、本当はこうして見つめ合いたいという気持ちがあるせいだ。
彼から口にしてくれたら楽なのに。そう思うのはきっとずるい。でも、待ってしまう。彼の声を。
「……」
足を止めて、見つめ合った。彼の優しい声で、語ることを待つ。
「ジェレン!!」
女性の明るい声が口にした名に、私も蓮も強張り、そして振り返る。
長い長い金髪の髪を靡かせた白人の美女が、真っ直ぐ蓮に飛び付いた。
「やっと見付けたわ! ジェレン!」
その拍子に、私の手と蓮の手は離れてしまう。
彼女が先程から口にする名は、それは恐らく蓮の。
蓮の本当の名。
ジェレン。ジェレン。ジェレン。
その唱えながら、温もりが消えた右手を握り締めた。
「……誰だ?」
蓮は美女を引き剥がしてから、静かに訊いた。問われた美女はきょとんとしたが、声を上げて笑い出す。
「なにそれ、ジョーク? おもしろっ、きゃははははっ!」
一つに括ってあるポニーテールが、笑い声に合わせて揺れた。
蓮はそんな彼女から離れ、まるで私を庇うように腕を伸ばす。
「近付くな」
蓮は鋭く忠告する。
それを見て、美女はピタリと笑うことを止めた。蓮の敵意を見て、困惑した表情をしては、冗談かもしれないと笑おうとして笑みを浮かべ、また困惑しては笑おうとして、最後にはしかめる。
彼女のライトグリーンの瞳が、私に向けられた。表情は、驚きに変わる。
「……リディア?」
その名を、口にした。
別の名で、私を呼ぶ。
「リディア……リディアよね?」
私が返事するまで、彼女は確認する。そして私に手を伸ばした。
「紅に触るなっ!!」
蓮は阻み、声を上げる。彼女はびくりと震え上がると、怯えて後退りした。
「蓮……」
「……ヴァンパイアだ」
「わかってる」
その美女もヴァンパイア。だから警戒している蓮の腕に手を置く。守ってくれているのね。
「ごめんなさい。彼、記憶をなくしているの。知り合いみたいだけど……思い出せないみたい」
私が代わりに、蓮の肩越しからわけを話す。彼女は蓮を凝視した。まるで親を気にする子どもみたいに固まって、蓮の言葉を待っている。気の毒なほど、青ざめていた。
「私は紅です。あなたは?」
「……ミシェル」
戸惑いながらちらちらとライトグリーンの瞳を私に向けて、小さく名乗る。すぐにびくりと微かに震えて俯いた。
ミシェル。蓮を知るヴァンパイア。
「行こう。紅」
「えっ?」
蓮は私を掴み、帰り道を歩き出す。慌てて私は踏みとどまる。
「待って、あなたを知っているのよ。事件のことも知っているのかも」
「ヴァンパイアだ、紅」
「あなたの友だちみたいよ」
「信用できない」
「蓮っ!」
ミシェルから引き離そうとする蓮を、力一杯に引き留めた。
「話を聞いてあげて。なにか思い出すかもしれないし、事件について聞きたいの。お願い」
手掛かりが現れた。
頼み込むけれど、蓮は嫌そうにしかめる。こんな表情は初めてだ。
ミシェルを私に近付けたくないのか。それとも記憶を思い出したくないのか。
「こうしましょう。ベランダで二人で話してみて。私は部屋で待つわ。目に入るなら、安心でしょう?」
「……わかった」
頷いてくれたけれど、蓮は険しい表情のまま。青い瞳を、立ち尽くすミシェルに向けた。
†◆†
ヴァンパイア二人がベランダで話す姿を眺めながら、部屋の中で私は教科書を捲る。休んだ分を取り戻したいけれど、ちっとも頭に入らない。
手摺に腰掛けた金髪の美女は、浮かない顔をしている。蓮の方は私に背を向けているから、どんな顔をしているかはわからない。
それでも、蓮が話していることだけはわかった。ミシェルは相槌を打っている。蓮が指示を与え、ミシェルが従う。そんな風に見えた。
不安が渦巻く。それが気持ち悪さに変わって、私は俯いた。
物音で蓮が部屋に入ったと知り、私は笑顔を繕って向ける。
蓮は私が凭れた壁に右腕を置くと、告げた。
「紅。血を飲みに行く……彼女によると遠くの病院ではないと、ヴァンパイアハンターに捕まりかねないそうだ」
「ハンターが、近くにいるの?」
「……君が事件に巻き込まれたのは、ハンターのせいだ」
ヴァンパイアハンターが、私を拉致したということ?
「詳しい話は、戻ってからでいいかい? 明日の夜には戻る。それまでミシェルに家を見張らせるから……安心して」
「……わかったわ。顔色も悪いし、早く血を飲んだ方がいいわ」
蓮の顔に手を当てて、私は行ってくるように言う。ヴァンパイアに血は必要だ。蓮はなによりも優先しないといけない。
ベランダに目を向けると、ミシェルはまだいて、私に笑みを見せると手を振った。ミシェルを信用したみたい。
「……思い出せた? 蓮」
私が触れる顔が、俯いた。青い瞳はただ私の手を見つめる。
「……いや……なにも」
思い出せない。そう答えた蓮が――――初めて私に嘘をついた。
「ジェレンって……名前みたいね。ちょっと似てるね」
「……そうだね」
「ジェレン」
「……紅は……蓮と呼べばいい」
彼は、目を合わせない。
私が頬を撫でると、蓮は握り締めて離した。
そして私の額に、口付けを一つ落とす。
「必ず、戻るよ」
そう言って、ヴァンパイア達は私の目の前から消えていった。
私は膝を抱えて俯く。
また悲しみの波が押し寄せて、溺れてしまいそうで、助けを乞うように叫びたくなった。
代わりに唇からこぼれ落ちた声は、蓮には届かない。
「……どうして……嘘をつくの?」
記憶が戻っていないのは、嘘だ。彼はもう、記憶を取り戻している。でも記憶がないフリをした。私に嘘をつく。
もう、最後の言葉すら、嘘に思えてしまうくらい、蓮を疑ってしまう。
蓮はもう、戻ってこない。そんな気がしてしまう。
嘘が――――永遠の別れを告げた。
そんな気がしてしまい、悲しみに押し潰される。胸は締め付けられるように痛み、苦しかった。心臓が握り締められているみたいで、胸を押さえ付けた。
もう会えないの? 蓮……。
†◆†
今にも意識が暗闇に消えてしまいそうな中、彼の温もりが私を留めた。
「死ぬな……死ぬな、イリナ」
霞む視界に映るのは、青い瞳の彼。
「俺の血を飲め、飲んでくれ」
私を吸血鬼にしようと、彼が血に濡れた手首を近付けた。それだけはだめだと、私は遮る。
「何故だ……イリナ……。死なないでくれ……オレと生きてくれ」
青い瞳から落ちる涙が、私に降り注ぐ。
嗚呼、叶うならともに生きたい。生きたいけれど、叶わない。
私の涙の代わりに、彼の涙が頬を伝って落ちた。
「人間のまま死なせて……吸血鬼にはしないで……」
吸血鬼にしようとしないで。それだけはだめだ。
だって、私は、私は……吸血鬼にはなれない。ともに永久には生きられない。
叶わない。どんなに貴方を愛していても、貴方の血を、私の血は拒絶する。
私はそういう存在だから。
「生まれ変わったら、また逢いましょう……」
再び、生まれ変わったら、また逢いたい。愛したい。
「……必ず、必ず見付け出す。君を見付け出して、また愛することを誓う。……愛している、イリナ」
彼は両腕で私を抱き締めて、愛を告げてくれた。私も愛している。愛しているわ。
彼の涙が、次から次へと私の頬から落ちていく。
「また逢いましょう……ジェレン」
最期に微笑んだ。
そして愛しい吸血鬼を残して、私は息絶えた。
何度も何度も何度も、愛しい吸血鬼を残して、命を落とした。
ごめんなさい。ジェレン。
私は吸血鬼にはなれない。
永久には生きていけない。
私は生まれ変わることができても――――…永久に生きることは許されない。
ごめんなさい。ジェレン。
何度も死に逝く私を許して。
死を見せる私をどうか許して。
深い悲しみを負わせる私を許して。
貴方を何度も傷付ける私を許して。
ごめんなさい。ジェレン。
私は吸血鬼にはなれないの。
†◆†
「ジェレンっ……!」
掠れた悲鳴を上げて、飛び起きる。いつの間にか、ベッドの上で眠っていた。
今まで息を止めていたみたいに、呼吸が苦しい。顔は驚くほど涙に濡れていた。
わけのわからない夢で、恐怖と悲しみに震える身体を抱き締める。
教えてよ、蓮。この夢はなに?
どうしてこんなにも苦しいの。どうしてこんなにも悲しいの。どうしてこんなにも怖いの。教えてよ、蓮。
問いたくとも、隣に蓮はいない。