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02 事件現場と手掛かり



「ローマに行こう?」


 誰かが私を行ったことのないローマに誘ってくれる。酷く懐かしく、そしていとおしい優しい声。

 陽射しで煌めく青い青い海のような瞳で見つめた彼は、私を優しく抱き締めた。


 †◆†


 朝陽が顔を照らすから、緩やかに夢の中から意識が浮上して目が覚めた。

 朝陽で目覚めるのは好き。だからいつもカーテンは開いたまま。

 ベランダ側に頭を置いて眠ったから、隣のヴァンパイアさんも朝陽を浴びた。クリーム色の髪がキラキラと光っていて綺麗なのに、彼は顔をしかめてクッションを被って遮っている。

 私は起き上がって、彼のためにカーテンを閉めようと手を伸ばした。すると彼が目を開いて見上げてきた。

 忘れかけていたさっきの夢を思い出す。夢の中と同じ青い瞳。でも少し輝きに欠けている。初めて目を会わせた時にあった熱さとは違うけれど、私を見上げるその瞳は今にも眠ってしまいそうなほど穏やかだ。青い瞳に私が映る、ただそれだけで心から安心しているように見えた。


「おはよう、ヴァンパイアさん。まだ眠っていてもいいですよ」


 微笑んだあと、私はカーテンを閉めてヴァンパイアさんの上を越える。薄暗くなった部屋に彼を残して、身支度をして朝食をとる。

母には事件の疲労を理由に学校を休ませてほしいとお願いした。それぐらい許されるはずだろう。

 部屋に戻ると、カーテンが締め切られた部屋のベッドに座って彼は待っていた。

「開けていい?」と訊けば、静かに頷いたのでカーテンを開いて、ドアを開けて朝の空気を入れる。


「今日は学校を休んだの」

「……聞こえた」

「あら、そう……」


 ずいぶん耳がいいらしい。病院の個室の話も耳にしていたし、聴覚が優れていることは確かだろう。


「父も母も家を出掛けるから、そのあと一緒にあの現場に行ってみない? なにか思い出せるかもしれないわ」

「……」


 コクリ、とヴァンパイアさんは頷いた。今日の予定は決まりね。

 早速、支度を始めた。昨日着ていた服に着替えるヴァンパイアさんにはパーカーを貸す。

 両親が出掛けたあと、あの二人の刑事が家に訪ねてきた。

私がなにかを思い出していないかどうか、確認しに来たのだ。当然、私は覚えていないと答える。そしてヴァンパイアさんのことも話さない。

 無愛想な刑事には、もうこの事件は解決できないだろう。吸血鬼が絡んだこの事件。私自身で真相を探るしかない。

 地下の死体は六体だと、刑事から聞いた。

あの地下には吸血鬼が一人と、人間が私を含めて九人。計十人がいたらしい。

 私の頭に浮かぶのは、ヴァンパイアさんと助けた男女の顔だけ。他は思い出せそうにない。


「あの、あの2人は何か思い出しましたか?」

「あなたと同じく、思い出していません」

「そうですか……」


 訊いてみれば、生存者2人も記憶が戻っていないらしい。生存者の共通点も今のところ見付からず、死体の身元は確認中らしい。捜査に進展なし。

少し不機嫌な雰囲気を纏って刑事を見送り、部屋に戻る。


「私以外に噛み付いた覚えるはある?」

「ない」


 考える素振りも見せず、ヴァンパイアさんは答えた。


「2人の生存者にも噛み跡があったから、貴方じゃないとすると少なくとも2人のヴァンパイアもいたことになるわね。私達が拉致され、計10人があの地下で丸焼きにされかけた。……その理由を確かめに行きましょう」


 ヴァンパイアが絡む事件。死人が出ているのに、不謹慎なことに、高揚を覚えていた。

私が笑いかければ、彼は頷いて立ち上がる。


 家から現場までは電車で移動しなければならないほど離れていた。だから高校生の私は、ヴァンパイアさんの分も切符を買って一緒に電車に乗る。

 私と彼は向き合うように窓を背にして両端の座席に座る。平日の昼前で車内は空いていたけれど、彼をヴァンパイアさんと呼ぶことに気が引けた。

私だって人間さんと呼ばれたら気まずい。

他の呼び名を考えようとしたら、彼の胸に目が留まる。黒いパーカーの真ん中には、睡蓮が光を纏うように描かれていた。

窓を背にした彼の髪が似たような色で、そっくりだと思えて笑ってしまう。

 ぼんやりと車内を見ていた彼は、不思議そうに私を見た。


「レン」


 私は彼の胸元を指差す。


「レンって呼んでいいかしら。貴方の髪はその睡蓮みたいな色だから。睡蓮の蓮」


 本当の名前を思い出すまでの仮の名前。そのはずなのに、妙なことにしっくりする気がする。

 彼は目を見開いた。呼び名をつけられたことが不快だったのかと思ったけど、彼は首を傾げる。


「……うん……」


 やがて頷いた彼の顔は、気のせいかちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。嬉しそうに見えた気がする。

ぼんやりとした無表情ばかりの彼が、初めて柔らかい表情を浮かべた。


「蓮。こっちに座りなよ」


 私は隣を叩いて招く。柔らかい表情のまま彼は私の隣に移動した。


「整理してみましょう。私は学校の帰りに拉致された、そのあとあの地下で貴方に噛まれた。でも貴方は怪我を負い、一緒に気を失っていて、丸焼きにされかけた」


 私を見つめて蓮は黙って聞く。


「私達を拉致したのは誰か。貴方に怪我を負わせたのは誰か。放火したのは誰か」


 誰かの目的は何だったのか。


「貴方に怪我を負わせたのは、私達を助けた誰かかも知れないけど。警察が調べていても名乗りでないならきっと悪いことをした人でしょうね」


 憶測ならいくらでも思い付くけれど、憶測は必要ない。必要なのは真実だ。


「もっと情報が必要だから、現場でなにかを思い出さないとね。頑張りましょう」


 蓮に笑いかければ、また静かに頷いた。

 彼の怪我で思い出す。刑事らしくない結崎刑事が言っていた妙なこと。


「……蓮、貴方、杭を背中に刺されたの?」

「……わからない」

「そう……」


 結崎刑事は背中に杭が刺さった男について訊いた。血に濡れた杭でも、現場に残っていたのだろうか。

現場に証拠品は期待できない。頼りは自分の記憶のみ。

 深呼吸をしてから、私は目的地の駅を降りた。

 拉致された時は、恐らく車で運ばれただろう。駅から離れた現場は、黄色いテープが巻き付けられていた。廃墟と化した建物は、元はバッティングセンターだったらしく、焦げた看板がかろうじて残っている。

閉店した建物が多く目に留まる通りは、閑散としている。犯罪をするには持ってこいね。


「覚えがある?」

「……ない」

「私も。煙を吹いているところしか記憶にないわ」


 蓮を背負って出た時の記憶しか思い出せない。凝視しても無理そうだ。

 私は足元を見た。蓮と初めて目を合わせたあの瞬間は、鮮明に覚えている。


「ねぇ、蓮」


 彼に目を向けた。


「私をリディアと呼んだことは覚えている?」


 問うと彼は止まる。まるで呼吸すらも止めてしまったように、固まってしまった。

やがて瞬くと首を横に振る。覚えていないらしい。


「……リディア」


 顔を背けると、蓮はその名を口にする。不思議そうに首を傾げる様子からして、覚えはあるみたいだ。


「……とりあえず、中に入りましょう」


 キーホルダー付きのペンライトを取り出して、私は黄色いテープを潜る。

煤だらけの地下の階段を降りていく。

 まだ焦げた臭いがした。地下でその臭いが充満しているみたいだ。足元は湿っている。棚だったであろう黒焦げの残骸が幾つかあるが、それだけ。

 ここを見回しても何かを思い出せそうにない。何かが過ることも、掠れることもなかった。

 もしかしたら、私は拉致されてから炎の中で目が覚めるまで、ずっと気を失っていたのかもしれない。

それなら唯一頼りだった自分の記憶が宛にならない。来た意味がないと落胆した。


「いっっけなぁいんだぁ」

「!!」


 真後ろから声が上がって、私は震え上がる。振り返ってライトを当てれば、ニヤニヤと笑みを浮かべる結崎刑事がいた。


「これはれっきとした不法侵入だ、逮捕しないと」



 不法侵入している最中に刑事と鉢合わせ。見張りもいないから、完全に油断してしまった。

 怒られることを心配するよりも、蓮が先だ。見たところ、視界に蓮はいない。結崎刑事は私だけを見ているから、蓮が一緒にいることは気付いていないと思う。

 ライトを振り回して探してはいけないと、自分に言い聞かせた。蓮の容姿は話してしまっているから、蓮が刑事と会うのはまずい。上手く隠れたことを祈る。


「結崎刑事、ごめんなさい。いけないことだとはわかっていますが、弁解をさせてください。なくしたものを探しにきただけなのです。どうか、見逃してください」

「へぇ、なになくしたの?」

「鮫牙のネックレスです。他の刑事さんに訊いたら、証拠品にはないと言うのでここにあると思いまして」


 笑みを繕って、愛想よく話してみる。足元にペンライトを当てると、消火作業のせいで出来た水溜まりに天井が映った。悲鳴を上げてしまいそうになり、結崎刑事に背を向けてぐっと堪える。

 蓮を見付けてしまった。蓮は天井にいる。一瞬だったが、微かに蓮が見えた。

ホラー映画好きでも、流石に怖くて悲鳴を上げてしまうところだ。天井に吸血鬼だもの。


「燃えてしまったのでしょうかね……。本当に申し訳ありません。とりあえず、出ましょう」


 ここを出ようとしたら、結崎刑事に腕を掴まれて止められた。


「なにか……思い出した?」


 私の顔を覗き込んだけれど、ライトを当てられないからよく見えない。でも冷ややかな空気を感じる。


「思い出してたら……話しています。残念ながら、もう一度来ても何も思い出せません」

「……だよな」


 結崎刑事の目がどこにあるのかもわからずに笑って言うと、彼に腕を引かれて外まで連れていかれた。

 新鮮な空気を吸い込む。すると結崎刑事は、私の腕を掴んだまま歩き出した。


「あの……警察署に連れていくつもりですか?」

「んーや。反省しているみたいだから、今回だけは見逃してあげる。このまま家まで送るよ」

「いえ、そんな……気を遣わなくとも」


 結崎刑事の手を振り払おうとしたけれど、結構がっちり握っていて放してくれない。


「優等生である君が、学校を休んでまで立ち入り禁止の現場に入ったんだ。どうせ人生が後悔に埋もれないように、思い出そうとして来たんだろう?」


 振り返って顔を近付けた結崎刑事が、また冷ややかな空気を作り出す。考えていることはお見通しだ、と言わんばかりの冷たい笑みだ。


「死にかけた理由とその犯人を、わからないままにしないと思った」


 私が行動に出ると、病院の会話で予想したらしい。目敏い刑事だ。無愛想な刑事達とは違う。

 結崎刑事はにっこりと笑みを深めると、私に手帳を突き付けた。それには2つの人物の名前と住所がかかれている。2つの名前には見覚えがあった。


「生存者2人の住所、ですか?」

「これから2人を当たってみるべきだ。2人は思い出しているかもしれない。一緒に行こう?」

「……」


 生存者2人の元を訪ねる。それは嬉しい誘いに思えた。私の記憶は頼りにならないから、他の生存者に訊きたい。

 まだ地下にいるであろう蓮が気掛かりだけど、なんとかすると信じて、私は手掛かりを集めに行こう。


「はい……」

「決まり!」


 はしゃいだ様子で歩き出す結崎刑事にまた腕を引かれた。本当に刑事らしくない人だ。まぁ、人間味がある方がいい。

 この会話を聞いて蓮が臨機応変に動きますように。


 結崎刑事に連れてこられた先は、駐車場。黒いバンの助手席側のドアを開いて、結崎刑事は私が乗ることを待つ。


「刑事、らしくない、車ですね」

「相棒が別行動で使ってるんだ。別にいいじゃん、車なんてなんだって」

「……」


 笑いかける結崎刑事から、短いボンネットの箱形の自動車を見る。刑事だからといって、信用することはよくないと思える怪しい車。妙な感じがするけど、結崎刑事相手に危機感は覚えない。

 車には乗りたくないけど、結崎刑事は信用できるはずだと言い聞かせて、私は乗り込んだ。


「……」


 すぐに車内に漂う香りが鼻をくすぐった。どこかで嗅いだことのある匂いだ。表現が難しい、何かの香り。


「あ、アイス食べる?」

「え? いえ」

「なにが好き? チョコ?」

「チョコは好きですが」

「待ってて」

「あっ……」


 運転席の窓から顔を出した結崎刑事は、駐車場から見える小さなクレープ屋さんに駆けていってしまった。それを見送るしかできなかった私は、座席に鼻を近付けて嗅ぐ。

 胸の中を掻き乱すような匂いだ。花と草を混ぜたような甘さと苦味がある香り。懐かしいようにも感じるけれど、なにより嫌なものに思えた。

 ふと、結崎刑事が運転席に投げ入れた手帳が目に留まる。なんとなく手に取り開くと、絵を見付けた。ボールペンで描かれたのは、女の子の顔だ。とても上手い。それは多分……私だ。

 きっと病院で私に質問している間に、シャッシャッとペンを走らせて描いていたんだろう。あんな会話をしながら、私の絵を描いていたのか。


「……」


 クレープ屋から戻ってくる結崎刑事に気付いて、私は元の場所に手帳を戻す。


「はい、どーぞ。紅ちゃん」


 右手に持つチョコのアイスを私に差し出すから受け取ると、結崎刑事は運転席に座った。

 コーンに乗ったチョコのアイス。買ってもらってしまったのなら仕方ない。食べよう。


「……いただきます」


 ペロリと舐めると、冷たい。


「……さっきの手帳を見せてもらえます? 私のことについて、どんなことが書かれているか気になって」

「ん? んー」


 手帳を手にした結崎刑事は、私と交互に見るとやがて茶目っ気のある笑みを向けた。


「だぁめ」


 手帳を胸ポケットにしまって、アイスを食べ始める。


「君のことは学校でも聞いたから知ってるよ。昨日は登校したのに、今日はサボったんでしょ? いい子だって皆言ってたのに、悪い子だなぁ。学校でのあだ名は、くぅちゃん。可愛いな、俺もくぅちゃんって呼んでい?」


 ご機嫌な様子で結崎刑事は、聞き込みの結果を話す。それを横目で眺めた私はただ、お好きなように、と答えた。


「あの、ところで……これは香水でしょうか?」


 この妙な香りの正体を問う。


「ん? 俺の香水はこれだけど」


 結崎刑事が私の方に身を乗り出し、自分の首を近付けた。そこに香水をつけたのだと思う。普通は首を突き出さない。一種のアピール。さっきの絵といい、アイスといい、確信した。彼は私に気がある。

 太い首から香るのは、香水らしい甘く着飾った香り。主張するようにツンと鼻の中を突き刺す。私が質問した香りとは違う。


「……」

「……」

「……違います」


 香水の匂いを嗅ぎ終えたのに、結崎刑事はその体勢のまま私を見つめている。離れてくれないかと、目で伝えた。


「紅ちゃん。可愛いよね。なんで恋人いないの?」

「ふふ。離れてくれないと猥褻罪で訴えますよ」


 交際相手がいないことまで調べ済みの結崎刑事に、軽くあしらうように笑って見せる。

私はどうも、向けられる好意をあしらうのが癖だ。


「あはは、照れ屋だなぁ」


 結崎刑事は身を引くとアイスにかぶり付く。


「すみません、窓を開けてもいいですか? この香り……苦手みたいで」

「……紅ちゃん、嗅覚でも鋭いの? 俺、何の匂いかもわかんないんだけど」


 両方の窓を開けてくれた。私は顔を出して外の空気を吸い込んだ。


「嗅ぎ慣れてしまった香りじゃないですか? 染み付いているようなので。私、タクシーの臭いが苦手で酔っちゃうんです」

「あー、タクシーならわかる。……もしかして、これ?」


 共感してくれた結崎刑事が、私の肩をつつくから振り返る。結崎刑事の手には10センチほどの小瓶があり、透明な液体があった。その液体が放つ香りは濃厚で、ガツンと殴られたように強烈。

「ゲホッ!」と噎せて、香りから逃げるように窓に顔を突き出す。


「ああ、ごめんごめん。これいい香りだと思うのに」


 結崎刑事は言いながら私の背中を撫でる。

 呼吸を整えようとしながら、私は目を閉じた。何かが脳裏に浮かびそうだ。遠い昔、怖い思いをしたことを思い出してしまうみたいに、気分が悪くなった。

 でも脳裏に浮かんだのは、一面の花だ。ジャングルの中に、隙間がないくらい数多くの赤を纏う白い花が咲き誇る。美しいはずなのに、想像するだけで悪寒が走った。


「待ってて。水買ってくる」

「いえ、もう……大丈夫です」


 想像を振り払って深呼吸をして落ち着けたので、バンを降りようとした結崎刑事を止める。水は鞄に入っているから、取り出して見せた。


「はぁ……それで、どっちから行くのですか?」

「まぁまぁ、アイス食べてからね」


 アイスで喉を冷やす。結崎刑事はもう小瓶をしまってくれた。


「アロマか、なにかですか?」

「アロマだよ」


 食べながら、話す。アロマ、ね。嫌な香り。

コーンまで食べ終えたら、生存者2人の元に車を走らせてもらった。

 最初に向かったのは男の方。パッとしない感じのサラリーマン。名前は加田修三(かたしゅうぞう)。アパートで1人暮らし。


「あ……安達さん……」

「どうも、加田さん」

「ども。刑事だけど、なにか思い出したことない?」


 出てくるなり名前を呼ばれたから、にこりと笑いかける。加田さんは眼鏡をかけていて、そして猫背で痩せ型。見た目からして性格は暗い方だと言う印象を抱く。ドアにしがみつき、中に入れようとしていない様子からして、部屋に入れるつもりはないと思う。事件に巻き込まれたあとなら、当然の反応ね。

加田さんもやっぱりなにも覚えていないそうだ。

 次は女の人の方。川島(かわしま)あいこさん。

高校生の私も小柄な方だけど、成人を迎えたであろう彼女の方が小さい。彼女はマンションで友達と同居しているそうだ。


「あ、安達さん……。あの時は本当にありがとうございます……」


 ペコリと頭を下げる彼女は、何度目かの礼を言う。年上とは思えない弱々しく可愛い声。守ってあげたいタイプだ。そんな川島さんはしがみつくようにドアの影にいる。なんだか結崎刑事に人見知りしているように思えた。


「もういいですよ……あの事件でのことで、なにか思い出していませんか?」


 川島さんは眉毛を下げて首を横に振った。2人も思い出していない。現場に戻ったことも無駄足だった。

 結崎刑事のバンに戻り、私は溜め息をつく。


「捜査は全然進んでいないのですね?」

「うん、まーね」

「結崎刑事って、仕事に情熱ないのですね」

「そう? 俺は仕事を熱心にやるタイプだけど」

「嘘だぁ」

「ほんとほんと、熱心すぎて仲間に引かれちゃうくらいだよ」


 私をつれ回したり、聞き込みの仕方からして熱心さは微塵も感じられない。彼の冗談に笑ってしまい、結崎刑事も笑う。

 そのまま結崎刑事は私の家まで車で送ってくれた。


「じゃあくぅちゃん。なにか思い出したり、リフレッシュしたくなった時に、電話してね」


 バンから降りると、運転席から結崎刑事が私にウィンク。それを笑ってあしらう。


「あ、結崎刑事。質問が」

「恋人ならいないよ。デートはいつでも歓迎」

「あはは。……あの、病院で……ほら、杭の背中に刺さった男について話したじゃないですか」


 気になる発言の意味を訊いておいた。


「ああ、それね。血に濡れた杭が現場にあったんだ。他の遺体の傷とは一致しないから、君が見た男に刺さってて、君が抜いたのかと思ってね」

「……ああ……そうでしたか」


 予想通り、現場に杭が残っていたのか。それなら納得だ。

 身を引いて家の中に戻ろうとしたら、結崎刑事がエンジンを止めた。


「君は頭がいいから、真相に辿り着けそうだね。辿り着いたら電話して、紅ちゃん」


 静まり返った車内から、結崎刑事は告げる。まるでほくそえむようだった。

 静寂を切りつけるように、エンジンをかけられる。彼は満足そうに笑いかけて車で走り去った。

 見送った私は、収穫がなかったことに疲れを感じてため息をつく。結崎刑事のアプローチも、ちょっと困った。今まで同級生や先輩のアプローチを避けて告白されないようにしてきたから、慣れているつもりだったけど、あんな歳上のアプローチは初めてだ。疲れたな。


「はぁ……蓮はどこだろう」

「……ここ」


 悲鳴を上げかける。

一人言のつもりが、背後には音もなく気配もなくそこに蓮が立っていた。全く心臓に悪いにも程がある。


「どこにいたの?」

「……君の近く」

「えっ、ずっと?」


 コクリ、と蓮は頷く。

結崎刑事が振り回されている間、蓮もついてきていたらしい。どうやったのかと想像できなくって、顔を歪めた。


「私が刑事を引き付けてる間に、現場を調べてなにかを思い出そうとか……しなかったの?」

「……しなかった。君が心配で」


 蓮の収穫を期待したのに、それもだめだった。残念だわ。まぁ、心配してくれたなら、なにも言えない。


「結局、なにもわからなかったし、思い出せなかったな……」


 蓮と一緒に玄関から入り、ため息をつきながら階段を上がる。部屋について、ベッドに倒れ込んだ。


「……昨日より……疲れた」


 立ち入り禁止の現場に乗り込んで、刑事についていったのに、収穫はゼロ。


「あれ、でも……二人とも、大人しくて力があまりない……そういうタイプが狙われたのかも」


 会いに行った加田さんと川島さんが、半開きにしたドアにしがみついていたことを思い出して顔を上げる。手掛かりになるかもしれない。


「ああ……私は違うじゃない……」


 またベッドに顔を埋める。私は一見明るいと印象を与える容姿だ。タイプに当てはまらない。そもそも狙われたタイプがわかったところで、高校生の私にはどうしようもできないだろう。


「……紅」


 ベッドのそばで膝をついた蓮が、囁くように私に声をかけて頭を撫でてくれた。それはまるで疲れを拭うように優しい。


「ごめんなさい……貴方の記憶も何一つ思い出せなかったみたいね……」


 蓮は記憶をなくしたままだ。私よりも記憶を欲しているはずなのに、私が気遣われている。


「……紅はやはり、自分より他人を考えている」

「……違うわ。きっと貴方が私を気遣うから、私が貴方を気遣っているだけ」


 ぼんやりしている蓮が、自分の記憶の心配をしているように見えない。だから私が代わりに彼の記憶を心配する。ただそれだけ。


「どうして自分の評価を下げるんだ?」


 それを過小評価に思える蓮は、撫でながら問う。


「……結崎刑事に、偽善とか英雄願望って言われたせいかな……。なんだか……人を助けることは偽善なことに思えてしまうから」

「偽善ではない」


 否定してくれるけれど、私はそうは思えない。


「……もしかしたら、病院で言われたことは図星でむきになって反論したのかも……」


 目を閉じて思い返したら、そう感じた。


「ただ、助けたかっただけなのに……」


 責められたようで、気分が悪くなった。

 私がそのまま眠りについたから、蓮は何も言わなかった。


 †◆†


 夢を見た。

路地に横たわった黒髪の男性に向かって私は言う。


「どうか、どうか、生き延びて。逃げて、ダリウス。貴方のせいではないわ」


 救おうとした彼は、生き延びただろうか。私の言葉は届いたのだろうか。


 †◆†


 その夜、私は目を覚ました。

微かに呻き声が聞こえて、私はクッションを退かす。その向こうに苦しそうに歪んだ蓮の顔があった。悪夢に魘されているみたいだ。

起こしてあげようと手を伸ばそうとすれば、蓮が飛び起きた。

 呼吸は乱して大きく肩を揺らしている蓮は、薄暗い中でも怯えていることがわかる。


「……っ!」


 起き上がった私を見るなり蓮は、泣いてしまいそうな顔になった。それから私を抱き締めた。


「すまないっ! すまないっ! 俺がっ……俺が君を傷付けるなんてっ!」


 掠れた声は震えながらも必死に謝る。きつく抱き締める両腕も震えていた。


「すまないっ……すまないっ……」


 私は何も言えない。抱き締められたその感触に、言葉が出なかった。

 前に抱えられた時とは違う。触れる箇所が熱くて、痺れていくように感じる。

呆然としている間に、私はベッドに押し倒された。


「すまない……紅」


 私の目には、覆い被さるように上にいる蓮の顔が見えない。けれどもその声は、胸に痛みを感じるほど悲しみを帯びていた。

 蓮の右手が私の首筋に当てられる。ああ、噛んだことを謝っていたのか、と今更理解した。

 私の首に手を置いたまま、蓮が私の肩に凭れる。そのまま気を失うように、眠りに落ちたらしい。

 悪夢で寝惚けていたのだろうか。そっと蓮を動かして顔を覗くと、目元に涙があった。親指でそれを拭ったあと、その手で頭を撫でる。


「私は大丈夫よ……蓮」


 囁いて言うけれど、彼には届いていないだろう。でも悪夢はきっともう見ない。蓮の落ち着いた呼吸を肩に感じたまま、私はもう一度目を閉じた。





20150112

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