19 もう捜さない
逃げるべきだと判断したけれど、腕を掴まれてしまう。
「くっれないちゃーん。こんなところで、なにしてるの? どうやって俺を見付け出したわけ?」
「っ、偶然です」
「へぇ? じゃあこの再会は運命だね」
軽い言葉を口にするけれど、遊佐は私の腕をきつく握り締めて放さない。もう片方の手は、黒のジャケットに添えられていた。ヴァンパイアを警戒している。襲撃だと思っているみたいだ。
「……私は一人で、遊びに来ただけです」
「へぇ? あんな電話の矢先だから、交渉には使えないって奴らに捨てられちゃって、探しに来たんじゃないの?」
私がジェレンに利用されているだけだと思っている遊佐は、そう言いながら周りを気にしている。昨夜、ダニエルに襲われたことを怒鳴ったばかりだった。そして私の愛するジェレン達を傷付けないでと頼んだばかり。なんでそう、ジェレン達を冷たいヴァンパイアだと思い込んでいるのか。私にはわからない。
「放してください」
「ここで会えたのも運命。もう放さない」
「私は彼のものです」
にこりとうわべだけ笑いかける遊佐に、はっきりと答えた。
すると、遊佐の表情が歪んだ。傷付いた表情が、一瞬だけ。私は顔を背けた。
「……そのうち、ズタボロに捨てられるぞ」
遊佐が私の耳に吹き掛けた声は、あまりにも冷たい。
「こっち行こう」
喧嘩相手が呻く声を耳にして、遊佐は私の手を引いて路地裏を出た。
どうしよう。ヴァシリスがいるのに……。ヴァシリスなら冷静に様子を見るはず。顔がバレていないほど慎重みたいだし、今はヴァンパイアハンターと戦うような事態を避ける。私は早く解放してもらうことだけを考えればいい。
「……他のヴァンパイアを追っているのでは?」
「なんでそう思うの」
「あなたは仕事熱心なのでしょ? 罠に乱入したヴァンパイア達を追っていたとばかり思ってました」
遊佐の罠からジェレン達を救ったヴァンパイア達は、海外に行くと言っていた。ジェレン達以外を狙うなら、彼らを追うはず。でも遊佐は、なにも言わない。動きを知られないためか。
「ダニエルは……生きてましたよね?」
「あーまぁね。なぁんか、失敗したって報告するだけで、ずっと落ち込んでる」
「……」
「なーにしたの? くぅちゃん」
捩じ伏せて、命を救っただけ。私は答えない。話したいようなことではない。
私が黙っていると、遊佐は見つめてきた。なにか言いたげな眼差し。
人が多く行き合う通りの中で、遊佐は手を差し出した。
「……チャンスは、これで最後かもしれないぞ」
遊佐の救いの手。
どうしてここまで、ヴァンパイアを信じないのか。私にはわからないし、きっと教えてくれないし、知ることは出来ないのだろう。
「約束を守ってください、遊佐さん」
私はそれで返事を済ます。遊佐には約束さえ守ってもらえればいい。
私を想ってくれる遊佐が、また辛そうに顔を歪めた。けれど、なにも言わずに歩き去る。夕日に滲む人込みの中に消えていく背中を見送った。
彼とはもう二度と会わない方がいい。
私とも、ジェレン達とも。二度と。
「……懲りない男だな」
「ヴァシリス……」
すぐ隣にいつの間にか佇んでいたヴァシリスが、横目を向けている。
「ハンターが近くにいるなら手短に済まそう。行くぞ」
「あ、うん……」
慎重なヴァシリスなら、ハンターを見掛けただけで中止するかと思ったから意外。私の手を引いて、例のビルに侵入した。
陽が暮れて、薄暗くなったビルの中を歩いていく。
持ち主がコレクターなのか、エンストラスホールには、ずらりと絵が並んでいた。見付けたのか、ヴァシリスは私の手を握ったまま歩調を早める。
目の前で止まった絵には――――私が描かれていた。
正しくは、別の私。
けれども、自分に似ていると感じた。強さも描かれた瞳が、鏡を見ているような錯覚を抱かせる。
少し焼けた肌。黒髪で、黒い瞳の少女。白いワンピースを身に纏い、椅子に座っているだけれど、存在感があり、美しかった。
これが、アネモア。唯一の過去の私の姿を写した絵。
ヴァシリスは、その場に崩れ落ちる。
「ヴァシリス……?」
「アネモアには……オレが知る全てを教えた。天才故に退屈で苦しんでいた……だから、成人を……迎えたら、世界を見せてやろうと思っていたのに……」
ヴァシリスの声は震えていて、私は顔を覗けなかった。絵を見上げるヴァシリスの後ろ姿を、見ているしか出来なかった。
「人間の生は少しずつ、あっという間に成長する。その時間が愛しく思えた。なのに――――……アネモアはたった10年で、殺されたッ……」
絵に、ヴァシリスの手が伸ばされる。
けれども、求めるものには、触れられないから、握り締めた。
愛したアネモアを奪われたヴァシリスの悲しみ。彼女を描いた唯一の絵を見て、溢れて止まらないのだろう。
顔を見ていなくとも、涙を流していることはわかった。でも、手を伸ばせない。悲しませたのは、私なのだから。
「……アネモアは、言った。自分は自分に執着できないが、同じ魂だから、また愛してほしいと――――…」
――思い出した。
私の涙が、溢れて落ちる。
限りある時間しか共にいれないから、アネモアはヴァシリスに告げたのだ。
その時、ヴァシリスは露骨に嫌な顔をした。
ヴァシリスが愛情を注いだのは、アネモアだ。愛したのは、アネモアだけだから。
でも、だからこそ、アネモアは告げた。
だって、もうアネモアには時間がなかったからだ。また同じ時間を過ごしたいからこそ、未来で会ってほしいからこそ、アネモアは告げた。
「オレはっ……ラティーシャを愛せなかった……。リディアとは打ち解けた……。だが、また死んだ」
チクリ、と突き刺さる。
ジェレンのように、再び出逢った私を深く愛せはしない。簡単なことではない。でも、愛せたとしても、また亡くす。私は死んでしまう。
「オレはもう――――お前を捜さない」
ヴァシリスは告げた。
震えたその声で。
「二度と死ぬな。紅であることに執着しろ! その命、誰にもくれてやるな! 死ぬことは許さん! 何がなんでもその生にしがみつけ! もうオレ達に捜させるなっ!」
また死んで、また生まれ変わるな。諦めるな。
声を上げるヴァシリスが、涙で見えなくなった。
捜させるな、と誰よりも強く私に言う。こんな風に私に言えるのは、ヴァシリスだけだ。
「紅であることに執着しろ! 握り締めて放すな! なにが起きようとも!!」
求めるアネモアに触れられないヴァシリスの手に触れて、私は背中に凭れた。
「アネモアはっ……誰よりも長くあなた達と居られた自分に執着していたからっ……自分の心臓を潰されないように守った! アネモアは自分を手放さないように握り締めてた! 貴方との思い出が奪われないように!」
アネモアに注がれたヴァシリスの愛が思い浮かんで、涙が止まらない。
「貴方に育てられたアネモアでありたかった! 叶わないからっ……最期は戦ったっ……!」
一人で立ち向かい、自分の心臓を守った。
ヴァシリス達を守り、未来で会うことだけを願い、死んだ。
「ごめんなさいっ、ヴァシリス」
「っ……もう、いい……もういいっ……」
ヴァシリスは、私の手を胸の前で握り締めた。
「守れなくて……すまないっ、すまないっ……アネモア」
握ったまま、ヴァシリスは泣き崩れる。
一度も私と顔を合わせないヴァシリスの手を握り返し、私も泣いた。
ヴァシリスと過ごした思い出が、溢れて止まらない。
「……ヴァシリス……また、教えて」
ずいぶん経ってから、私はそう頼む。アネモアにヴァシリスの知識を注いだように、もう一度。
「……今度は、忘れるなよ」
涙を拭き取って振り返ったヴァシリスは、笑った。
私が吸血鬼になれる方法があるかどうか、確証はない。でも、その希望があるとだけ、信じたい。
忘れない。
皆とともに生きる方法を、見付けるから。
私とヴァシリスは、アネモアの絵を残し、その場をあとにした。
20151030




