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18 愛娘の絵


 イリナよりも、カルメンよりも。アネモアはとても長く、ジェレン達と居られた。

 アネモアであることに執着はしない。なににも執着はしていけない。

 そうすれば、またいつか、ジェレンが見付けてくれる。

 例え、いつか彼が――…愛の記憶を語ることを止めてしまおうとも。

 貴様が殺しに来ることぐらい、わかっていた。カルメンを殺したように、また心臓を抉り出したいのだろう。

 だがな。


「この心臓は、くれてはやらん」


 お前に何度殺されようとも、アネモアの心臓は奪わせない。


 ◆†◆


「紅」


 ヴァシリスの声に、ビクリと震えながらも目覚めた。

 冷や汗が出ていて、電車の冷房で気持ち悪さを感じる。

 鞄からハンカチを取り出そうとしたけれど、先にヴァシリスが差し出してくれた。首周りを拭いてから、額に当てて俯く。


「……魘されていたな。アネモアの夢か?」

「……うん」


 夢の内容を思い出そうとしたけれど、酷く黒いもやに包まれているように見えなかった。はっきりしたのは、アネモアの声だけ。


「……どのぐらい、アネモアの記憶を思い出せたんだ?」


 ヴァシリスに目をやれば、鋭いままの眼差しで答えを待っている。


「……ほんの少しだけ。あなたと再会する前に、夢の中で貴方を見たわ。アネモアの記憶の中で」

「……アネモアが来世にメッセージを残した記憶か」

「そう……それ」


 ヴァシリスも覚えているらしい。

 今までジェレンの口から語ってもらって、その記憶だけ思い出していた。

 アネモアはいつかジェレンが語ることを止めてしまった時、自力で思い出せるように水面に向かって語った。

 ヴァンパイアに成れない事実を、知るために。


「ヴァシリスはずっと知っていたの?」


 私が、ヴァシリスに成れないこと。


「カルメンが死んだあとから、薄々気付いていたが、アネモアが話してくれた」

「……どうして、黙っていたの?」


 ヴァシリスは顔を上げて、広告が並ぶ天井を眺めた。


「お前に会い続けるためには、黙っておくべきだと判断した。例えアネモアという名ではなくとも……同じ魂だ」


 ジェレン達に、会い続けさせた。再び会うために。希望を奪うような事実は隠した。


「カルメンの記憶は思い出せないんだったな。ならば教えてやろう。目的地までまだ時間はある」


 足を組む直すと、ヴァシリスは話し始める。


「オレはジェレンがイリナと出会う前からの友人。ジェレンに助けられた借りもあり、イリナの生まれ変わりを捜す手伝いをすることにした。ジェレンとともに行動する方が生きやすかった。なにより、万が一、鬼殺しの血がヴァンパイア殲滅に使われることを阻止するためだった。正直、当時はカルメンがどうなろうが、関心も興味もなかった」


 ジェレンの愛する人を守るため。危険な存在を見張るため。自分が生き残るために、ジェレンについてきた。


「アネモアの両親が病死して、育てることになった時も、バカらしいと呆れた。愛する女だというのに、赤子から育てるなんて……」


 アスワングに襲われる直前、アネモアが生まれる前の段階で見付けて救った。だから両親が病死して、身寄りもなかったアネモアを、ジェレン達が引き取って育てくれた。


「前代未聞よね」


 愛する恋人に育てられたなんて、きっと私だけ。


「女に対する愛情が、娘に対する愛情にすり変わったら、ほら見ろと笑ってやろうと思ったが……。娘に対する愛情を、抱いたのはオレの方だった」


 ヴァシリスの横顔に、柔らかい笑みが浮かんだ。


「アネモアを、娘として愛して育てた……」


 とてもいとおしげで、優しい声。けれども、ヴァシリスの顔は曇り、俯いた。


「……そして、亡くした」


 記憶の中のアネモアの声が、響く。この心臓はくれてはやらん、と。

ヴァシリスと口調がよく似たその声が、恐らくアネモアの最期の声。


「……心臓を、奪われて、殺されたのよね?」

「ああ。カルメンも、ラティーシャも、胸を貫かれて抉り出されたようだ。人間の仕業ではないと一目瞭然だった」


 淡々と情報を話したあと、微かにヴァシリスの眉が寄った。


「どうしたの?」

「……いや。カルメンも、アネモアも……自分から離れたんだ。オレ達から」

「……」

「カルメンは気まぐれな女でしょっちゅうフラリといなくなっていた。アネモアは悪党の狩りすぎでハンターが迫っていたからオレ達を遠出させた。あの時代、ハンターが複数のヴァンパイアに攻撃を仕掛けることなどなかったが、故に全員で行動しろと説得した」


 私に鋭い両目を向ける。


「カルメンも、アネモアも、知っていたのか。殺されることを」


 また、冷たさに陥った。

ヴァシリスに答えることは、胸が苦しくて辛かったけれど、私は頷く。


「アネモアは……予感していた……」

「……どっちなんだ」


 感情を抑えた声で、ヴァシリスは問い詰めてきた。


「オレ達を遠ざけたのは……オレ達を守るためか? オレ達ではお前を守れないと判断したからか?」

「守りたかったからに決まっているでしょっ」


 車内で大声を出しかけたけれど、堪えて、でも強く告げる。

私を見つめ返すヴァシリスは、辛そうだった。


「……アネモアらしい。アイツは……なにも、なにひとつ、執着しなかった。自分自身にさえも。なによりも優れていた自分を守ることをせず、来世の自分のことだけを考えていた……」


 座席にヴァシリスの爪は深く食い込んだ。

 なにひとつ、執着しなかったアネモア。違う、執着しても無意味と判断したから、しないようにしていただけ。


「執着できなかった、だけ……」

「それが幾度も生まれ変わるお前の定め……。物に執着しなかったお前の代わりに、オレ達が執着した。リナリはカルメンの宝石、ディーンはラティーシャのヴァイオリンケース。オレは……」


 一度、言葉を止めてから、ヴァシリスはリナリに渡されたカードを私に見せる。


「アネモアの絵だ。一度、画家に描かせた。唯一、お前の姿を写したものだ。所有していたが、戦争中に盗まれて行方知らずだった。運よく情報を掴み、アスワングの行動を見張るためでもあったが、絵を取り返すために日本に留まっていたんだ」


 カードに書かれた住所に、アネモアの絵があるらしい。今までの私の写真なんて当然ない。アネモアだけ。アネモアの絵だけが、この世に残っている。


「……じゃあ、今から取り返すために行くの?」

「いや。それは問題を解決してからだ。オレは……紅、お前とともに見たいんだ。アネモアの絵を、一緒に見てほしい」


 真っ直ぐに私を見て告げた。私と、絵が見たいだけ。

 ジェレンはどの名の私も、変わらない深い愛をくれた。でもヴァシリスは、カルメンのことも、ラティーシャのことも、好いてはいなかった。リディアは少し受け入れてくれて、今の私のことも……。

 ヴァシリスのことだから、なにか考えがあるのだろう。私は静かに頷いた。過去の自分を見に行くなんて、妙な気分でもある。


「……そう言えば」


 また広告を無意味に眺め始めたヴァシリスは、ポツリと漏らす。


「カルメンとラティーシャの心臓は握り潰されていたが……」


 私の脳裏に、映像が浮かんだけれど、黒に塗り潰されてなにも見えなかった。


「アネモアは……己の心臓を抱くように死んでいた」


 この心臓は、くれてはやらん。

 またアネモアの声が、響く。自分の心臓を守ったアネモアのことを、絵を見たらもっと思い出せるだろうか。

 胸の上に手を当てて、自分の鼓動を確かめながら、ヴァシリスとともに電車に揺られた。



 アネモアの絵があるのは、とある企業のオフィス。休日だから、人はいないという。

ヴァシリスがすぐに向かうとわかっていて、このタイミングで渡したのか。リナリか、または予知夢を見るヴェイドの判断なのか。

 その企業はそこそこ大きく、オフィスも高いビルだった。その中に飾られているらしい。周りも高いビルが並び、車は頻繁に行き交う。近くにはゲームセンターや衣服店が並ぶ通りがあるから、休日を楽しむ若者達も目に入った。


「ここで待っていろ。セキュリティを確認してくる。……動くなよ」


 その通りの裏路地に、ヴァシリスは私を連れ込むと、ハットを深く被らせる。

 このハットはいつ買ったのだろうか。手慣れた様子でセキュリティを確認するヴァシリスに、苦笑を溢しつつ動かないことを約束した。

 一人、裏路地に立ち尽す。通りからは、若者達の賑やかな声が聞こえる。ゲーセンや、店のBGMも、聞こえた。目を閉じて、アネモアの顔を思い出してみる。水面に映った少女。

 ふと、喧嘩をしているような声を耳にする。肩がぶつかったとかで、喚いていた。くだらないと思っていれば、こっちに移動してくるのが見えて、私は建物の隅に身体を隠す。困る。もしも喧嘩に巻き込まれて怪我でもしたら、ヴァシリスが激怒してしまう。そして、ジェレンがヴァシリスを責めてしまうかも。あの二人の喧嘩は、若者達の喧嘩とは比べ物にはならない。

 けれども、私のすぐ横まで男の人がどさりと倒れた。一撃で気を失ってしまったのか、動かない。それから聞こえたのは、身体を殴る鈍い音、壁に叩き付けられる音、別々の低い悲鳴。

 さっきの会話からして、一人対複数。声からして、その一人が複数を倒したとわかった。


「――おい。そこにいるのはわかってるんだぞ。出てきやがれ」


 彼は私に低い声を吐き捨てる。

 それに聞き覚えがあった。違うことを祈る。だって、彼だったらまずい。喧嘩に巻き込まれて怪我するどころじゃない。

 私が逃げようとしたけれど、喧嘩相手が隠れていると思い込んだ彼は、こっちに来た。

 刑事のフリをしていた時とは違い、黒い革のジャケット、黒のダメージジーンズ、銀のチャックが多くついた黒ブーツ。指には大きな指輪をいくつも嵌めていて、すごくちゃらついた格好。これが、本来の彼なのか。


「――くれ、な、い?」


 ヴァンパイアハンター、遊佐は目を見開いた。

 私も目を見開いて、言葉を失ってしまう。互いに、こんな再会は予期していなかった。




20150809

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