17 光の中の記憶
ギリシャの陽射しは、純白の街と海を照らす。心地のいいものと思う。そう思えるのは、彼がそばにいるからだろうか。
テラスに設置したハンモックで、うたた寝したジェレンの胸の上。落とさないように、私を腕で包んでいる。
ジェレンの大きな右手を持って、頬に当ててみた。心地がいい。
触れてほしい。
愛しい人として、触れてほしい。
幼い私にそんな感情を抱かないことはわかっている。ただ娘のように育てて、愛してくれるけれど、それだけでは私は足りない。
欲深いとは思う。数奇な運命の中で、得たいものなんだ。
今までのように、触れてほしい。
今までのように、愛してほしい。
イリナのように。カルメンのように。求め合いたい。
嗚呼、早く大人になりたい。早く、触れてほしい。触れてほしい。触れてほしい。
純白の輝きの中で、唇と唇を重ねてほしい。このアネモアに。
でも、きっと叶わないだろう。もう時間がない。
アネモアでいられる時間はもう――――残り僅かだ。
◆†◆
眩しい光で目を開く。
カーテンが1つ外れていて、そこから射し込む光が私だけに当たった。
少し眩んだけれど、目の前に横たわるジェレンの穏やかな寝顔が見える。
愛しさが溢れた。左手でそっと頬を撫でると、ジェレンは瞳を開く。青い瞳に私を映すと、微笑んだ。
そんなジェレンに、私から唇を重ねた。ジェレンはおかしそうに笑うと、私の頭を撫でた。じゃれたと勘違いしているみたい。
そう言う意味ではないと示すために、もう一度唇を重ねた。
ジェレンの髪を握り締めながら、精一杯のキスをする。この前、彼がしてくれたように、何度も優しく触れ合うようなキス。
「……紅……いいのかい?」
私が誘っていると漸く気付いたジェレンは、か細い声で確認する。
待ってほしいと言ったばかりなのに、変だと思っているかもしれない。でも、今は……私は……ジェレンに身を委ねたい。
顔を真っ赤にしながら、ジェレンのYシャツをグッと引き寄せる。もう、身体中が熱いようにも思えた。
ジェレンは私をきつく抱き締める。そして、濃厚なキスをしてきた。
そのキスに夢中になっていれば、彼の大きな右手が、太股を撫でてワンピースの中に滑り込んだ。私は身構えてしまう。
ジェレンはまるで肌の感触を確かめるように、私の背中を深く撫でた。
「はんっ……」
息を溢す。
ジェレンのキスが、1度止まる。目を開けば、額が重なるほど近くで、ジェレンが青い瞳で見つめていた。
ゆっくりとジェレンの人差し指が、私の背筋を深く撫でて下りていく。
ジェレンの瞳は私の反応を見つめている。
熱さが増す。
加速していく。
とろとろに、とけてしまいそう。ううん。とかしてしまって、ジェレン。
「――……」
けれども、ジェレンの動きが止まった。青い瞳はリビングの方に向いている。私も物音を聞いた。
誰かがいる。ミシェル達が帰ってきたのかもしれない。
ジェレンはどうするかを考えるように固まってしまった。当然、続きが出来るわけがない。
恥ずかしさで、私は毛布を被る。おしまいにしまいましょう。
ジェレンは毛布の上から頭を撫でると、そのままベッドから引き摺り下ろされた。腰を抱き寄せられながら、リビングに出ると――。
「あら」
キッチンカウンターの席に、今から社交パーティーでも参加するようなゴージャスなドレスに身を纏う美女がいた。
妖艶な黒のロングドレスは、背中を大きく露出している。履いたままの黒いヒールの高さは、10センチ以上。
アジア系の肌色をした肌は艶めいていた。
漆黒の髪を纏めて小顔がよく見える。大きな黒い瞳が私を見つめて、口元には上品な笑みが浮かんだ。
「また逢えましたわね」
そう告げられた私の脳裏に一瞬浮かんだのは、今目にしているものとは真逆だった。
汚れたマントを被って俯いた女性。でも、同じ大きな瞳だった。
「リナリですわ。紅ですよね?」
「あ、はい」
エスプレッソを持つコップとは違う手が、差し出されたので、慌てて握手をする。
「リナリ……」
美しく気品なリナリの記憶がうっすらと蘇った。親しい友だとわかり、私は安心して笑みを返す。
「うふ。どうぞ続きをしてもいいのよ、お構い無く」
「へ!? いや、そのっ」
「……リナリ。ヴェイドは一緒じゃないのか?」
動揺した私をジェレンが抱き締めると、合流を待っているもう1人のヴァンパイアについて問う。
「ヴェイドは来ませんでしたわ。皆がここにいるとだけ伝えると、お一人でフラーと行ってしまわれましたわ。わたくしはヴァシリスに用がありまして、あと隠れ家の用意が出来ましたので移動しましょう」
にこ、と笑うとエスプレッソを飲んだ。
「ヴァシリスに用?」
「ヴェイドはなにをしているんだ? 俺達が必要としていることは知っているのだろう?」
私はヴァシリスに用事があることが気になったけれど、ジェレンは合流を急かす。リナリは気にしていない様子で、エスプレッソを堪能した。ジェレンが肩を竦める。
「くっれーなーいぃ!」
ディーンの声が聞こえて、はねるように顔を上げたら、飛び付かれた。
倒れかけたけれど、ジェレンが受け止めてくれる。ジェレンとディーンに、挟まれるような形になった。
「見て見て、似合う? お姉ちゃんとお揃い!」
ディーンの笑顔が鼻が触れそうなほどの距離にあるから、初めはなんのことかわからなかった。でも、すぐに赤いエクステが髪についていることに気付く。赤メッシュのお揃いか。
「うん、かっこいい」
それを撫でたあと、私は疑問を抱く。
お店が開いているわけない。買った、のかしら。
「……それ、買ったの?」
「……」
訪ねてみれば、ディーンは笑顔のまま固まった。答えに迷ったらしく、ベランダに目を向ける。そこにはヴァシリス達がいた。皆無事に帰ってきたんだ。
「もう昼だよ、お姉ちゃん」
「えっ!?」
もうお昼。ずいぶん眠ってしまったらしい。
出掛ける前と違い、ミシェルはゴスロリ系のドレスを身に纏っていた。白人美女のミシェルが小さな黒のハットを被っていると、まるでお人形さん。
ミシェルとディーンは、寝過ぎた私を笑った。
「ディーンが、姉と呼ぶなんて珍しいですわね」
「思い出してくれたの!」
リナリにディーンは元気よく答えた。
「ラティーシャの記憶を鮮明に?」
「鮮明ってほどじゃないけれど、ちゃんとディーンのことを思い出せたわ。リディアの時は思い出せなかったけれど……」
「あら、じゃあカルメンの記憶は?」
「……ううん、カルメンの記憶は……あまり。でも、今日はアネモアの記憶を少し思い出した」
イリナの次の名。思えば、カルメンの記憶があまり蘇っていない。
「なんだと?」
ヴァシリスが鋭い声を出したから、驚いて振り返る。私を見ていた。
「あ。アネモアと言えば、ヴァシリス」
リナリはカップを置くと、胸元からカードを取り出す。ヴァシリスに用事。
「見付けましたわ、例の絵」
例の絵。それを聞いてヴァシリスは――――目の色が変えた。
リナリの手からカードが消えたかと思えば、ジェレンとディーンから引き剥がされる。
ヴァシリスが、私の腕を掴んでいた。
「行くぞ、紅」
焦っている様子のヴァシリスは珍しい。そのまま私を何処かに連れていこうとしたけれど、ジェレンがヴァシリスの手を退かした。
また片腕で私を抱き締めてから、ジェレンは咎めるような眼差しを向ける。
「アネモアの記憶が蘇っているなら、この件に紅を関わらせてもらうぞ。問題ないだろ?」
「……なら、一緒に」
「バカ言うな。ハンターに面が割れているお前達と行動すると、紅がいても襲いかかる可能性がある。ヴァンパイアとバレていないオレと2人の方が安全だ」
「……」
ヴァシリスはミシェル達を一瞥してから、ジェレンに強く言った。ジェレンは言い返せない様子で黙る。
「この件は好きにしていいと言ったはずだ」
「……ああ。わかった」
ヴァシリスの鋭い声に、ジェレンは俯くと許可をした。
「よし、行くぞ」
「ちょ、待って。ヴァシリス!」
「なんだ!」
「まだ着替えてない」
苛立っているヴァシリスは、私が寝間着だということにも気づいていなかった。とりあえず、腕をさすって「落ち着いて」と一言伝える。
「すぐ着替えるから待ってて、ね?」
「……」
ヴァシリスが静かに頷いたから、私は荷物を置いた寝室に戻ろうとした。
すると、ジェレンが私の腕を掴んだ。するりと滑るように移動して、指先を握って引き留めた。
グイッと引き寄せたら、その甲にキスをした。
じっと私を見つめる青い瞳は、太陽に照らされた海のよう。
「気を付けて、紅」
「うん。ちゃんと帰ってくるわ」
ジェレンに安心させるために笑いかけたら、顔が近付いた。彼の唇が、耳に触れるほど近付いたかと思えば。
「続きは、またあとで――」
熱のこもった囁き。それに火をつけられたみたいに、顔が熱くなった。
そんな私の頬に、キスを1つ。
「着替え、手伝おうか?」
まだ熱い眼差しで、ジェレンは見つめてくる。放したくなさそうに、ワンピースの襟の中に指を入れた。
「っひ、1人で大丈夫、ですっ」
皆の目もあり、なによりもジェレンの眼差しに堪えきれなくなり、私は逃げるように寝室に入った。
「いやーん、初々しい状態の2人は可愛いですわねぇ」
「結局、一線越えなかったんだぁ」
「いいじゃない。初々しい状態は一線を越える前だけよ。もっと焦らして」
リナリとミシェルは追い掛けてきて、ベッドにダイブする。当然、リビングにいるジェレン達に聞こえてしまうから、焦って人差し指を立てた。
リナリとミシェルはクスクスと笑って、自分の口を押さえる。
ヴァシリスを待たせてはいけないから、持ってきた服に着替えた。
「服を買うべきですわね」とリナリは深刻そうに呟くと、ミシェルを連れて先に出た。
あとから私とヴァシリスも、2人きりで出掛けた。
20150731