14 守れなかった約束
私は、鬼殺し。
吸血鬼を殺す猛毒。死を迎えても、世界のどこかで生まれ変わる存在。
魂が、記憶を宿す。
だからこそ私は、生まれ変わってはジェレンを愛する。
魂が、猛毒を宿す。
だからこそ私は、ヴァンパイアには成れない。猛毒の血が、ヴァンパイアの血を拒んでしまう。何度も生まれ変われても、ヴァンパイアに成ることは許されない存在。
「っ……嘘だ……だって……だって……」
リビングに立ったまま打ち明けたら、ディーンは酷くショックを受けた顔をした。笑みなんて、もうない。
ミシェルとヴァシリスはソファーに座り、黙って見守っていた。ダリウスは俯いて、ディーンの後ろについている。ジェレンも顔を背けて、私のそばにいた。
誰も、笑ってなんかいない。
「なんで!? なんで成ってくれないの!?」
涙を込み上がらせたディーンの声に、胸が痛む。
成りたくないと言うことではない。成りたくとも、成れないんだ。
そう説明しようと、ディーンの手を握ろうとした。
「ラティーシャは永遠に一緒だって約束したのに!」
怒鳴り付けられた言葉に、私は目を見開く。なにかが、フラッシュバックした。それを捉えようとしたけれど、ディーンが次に口にした言葉に、脳は停止してしまう。
「――――お姉ちゃんの嘘つき!!」
人間の頃のディーンの笑顔が、微かに脳裏に浮かんだ。幼い姿から、今とそう変わらない姿まで、私はディーンを知っている。
なによりも、大事な。
なによりも、大事な弟。
なのに、何故、もっと早く思い出せなかったの?
「!?」
ディーンは、ブレスレットごと自分の左手首を深く切り裂いた。ブレスレットの残骸が床に落ちるよりも前に、その左手首が私の口に押し付けられる。吹き出すようにディーンの血が溢れて、喉まで届いたそれを飲み込んでしまった。
「止せっ!!」
誰かはわからない声。
一瞬でダリウスがディーンを引き離して、ジェレンが私を支えた。
喉が熱い。熱湯でも飲んでしまったように焼ける感じがした。吐き出したくとも、詰まってしまっている。息が、息が出来ない。
「紅っ! 紅、吐くんだ!!」
ジェレンにしがみつくも、立っていられなくって、崩れ落ちた。
ヴァンパイアの血に、溺れる。酸素を得られない私の意識は、遠ざかった。床に倒れた私が最後に目にしたのは、ディーンの怯えた顔。こうなることを知らなかったから、愕然としている。安心させたい。でも、喋れない。息もできないまま、意識は黒く染まった。
◆†◆
事故に遭って死にかけたディーンを、医者は救えない。医者にすがり付くお金さえも、私にはなかった。
けれども、あの彼なら救える。何故か、知っていた。
だから、追いかけてきてくれた彼に、助けを求めた。
「ディーン」
涙ながらに、私は優しく声をかける。血塗れのディーンが目を開くまで、何度も呼んだ。
「おね……ちゃん……」
膝の上に頭を乗せたディーンは、瀕死でも微笑む。彼らしい笑み。
「ディーン。この人が吸血鬼にして、助けてくれるって。でも吸血鬼が他の人の血を飲んで永遠に生きるの。永遠に生きると、楽しいことだけじゃなくって、悲しいことも、苦しいこともいっぱいある。でもね。生きることは出来る。どうする、ディーン?」
そっと手を握り締めて、祈るように伝えた。
生きてほしい。生きてほしいと願うけれど、ディーンの意思を問う。
死か、永久の命か。
涙で歪む視界で見下ろすディーンは、笑顔だった。
「お姉ちゃんが一緒なら……永遠に生きる」
弱々しくても、握り返して、そう答えてくれる。
ずっと、一緒だった。
早くに両親を亡くして、ディーンの親代わりだった。
2人きりで、生きてきた。2人で助け合って生きてきた。2人だけの家族。ずっと、ずっと、一緒だった。
「約束する。一緒よ」
ディーンが永遠に生きるなら、私も一緒に――――。
◆†◆
ラティーシャは約束してしまった。自分がヴァンパイアに成れないとは知らず。
ジェレンにディーンを救ってほしいと頼んだ。
ラティーシャが望んで、ヴァンパイアにした実の弟。
ラティーシャはヴァンパイアに成れないことを思い出すこともなく、雪の降る日、列車の中で死んだ。
「――ッハァ! ゲホゲホ!」
息が、吸えた。
混乱してもがいたけれど、ジェレンが抱き締めてくれる。
「紅! 血は除いた、息を吸い込んで」
ジェレンの口元は、血に濡れていた。ジェレンが吸い出してくれたんだ。
「紅様、水です」
ダリウスが隣にいて、私に水を差し出してくれる。けれど、私はディーンを探した。
ヴァシリスはそばにいて、ミシェルはソファーの上に立って私を心配そうに見ている。ディーンは、いない。
「っ、ディーンはっ?」
「紅、念のため、口をすすいで」
「ディーンは!?」
ジェレンが水を飲ませようとしたけれど、私は拒む。
「怯えて逃げ出した」
ヴァシリスがはためくカーテンを一瞥して答えた。
「だが、これではっきりしたな。このままでは、紅はヴァンパイアには成れない」
「……」
鬼殺しである私は、ヴァンパイアに成れないことを証明された。でも、他に方法があるはずだと、希望を抱いている。永遠に一緒にいられる方法を、見付け出そうと決めた。
でも、それよりも。
今は、ディーンだ。私を殺しかけたディーンは、怯えてしまっているはず。
「ディーンのところに……」
「紅、安静にしないと」
「私のせいだからっ」
「ラティーシャは知らなかったんだ……」
「それでも私のせいっ!」
ジェレンが止めようとしても、私は立ち上がる。
記憶がなかったからと、言い訳したくない。
何度も生まれ変わったけれど、弟は彼だけ。たった1人の弟。数奇な人生に巻き込んだのは、私。
追い掛けなきゃ。
「待ってて……ディーンと話してくるから」
「……わかった」
ジェレンは引き下がってくれた。額を重ねて、そっと離れると、ダリウスに視線を送る。
ダリウスは頷いて、私の手を差し出した。
ジェレンには待ってもらい、ダリウスに運んでもらってディーンの元へ。
「リディアの時……貴方はずっとディーンといたわね」
リディアの記憶の中では、ディーンはダリウスにべったりだった。
「……ラティーシャ様が亡くなったあとから、ずっと……そばにいました。ヴァンパイアに成り立てで、道を誤らないように精一杯支えてきました」
「……ありがとう、ダリウス」
いつも、いつも、ダリウスは献身的だ。支えられてきた。
ディーンがいいヴァンパイアでいられたのは、ダリウス達のおかげ。
一緒にいる約束を破られたディーンは、どんなに悲しんだだろうか。どんなに寂しかっただろうか。
ダリウスが連れてきてくれたのは、低い柵に囲まれた公園。日付も変わりかけている夜だから、他には誰もいない。
ディーンはブランコに座っていた。頭を垂らした姿は、寂しそうな子ども。
私は1人で歩み寄る。
「ディーン……」
呼べば、びくりと肩を震わせた。顔を上げてくれない。
だから私はしゃがんで下から覗く。ディーンは、泣いていた。
「ご……っなさい……」
声を振り絞って、謝る。謝るのは、私の方なのに。
「ごめんっ、なさいっ! ごめんなさいっ!」
「ううん、私が悪いの。ごめんなさい、ディーン。約束を破ってしまって……守れない約束をしてしまって、ごめんなさい」
握り締めるディーンの手に、涙が降り注ぐ。
そこにいるのは、18歳のままのディーンだ。時が止まった弟。
「もう、やだよッ……お姉ちゃんが死ぬのはッ……やだぁっ……」
姉を大事に想ってくれる弟。186年前からずっと、私が約束を守ることを待っていた。
ディーンはリディアに約束した。ラティーシャは守れなかった。だからリディアは守る。
そう言ってくれたのに、ラティーシャもリディアも亡くした。どんなに辛かっただろう。
18歳のままのディーンには、酷すぎる。こんな目に思いをさせているのは、私だ。苦しみばかりを与えているのは、私だ。
「ごめんなさい、ディーン……ごめんね」
私も涙を流しながら謝る。それしか言えない。
つくづく思い知る。私は猛毒だ。実の弟さえも、苦しめてしまう。
「……へへっ」
ふと、ディーンが吹き出した。大粒の涙をぽつりぽつりと落としながら、ディーンはへにゃりと笑う。
「約束、守れなかった……おあいこ、だね」
私はヴァンパイアに成って永遠に一緒にいる約束を守れず、ディーンはリディアを守る約束を果たせなかった。だから、おあいこ。
許すと示すディーンの笑みが、涙で見えなくなる。溢れて止まらない。
私のたった1人の弟。
無邪気で、優しい弟。
これからヴァンパイアに成る方法を探すと話したかったけれど、泣き止めず、ただディーンの手を握り締めた。
そんなディーンが――――倒れる。
背中には、ボウガンの矢が突き刺さっていた。見ると、道路にハンターがいる。
「ッダニエル!」
リディアを殺したハンターの子孫。黒髪の長身の男、ダニエルは私を冷たく見据える。
リディアを殺した男と、酷く重なった。
20150717