第1話:高校と母さん
―――――ゴクリ
俺は唇からジュースの入った缶を離してゆっくりと息をはく。そして眼下で遊ぶ子供たちを見て、また缶の縁に口をつけた。
「…もうすぐで俺たち高校生だってよ」
「実感がわかねえなぁ」
だな、と同意する友人の声を聞いてまたジュースを飲む。
「気軽にお前に会うことも少なくなっていくんだろうなぁ」
「んだよ、コウちゃん。寂しいのか?」
「そんなんじゃねぇよ」
「つれないねぇ」
「…ニヤニヤするなよ、キョウ」
カラカラと笑うキョウを睨むが、彼は面白がって直そうとはしない。笑うなと言うのも億劫になり、子供たちに目を向けた。
「お前は…チュウオウ高校だっけ?」
そこは俺が今度進学する高校であり、県内有数の進学校だ。もともとそんなに頭も成績もよかったわけではない俺は、毎日何時間も勉強をしてやっと受かったのだ。
「そうそう。お前は…どこだっけ?」
「おいおい、幼なじみで親友の進学先も忘れたのかよ」
「…ごめんって」
思わず謝ってしまったが、そもそもコイツの進学先を聞いたことがないことを思い出す。さぁ、とはぐらかされて話したくないのだろうとそれっきり進学先については聞いたことがない。そりゃ知らねえわ、思いながらキョウの話を聞く。
遊具で遊ぶ子供たちの笑顔が眩しい。
「プレンダーガスト学園だよ、覚えておけ」
「どこだよそれ」
「どっか」
「ふぅん」
ようやく教えてくれた学校の名前は聞いたことのない名前だった。市内にはない気がする。市外か…もしかしたら県外かもしれない。初めて聞いたその学校の印象は外国っぽいということだった。
「ふぅんって…もっとなんかないのかよ…?」
「なんかって?」
「ほら、こう…かっこいい名前だね、とかさ!」
「んー、外国にありそうな名前」
先ほど思っていたことを言うと、キョウは複雑そうな顔をする。
「なんだよ?」
「いやぁ、なんていうか…それもあながち間違いじゃないっていうか…」
「は!?お前外国に行くの!?」
「いや、ニホンだけど…そうじゃなくて…」
「なんだそれ?はっきりしろよ」
10年以上の付き合いのある親友が突然外国に行くのでは焦ったが、どうやら違うらしいことにホッとすると同時に、歯切れの悪いキョウを不思議に思う。
「ニホンにあるんだけど、その、なんていうか…」
「………?本校が外国にあって、姉妹校にお前は行く、みたいな?」
「…まあそういう風に思ってて」
「はいよ」
残り少ないジュースを飲みほし、キョウの方に顔を向けた。
「まあ、頑張れよ」
「コウちゃんもな」
「さんきゅ」
―――――気づいたら空き地から黒い化け物はいなくなり、子供たちの声だけが響いていた。
「母さん、ただいま」
ヨコハマの工場地帯の一角にあるおんぼろアパートの一室が俺、コウキ・クジョウ(九條弘毅)とその母、ナノカ・クジョウ(九條菜乃花)の家である。
「コウちゃんおかえりなさい!もうすぐでご飯だから、ちょっと待っててね」
「…手伝うよ」
「あら、ありがとう。じゃあこの唐揚げを盛り付けてもらっていい?」
「わかった」
にっこりと笑った母さんは綺麗だ。言語が統一され、交通に革命が起こった今じゃ珍しく生粋のニホンジンである。黒い腰まで伸ばされた髪に、普段は優しげに、時折キラキラと子供のように輝く黒の瞳。肌は白く、年を感じさせない。まさに大和撫子のような人。18歳のときに俺を産み、工場で働きながら女手一つで育てた。綺麗で気遣いが上手で、料理も上手な、自慢の母だ。
「今日はウキョウ君と会ったんだよね?楽しかった?」
俺の目の前に座る母さんは茶碗をそっと円形の2人で食事をするには少し小さいテーブルに置いているところだった。
「楽しかったよ」
「寂しくなるね」
「…別に」
ばつが悪くなり、ふいっと顔をそむけると、母さんはわかっているとでも言うようにころころと笑った。
キョウことウキョウ・モンテネグロ(右京・モンテネグロ)には強がってしまったが、いざ毎日会えなくなってしまうのだと考えるとやはり寂しいと思ってしまう。いや、しかしあの場でそんなことを言ってしまうと彼が調子にのることは目に見えていたので、言わなくてよかっただろう。そもそも、そういうことをいうのはなんというか…俺のキャラではない。
「…キョウは…なんだっけ?プランター?なんちゃら学園ってところに行くんだってさ」
「…プレンダーガスト?」
「そんな名前だった気がする…。母さん知ってるの?」
「………」
先ほどとは打って変わって、寂しそうに笑う。
「あなたの、お父さんの母校よ…」
思わず母を凝視する。昔から母さんは父の人柄については嬉しそうに話すが、父のこまごまとした情報は話したがらなかった。…何故死んだのかと聞いても、交通事故としか言わない。そのときの表情があまりにも悲しそうで、幼いころに父について聞くことはやめた。母さんにとって父との思い出は幸せでありながらも悲しい記憶なのだと最近気づいた。
だからこそ、そんな些細な情報だけでも話してくれた母さんが意外であり、嬉しかった。
「…そうなんだ」
「そうよ。お母さんとお父さんは幼馴染でね、モモ君はすごくかっこよかったからお母さんは心配で心配で…」
「母さんと父さんは学校同じだったの?」
「中学校までは一緒だったんだけど、高校は別々だったの」
「へー」
「…あなたも、もしかしたらプレンダーガスト学園に行くかもしれないって本当はずっと冷や冷やしてたの」
「…え?」
まるでプレンダーガスト学園に行ってほしくなかったとでも言うような口調に困惑する。
「行ってほしくなかったの?」
「そうよ」
「なんで?親父の学校なら行ってほしいって思うんじゃないの?」
泣きそうな母さんに違和感を感じる。何かを隠されているような気がする。
「私は…私じゃ、コウちゃんを守れない。守りたいけど、でも力がないから。だから、何かあったら私は…」
「………」
よく、わからない。
グッと唇を噛み締め、出かかった言葉を飲み込む。
よくわからないけど、母さんが俺に何かを隠したがっているのはわかった。そして、それは俺のためであることもわかった。
だから俺は、
「そっか」
そう言って微笑み、唐揚げにかぶりついたのだった。
アイスを買いに行こうと財布だけ持って家から出る。母さんはチョコレートのアイスならなんでも良いと言っていたけど、最近お気に入りらしいチョコレートコーティングのアイスがあればいいな。
そんな風に思いながらコンビニまでの道のりを急ぐ。
今日は夏の残暑がまだまだ残る季節であるのに、異常に涼しい。とはいえ、それも例年に比べての話なので、風呂上がりのアイスはやはりほしくなる。
強めの風が吹き、木々がカサカサと音を鳴らす。
「………さっさと買って、さっさと帰ろう」
なんだか悪い予感がする。
自分で言うのもあれだけど、俺の悪い予感はよく的中する。あまり気分の良いものではない。しかし、それに助けられたことがあるのは事実であり、先生の怒りからの回避とかそういったものは可愛いもので、その悪い予感のおかげで1度轢かれかけた子供を助けたことがある。
不意に母さんの顔が思い浮かび、足を止める。
―――――パチパチ
右手の拳をギュッと握る。
…自分だって隠し事がたくさんあるじゃないか。母さんのためだと思って、本当は自分が傷つきたくないから黙っている秘密が。
握った掌をそっと開く。視線を落とすと青色の電気がパチパチと弾けている。
それを振り切るように俺はコンビニまでの道のりを走り出した。
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