付箋と私 b
8/23 誤字訂正
昼食はチャーハンと呼ばれる炒めた米と海藻のスープ。
パラパラしていて食べにくいけど、卵でコーティングされたお米が甘くておいしい。
コウタさんが戻ってきたので、『魔女』について聞いてみる。
「彼女は優しくて、寂しがりやだったのだと思います。」
それは単なる感想なのか、それとも、『魔女の人形』である私の手前だからなのか。
「まぁ、確かに一人は寂しいよな。」
お茶を飲みながらつぶやくヴィオ。
「まぁ、時を盗むなんて不可能だし、不老不死だって眉唾物だ。
噂には尾びれ背びれがつくもんだしな。」
慌てて話をそらそうとしたようだが、それらは私の耳を素通りしていった。
そうか、一人は寂しいのか。
そういえば、私は「孤独」を知らない。
「孤独」だけではない。
「怒り」「悲しみ」「喜び」などの身を震わすほどの感情を私は知らないではないか。
今日が初めてで、今日で終わり。
感情を知らない私は本当に『人形』なのかもしれない。
「優しいから世界を救った、寂しがりやだったから『人形』を作った。それでいいとは思いませんか?」
この話を早々に打ち切りたいのか、コウタさんはそう言ってこの話題を締めくくった。
研究対象に余計な知識は入れたくないのかしら。
昼食後、部屋に戻った私は、以前の手紙からなにかわかることがないかと手紙のはいったファイルを調べてみることにした。
私が『人形』であるなら『私』について知ることで『魔女』についてなにかがわかるかもしれない。
よしんば私が『人間』であったとしても、こうやって過去の私を知ることは無駄なことではない。
たとえ、明日には全てを忘れてしまうとしても、いや、むしろ一日しかないからこそ、私は後悔を、心残りを残して一日を終えたくはないのだ。
ぱっと目についた『No.9』のファイルを手に取る。
手に取ったそれは思っていたよりもずっしりと重い。
ファイルを開こうとしたら、数枚のページにピンクの付箋が貼ってあることに気がついた。
そのページを見てみると、レースの模様が縁についたかわいらしい便せんの一面にびっしりと文字が書き連ねてあった。
読み進めていくと、どうやら、この『私』も自分の存在について疑問を感じ、それについて調べることに一日を使ったようだ。
過去の自分に関して何かしらかの手がかりはないか、建物の中を散策した。
このように律儀に毎日手紙を書き続けている『私』なら、日記でも残していないだろうかと考えたそうだ。
しかし、過去の『私』の日記は見つからなかった。
そのかわり、研究機器が異常にそろった部屋を発見し、『私』にはその機械に対する知識が備わっていたことがわかったようだ。
そう言えばと部屋にある本棚を見てみると、上の方に古いナンバーのファイルがあるが、下の段になるとほこりをかぶった専門書と思わしき本や、共通語で書かれた論文がはいっているのだろうファイルが置いてある。
『おそらく、この体質になる前の『私』は研究者をしていたのだろう。
そして、これだけの機器をそろえるのには莫大な資金がかかるだろう。
とすると、かなり優秀な研究者だったか、いや、金持ちの娘だったという可能性もある。』
『そんなことがわかったとしても、今の私にはなんの意味もなさないだろう。
知りたいのは私が何者なのかということ。
どうすれば今の私が消滅せずに済むかということだ。
しかし、それらを知るすべを、私はしらない。』
『まだ眠りたくない、このまま忘れてしまいたくはないのに、頭は眠くてしょうがない。
穏やかに過ごし、心残りなどないように眠るのか、それとも、知らなくていい知識を求め、後ろ髪を引かれつつすべてを忘れるのか。
明日の私はどちらの選択をするのかはわからない。
けれども、どうか、後悔をしない一日を過ごしてほしい。
徳碌22年 8月 26日
今日の私より。』
付箋が貼ってあるページには、どうやら過去の私を知るために一日を消費した『私』の手紙があるようだ。
というか、それらをピックアップするためだけに一日を消費した『私』がいたようなのだ。
『過去の『私』と今の忘れ続ける『私』は必ずつながっている。
なら、『私』たちからのメッセージを読み解くことで『私』を知ることができる。
そう、私は考えたのです。』
なんと酔狂なと思ったが、それはその日の『私』も思ったようだ。
それでも、手紙の終盤付近にははっきりとした文字で
『反省はしている。が、後悔はしていない。』
と書かれていた。
だいたい3時間くらいそうしていただろうか。
ちょっとした頭痛を感じながら『No.9』の付箋の『私』が発見したという研究室へと行ってみることにした。
その日の『私』の前提にあったのは『私は人間である』ということ。
でも、『私は『人形』である』という視点で見たら、何かしらかの成果が得られるかもしれない。
それに、ちょっと気になることもある。
廊下に出ると夜のように暗くなっていた。
鼻を通ったのはかすかな水の匂い。
あ、そっか、雨が降るのか。
雷が雲を伝う音はまだ聞こえないが、もしかしたら大荒れになるかもしれない。
この建物はL字型に建てられている。
これも、同じ手紙からわかったことだ。
例の研究室(だと思われる部屋)は一階の裏口付近にある。
ちなみに、私の部屋は二階の裏口方面にあり、書庫のある部屋とは反対方向らしい。
L字の折れ曲がりのところに階段があるのでそこを降り、一階に行くと、階段の正面でドアが開いた。
どうやら、ヴィオの部屋はそこにあったらしい。
特に気にすることはないのでそのまま左へと進む。
場所的にはちょうど私の部屋の真下ぐらいにあたるだろうか。
事前に読んでいたとおり、高額の機器や壁一面の棚に入ったガラス機器、ドラフト、実験台などが備え付けられている。
使われた形跡はさほどないのに、ほこりなどのよごれはまったくない。
まるで新品のまま時間が止められていたかのようだ。
「へぇ、こんな部屋があったのか。」
なぜかついてきたヴィオは興味津々で部屋を覗いた。
本棚とかは気になるが、とりあえず最初はかつての『私』がやり残したことを確かめようと思う。
何を思ったか、かつての『私』はコウタさんにもらった頭痛薬を分析にかけたのだ。
きっと新しいおもちゃを見つけて触ってみたかったくらいの気持ちだろう。
ずいぶん高いおもちゃだが、その気持ちはよくわかる。
私も触りたくてうずうずしているのだ。
おそらく、頭痛薬の結果だろうと思われる一番新しいデータが出力された紙を手に取った。
後ろからヴィオがおっかなびっくり覗き込み、何かぶつぶつつぶやいているが、今の私の耳には届いていない。
あぁ、この衝撃をなにに例えたらいいのだろう。
頭の奥から揺さぶられ、指先まで血が行き届かないのにも関わらず心臓はがんがんうるさく、わんわんと耳鳴りがする。
これは、頭痛薬などではない。
『記憶改竄薬』
まるでこれが見慣れたものであるかのように、手の中にあるデータを取り込んだ私の脳みそは、私の知るはずのない単語を連想させた。
『記憶改竄薬』、記憶の一部の改竄、抹消、中毒性、副作用、致死量、効果用量、分子構造、生成方法……
無作為に知らないはずの知識があふれる。
頭が痛い。
これは、副作用?
そんな、でも、毎日飲むような代物ではない。
でも、人でないなら?
死なないなら?
『人形』なら?
何のために?
どうして?
誰かが何かを言っている。
あぁ、頭が痛い。
どうやって部屋へ戻ったのかは覚えていない。
コウタさんが私に水と薬を持ってきた。
でも、知ってしまったからには飲むことはできない。
こんなことは知りたくなかった。
警戒しているふりをしながらも警戒などしていなかったのに。
信じられないことなど信じたくない。
なにかの間違いかもしれない。
そうだ、明日にはきっと何もかも忘れているにちがいない。
今までだってそうだったのだから。
そう、全てを忘れてしまえばいい。
隠れるように布団をかぶり、何かにおびえながら眠った。