町と私 a
「今日、町へ行かないか?」
私たちの家と思わしきところの一室でテーブルを囲んで朝食を食べていると、ヴィオという赤毛の男がそう提案してきた。
今日の朝食はお米にみそのスープ、卵を巻いて焼いたものと海藻の乗ったサラダ。
二本の細い棒を使って食べると聞いた時にはぎょっとしたが、以前の『私』は使ったことがあるらしく、まったく違和感なく食べることができている。
ついでに言うと、三人のうちヴィオだけはスプーンとフォークを使って食べているが、朝食の雰囲気にミスマッチだと思う。
ヴィオは家の前で行き倒れていたところを『私』が発見し、保護したらしい。
体調もすっかりと回復したのにも関わらず、どうしてここに居続けるのかはよくわからないが、もしかしたら以前の『私』との約束か何かがあるのかもしれない。
「ほら、ユリアが気に入ったあの生地で作った服がもうそろそろ出来上がるはずなんだ。それを取りにいくついでにちょっと連れて行きたいところもあるし。」
『私』の気に入った生地とはいっても、まったく記憶にないし、そもそもこの男は少し馴れ馴れしいとすら思う。
だが、町には興味があるのは確かだ。
少なくともここ7日間の『私』の記録だとここから出たことはないようだし、きっと数える程度しか行ったことはないだろう。
ここは、町から馬で一時ほど離れた丘の上の建物らしい。
自動車などの石油燃料を使う便利な移動手段が過去にはあったらしいが、そんなものがない今では、ほとんどの者が町で生まれたところで一生を終えるそうだ。
一人で馬になんて乗れないだろう私は隣の町へ降りることすら考えなかったのだろう。
ここで町に行かなかったらもったいないような気がする。
そんなことで心残りなど残したくはない。
コウタがとても行かせたくないという顔をしているが、そんなもので私が止められないことも知っているのだろう。
もちろん、行く。
私の宣言を彼は止めようとしなかった。
馬に揺られて約一時半。
もちろん、ヴィオとの二人乗りだ。
男の人の体温を背中に感じながら、ヴィオの話す旅の話を聞いていた。
とある町では魚を生きたまま食べる風習があるらしい。
その町で接待のようなものをされたヴィオは、びちびちと跳ねる小魚を師匠に押し付けられ、なんとか飲み込んだそうだ。
その気持ち悪いやなんたるや、ふざけたように大げさに話すので、笑いすぎて馬から落ちそうになってしまった。
旅商人よりも語部のほうが向いているんじゃない、と半ば本気で言うと、時々訪れた町の酒場で似たようなことをやって小遣い稼ぎをするらしい。
道理で上手いわけね。
そんなこんなで町につくまでの時間はとても短かったと思う。
いつの間にかに町への入り口へと近づいていた。
赤く錆び付いた鉄の柱と、それに無理矢理括り付けられた大きな布切れ。
羽ばたく鳥を模した町章が描かれている。
その旗がはためいている今日は、町に入ることが可能らしい。
柱の下の受付で軽い持ち物検査をして、滞在許可証を受け取り、中へと入る。
かつて栄えた面影を残す建造物と石造りの新しい家が入り交じった町。
周辺の村町からぽっかりと浮き上がったように活気のある、主要18都市のひとつ『エーレ』の衛星都市。
それがここ『ザントゥーア』だ。
感想としては「こんなものか」といったところか。
大通りではあふれんばかりの人だかりだと行きがけに聞いていたが、そこまで大げさな数ではない。
確かに、大通りには露天が並び、あちらこちらでいい匂いが漂ってきたり、景気のいい声が聞こえてきたりはするが、私の感覚ではちょっと活気のある程度といったところか。
あふれんばかりの人だかりとは、自分のペースでは歩けないくらいひとで満たされた空間といったイメージが勝手にできていた。
どこでこんなイメージができあがったのかは知る由もないが。
ただ、新旧入り交じったものだという建造物は興味深かった。
ぼろぼろになり元の形のわからない建物があると思ったら、元の建物を補強した形で立て直しを繰り返したのか奇妙な境界のついた建物があったり、かと思ったらつやつやの石で建てられた真新しい家が立ち並ぶところもあった。
特に面白かったのは、ツタが絡み付いた、かつて栄えたときの形のままの建物だ。
中央に太い木がまっすぐに立っているらしくそのせいで細長い形を保つことができているらしい。
かつては「コーソービル」と呼ばれるありふれたものだったらしいが、今では町のシンボルのようなものになっている。
「まぁ、ほんとのところはでっかい木が石の服で着飾っているようなもんなんだけどな。」
と言ったのはビルの近くでリンゴジュースを売っていた小太りのおじさんだ。
「すみません、以前注文したフラヴィオ、フラヴィオ・エスポージトというものですが。」
かつては純白であっただろう薄汚れた壁の建物に入っていったヴィオ。
追いかける形でついていくと、髪を後ろでお団子にしてまとめたおばさんにヴィオが話しかけているのが見えた。
というか、ヴィオのフルネームを今初めて知った。
今までのどの手紙にも『ヴィオ』としか書かれていなかったので、今までの『私』が『ヴィオ』のフルネームを知らなかった可能性は大いにある。
始めに聞いた『私』が手紙に書き忘れたのだろう。
「まぁまぁまぁ、こんなかわいらしいお嬢ちゃんに着てもらえるなんて光栄だわ!」
キンキン甲高い声でそう言ったおばさんは、どたどた重そうな体を揺すって店の奥へ行き、空色のワンピースを持ってきた。
空は好きだ。
いくら月日が変わろうと、いくら私が忘れようとも絶対に変わることがないから。
薄い水色を白でぼかしたようなその色は、確かに私の好きな色だと思う。
細身で、腰上の辺りで少しくびれが入ったそれは、裾はひざ下までの長めのタイプだ。
体の前に合わせて鏡を見ると、確かに『ユリア』によく似合う。
「よく似合っているじゃないか。」
自然なほめ言葉に思わずそんなことないと反論しそうになるが、似合うのは確かだし、それにこれは彼からのプレゼントだということで、ここは素直に礼を言っておく。
せっかく素直になったのに、そばかす顔はすぐに会計のためにおばさんへと向いてしまった。
なんか、 ちょっと損した気分だ。
それから、町をぶらぶらしつつ次の目的地であるお茶屋さんにやってきた。
私がいつも紅茶を飲んでいるのを見て、きっと喜ぶのではと連れてきたかったらしい。
木でできた建物の中には3面の壁一面の棚にお茶の入った缶がならんでいて、中央のテーブルには店内のお茶の香りを確かめられるように小振りの缶が置いてあった。
カウンターでは白ひげを生やしたおじいさんが新聞を広げている。
こっちの方はちらりとも見ない。
万引きとか大丈夫なのかとちょっぴり心配になりながらも、そんなことする気はさらさらないので、様々なお茶の香りを楽しんだ。
散々迷った結果、どこか懐かしい香ばしい香りのする煎られたお茶を購入した。
カウンターのおじいさんが、隣でここのお茶を飲むことができると聞いたので、そこで少しおそい昼食をとることにした。
エビクリームパスタにシフォンケーキ、最後まで二択で迷ったもう一方の紅茶をストレートで。
エビと生クリームの濃厚な味わいがパスタに程よく絡み、舌の上で踊る。
ふわふわのシフォンケーキは溶けてなくなるのではなくしっかりとバターのうまみが味わえ、すっきりとした紅茶がさらにそれを引き立てた。
町に来て本当に良かった、このときはそう思ったのだ。