思い出はストリキニーネのように、ただただ苦い
幼いときのことはあまり覚えていない。ただ、ある程度、幸福の中で生きていたのは間違いないだろう。食べるものや着るものに不便していた記憶はないし、何より、こんな息子を放り出さずに愛してくれていたのだから。
父は厳格な研究者だった。ノイズが混じった記憶の中で、その手の平が大きかったことだけを覚えている。だが、どんなに記憶を手繰ってもその顔を思い出せない。
聞いた話では、父の最期は壮絶なものだったという。多くの人間とともに焼けて死んだらしい。その死体も、全て灰になって跡形もなく消えてしまっていたが。
はじめ、火の手は倉庫で上がった。誰かが気付いたときには手遅れで、可燃性の薬品が立て続けに引火していき、すぐに研究施設は焼け落ちた。この火事の一切は誰のせいでもない、不慮の事故だと報道され、大衆が目を向けることもなく終わるはずだった。
そのとき母と幼い俺は、父の仕事現場の見学に来ていた。自分から言い出したわがままだったと記憶している。父は急に入った会議に出席しており、この日会うことは結局叶わなかった。そしてそれは、一生叶わない望みとなって、いまなお俺の心に影を落としている。
母もまたここで死んだ。結果としてこの事故に巻き込まれることになったのは、俺のせいだということだ。
爆発があったとき、俺は地下の浄水施設にいた。数多くの人の中で俺だけがなぜか助かった。全身の火傷と、薬物汚染の激しい廃液に侵された体で、破損した浄化水槽の中から発見されるという、一種の奇跡のような形で。おそらく爆発に吹き飛ばされたときに落ちたのだろう。案内を担当してくれた職員も同じ泥の中から発見されたが、こちらはすでに事切れていたらしい。
だが助かったことで、ある問題が浮上することになる。ここ四、五十年の内で議論されつづけている、人種としての問題が。
俺が担ぎ込まれたのはかなり大きな病院だった。そこで目を覚ました俺は、自分の体が普通ではないことを知らされた。報道カメラの異常な圧迫感とともに。
遺伝子異常による人間の欠陥。それは副腎の位置に存在する、新しい臓器によって近年発見された人間の進化だ。「脉臓」と呼ばれるそれの構造は腎臓そのものだが、血中にいままで人間になかった成分を溶かし込むことで身体を強化する性質をもつ。科学で捉えきれないそのエネルギー体に西洋の文化から取って付けられた呼称が「魔力」だ。解明されるそのときまで、この不思議なエネルギーはそう呼ばれることになるのだろう。
日本では脉臓を備えた人間は差別される傾向にあった。ただ単に、気持ち悪いと言う理由で。自分とは違う、異物に対する反感がこの国では強かった。新種だと判明した段階で堕胎する人もいれば、途中で耐え切れなくなって育児を放棄する親まで現れる始末に、国は対応に追われていた。
まだ五歳の俺には難しすぎる話だった。だが、その新たな生命力のおかげで助かったのだと漠然と理解できた。それと同時に、いやにぞんざいな病院の先生の態度と、マスコミから向けられる奇異や嫌悪の視線に壊れそうになっていた。懇意にしてくれていた親戚の人たちも、新種だとわかるや否や手の平を返して俺を拒絶した。
ただ一人を除いて。
俺は差し伸べられたその手を取るしかなかった。たとえこれから虐げられようとも、ここより苦しいところなんてないと思えた。
だから二十歳になったいまでも俺は、日本学府が定めた新種の教育や隔離のために作られた海洋メガフロート「アルカディア・プレーン」で生活している。育ての親に報いるために。
父母の葬儀には、参列しなかった。




