25.じゃあもういいや
(やばい)
ばれてしまった。まず最初に思ったのはそれだった。
『反魂の復讐者レナ』というキャラクターはゲームの序盤に登場してから終盤に至るまで主力として活躍し続ける優秀なキャラクターだが、それと同時に死者の陣営に関連したメインストーリーにおいて大きな役割を果たすキーパーソンでもある。
片田舎の村に住む少女がネクロマンサーに特別視されているのも、魔獣に命を狙われているのも、特別な才能を持っているのも、原因はたったひとつ。
レナの魂が、特別製だから。
(秘密が知られた以上、ニックたちはレナをこれまでと同じようには見てくれなくなる。アネットでさえ、単なるネクロマンサーの才能を持った知り合いではなくて、邪悪な怪物を見るような目でレナを認識するかもしれない)
六王。死者の陣営の女神である『太母』に仕える強大な死者の王たちを指してそう呼ぶ。ゲーム世界で人々に加護を与え、法則を定める神々を傷つけることは禁忌とされているため、プレイヤーたちは敵対する女神の代行者たるリッチキングの討伐を当初の目的としていた。
つまりレナは最初からそういう存在であり、場合によっては敵対ルートさえあり得る特大の爆弾なのだ。
「みんな、こんな得体の知れない奴の言うことを信じるな!」
「おやおや、心外な評価ですねえ」
農具を突きつけながら歯噛みする。どうする、仕掛けるか?
相手の強さが図れない。底が知れない。最悪、全滅もあり得る。
そもそもこのロールシャッハとかいう男、ここで対峙する敵ではない気がする。
もっと後、それこそレナと同じようなメインキャラが出揃っていないとどうにもならないような敵なのではないだろうか?
(レナは何を考えてる? ジェスチャーで伝わるか? 攻撃指示は、キャンセルされた。じゃあ逃走? とにかく出口への移動を誘導して、それから)
焦りながら緩慢な時の中で仲間たちの顔色を窺う。
驚き、戸惑い、困惑。おおむねこの三種類。まだ嫌悪や忌避の表情ではない。
だが安心するのは早計だろう。
このゲーム、メイン級のキャラはだいたい危険な秘密を持ってたりするからレナに限ったことではないのだが、それはそれとしてこの状況はやばい。
本編プレイ時はパーティメンバーが『人体実験を繰り返して全人類を魔獣にしようとしていた錬金術師』とか『二大国の王を暗殺し大規模な戦争を引き起こした元凶の暗殺者』とか『力を暴走させて国を滅ぼしてしまった魔女』とか『邪悪な人食い竜が封印された心優しい青年』とかが真横にいたので、『そっかレナも過酷な運命を背負ってて大変だね』くらいのノリでヤバさが緩和されていた。
しかし、ここにいるのは普通の田舎で育った村人たちだ。
小さい頃から教会で死者の陣営の恐ろしさを教え込まれてきたニックたちにとって、レナの秘密はとんでもなく忌まわしいものであるはず。
「さあ、レナ様! 我らと共に絶望で世界を染め上げましょう! 手始めに、あなた様の人間性を育んできた、麓の村。壊してしまいましょうか」
両手を広げて語るロールシャッハに対して、今度こそニックたちが明確に殺意を向けた。大量の情報に対する困惑を処理するよりも、先にこの敵を倒さなければならない。その判断は自警団の一員としては正しい。
「ちなみに何をしても手遅れですよ。既に魔獣どもに対する仕掛けは済ませてあります。麓に誘導したのは夜のうち。あなた方がこの遺跡に踏み込んだのを確認してから、襲撃の合図を出しました。ああ、単純な獣どもは化かしやすくて良いですね」
ロールシャッハの変容し続ける顔の模様がぐるぐると渦を巻いたかと思うと、その全身までもが突如として捻じれ始めた。
かと思えば一瞬の逆回転によって更なる変容を遂げており、ロールシャッハの姿は狼、野犬、黒馬、ゴリラ、果ては架空の生物であるグリフォンやキメラといった様々な魔獣に変身を繰り返す。
この男が自由自在に変身する能力を持っていて、それを『ゲーム的な縛り』すら超えて活用できるのだとすれば極めて危険だ。
どんな相手だろうと騙せるし、集団を誘導することも可能かもしれない。
遺跡に不在だった山のヌシ、その所在がいまわかった。
「村のみんなが危険だ! 全員、今すぐ戻るぞ!」
俺の言葉にニックたちも焦りを顔に滲ませて頷く。
その一方、レナの様子が先ほどからずっとおかしい。
「ねえレイくん。これはもう間に合わないよ」
と、ひどく落ち着き払って言い出すほどに。
俺を見るその目は、いつか夜に村人を殺そうとしていた時に似ていた。
ハンスさん。あの時は殺さずに済んだ。
彼が死を恐れず、レナの使役する屍の兵士に志願したときも、彼女はまだこちら側に踏み止まってくれた。
だが、今回は。
「今から走って戻って、どれだけ助けられる? このネクロマンサー、まだ死霊を召喚できるはず。妨害を振り切って向かったとして、消耗は避けられないよね。もうさ、ここは諦めて二人で逃げない?」
「レナ、お前なにを」
「だってこいつ、序盤に登場する『レナ』の仇じゃない。あれならまだ対処できた。でもロールシャッハって、ナイトメアモードに出てくる『選ばれし宿敵』だよ」
思考が凍り付く。目の前が絶望に染まる。
そうだ、どうして俺はその可能性を想定していなかったんだ?
一撃で雑魚魔獣が倒せないから『カジュアルモード』ではないと思っていた。
『クラシックモード』よりもやや敵がしぶとい気がするのは、この世界がリアルになったことで敵の生命力もより生々しく設定されているからだと解釈していた。
違った。俺はこの世界の難易度設定を知らない。
最初の瞬間を忘却させられていたからだ。
多くのゲームがそうであるように、このゲームにも高難易度モードが存在する。
更なる強敵。追加要素。理不尽にも思えるランダムなリスク要因。
その最たるものが、『選ばれし宿敵』。
知識だけはあった。動画も見たことがある。だがきちんとした理解には遠かった。
俺は最高難易度でプレイしたことがないわけじゃない。
だが複雑な分岐と無数のランダム要素に支配されたナイトメアモードで全ての敵と遭遇したことはないし、そのためこのロールシャッハという男も初見である。
「ロールシャッハ、ブリックス、ウェクスラー。下振れすれば普通に負けることもある危険な敵。ゲームが現実になってるなら、敵キャラも自律的に行動して、独自の考えを持って予想外の行動を起こすんだよ、レイくん。もう私たちの最初の計画は完全に破綻してる。村を守りきる生存ルートの道は途切れてるの」
レナの言葉はいちいち冷静で、状況を正確に捉えている。
だから、彼女の判断は正しい。
冷酷なわけじゃない。ここで間違っているのは俺の方だ。
「逃げよう、レイくん。逃げて、ふたりだけでも生きていける道を探そうよ」
切実なはずの問いかけ。
だが、レナの声には驚くほど熱量が感じられない。
それどころか、目にも生気が欠けていた。
まるでつまらない台詞を言わされているような。
あるいは、わかり切った確認作業を強いられて退屈しているかのような。
そういう、諦観に染まった表情だ。
予感があった。このまま行けば、致命的な事態が起きる。
それでも、俺はもう『レイ』をやると決めていた。
俺と『レイ』は、当然のように同じ答えを出す。
「それでも俺は、自警団の『レイ』だからさ。村のみんなを守りに行くよ」
薄く、本当に薄く口の端を歪めて、レナが笑った。
「だと思った。レイくん、私の言うことなんていつだって聞いてくれないもん」
悲観、そして諦観。
俺に対する失望がレナの瞳を染め上げていく。
声のトーンは、俺の部屋を去っていった瞬間によく似ていた。
「じゃあもういいや。私、嫌だけどレイくんに合わせてあげる」
何も元通りではなかった。
決定的な断絶がある。
先にレナを拒絶したのは俺の方だとわかっている。
彼女を責めても仕方ないし、理解してもらう努力が必要だ。
だが、今はその擦れ違いをどうにかしている時間がない。
「ああ、美しい。完璧な失意、絶望の萌芽! レイ、あなたはいい仕事をしてくれました。これでまた、我らが王は覚醒に近づく。お礼にプレゼントを贈りましょう。これが私の気持ちです。死者の軍勢による歓待、受けていただけますか?」
言葉が終わるよりも先にピッチフォークで頭部を貫く。
すり抜けた。ロールシャッハの姿が掻き消えて、煙のように消失する。
あとには反響する男の含み笑いが残るだけ。
「くそ、最初から幻かよっ」
「おちついて、レイにい。とにかく麓に戻ろう」
レナに対する様々な感情を、アネットたちはきっと俺の為を想って抑えてくれているのだろう。その配慮は温かいが、少しだけ痛い。
遺跡からの脱出は困難を極めた。
あらゆる場所から湧きだしてくるゾンビやスケルトンといった死霊を撃退しながらの闘争。生き残りの魔獣まで現れて、衛兵のいない俺たちは苦戦を強いられる。
「ちくしょう! 結局、封印も中途半端だ! このままだと全部が台無しになる!」
「レイ、焦るな! 俺らもついてる! 村は団長たちが守ってくれてるはずだ!」
ニックがゾンビを切り伏せながら俺を励ましてくれる。
心強いと思える。それでも、レナの表情は俺の心をかき乱したまま。
俺はロールシャッハという恐るべき敵の手のひらの上で踊らされている。
まだ死んでいないのは、レナの心を闇に誘って覚醒させるという目的に俺たちが利用できるからでしかない。
状況はきっとニックたちが思うよりずっと悪い。
「う、そだろ」
遺跡を出た瞬間、その予感は確信に変わった。
山が、そして世界が死に埋め尽くされている。
レナが使役していた十やそこらの軍勢などお遊びに思えるほどの大軍勢。
雲霞の如く群れをなす腐肉と骨、鬼火と亡霊。
圧倒的な戦力の格差がそこにあった。
無理だ。この包囲は、突破できない。
どうにかできないか。まだ、せめてレナだけでも。
視線を向けた先にいるレナは俺を見ていなかった。
死霊の群れのある一点。山の麓に続く道のあたりをじいっと眺めている。
続いて、アネットがそちらに目を向けてはっと息を呑む。
「何か、来る」
小さな呟き。
次の瞬間、死者で組み上げられた壁に大穴が空いた。
轟音、衝撃、盛大に吹き上がった炎が死を焼き尽くす。
絶望に風穴をあけながら派手に登場したのは、一人の男だ。
俺が知らないのに誰よりもよく知っている姿だった。
『汎用立ち絵・平民男性B』。レイと同じモブ用のキャラグラフィック。
キャラ編集画面で『染料』でも使用したのか、髪は金色に染め上げられており、毛束には躍動感がある。同じ顔であるというのに、自信に満ちたふてぶてしい表情ゆえに受ける印象はレイとは真逆だ。そして鍛えているステータス配分の影響なのか、大胆に開いた胸元から覗く筋肉はニックと並ぶほどに屈強だった。
「よう、レイ。苦戦してるみたいだな」
その声、口調、雰囲気、呼びかけの気安さで即座に確信した。
頼もしいという感情と同時に、猛烈な忌避感と俺自身に対する失意が溢れ出す。
駄目だ。これは良くない感情だ。
屈辱、嫉妬、悲嘆、自分の傷口を抉って痛みに安堵するためだけの無意味な自罰感情、それらを必死に覆い隠すための惨めな虚勢。取り繕うことへの疲労感。
千々に乱れる感情を持て余しているうちにまた状況が動く。
包囲する死者たちの一部が突出し、巨大な死肉の塊となってこちらに向かってくる。立ち位置の関係で、最初に接触するのはレナだ。
俺は即座に『かばう』を発動。目の前には巨大質量。きっと防ぎきれない。だとしても俺は死んでもレナを守らなければならない。
「逃げろレナ!」
ここまで。ここが命を捨てて大切な人を守ろうとした俺の限界だ。
だが、その男は違う。
命を捨てる必要も、逃げる必要もない。
「そこにいていいぞ、レナ。すぐに片付ける」
剣の一振り。柄に埋め込まれた宝石が真紅の輝きを放つ。振り下ろされた大剣からは斬撃の軌跡に沿って爆炎が迸り、赫々と燃え盛る刃となって前方の空間を焼き尽くしていく。迫り来る死は更なる破壊によってあっさりと灰となって散った。
死体の肉片が飛んできて、礫となって俺たちに飛来。
多くは俺が受け止めたが、わずかな破片がレナに当たってよろめく。
その身体を、がっしりとした腕が抱き留めた。
「よう。元気にしてたか?」
「カイくん!」
現れた救世主の名を呼ぶレナの顔に、さきほどまでの陰鬱さはない。
希望が瞳に宿り、表情には活力が戻る。
生き生きとした表情が、一人の男だけに向けられている。
この感覚を、俺は味わったことがある。
ずっと繰り返してきた。何度も何度も、見せつけられ続けた。
血の味が蘇るような記憶だった。
「喜べよ。待ちきれなくて婚約者様が来てやったぜ」
だが、衝撃はそれだけでは終わらない。
その言葉を聞いて愕然としたのは、俺だけでなく『レイ』もだ。
「は? お前、何を」
「一応、この世界での自己紹介をしとこうか。俺はカイ・ギルフォード。元は平民だが成り上がりまくって今は東方伯の養子。でもって次期後継者だ。ここには伯爵の名代として来たが、ついでに婚約の件で内容に変更がある。予想できてるとは思うが」
思えば、レナとレイを巡るストーリーの発端はこの問題だった。
弱者が強者に縋りつく構図。
どうしようもない力の無さが絶望を生み、破局を招いた。
レイは弱い。どうしようもないくらいに無力で、彼ではレナを救えない。
彼は低レアのモブ。圧倒的弱者。
だからこれは、この世界における必然の残酷さでしかなかった。
それなのに。
目の前の男は、同じ姿で同じ低レア。レイと同じどころか役割すら与えられていない完全なる自動生成のモブキャラクターでしかない。
純粋に己の腕と才気のみでのし上がったのだ。
強者は生まれながらに強者である。
それは魂の時点で決まっているのだと、カイは己の存在で証明している。
「レナの婚約者になるのは、この俺だ」
それは、レイにとって二度目となる死刑宣告。
同時に、俺にとっては二度目の宣戦布告でもあった。




