好きな人をお金で買ったので、愛されなくても仕方ありませんわね!
意味のない支援はできない。
大国の王女として生まれ育ったレイチェルは、そのくらいの常識は持ち合わせていた。
(私はサザーランド国のラース殿下のお顔がドタイプで、毎日あの顔を見られたらそれだけで嬉しいなって思うのですけれど……。まず間違いなく我が国の王家がサザーランドの王族に政略結婚を持ちかけた時点で、それは「善意の支援」よりも「侵略」の意味合いが強くなりますわよね)
きらびやかなシャンデリアの光の下、レイチェルの視線の先には、漆黒の長い髪に同色の騎士服姿の青年が立っている。
凛々しく精悍な顔立ちに、炯々と光を放つ青い瞳。周囲の男性陣より上背があり、頭身のバランスやスタイルが抜きん出て良い。
ときどき眉をひそめて物憂げな表情をするのも、不遇な青年らしい影を感じさせて庇護欲をそそられるのであった。
彼はこの国と小国サザーランドを隔てる峻厳な山脈を少数の従者とともに越えて来て、今宵の夜会に参加している。
無理を押して来た理由は、支援の取り付けだ。
サザーランドは国土の大半が山岳地帯であり、氷雪に閉ざされる期間も長く農作物の実りが少ない。平時より穀物の収穫量が不安定なところに、前年の強い寒波で備蓄をさらに減らしてしまい、国民が飢えるのも時間の問題なのだという。
一方で、山脈に寒波が遮られるこの国は、サザーランドと隣接していながら気候は格段に穏やかで収穫も安定している。支援を乞われれば、すぐにでも供出できる潤沢な蓄えがあるのであった。
しかし、いくら困窮を訴えかけられたからとて、他国へ物資をタダで渡すことはできない。
何らかの見返りが必要となる。
困ったことに、国外へ支援を願い出るほど逼迫したサザーランドには、めぼしい産出物は無いのだ。特使として来た第二王子のラースは、国難に際しどんな不平等な条件を課されても飲むつもりのようであったが「要求しようにもサザーランド側に先立つものが何も無い」のである。
会議にはレイチェルも参加していたが、どうにも議論は低調のまま終わった。
ラースを見ながらグラスを傾けるレイチェルの隣に、兄のエドワードが近づいて来た。同じくラースへと視線を向け、溜め息をつく。
「せめて王族の誰かがすでに姻戚関係にあれば『実家支援』などの名目にもできたんだがな。ここ百年ほどあちらの王族と縁を結んでいないので、その線は無い。物が無いなら国民を奴隷として送れと言えないこともないけど、我が国が国際的な批判にさらされるだけだ」
ハハッ、と面白くもない冗談に乾いた笑いを漏らすエドワードは、普段よりもきらびやかな装いをしている。
今宵の夜会は、タイミング的にサザーランドの使節団の歓迎会も兼ねる形になったが、もともとエドワードの結婚報告のために準備されていたのだ。かねてからの婚約者と、三ヶ月後に結婚式を挙げることについて、周知をはかる目的があった。
もし婚約すらしていなければ、サザーランドの姫君との結婚を機に属国にするような交渉もあり得たかも知れないが、仮定としても成立しない。
現在、この国の王族で結婚相手が決まっていないのは、二十歳のレイチェルだけであった。
(その私が、ラース王子と結婚したいなんて言い出したら……。少なくとも、ラース王子に所領があれば実質そこを我が国へ組み入れるくらいの条件を飲んでもらうことに)
どうなのかしら……と考えているうちに、ふと視線に気づいたようにラースが顔を向けてきた。
目が合うと、切なげに眉がひそめられ、まさに憂国とも言うべき表情が浮かぶ。
その瞬間、レイチェルは決めたのだ。
支援を承諾する代わりに、なんとしてもラース王子に政略結婚を認めさせようと。
これは人助けなのである。
適切な方法が他に無い以上、仕方ない。
* * *
ラースとの政略結婚に関して、準備のすべては恐るべきスピードで進行した。
彼は第二王子で国には兄である王太子が残っていたので「行き来でかかる経費を考えれば、もう帰らなくて良い。結婚式や新居に関してはすべてこちらの国で用意する」と王宮に留めて手続きを進めたのである。
ラースはサザーランドの王家から籍を抜いた。彼の所領はレイチェルの個人資産に組み込む形で庇護下に置くこととし、代官を派遣して治めることにした。
王族のひとりとその所領を貰い受けたので、国としても支援は惜しまずに行った。
実質、レイチェルがラースの頬を札束ではたいて買ったようなものである。
エドワードは「まるで美少女を見初めた金満家のオッサンのようだ」と妹の行動を評した。レイチェルとしても思うところはあったが、ラースに「国に婚約者はいますか」と尋ねたところ「いませんし、その予定もありません」とのことだったので結婚の話を持ちかけたのだ。
彼は驚いた様子ではあったものの「あなたさえ良ければ、願ったり叶ったりです」と承諾してくれたのである。
(そういうわけで、二か月のスピード結婚。エドワード兄様を追い越してしまいました!)
翌月にエドワードの挙式があるため、式自体はささやかなもので終えた。新居は準備中のため、ラースは王宮内での滞在場所をレイチェルの宮へ移動した形となる。
初夜は慣れ親しんだレイチェルの部屋であった。
ラースは別室で身支度を整えるということで、レイチェルは緊張してその訪れを待った。
「す、好きなひとをお金で買ってしまいました……」
若い王族としてレイチェルの個人資産は決して多くはなかったが、可能な限りサザーランドへ寄付として注ぎ込んだのだ。
後悔はない。
人助けの一環なので、達成感はある。
しかし、レイチェルとてひとの「心」までお金で買えないことは百も承知だ。たった二か月の準備期間は、互いに忙しくて個人的な会話をするどころではなかった。
それだけに、今日ラースがどんな気持ちで初夜に臨むのか気になり、もはや気が気ではない。
「姫様、失礼します」
ドア越しに静かな声が聞こえ、初めて会ったときと同じ騎士服を身に着けたラースが姿を見せた。
今日、このまま甘やかな夜を過ごそうという雰囲気はなかった。
いつも通りの憂いを帯びた表情で、ソファに腰掛けていたレイチェルの元へと歩み寄って来る。
何を言われるのか怖かったが、レイチェルは弱気にならないように深く息を吸った。
(座っている場合ではないわね!)
夜着にガウンを羽織った姿のレイチェルは、文字通り飛び上がってラースと向き合った。
「あのっ……本日はラース様のご協力のもと、結婚式をつつがなく終えられましたこと、心よりお礼を申し上げますっ! 私の夫になっていただき、誠にありがとうございます!」
「姫、お顔を上げてください。私は姫に申し上げなければならないことがあります」
ぴょこんと頭を下げたレイチェルに対し、ラースは固い声音でそう言った。しかも即座にその場に片膝をついて、レイチェルを見上げるような体勢となった。
「ラース!? ラース様こそ、そのような真似はおやめください! 貴方様はもう私の夫なのです!」
まるで臣下のように振る舞われて、レイチェルは驚いてしゃがみこんだ。
目線を合わせて、えへっと笑いかける。
無言のまま、ラースは腕を伸ばしてレイチェルを抱き上げると、そばのソファに座らせた。自分は座らずにもう一度絨毯に片膝をつき、レイチェルを見つめて言う。
「この際ですから、はっきり申し上げます。私はこのまま、貴方の夫となるつもりはありません。今夜この場で、あなたを愛することはないでしょう」
一字一句、聞き間違えようもないほどはっきりと言われて、レイチェルは目を見開いた。
「愛することはない……」
「はい」
背筋を伸ばし、視線を合わせてラースは短く返事をする。
悲しみとともに涙がこみあげてきて、レイチェルは「うっ」と喉を詰まらせた。
「お金で買ったわけですから、覚悟はしていましたけれど……。面と向かって言われると辛いものがありますね」
ラースはいつものように物憂げに眉をひそめて唇を引き結び、何も言わなかった。
(ああ、私は本当にこの方のお顔が好きだわ。たとえ心から愛されることはなくとも、この方はもう帰る場所も無く、この先ずっとここで暮らすのよね。だって私の夫なんですもの)
レイチェルは、しみじみと自分の正直な気持ちを口にした。
「もし私が男で、あなたが華奢な女性だったら、心が無いと言われてもお構いなしに『だからなんだ、妻の役目を果たせ』なんて言ってベッドに押し倒すのかもしれませんけれど、さすがにこの体格差ではそういうわけにもいきませんものね……」
レイチェルは女性として平均的な体格である。見るからに鍛え抜かれた筋肉を持つ長身のラースに立ち向かう力はない。だからラースが動かないうちはどうにもできないのだと、ついめそめそしてしまう。
ここで、ラースは激しく動揺した様子で「姫様……」と呟いてから叫んだ。
「私があなたを愛さないというのは、抱かないという意味です!」
なぜもう一度宣言されたのかわからないまま、レイチェルもまた「通じていますわよ!」と反射的に叫ぶ。
「私のようなずるい女は愛せないからでしょ!?」
「『ずるい』って、なんですか? 私は姫様に返しきれないほどの大恩があります! たとえ姫様とて、私のレイチェル様の悪口はやめてください!」
ぱちぱち、とレイチェルは目を瞬く。
「『私のレイチェル様』って? 私、いままでラース様に名前で呼ばれたことなんてないわ」
どういうこと? と首を傾げるレイチェルに対し、ラースはもはや自棄になった様子で自らの胸に手をあてて早口で続けた。
「レイチェル様は、我が国に救いの手を差し伸べてくださった天使です。こんな清らかな乙女がこの世にいるものかと、私は感激しました。そして生涯の忠誠を誓いました。そのあなたを、たとえ結婚式が済んだからといって、私のような形式上の夫が我が物顔で抱くだなんてとんでもないです」
ここでようやく、彼の言う「愛する」が「ベッドの上で抱き合うこと」を指しているらしいとレイチェルは察した。
注意深く、確認をする。
「忠誠は『好き』とは違うから……愛し合えないのですか?」
「『好き』ですよ。全身全霊をかけてお慕いしています。操を立て、生涯あなた以外を愛さないという意味です」
「それって『大好き』ということですの?」
「はい。『大好き』です」
まったく、自分自身に疑問を感じていない様子でラースは強く言い切った。
レイチェルは「抱く」という直接的な言葉を口にすることに恥じらいを覚えていたものの、行き違いを避けるために敢えて尋ねた。
「『大好き』なのに抱けないのですか?」
ラースは真面目くさった顔のまま「そうです」と認めた。
「男女が抱き合った場合、女性は大切なものを失ったとみなされることがあります。もしかして子どもも授かるかもしれませんが、そうなると離縁はしにくく、再婚は圧倒的に不利になります。俺は姫様のものですが、姫様の自由を奪いたいとは思いません」
「待ってください。私はあなたをお金で買って自分の夫にしたんです。この先ラース様はずっと私のものですが、結婚という形式なので私もあなたのものです。子どもを授かったら嬉しいです。離縁しないでいただけますか?」
すれ違いたくないあまりに、レイチェルはひといきにそう言ってからダメ押しも忘れなかった。
「私もラース様のことが大好きなんです。国難に際し、自ら山を越えてきた意志の強さと筋肉。大国相手に物怖じ無く交渉する精神力。お金で買われても失われない気高さ」
何よりそのお顔が……! という部分は心の中で。
ラースはゆっくりと顔を赤らめ、そわそわとした様子で視線を泳がせた。
「大好き……」
もごもごと呟いている。
その様子を見ていたら、レイチェルもうずうずとしてしまった。
「私が男でラース様が女性でしたら、この流れで絶対ベッドに引きずり込んでいましたね」
「……そ、それが姫のお望みでしたら……」
咳払いをしながら、ラースが言う。
一方のレイチェルは、悩ましい思いで溜め息をついた。
「実は私、結婚が急遽決まったもので、閨事のお勉強が追いついておりませんでして。押し倒した後に何をするのかわかっておりませんの。ですから、ラース様が私に手加減をして自らベッドの上で倒れてくださっても、私には手の出しようがないのです」
ラースは目元まで赤く染めつつ「自分は一通り座学は終えています。ですので知識はあります」と言った。
レイチェルはそれに頷いてみせてから「私も、ほんの少しだけなら」と答える。
「まずは体に触れるのですよね」
「そうですね」
レイチェルはラースの手を取って立ち上がらせつつ、自分も立ち上がって宣言した。
「少しずつ進めましょう。焦らなくても私たちはもう夫婦なのですから、時間はありますわ」
「少しずつ?」
ほんのり切なげな目をしたラースを見上げて、レイチェルは力強く頷く。
「好きな女性を我が物とした男のひとが何をするのか――私は、まずはお胸を触るのかと思っていました。けれど、ラース様のお胸を触っても……触っても良いですか?」
「楽しくはないと思います!?」
警戒した様子のラースを見て、レイチェルは「違うらしい」と理解した。
「ではこうしましょう。お胸ではなく、お尻を触ります」
お尻を触って何が楽しいのかわからないけれど、何か意味はあるのよね? と思いながら伸ばしたレイチェルの手を掴み、ラースは真っ赤な顔のまま叫んだ。
「キスをしましょう。まずはキスがいいと思います!」
有無を言わさぬ勢いで、抱き上げられる。
触れ合ったラースの胸が、痛いほどドキドキと鳴っているのを聞く。
(ああ、ラース様は本当に「大好き」みたい。両思いってことでいいかしら?)
ドキドキとしながらラースの端整な顔を見上げると、甘い微笑みを向けられた。
胸がいっぱいになり、レイチェルは目を閉ざす。
ラースは、額に口づけてから、唇を重ねてきた。
まるでレイチェルの心の声に応えるように「好きです。大好きです、レイチェル様」と囁きながら。
※最後までお読みいただきありがとうございました!




