1 寺子屋の判じ物
本作は、江戸の日常の小さな謎を描く連作「鏡花水月謎解帖」シリーズ第2作です。
前作「蕎麦の花」を読んでいなくても楽しめる内容になっています。
中山道沿いの眞性寺。
今日も子どもたちは元気ですが、貼り出されたのは算題ではなく判じ物でした。
「水絵姉ちゃん、あれはないぜ」
中山道沿いにある眞性寺その寺子屋で師匠見習いをしている水絵が、山門をくぐった時だった。
そこで待ち構えていた寺子の新吉に言われた。
「算題で礼次に負けちまって悔しいのはわかるけどさ、あんな判じ物貼り出すなんて、ちょっと卑怯だぜ」
卑怯などという強い言葉を使ってはいるが、それほど腹を立てていないことは、新吉のにやにや顔を見ればわかる。たぶん、おぼえたての「卑怯」という言葉を使ってみたかっただけだろう。
「なんのこと?」
本当に意味がわからなかった水絵が問い返す。
「え? 水絵姉ちゃんじゃなかったのかい? 寺子屋に貼ってある判じ物」
「判じ物?」
話しながら歩いていた二人は、寺子屋までたどり着いていた。
「これだよ」
新吉が指した先には、一枚の半紙が貼られていた。いつも、祐光師や鏡之介が算題を貼り出す場所だ。新吉が「判じ物」といったとおり、それは算題ではなかった。
半紙の中央に大きく描かれているのは、地蔵菩薩の絵。色味と姿形から、間違いなくここ眞性寺の地蔵菩薩坐像を描いたものとわかる。
現物と違うのは、色々な場所に、松、竹、梅、桜、茄子、瓜、大根、牛蒡などのさまざまな絵が書き添えられていることだ。
絵の右上、右下、そして左下に、細かな文字が書き込んであるが、ちょっと読んだだけでは意味がわからない。だから、新吉は「判じ物」といったのだろうが……。
「これ、いつから貼られていたの?」
「知らない。おいらが来たときは貼ってあった。いつもの算題とちょっと違うから変だなって思ってたんだけど、祐光先生も、鏡之介先生も自分が貼ったものじゃないって。だから、水絵姉ちゃんかなって思ったんだけど」
違うの? と顔をのぞき込んでくる新吉に頷きながら、水絵はその半紙をはがした。細かい字を読むためにはがしたのだが、最初から感じていた違和感に確信を持つ。
この紙は、真新しい半紙だった。この寺子屋では、まず使わない。祐光師にしろ、鏡之介にしろ、算題を書くのは反古紙だ。だから、これを書いたのは寺子屋の者じゃない。まず間違いないだろうと、水絵は文字を読んだ。
右上に書かれていたのは――。
干支
源氏物語 伴大納言 信貴山縁起 鳥獣人物戯画
市村座立作者
彼岸花
右下には――。
石作皇子 車持皇子 右大臣阿倍御主人 大納言大伴御行 中納言石上麻呂
左下には――。
笠森稲荷 鍵屋
大海知らぬ蛙の居場所
稲育つところ
明るく照らすが燃え尽きるもの
亀に乗りて竜宮城を訪れし者
謎の解き方はすぐにわかった。頭の中で一文字一文字解いていると、不意に声をかけられた。
「やっぱり、水絵じゃなかったろう?」
いつの間にかそばに来ていたのは、算法を教えている賢木鏡之介だった。
「そっか。鏡之介先生があたりか」
とつまらなそうに言うところをみると、この半紙を貼ったのが水絵かそうでないか、新吉と鏡之介で意見が分かれていたらしい。
「賭けは、俺の勝ちだな」
「……わかったよ」
「寺子と賭け事なんかしないでください」
聞き捨てならない言葉に、水絵が眉をつり上げると、
「違う違う」
と、鏡之介が手を顔の前で振った。
「賭けたのは寺子屋の掃除だ。負けた新吉は、帰る前に拭き掃除することになっている」
「負けたのが鏡之介さんだったら、拭き掃除するつもりだったんですか?」
尋ねると、鏡之介はにやっと笑い、半紙に目をやった。
水絵も真新しい半紙なんて使わない。さっき水絵がしたのと同じ見立てを鏡之介もしたということだ。だから、負けないとわかっていた。大人げない……と思ったが、水絵が口にしたのは、別の言葉だった。
「鏡之介さん。市村座の立作者って誰だかわかりますか?」
この判じ物で、水絵がわからなかったのはそこだけだった。歌舞伎など見たことがない。有名な役者の名前なら、何人か聞いたことがあるが、作者の名前など気にしたこともない。
「金井三笑。いや、今年の顔見せから桜田治助に変わっているか」
鏡之介はこともなげに答えた。
「かない……さくらだ……さくらだの方だわ」
つぶやくようにいうと、
「もう解けたの?」
新吉が目を輝かせてきいてきた。
「わからないわよ、こんなの、誰かのいたずらでしょ」
そう言うなり、水絵は半紙を折りたたみ、袂にしまう。
「なんだよ、わからないのかよ。この前、ついに算題で礼次に負けちゃったのに、判じ物もだめなのかよ」
新吉の言うとおりだった。寺子屋で鏡之介が教えるようになってから、前ほど頻繁ではないが、算題を宿題として貼り出すことが何度かあった。挑戦するのは、相変わらず、礼次と水絵のふたりだけだったが……。
夏頃までは、水絵もなんとか食い下がっていた。だが、秋風が吹き始めたつい先日。ついに、水絵は解けず、礼次だけが正解を出す……という事態になってしまっていた。
水絵はかなり悔しい思いをしたし、そのことを新吉に言われるたびにひどく腹を立てていたのだが、今日の水絵はそれを聞き流す。
言い返してこない水絵を、つまならそうに見上げる新吉の頭をぽんとたたくと言った。
「さあ、はじめるわよ。座って。みんなも早く」
水絵は、子どもたちを急かして手習いをはじめる。そんな様子を、鏡之介が面白そうに、だが、どこか哀しげな顔で見つめているのに、半紙のことで頭がいっぱいの水絵は、気づく余裕がなかった。
判じ物は解けましたが、解けないものもあるようです。
続きもお付き合いいただければ幸いです。




