「可愛げがない」と婚約破棄された公爵令嬢ですが、氷の魔公爵様に拾われて溺愛されています。~今さら「国が回らない」と泣きつかれても、領地経営と旦那様とのイチャイチャで忙しいので帰りません~
1.断罪と解放
王宮の舞踏会場は、静まり返っていた。
煌びやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が響き渡る。
「バイオレット・エルフォード公爵令嬢! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」
彼の隣には、ピンク色のふわふわとした髪をした小柄な少女がしがみついている。男爵令嬢のリリィだ。彼女は怯えたように震えながら、上目遣いで王太子を見上げている。
対する私、バイオレットは、無表情のままカーテシーをした。
「……殿下。理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「理由だと? 自分の胸に聞いてみろ! 貴様には『可愛げ』というものが欠片もない!」
王太子は軽蔑の眼差しを私に向けた。
「リリィを見ろ。彼女はいつも笑顔で、俺を癒やしてくれる。だが貴様はどうだ? 会えば予算がどうだの、治水工事の進捗がどうだのと、小言ばかり! その指を見ろ、インクの染みがついた薄汚い手だ。それが王妃になる女の手か!」
私は自分の手元に視線を落とした。
確かに、中指にはペンだこがあり、爪の先には落ちにくいインクが染み込んでいる。
けれどそれは、本来なら王太子がやるべき書類仕事を、私が徹夜で代行していた証拠だった。彼がリリィと遊び歩いている間、私は国の財政破綻を防ぐために駆け回っていたのだ。
「それに貴様、リリィをいじめたそうだな?」
「いじめた、とは?」
「彼女に『王妃教育の勉強時間が足りない』などと厳しく当たり散らしたと聞いている! か弱い彼女を追い詰めるなど、まさに悪役令嬢の所業!」
……当たり前の指摘をしただけなのだが、彼の中では「いじめ」に変換されているらしい。
「よってバイオレット、貴様を国外追放とする! 二度と俺の、そしてリリィの視界に入るな!」
会場中から、嘲笑と哀れみの視線が突き刺さる。
普通なら、泣き崩れるか、激昂する場面だろう。
しかし──。
(ああ……やっと、終わるんだ)
私の胸に去来したのは、深い絶望ではなく、圧倒的な「安堵」だった。
3歳から始まった厳しい王妃教育。
10歳から任された公務の代行。
平均睡眠時間3時間の過重労働。
「王太子殿下を支えるのがお前の役目だ」と父に言われ続け、心を殺して働いてきた。
でも、もうやらなくていいのだ。
この馬鹿な王太子の尻拭いも、傾いた国のやりくりも。
「……謹んで、お受けいたします」
私は深く頭を下げた。
涙は出なかった。ただ、肩の荷が降りて、体が軽くなるのを感じた。
「ふん、強がりを。……衛兵! こやつを連れ出せ! 今すぐにだ!」
私は衛兵に囲まれ、会場を後にしようとした。
その時だった。
「──待て」
広間の空気が、一瞬で凍りついた。
物理的な意味ではない。肌が粟立つような、圧倒的な魔力の重圧が空間を支配したのだ。
入り口の扉が開き、一人の男が入ってきた。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪。氷河のように冷たいアイスブルーの瞳。
長身痩躯の体に、北方の軍服を纏ったその男の名を知らない者はいなかった。
北の辺境伯、フェリクス・アークライト。
魔獣ひしめく極寒の地を武力で統治し、『氷の魔公爵』と恐れられる男だ。
滅多に王都に顔を出さない彼が、なぜここに。
「フェ、フェリクス公? 何の用だ?」
先ほどまで威勢の良かった王太子が、情けない声で後ずさる。
フェリクス様は王太子を一瞥もしなかった。
彼はまっすぐに私の前まで歩いてくると、跪いた。
「え……?」
会場がどよめく。
あの『氷の魔公爵』が、追放された令嬢に跪いているのだ。
「バイオレット嬢。……貴女を、もらい受けたい」
「は……?」
「聞き及んでいる。貴女の婚約は破棄されたと。ならば、私が求婚しても問題あるまい」
彼は私の手──王太子が「薄汚い」と罵った手──を、恭しく取った。
その手つきは、壊れ物を扱うように優しかった。
「私はずっと見ていた。貴女が誰よりも働き、誰よりも国を思っていたことを。貴女が立案した北方支援策のおかげで、私の領民は今年の冬を越すことができた」
「あ……あれは、私の独断で……」
「そうだ。王太子は却下したが、貴女が私財を投じて手配してくれた。……私は、貴女のその知性と、高潔な魂に惚れている」
彼は私の手の甲に、口づけを落とした。
「私の領地は寒く、何もない場所だが……貴女を絶対に不幸にはしない。来てくれないだろうか」
顔を上げると、冷酷無比と言われる彼の耳が、ほんのりと赤くなっているのが見えた。
その瞳は、真剣そのものだった。
王太子には「可愛げがない」と言われた。
父には「道具」として扱われた。
けれどこの人は、私の「仕事」を見ていてくれた。私自身を、必要としてくれている。
私の瞳から、これまで止まっていた涙が溢れ出した。
「……はい。私でよろしければ」
2.北の辺境にて
それから一ヶ月後。
私はフェリクス様の治める北の地、アークライト辺境伯領にいた。
王都からは馬車で一週間の距離。一年中雪が降る極寒の地だ。
追放された身として、屋根裏部屋でも与えられれば御の字だと思っていたのだが──。
「どうだバイオレット、寒くはないか? 暖炉の薪を増やそうか? それとも毛布をもう一枚?」
「いえ、フェリクス様。もう十分暖かいです。というか、これ以上着込むと動けません」
私は苦笑した。
フェリクス様は、私を城で一番日当たりの良い部屋に住まわせ、最高級の毛皮やドレス、そして美味しい食事を与えてくれた。
それどころか、公務の合間を縫っては、こうして様子を見に来てくれる。
「そうか……。すまない、女性の扱いには慣れていなくて」
「ふふ、お優しいのですね」
彼は不器用だった。
言葉数は少ないし、表情も硬い。けれど、その行動の端々に不器用な優しさが詰まっている。
「フェリクス様。あの、そろそろお仕事をさせていただけませんか?」
「仕事?」
「はい。ただ飯をいただくわけにはいきません。私にできることなら何でも……」
私が申し出ると、彼は少し困った顔をして、執務室から山のような書類を持ってきた。
「実は……領地の財務管理が追いついていないのだ。武官ばかりで、計算ができる者が少なくてな」
「拝見します」
私は書類を受け取り、パラパラとめくった。
……なるほど。帳簿は雑だが、素材はいい。北方は魔石や希少金属の産地だ。流通経路さえ整理すれば、莫大な利益が出る。
「……3日ください。立て直してみせます」
「3日? いや、無理はしなくていいのだぞ」
「いいえ、やらせてください。これが私の、貴方への恩返しですから」
そこからの私は、水を得た魚だった。
久々にペンを握り、数字と格闘する時間は楽しかった。
何より、王都時代と違って「邪魔が入らない」。王太子のワガママに振り回されることもなく、純粋に成果が出る仕事ができるのだ。
3日後。
私が提出した改革案を見て、フェリクス様と彼の部下たちは絶句した。
「す、すごい……。無駄な支出が3割も減っている」
「新たな交易ルートの開拓……これなら南部の商人も食いつきます!」
「奥様は天才だ! 女神様だ!」
強面の騎士たちが、手放しで私を称賛してくれる。
フェリクス様は、愛おしそうに私の頭を撫でてくれた。
「ありがとう、バイオレット。やはり君は素晴らしい。……だが、約束してくれ。無理はしないと。君が倒れたら、私は生きていけない」
「フェリクス様……」
彼に抱きしめられると、冷たいはずの北の空気が、とても温かく感じられた。
インクで汚れた私の指を、彼は「美しい勲章だ」と言ってキスをする。
ここでは、私は「可愛げのない女」ではなく、「かけがえのないパートナー」になれたのだ。
3.崩壊する王国
一方その頃、王都では異変が起きていた。
「おい! なぜ予算が足りないんだ!」
「そ、それが……今までバイオレット様が裏帳簿を駆使して捻出していたようで……正規の手続きではもう……」
「隣国との条約更新はどうなった!?」
「期限が過ぎております! バイオレット様が前もって準備されていた書類が見当たらず……」
王太子エドワードは、執務室で頭を抱えていた。
バイオレットがいなくなってから、国政は坂道を転げ落ちるように悪化していた。
彼女は単なる事務屋ではなかった。
各派閥の貴族たちを調整し、予算を配分し、王太子の失言を裏でフォローし、外交問題を未然に防いでいたのだ。
その全てを一人でこなしていた彼女がいなくなり、機能不全に陥るのは当然だった。
「ねえエディ〜、新しいドレス買って〜」
「うるさいリリィ! 今それどころじゃないんだ!」
「ひどぉい! エディのバカ!」
癒やしだったはずのリリィも、今ではただの重荷だった。
彼女には教養がない。公務の手伝いなどできるはずもなく、ただ浪費するだけ。
「くそっ……どうすれば……」
その時、側近が駆け込んできた。
「で、殿下! 北の辺境伯領から報告が! かの地で、大規模な魔石鉱脈が発見されたと!」
「なに!?」
「しかも、新たな交易ルートによって、辺境伯領は空前の好景気だそうです! その中心にいるのは……バイオレット様だと」
エドワードの顔色がかわる。
「バイオレットが……? そうだ、あいつだ。あいつさえ戻ってくれば、この書類の山も、財政難も、すべて解決する!」
彼は都合の良い妄想に憑りつかれた。
自分は王太子だ。命令すれば、あいつは喜んで戻ってくるはずだ。
今なら許してやってもいい。側室くらいにはしてやろう。
「馬車を出せ! 北へ行くぞ!」
4.愚か者の来訪
その日、アークライト城のエントランスは騒然としていた。
突然、王太子の馬車がやってきたのだ。
私とフェリクス様は、並んで彼を出迎えた。
やつれ果てた王太子エドワードは、私を見るなり叫んだ。
「バイオレット! 迎えに来てやったぞ!」
開口一番のその言葉に、私は呆れて溜息が出そうになった。
隣でフェリクス様が、殺気を含んだ冷気を放つのを、そっと手で制する。
「殿下。追放処分を受けた私に、何の用でしょうか」
「ふん、強がるな。辺境での暮らしは辛かろう? 特別に許してやる。王都に戻り、また俺のために働け。リリィも『お姉様がいないと勉強がわからない』と泣いているぞ」
……正気だろうか。
謝罪の言葉ひとつなく、また都合よく使おうというのか。
「お断りします」
「は?」
「私は今、この地で幸せです。私の能力を正当に評価し、愛してくれる旦那様がいますから」
私はフェリクス様の腕に手を回した。
フェリクス様は強く頷き、私を抱き寄せる。
「……聞こえなかったか、王太子。私の妻に気安く触れるな」
「なっ、貴様! 王族の命令に逆らうか! バイオレット、お前もだ! 国を見捨てる気か!」
王太子が逆上して喚く。
国を見捨てる。その言葉に、私の中で何かが切れた。
「見捨てたのは、貴方の方です」
私の静かだが、よく通る声が響いた。
「私は人生の全てを国に捧げてきました。自分の時間も、心も、すべて。でも貴方はそれを『可愛げがない』と切り捨てた。……今さら国が回らない? 知りません。それは貴方が選んだ『可愛いリリィ』とやらと二人で解決してください」
「な……」
「私はもう、貴方の道具ではありません。フェリクス・アークライトの妻、バイオレットです。二度とここへは来ないでください」
冷徹な拒絶。
エドワードは顔を真っ赤にして、衛兵に命じた。
「お、女ごときに……! おい、こいつを無理やりでも馬車に乗せろ!」
衛兵たちが動こうとした、その瞬間。
ドォォォン!!
凄まじい冷気が爆発し、王太子たちの足元が瞬時に氷漬けになった。
フェリクス様だ。彼のアイスブルーの瞳が、絶対零度の怒りに燃えている。
「私の妻を侮辱し、あまつさえ奪おうとするとは……。王族と言えど、容赦はしない」
空気が凍りつき、氷の槍が無数に空中に生成される。
本気の殺気だ。
「ひ、ひぃぃっ!!」
「フェリクス、もういいわ」
私は彼の腕に触れた。これ以上やると、本当に殺してしまう。
「こいつらに、貴方の綺麗な手を汚す価値なんてないわ」
「……バイオレット」
フェリクス様は、氷の槍を消し、私を優しく見つめた。
そして、氷漬けでガタガタ震える王太子たちを見下ろした。
「失せろ。二度と我が領土に足を踏み入れるな」
王太子たちは、情けない悲鳴を上げながら、氷を砕いて逃げ帰っていった。
その背中は、かつての威光など見る影もなかった。
エピローグ
その後、王国はどうなったか。
噂によると、政務は滞り、民の支持を失った王太子は廃嫡されたらしい。代わって優秀な第二王子が即位したそうだが、混乱が収まるにはまだ時間がかかるだろう。
けれど、それはもう遠い国の話だ。
「バイオレット、顔色が悪いぞ。少し働きすぎじゃないか?」
「もう、フェリクス様ったら過保護なんです。これくらいの計算、すぐに終わります」
「だめだ。今日はもう仕事禁止。……俺の膝の上で、ホットココアでも飲むように」
「ええっ、そんな子供扱い……きゃっ」
私は彼に軽々と抱き上げられ、暖炉の前のソファへと連れて行かれた。
彼の膝の上は、どんな椅子よりも座り心地がよくて、温かい。
「愛しているよ、バイオレット。君は俺の宝物だ」
「……私もです、フェリクス様」
窓の外は吹雪。
けれど、ここには春のような温もりがある。
「可愛げのない」元悪役令嬢は今、氷の魔公爵様に溺愛され、誰よりも幸せに暮らしている。
了
初投稿です。
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