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最高の元カノの話をしよう

作者: 墨江夢

 〜現在〜


 金曜日の仕事終わり、俺・島崎哲夫(しまざきてつお)は同期の桜間志津(さくらましづ)と一緒に会社近くの居酒屋に来ていた。

「取り敢えず生」から始まった、二人きりの飲み会。社内でも可愛いと有名な桜間とサシで飲む(しかも誘ってきたのは桜間の方だ)わけだから、嬉しさ半分緊張半分だった。


 仕事への愚痴から始まった飲み会だったが、お互いにある程度酒が回ってきたところで、話題は大きく変わる。


「ねぇ、島崎くん。島崎くんの恋バナを聞かせてよ」

「恋バナ?」

「うん。因みに今、特定の相手がいたりする?」

「残念ながら、いないよ。寂しい独り身です」


 仕事一筋で、恋愛なんかにかまけている暇はない……なんて言うほど、愛社精神豊富なわけじゃない。

 彼女が欲しいと思うし、結婚願望だってある。だけど……


 チラッ。俺はさり気なく桜間を見る。

 桜間に好意を抱いている以上、たとえ告白されたとしても他の女性と付き合うなんて考えられなかった。


「……私にとっては、「残念ながら」じゃないんだけど」

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、気にしないで。……今彼女がいないのはわかったけど、昔は? 学生時代はどうだったの?」

「学生時代、ねぇ……」


 一口に学生時代と言っても、色々ある。小学時代、中学時代、高校時代、そして大学時代。

 だというのに、俺は学生時代と聞いて本能的に高校時代を思い浮かべてしまった。


 理由は考えるまでもない。高校時代というのが、俺にとって唯一彼女のいた時期だったからだ。


「いたよ。高校一年の時、二つ上の先輩と付き合ってた」

「嘘!?」

「こんなところで見栄なんか張るかよ。交際期間は、半年くらいだったかな」


 あれから10年近く経つわけだけど、当時の思い出は今でも鮮明に覚えている。俺の元カノは、それくらい魅力的な人だった。

 

 無意識のうちに微笑んだ俺を見て、桜間は「ふーん」と呟く。


「島崎くんは、その元カノさんのことが本当に好きだったんだね」

「まぁな。そもそも好きじゃなかったら、付き合ったりしねーよ」

「そりゃそうか。……もし良かったらその元カノさんの話、聞かせてくれないかな?」


 この女、俺の青春時代の思い出を酒の肴にするつもりだな?

 でもまぁ、10年ぶりに元カノのことを思い出すのも悪くない。

 彼女が如何に素晴らしく、最高の元カノだったのか、是非とも桜間にも知って欲しいものだ。


「それじゃあ話すぞ? ちょっと長くなるけど、飽きずに聞いてくれよな? 俺の元カノ、雪さんとの出会いは夏休み明けだった――」





 〜10年前〜


 この頃の俺は、近くの公立高校に通う男子高校生だった。

 当時の俺はお世辞にも人付き合いが得意な人間ではなく、入学して5ヶ月が経つというのに、未だにクラスに馴染めずにいた。


 二学期の始業式。

 この日は学校が昼までだったので、放課後どこかに遊びに行く生徒が沢山いた。

 カラオケやボーリングや、昼食時なのでファミレスや。駅近の高校ということもあり、遊びに行く場所はいくらでもある。


 しかし俺には誘う相手も誘われる相手もいない。なので終業のチャイムが鳴るなり、下校することにした。


 いつもより空いている電車の中で、ぼっちらしく本を読んでいると、同じ学校の女子生徒が俺のすぐ隣に座った。


 平日昼間ということもあり、座席なんて沢山空いている。わざわざ隣に来る必要なんてないというのに。

 そう思いながらも、どこに座るのかは女子生徒の自由なので無視を続ける。するといきなり彼女が声をかけてきた。


「何読んでるの?」


 そんな問いかけと興味津々な眼差しを向けられては、もう無視することなど出来ない。

 俺は一度本から視線を外し、彼女に答えた。


「夏目漱石の『三四郎』ですけど」

「夏目漱石……あー! 「名前はまだない」ってやつか!」


 いや、それは『吾輩は猫である』だから。同じ夏目漱石の著書だけど、作品が違うから。

 第一題名が『三四郎』だし。思いっきり名前あるし。


「私は芹沢雪(せりざわゆき)。3年生よ。あなたは?」

「……島崎哲夫です。1年です」

「1年かー。良いね、初々しいね」


 もう入学して半年近く経っている。初々しさなど桜の花びらと一緒に散ってしまっただろうに。

 

 自己紹介を終えると、芹沢先輩は何やら俺を観察し始めた。


「……何ですか?」

「今日の学校は午前中で終わり。その上夏休み明けでクラスメイトたちと会うのは実に1ヶ月ぶり。だというのに誰とも遊びに行かずこうして一人で下校しているということは……さては君、友達いないな?」

「何でわかった!?」

「簡単な推理だよ、ワトソンくん。私も同じだからさ」


 芹沢先輩も、誰ともどこにも遊びに行かずに一人で電車に乗っている。俺と状況が同じなら、ぼっちという性質も同じなのは当然だ。


「読書、面白い?」

「良い時間潰しにはなりますね。ぼっちにとって本は1番の友達なんですよ」

「じゃあ本以上の友達が出来たら、君は読書以外にも色々な経験が出来るわけだ」

「まぁ、そうなりますかね」


 カラオケやボーリングも、嫌いなわけじゃない。ただ一人で行くのが味気ないから、行かないだけだ。

 もし友達がいたならば、そういったことを自発的に経験することになるのだろう。


「じゃあさ、私と友達になろっか?」


 自身を指差しながら、芹沢先輩は言う。俺は思わず「は?」と返してしまった。


「ぼっちとぼっちがこうして出会ったのは、きっと運命だったんだよ。今私たちが友達になると、どうなるかわかるかい?」

「……すみません。わかりません」

「世界からぼっちが二人減るんだよ! これは凄いことだと思わない?」


 特に思わない。……と素直に答えるわけにはいかない。後輩として、先輩の顔は立てなければ。

 俺は無難に「まぁ」と返しておいた。


「話もまとまったところで、三四郎くん。私と友達になろう!」


 差し出された右手を、俺は握り返す。


「わかりました。よろしくお願いします、先輩。……あと俺は三四郎じゃありません」

「嘘!?」


 嘘じゃないっての。初めから人の名前間違えているんじゃねぇ。





〜現在〜


「それで、島崎くんはその芹沢先輩と友達になったの?」

「あぁ。あの後すぐに電話番号を交換して、俺のケータイの電話帳に始めて家族以外の人間の名前が登録されたんだ」

「嘘……。ぼっちだったなんて、今の島崎くんからは到底信じられないよ」


 今の俺の性格は、比較的明るい。同期の中ではムードメーカー的ポジションにいたりする。

 でもそれは、高校時代の経験があったからだ。


「芹沢先輩とは、気が合ったの?」

「お互いにプライベートの時間は大切にしたいタイプだったからな。「友達だから」を理由に行きたくない場所に付き合うことなんてしなかったし、それを不満に思うこともなかった。そういう適度な距離感が、俺たちの友情を形作ったんだと思う」

「へぇ」


 でも……その友情も、長続きしなかった。

 原因は、俺の方にある。


「……出会って1ヶ月が経った頃だったと思う。俺たちの友情は、終わりを迎えた」

「喧嘩でもした?」

「いいや。寧ろその逆と言えなくもない。……俺は彼女に惚れてしまったんだ」





 〜10年前〜


「芹沢先輩、好きです! 俺と付き合って下さい!」

 

 10月のとある日、俺は芹沢先輩を中庭に呼び出して、告白した。


 芹沢先輩と友達になって、早1ヶ月。この1ヶ月は、それまでのぼっち生活を帳消しにするくらい楽しかった。

 一緒にカラオケに行ったり、ボーリングに行ったり、映画を観に行ってその後ファミレスで感想を言い合ったり。一人じゃしようとも思わなかったことを、沢山経験することが出来た。


 大袈裟な言い方かもしれないけれど、芹沢先輩は俺に新しい世界を教えてくれた。そしてこの先も、色々な気付きを俺に与えてくれるだろう。

 その上気が合って、容姿も好みときた。恋慕を抱かないわけがない。

 今まで縁のなかった青春というものを、俺は彼女と出会って謳歌し始めたのだ。


 ならばいっそ、満喫してしまう。欲を張って、自分の望む青春を手に入れてやろう。

 何かを是が非でも欲しいと思ったのは、この時が初めてだった。


 俺の秘めた想いを聞いた、芹沢先輩の答えはというとーー


「……うん、良いよ」


 静かに、だが確実に頷く。


「良いって……付き合ってくれるってこと?」

「……うん」

「俺を彼氏にしてくれるってこと?」

「私が彼女になってあげるってこと」


 わざわざ言い直したのは、芹沢先輩なりのこだわりなのだろう。だけど、含む意味合いは同じだ。

 

「よっ、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくね」


 こうして俺たちは初めての友達から、初めての恋人同士になった。


 芹沢先輩……いや、雪さんと恋人同士になったからといって、友達だった頃と大きな変化があったわけじゃない。

 放課後や休日に、一緒にカラオケやボーリングに行って、映画を観た後ファミレスで感想を言い合って。

 映画だって、アクションやアニメが多い。雰囲気よりも、趣味を優先した。


 ただ、全く同じというわけでもなく。例えば登下校時、俺たちは手を繋ぐようになっていた。


 触れ合って距離は近づいた筈なのに、二人ともどこかよそよそしい。その光景は、俺たちがカップルだと周囲にアピールするには十分すぎた。


 雪さんと付き合って数ヶ月、クラスメイトの女子生徒が、俺に話しかけてくる。


「島崎くんって、3年の芹沢先輩と付き合ってるの?」


 初めて話す相手だったから多少困惑しながらも、聞かれた質問にはきちんと答えた。


「あっ、あぁ」

「やっぱり!? 芹沢先輩って、クールでミステリアスじゃん? その上いつも一人でいるから、みんなから「孤高の才女」って呼ばれているんだよね」


 クールでミステリアス……うん、わからなくもない。


「そしてなんといっても美人! だから3年の先輩たちをはじめ、意外とファンが多いんだよね。お近づきになりたいけど、あの鉄壁の近寄るなオーラが人を寄せ付けない。結局友達にもなれずに諦める男子が多いらしいんだけど……島崎くん、そんな芹沢先輩をどうやって落としたの?」

「どうやってって言われても……」


 友達申請は雪さんの方からだったし、落としたのではなく寧ろ俺が落とされた方だからな。


「因みにさ、芹沢先輩のどういうところを好きになったの? やっぱり、美人なところ?」

「……言わなきゃダメか?」

「勿論言いたくないことは言わなくて良いよ? でも、自慢の彼女との関係をちょっとくらい惚気ても、バチは当たらないんじゃない?」


 惚気、か。友達なんていなかったから、そんなものしたことがなかったな。

 雪さんの好きなところを人に教えるのは恥ずかしくはあるけれど、不思議と嫌じゃなかった。


「一緒にいて落ち着くところや、あとは……俺を見つけてくれるところかな?」

「島崎くんを見つけてくれる?」

「そう。校内ですれ違った時にさ、雪さんだけ俺に声をかけてくれるんだよ。他の生徒にとって俺は風景に等しい存在だけど、雪さんにとっては違う。彼女の特別でいられる。そのことが、凄く嬉しかったんだ」

「成る程成る程。島崎くんは芹沢先輩が大好きってことだけは、物凄くわかったよ。ごちそうさま」

「えーと……お粗末さま?」


「何それ?」と、女子生徒は笑う。


「あっ、そろそろ部活の時間だ。それじゃあ島崎くん、またね」


 そう言って、女子生徒は去っていく。

 彼女とは初めて会話したけど、愛想も良いし話しやすかったな。

 正直かなり好感が持てた。勿論、恋愛感情とかじゃないけど。


「またね、か」


 つまり彼女の方は、また俺と話したいと思っている。果たして彼女は、二人目の友達と呼べるのだろうか?





 〜10年前〜


 恋人がいて、友達もいて。物語のような青春はあっという間に過ぎ去り、3月がやって来た。


 3月は、別れの季節。3年生の雪さんも卒業し、明日からこの学校に通わなくなる。

 雪さんは地方の大学に進学するらしく、来週には早くも引っ越す予定らしい。これからはデートだって、簡単に出来なくなるな。


「卒業おめでとうございます、雪さん」

「ありがとう。君の方こそ、卒業おめでとう」


 ……え? 

 俺は1年なので、まだ卒業なんてしない。雪さんは一体何を言っているのだろうか?


「私からの卒業、本当におめでとう」


 その言葉の意味が、わからない俺じゃない。

 さも祝辞のように言っているが、その実体は別れ話だった。


「雪さんから卒業って……何を言っているんですか? 俺たち、離れ離れになっても恋人同士ですよね?」


 すがるような俺の問いかけに、雪さんは静かに首を横に振る。


「恋人同士なのは、今日まで。明日からは、出会った時と同じ「最初の友達」戻ろう」

「何で!? 俺が嫌いになったんですか!?」

「それは違うっ!!!」


 思い返してみても、雪さんがここまで声を張り上げたのは初めてだった。

 俺を嫌いになったわけじゃない。彼女のその言葉に、嘘はない。


「友達が出来た。君はもう、ぼっちじゃなくなった。だから……もう私がいなくても大丈夫だよね?」

「それはそうですけど……でもどうしてそれが、別れるという結論に繋がるんですか?」

「初めて会ったとき、言ったよね? 「本以上の友達が出来たら、読書以外の体験が出来る」って。……今の君には、沢山の友達がいる。これから様々な経験が出来るし、それは君にとって大きな財産になる筈なんだ」


 そう語る雪さんの表情は、どこか悲しげに見えた。


「君にはこの先いくつもの可能性が広がっている。その可能性を、私なんかの為に潰して欲しくない。大好きだよ。愛してる。だから――私と別れて下さい」


 フラれたというのに、失恋したというのに……今までで一番、雪さんの愛を感じる瞬間だった。


「そういえば、恋人同士なのにまだしてなかったね」


 雪さんとしたファーストキスは、想像以上に苦く、そして優しかった。





 〜現在〜

 

「島崎くんが大好きだから付き合って、島崎くんを愛しているから身を引いた。なんていうか、素敵な彼女さんだったんだね」

「あぁ。最高の元カノだ」


 多分だけど、世界で一番。


「島崎くんは、まだその人のこと好きなの?」

「……好きではあるかな。でも、それは恋愛感情じゃない。尊敬というか、感謝というか」


 気持ちが冷めたわけじゃない。

 だけど未練抱くのは、雪さんの思いに反することになる。

 あの失恋を糧にして、俺は前に進む。新たな可能性を模索する。それこそが、雪さんの願いなのだから。


「じゃあ、私にもチャンスはあるわけだ」


 不意に、桜間がそんなことを言い出す。


「……酔ってるのか?」

「酔ってるよ。そうじゃなきゃ、こんなこと言えないよ」


 しかし冗談というわけではなさそうだ。

 今の桜間の瞳は……「それは違うっ!」と叫んだ時の雪さんのそれにそっくりだった。


「最高の元カノの椅子は、多分一生空かないと思う。だから私は、島崎くんにとっての最高の今カノになる。島崎くんにいくつもの可能性があるというのなら、私も一緒にその可能性を探していきたい。身を引かず、そばにいるからこそ出来ることだってあると思うの。だからね――私と付き合って下さい」


 あの時の雪さんとは、正反対の言葉。だけどその想いは、あの時の雪さんと全く一緒で。


 雪さん、今まで本当にありがとうございました。でも、もう心配要りませんよ。

 俺にはこんなに素敵な彼女が出来るんですから。

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