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Shoegazer,Skygazer  作者: 梶島
Shoegazer,Skygazer
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破れたページ

完璧な毎日。

完璧な自分。

そうなんだって騙し続けていることに嫌気がさす。

見上げた空は今日も気持ち悪いくらいに青かった。

太陽は容赦なく照りつけて、俺の体力を奪っていく。

これで暑さのピークは昼過ぎだというからため息の出る話だ。


指定の鞄片手に、いつもの公園で時間を潰す。

木陰の下のベンチが特等席。

ちょうど木に囲まれるようになっていて、人目につきにくい。

制服姿でここでぼんやりしていようと、補導されたことがないのがその証拠だと思う。


学校には、行かない。

母親は、俺が毎日学校に行っているものだと思い込んでいる。

だけども実際は、必要最低限の日数しか学校には行っていなかった。


例えば、雨。

公園で時間を潰すわけにいかないから。

クラスメイトからはきっと、『雨の日しか学校に来ない妙なヤツ』なんて思われてるんだろうと思う。


例えば、テスト。

日頃の授業を受けていないくせに、テストの点だけはしっかり取る俺を教師はどう思っているんだろうか。


四つ折りにされた成績表の最下部、出席日数。

折り目に沿って綺麗に切ってしまえばまったく分からないだなんて。


小手先の嘘で母親を騙すことへの罪悪感にも、もう、慣れた。

いつもの場所に座って、鞄から教科書を出した。


あえて言うならばここが俺一人の学校だ。

クラスメイトも教師も必要ない。

教科書だけが俺の先生。

もの言わぬ無機物と接するだけで済むから楽だ。


まとわりつくように体中を撫でる暑さに、じんわりと汗をかく。

けたたましく鳴く蝉は、僅かな命を次に繋ぐために必死なんだろう。

公園の脇の熱く焼けた道路を滑るタイヤの音が、ひっきりなしに空気を伝う。


俺はそれら全てを意識から排除した。

勉強するのに不必要どころか邪魔だから。


そうやって一人の世界に没頭し、おそらく今日の授業ではこの程度進んだだろうというところで教科書を閉じた。

ふうと一息ついて、鞄からペットボトルを取り出す。


「ねぇ、何してるの?」


飲みかけたお茶を噴きそうになった。

いつのまにか俺の隣に座っていたらしい。

周りの情報を排除しすぎていてちっとも気が付かなかった。


年頃は俺と同じくらいの、少女。

私服姿だから、もしかしたらサボりの大学生かもしれない。

タンクトップにホットパンツという活動的な出で立ちで、首を傾げるとセミロングの髪がさらりと揺れる。

くりくりとした無垢な瞳をこちらに向けてきているが、人と目を合わせる事に慣れていない俺には居たたまれなかった。


「なに、って」

「君、コーコーセーでしょ? いけないんだぁ、サボり?」


いたずらっぽく笑いながらそう言うと彼女は立ちあがり、んーっ、と唸りながらひとつ伸びをする。

くるりと振り返ると、俺に向かって今度は屈託なくにこりと笑う。

それが俺には太陽よりも眩しく感じられて目を逸らした。


「えへへ、でもあたしもサボり。お仲間さんだね」

「……一緒にしないで」


俺のしている行動は、世間一般から見れば彼女の言うとおり『サボり』に他ならない。

それは分かっている。

だけど、他人から言われることに耐えられなかった。


こちらから歩み寄る意思を見せていないというのに、それでも彼女は笑う。


「なに、つれなーい。こんなに暑いのに、よく外で勉強してられるね」


もう一度俺の隣に座ると、彼女は大きな瞳を輝かせて尋ねてくる。


「どうして制服なんか着てここで勉強してるのに、学校行かないの?」


目線を下に背けたらホットパンツから伸びた白いふとももに目が行ってしまい、また慌てて反対側に目を逸らした。


「関係ないだろ」

「気になるから聞いてるの」


違う。

答えられる理由がないんだ。

だって、理由なんてないんだから。


なんとなく居場所の無さを感じて、居られなくなった。

ただそれだけ。


そんなことを話したら笑われてしまうかもしれないだとか、呆れられてしまうかもしれないだとか、初対面の他人にすら臆病な自分に嫌気がさす。


「ふーん、まあいいや。……今年めちゃくちゃ暑いよね。でも、あたしは夏って好きなんだ」


そう言うと彼女は空を見上げた。

俺はそれに倣うことをしない。

ただ、彼女の横顔を見るだけ。

頭を支える首がやけに白く細く、頼りなく見えた。


「空の青が濃いよね、夏って。なんか生きる希望が沸いてくるっていうか?」


俺の抱く感想としては、真逆だ。


「空とか見てると、死にたくなるよ」


そう吐き捨てると、彼女は不思議そうな声とともに俺に向き直る。

思わず顔を俯けて目を逸らした。


「どうして?」

「どうしても」


これもやっぱり大した理由なんてなかった。

まるで海に落ちて死ぬように、空に落ちて死ぬ錯覚。

どこまで広がっているのか分からない、ただただ気持ちが悪い無限の青を見ていると背筋が寒くなる。

ちっぽけな人間には抗いようのない『なにか』を見せつけられているような気がして。

写真や映像でしか見ないブラックホールなんかよりもずっと恐ろしいものじゃないかと思う。


「青、って。自然には少ない色じゃないか」

「そんなことないよ。空も海も、花にだって青いものはあるじゃない」

「それでも少ない」


どうしてこんな、見ず知らずで初対面の変な少女に饒舌になっているんだろう。

俺の胸の内を分かって欲しいのかもしれない。

知り合いじゃないからこそ吐露できるものを、受け止めてほしいのかもしれない。

この上無くわがままな自分にまた嫌気がさした。


「それがあんな大きさで頭の上に広がってるだなんて見たくもない。死にたくなる」

「ふーん、それなのに外で勉強するんだ。へんなの」


ところが彼女は分かる気もないといったような反応を返してきた。


確かに、空なんて見たくないなら屋内にいればいい。

だけどもそれも息が詰まる。

結局のところ、俺が落ち付ける居場所なんてなかった。


「ここなら、木があるからあんまり空が見えない」

「えぇ? そんな理由? あははっ」


覆いかぶさるように枝を伸ばした木をちらと見上げながらそう言うと、彼女はおかしそうに笑う。

こんなちっぽけな日陰でしか自分を保っていられない情けなさに、またため息が漏れた。


「変わってるね、君。そんなんで成績大丈夫なの?」

「あいにく五位以内から落ちたことはないよ」


だけど別に誇れることだとは思えない。

むしろそれしか取り柄がないんだから。

それに、なまじ勉強ができるせいで母を追い詰めていると感じていた。


俺の父親は、五年前の飛行機事故で死んだ。

自由なはずの空で起きたエンジントラブル。

誰も助けてくれない空の孤独。


それ以来母親は俺を一人で育てるのに必死だった。

バイトをしたい、というと決まってこう言う。


『お前は気にしないで、勉強を頑張りなさい。いい大学をでて、いい所に就職して、それからお母さんを楽させてちょうだい』


朝も昼も夜も働き続けて枯れ木のように萎えていく母を見て、いつしか俺は何も感じられなくなっていった。

俺は母にとって、自らを削るほど尽くす価値のある存在なんだろうか。


機械のように学校へ行って、機械のように与えられたスケジュールをこなすだけ。

母に返せるものなんて、果たしてあるんだろうか。

一方的に期待されたって困る。

それでもし俺が転落するような人生を歩むことになれば、裏切ったと母は罵るのだろうか。


俺はどうしたらいいんだろうと、立ち止まれない場所で立ち止まろうとした結果、居場所を見失った。


「……ねえ、そうやって地面ばっか睨んでて楽しいの?」


ふいにかけられた声にはっとなる。

彼女に言われた言葉が、母にかつて言われた言葉と重なった。


――どうして、理解度はAなのに授業態度がCなのかしら。


同じ数字の並ぶ通知表。

同じアルファベットが並ぶそれの中で、どの教科も決まって授業態度はCだった。

理由なんて、出席率の低さ以外に思い当たるものがない。

だけども母は、それを知らない。


俺は答えた。


さあ、俺の目付きが悪いから、教師を睨んで小馬鹿にしているようにでも見えたんじゃないの――。



俺は上を目指す事をやめた。

俺は空を見る事をやめた。

母の期待に答える理由が見当たらなかった。


諦観だけが日々降り積もるなか、少女はとどめのように俺に向かってこう言うのだった。


「地面にだって、例えば埋まって死ねるのにね。どういうふうに死ねたら君は幸せなの?」

「……生まれる前に、戻れるものなら戻りたい」


とくに深く考えずに答えた俺を、彼女は鼻で笑った。


「なにそれ」


そもそも俺が生まれなければ。

母は身を粉にしてまで働く理由はない。

自分一人が暮らせればいいのであって、俺という養うべき対象は存在しない。


それに俺だってこんなに悩まなくて済む。


「ボタイカイキ、ってやつ?」


彼女の口にした母胎回帰とは、いわゆる母親の胎内に帰りたい願望のこと。

外敵から襲われることもなく、ただ暖かな場所でなにもせず過ごしていたらいいだけ。

ゆっくりと響く鼓動のみに体を委ねてたゆたうだけ。


ああ、俺って徹底的にマザコンなのかもしれない。

そのくせ空の青さから目を背けているあたりはファザコンか。


母親からの期待と、父親を奪った空を恐れている。

自分を含めて全てを騙し騙しやっていくことに疲れた。


「もうどうしようもないよ、俺」

「そうだね」


うなだれて両腕を腿の上につくような姿勢になったって、彼女はからりとした声で応じるだけだった。

それから何か用事があると言う彼女は、また軽快な足取りでどこかへと去っていった。


用事、か。

俺には何にもないな。


世界中から切り離されたような感覚が胸をよぎったが、別に寂しいとか悔しいとかそういう感情とは無縁だった。


本来であれば学校に行くのが俺のこなすべき予定だろう。

だけどもそれを拒絶したのは他ならぬ俺自身。


なんだかもう、どうでもいい。

木々の葉の間から覗く空は青くて、やっぱり気持ち悪かった。

あそこから下を見下ろせたら、さぞや気持ちいいだろうな。

全てを『見下せる』んだから。


嫌な事ばかり考えるようになったもんだ。


まもなく日は最も高く昇る。

照りつける強烈な光が地上の全てを焼き尽くしたって、きっと俺はなんとも思わないだろう。

たとえ大地震が来て目の前で人が死んだって、たとえ核が落ちて吹き飛ばされたって。


ちっぽけな一人になにができるっていうんだろう。

俺の存在なんて、母を苦しめて、クラスメイトから気味悪がられて、あの少女からも鼻で笑われるくらいの価値しかないんだから。


空は自由だなんて嘘だ。

自由は幸せじゃない。

誰かと繋がっている限り、自由じゃない。

たとえば本当になんのしがらみもない自由になったとしたら、それは孤独だ。


それならば俺は自由なんだろうか。



父親を殺した自由な空に死にたかった。

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