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情報特務課二係――緑野征治

 気づいたら一万字でした。いつもより長めです。

 これは志展と弓絵がユスティーに入隊する少し前。裕五郎がユスティー隊員を引退し、別の課に異動した際の話だ。


 かつての仲間たちに別れを告げた後、裕五郎は物悲しさ半分と期待半分を胸に次の職場へと歩を進めていた。何故なら今回の異動は、裕五郎が希望して実現したものだからだ。


 裕五郎が異動を希望した大きな理由は二つ。一つは以前ほど体力が持たなくなってしまい、ユスティー隊員に求められるレベルの戦闘が出来なくなってきたからだ。ただでさえユスティー最年長の裕五郎なので、それは当然でことでもあり、時間というものの無慈悲さでもあった。


 そしてもう一つの理由は、ある一人の男に興味を持ったからだ。


 ********


 警察組織のビルの三十階。情報特務課二係。死亡してから百年以内の人物の個人情報が管理されている部署だ。ここが裕五郎の新しい職場となる課でもある。



「よう、久しい……と言えばいいのか?」

「………………あぁ。どうも」

「あんちゃん、一瞬俺のこと忘れてただろ?」



 扉を開けた先に見えた男に向けて開口一番問いかけた裕五郎だったが、相手の素っ気無い反応に苦笑いを浮かべる。


 男はこの情報特務課二係の数少ない職員で、今ではこの課の責任者でもある。百九十センチの長身に、白く細い身体つき。襟足も前髪も短い黒髪。実年齢よりも若いアラサーに見られるが、あと数年で四十になるのでちょっとした詐欺である。

 キリっと細長な瞳は冷たい印象を覚えるが、ただ無表情が張り付いてしまっているだけである。


 男の名前は緑野征治(みどりのせいじ)。裕五郎が四年前の出会いで興味を抱いた職員である。



「元ユスティー隊員が突然こんな辺鄙を訪れれば、誰だって呆然としますよ」

「……まぁ、そういうことにしといてやる」



 饒舌に述べた征治を怪訝そうに見つめた裕五郎。元々用意された原稿をすらすらと読み上げたような征治の言い訳に、苦笑いを浮かべることしか出来なかったのだ。


 

「だけどあんちゃん。俺の殺気にも怯まなかったぐらいだから、ただ者じゃないんだろ?」

「……ただの一職員に何故そんな過大評価をするのか理解に苦しみますね。そもそも職員に殺気を飛ばさないでください」



 裕五郎は四年前の出来事を話題に出した。今や周知の事実となったが、元ユスティー隊長である凛人の死が偽りであるということは、当時紺星と征治しか知らなかった。


 征治はこの情報特務課二係で働いていた過程でその事実を知ったが、そのせいで裕五郎に問い詰められる結果となってしまったのだ。事情が事情だった為、殺気を送ってでも聞き出したかった裕五郎だったが、征治がその口から真実を告げることは無かった。


 そこまで紺星や凛人に義理立てする理由は不明だが、それよりも裕五郎はユスティー隊員に問い詰められても全く怯える様子の無かった征治に興味を抱いたのだ。



「ま。あんちゃんが言いたくねぇんなら無理には聞かないけどよ。これから同じ仕事仲間になるんだ。少しぐらい心開いてくれても良いんじゃねぇか?」

「……これは、私の知り合いの話なんですが」

「あんちゃん隠す気ねぇだろ」



 自分の話を他人のことと置き換えて語るのは、隠し事の下手な人間の常套句なので裕五郎は思わず苦笑いを浮かべた。


 行動の読めない征治に翻弄されつつ、裕五郎は語られる話に耳を傾けるのだった。


 ********


 緑野征治という男が産まれたのは、ごくごく普通の家庭では全くなかった。


 この日本で三本の指に入る程名の知れた犯罪組織、通称〝暗殺屋〟。その暗殺屋のボスと末端の女性の間に産まれたのが、征治だった。


 暗殺屋はいわゆる日本警察間の呼び名で、本当の名前は知られていない。というよりも、存在していない。暗殺屋の構成員は仕事を達成することにしか興味が無く、組織の名前などどうでもいいと思う連中ばかりだったからだ。


 そして何故そんな彼らの呼び名が〝暗殺屋〟になったのか。言うまでも無く、彼らの犯す犯罪が全てが暗殺だからである。


 依頼されればどんな人間でも暗殺し、そのどれにおいても失敗を犯さない。失敗を犯せば、その構成員はボスによって始末されるからだ。


 暗殺の仕事以外はどんな犯罪行為でも一切引き受けず、その代わりに暗殺は完璧に成し遂げる。それが暗殺屋の特徴だった。


 

 産まれた時からそんな暗殺屋での生活が日常だった征治は、当然暗殺者として育てられた。


 当たり前のように父親から暗殺者としての手解きを受け、十歳になる頃には他の構成員と同じように仕事をこなしていた。最初からそれが当たり前となっていた征治にとって、人を殺すことは息をするのと大して変わりのない行為だった。


 そんな生活を三十年近く続けていた頃。彼にとっての転機が訪れる。



「ユスティーの隊長……ですか?」

「あぁ。俺も随分老いたからな。この仕事を成功させれば、ボスの椅子をお前に譲って俺は引退しようと思う」

「はぁ、そうですか。どうでも良いですが、とにかくその隊長とやらを殺せばいいんですね」

「あぁ」



 とても親子とは思えない、淡々とした会話だった。仕事内容にしか興味のない征治は、父親の引退も自身の昇格もどうでも良いの一言で済ませる。


 

「ちなみに私が返り討ちにあって殺された場合はどうされるんですか?」

「そうだな。まぁこの組織を維持しなければならない理由は無いのだし、暗殺屋は解体しても良いかもしれんな」

「クズですね」

「人殺しを仕事にしようとする人間が良い奴な訳が無いだろう」



 息子である征治からの罵声に、父親は冷静に返した。


 征治が父親をクズと称したのは、他の構成員のことを考えてのことだった。暗殺屋の構成員は様々な理由でこの仕事についた。


 親に捨てられ真面な仕事が出来ない者。快楽殺人者。中には暗殺屋の仕事を目撃してしまった一般人が、死か暗殺屋の一味になるかの二択を迫られた末に犯罪に手を染めた者までいる。

 理由はどうあれ、一度人殺しを仕事にしてしまった人間は平穏な日常を送ることなどできない。若い頃からそれ以外の仕事などしたことの無い者も多いし、死ぬまで犯した罪は影のようについて回る。


 そんな人間に突然自由を与えることがどれ程無責任なことか。少し考えれば分かることだ。そもそも彼がいなければ暗殺屋なんてものは存在していないので尚のことである。



「はぁ……まぁ。この組織の頭はあなただ。決める権利はあなたにある」

「まぁ、それもこれもお前が失敗したらの話だ。お前がそんなヘマを犯すとも思えないが、相手はあのユスティーの隊長だからな」

「因みに何故その隊長様は命を狙われているのですか?」

「さぁ?興味が無いので聞かなかったな」

「でしょうね」



 これもまた淡々とした会話だった。理由を聞いておいて何だったが、ユスティーの隊長の命を狙う理由など蛆のように湧いて出てくるだろう。


 ユスティーは日本警察の砦。ユスティーがいなければこの日本という国の安全が大きく揺らいでしまう程の存在。だからこそ、ユスティーがいなくなれば動きやすくなる犯罪者が多くいるのも事実なのだ。


 征治もそうだが、彼の父親も依頼人や依頼動機などに全く興味のない人間なので、相手がユスティーの隊長であろうと大した動揺を見せることは無かった。


 こうして征治はその翌日、日本警察へ侵入するのだった。


 ********


 ユスティーの隊長を暗殺するしない以前に、征治は警察組織に侵入するだけでかなりの労力を被った。ビル自体に侵入を阻む魔術が施されていたわけでは無いが、ユスティー隊員が暮らす寮は別問題なのだ。


 ユスティー隊員は化け物とイコールにしていい程の存在。寮に不審人物が入って来ただけで気配で察知されてしまう可能性がある上、それぞれの部屋には魔術が施されているせいで侵入は困難を極める。


 それでも征治にはユスティー隊員の住まいに侵入できるだけの技術があった。征治は〝雅園凛人〟と書かれたネームプレートが掛かっている部屋の魔術を十分程で解くと、ゆっくりとその扉を開く。


 征治は目の前に広がる光景に思わずポカンと口を開けてしまう。


 あまりにも普通に、ユスティーの隊長である凛人がスヤスヤと眠っていたからだ。ドット柄のパジャマに、同じ柄の三角帽をかぶっていた。征治は思わずどこのお子様だと自身の目を疑う。


 征治は入り口で待ち伏せされていてもおかしくないと思っていたので、正直拍子抜けしてしまう。だからと言って油断するほど征治は愚かではない。


 規則正しすぎる寝息は、寝たふりをしていますと言っているようなものだ。征治はすぐに戦闘を始められるよう構えながら、少しずつ凛人の元へ歩み寄る。


 暖色系の小さな明かりしか部屋を照らすものが無い中、無機質な時計の針の音だけが異様なほど耳に残る。


 僅かな物音も立てられない中、征治はそっと腰に忍ばせていたナイフを取り出した。



「なぁ、アンタ夜這い?」

「っ!……」

「あれ、男?」



 突如後ろから少年の様な声が聞こえ、征治は距離をとってナイフを構えた。そこにはユスティーに入隊して間もない紺星の姿があり、征治は思わず自身の目を疑った。


 寝巻き姿の紺星は、ユスティー隊員の情報を詳しく知らない征治にとっては異質なただの子供だからだ。



「……ってか、うちの隊長様はいつまで寝てんだか」

「ユスティー隊員か?」

「そうそう。って、うぉっ」



 呆れたように言った紺星の言葉で、漸く彼がユスティー隊員であることに気づいた征治は、早速目撃者を排除すべく行動に移った。目に留めることの出来ないほど素早い動きでナイフを突きつけてきた征治に驚きつつも、透巳は難なくそれを避けた。


 それでも征治の攻撃は止まることなく、魔力を込めた剣撃を次々と繰り出してくる。


 右へ左へと、部屋中を使ってその攻撃をかわす紺星だったが、一瞬だけ左頬にナイフが掠ってしまう。


 その瞬間、ナイフを握る征治の腕を後ろから掴む存在が現れる。その人物はグイっとその腕を征治の背中まで回し、あり得ないほどのスピードで部屋の壁まで押しやった。



「えーっと、どこの誰だか存じませんが、うちの可愛い新人に手を出さないで貰っても良いですか?」

「違う違う隊長。()()アンタに夜這いしに来たんだよ」

「いや何言ってんだは紺ですよ。この人男ですよ」

「そういう趣味の人って可能性あるだろ」

「……どうでも良いが、下らんことで議論しているのならこの拘束を解いてほしいのだが」



 征治は腕を掴まれ、壁に押し付けられ、そして凛人と紺星は心底くだらないことで口論している。なかなかの地獄絵図である。



「そういうわけには……ねぇ?」

「ていうか俺はアンタがぐうすか寝てた方が衝撃なんだが」

「それを言うなら僕だって紺星が僕の部屋で見知らぬ男性とバトルしていて驚きましたよ」

「変な気配感じたから来ただけだよ」

「流石は紺!」

「……おい、わざとか?」



 紺星が突然現れた理由は分かったが、またしても自身を置いてけぼりにして会話を始める凛人たちに、若干の苛立ちを覚えた征治。



「あぁ、すいません。見たところ暗殺屋の方だと思いますが、あなたはどの程度の人なのでしょう?ボスでは無いと思いますが、かなり幹部なのでは?」

「……気づいていたのか」



 征治の存在を完全に忘れ去っていたことを素直に陳謝した凛人は、壁に追いやったまま尋ねた。既にその正体に気づいていた凛人に、征治は思わず驚きで目を見開いた。



「暗殺屋?なんだその適当なネーミングセンス」

「言っときますけど、今回は僕じゃないですから。日本警察が勝手にそう呼んでいるだけですから」

「で?その暗殺屋って何だ?」



 ネーミングセンス皆無な凛人がそう呼んでいるのだと勘違いした紺星だったが、すぐに興味を失ったのか暗殺屋の詳細について尋ねた。

 入隊して間もないせいか、暗殺屋のことを知らなかった紺星のために凛人は丁寧にその詳細を教えた。



「――ふーん。じゃあコイツ隊長のこと殺しに来たのか。ていうか隊長、殺気とか感じて起きなかったのかよ。ユスティーの隊長として心配になってくんぞ」

「……あまり舐められては困る。プロの暗殺者にとって、殺気を隠すことなど造作もない。ただそこにいるだけで気配を察知するそちらの方が異常なんだ」

「そりゃ悪かった」

「紺は凄いですよねぇ」

「おい……」



 殺気を察知すること。それは戦闘派の刑事ならできて当たり前のこととされている。ユスティー隊員ならできて当然ではなく、刑事ならできて当然だ。そんな初歩中の初歩が危うい隊長では無くて安心したのも束の間、紺星は凛人のポテンシャルを心配してしまう。


 ただのユスティー隊員である紺星が出来ることを、隊長が出来ないでは話にならない。もちろん得意不得意はあるが、それで殺されては身も蓋もないのだ。



「すいません。一度寝ると朝まで起きない質でして」

「じゃあ何でさっきは起きたんだよ」

「紺の血の匂いがしまして」

「アンタ実は変態だろ」



 〝紺の血〟とは、征治のナイフが一瞬紺星の頬を掠めた時のものだ。そんな米粒程度の血を親指で拭った凛人を、紺星は若干軽蔑の眼差しで捉える。



「いい加減腕を放してはくれないか?」

「駄目ですよ。放したらあなた自害するでしょ?」

「……」



 図星を突かれた征治は顰め面で黙りこくってしまう。征治はこの二人相手に勝算は皆無だと判断した。そうなると征治はユスティーによって逮捕され、事情聴取を受けることになる。もちろん征治は組織の情報を漏らすつもりは無いが、僅かな挙動で何か重大なことがバレてしまっては意味が無い。


 なので暗殺屋では基本、暗殺が失敗した場合は即座に自害するか、ボスに殺されるのが暗黙の了解となっているのだ。失敗した者には死を。これが暗殺屋のシンプルかつ冷酷な掟なのだ。



「それにしても困りました。あなたは根っからの構成員という感じです」

「……すまん、隊長何言ってんだ?」

「ですからね、組織に忠実すぎて例え拷問しても情報を一切吐かなそうということですよ。そりゃあもう忠犬ハチ公のように」



 凛人の説明で納得はしたものの、紺星は思わず苦笑いを零してしまう。征治もまさか犬に例えられるとは思っていなかったのか、ポカンとした相好になっている。



「……なぁアンタ。何で暗殺なんてやってんだ?」

「……なんで?」

「……理由無しか?」



 紺星の問いに、征治はゆっくりと首を傾げる。征治はそんなこと、聞かれた覚えも無かったからだ。考えたことも無かった。理由なんてなかった。産まれた時から征治の運命は決まっていた。


 暗殺を稼業にする父親を持った。それだけである。ただそういうものだから。それが仕事だから。それが父から受けた(めい)だったから。



「何故、そんなことを聞く?」

「だってあんた、暗殺楽しくなさそうなんだもん」

「……は?」



 征治は思わず呆けたような声を出してしまう。目の前の子供は一体何を言っているんだ?という疑問が消えそうになかったからだ。


 暗殺が楽しい訳が無いだろう。そう反論しようとしたその時、征治はふと思い立つ。


 父が何故暗殺稼業を始めたのかと。そして、構成員の中には嬉々として人殺しをする者だっていたということを思い出す。


 父もそうだったのではないか。人を殺したいという、歪んだ欲求を抑えることが出来なかっただけではないかと。


 この時初めて、征治は紺星の問いの意味を理解した。


 暗殺屋の構成員がこの仕事をしている理由は大きく分けて二つある。人を殺すことが好きだから。もしくはそうしなければ自分の命が危ういから。


 だが征治はそのどちらにも当て嵌まらない。もちろん子供の頃は父親に言われたからそれに従っていた。拒否すれば何をされたか分かったものではない。だが今は違う。


 はっきり言って、征治は自身の父親よりも優れた暗殺者だ。それはボス自身も理解している。だから逃げようと思えば逃げられたのだ。追手がこようと手加減した上で逃げ切れただろうし、身分を偽って普通の生活だって送れたはずなのだ。だけど征治はそれをしなかった。その発想さえなかった。


 暗殺なんて楽しい訳がない。当たり前のようにそう思った征治はつまり、普通の人間なのだ。


 サイコパスでもなければ、そうしなければならない理由があるわけでもない。なら何故征治はこの仕事を続けているのか。途端、征治は分からなくなってしまった。



「……」

「あんた、この仕事好きじゃないんじゃねぇ?寧ろ嫌いだろ」

「……考えたことも無かったが、楽しいと思ったことは、ないな」

「じゃあやめれば?」

「……簡単に言ってくれるな」



 紺星の唐突な提案を突っ撥ねた征治だったが、やめるという選択肢が増えたことは彼にとって大きすぎる変化だった。とは言っても、このままでは征治は紺星たちに捕まって終わりなので、やめるやめないの問題ではないのだが。



「ならこうしてはどうでしょう?」

「ん?」

「もしあなたが暗殺屋の情報を提供してくれれば、その報酬として、この警察組織の仕事のどれかに就いてもらうんです」

「「…………は?」」


 

 思わず紺星と征治の声が被る。紺星もなかなか突拍子の無いことを言い出すタイプだが、そんな彼でも茫然としてしまう程である。


 シンプルに、凛人の言っている意味が理解できなかったのだ。



「隊長アホか?」

「酷いですね。至って真面目なのですが」

「罰はどうするんだよ?」

「組織の情報を提供するというのは、この人にとって罰になるのでは?」

「…………あー、そういうことか。でも総括が許すか?」

「待て。どういうことだ?」



 一人取り残される形で理解が追い付いていない征治。ここで突っ込まなければ、また先刻の二の舞で二人だけの世界で話が進んでしまうことが明らかだったからだ。


 

「要するにアンタに残された選択肢は二つ。一つ、情報を提供しないまま一生牢の中で過ごす。二つ、情報を提供するという、アンタにとっての罰を受けてもらう代わりに、警察組織の監視下の下、働いてもらう」

「…………」

「こんなもん、答えは二つに一つだと思うんだが、アンタにとってはそうじゃないんだろ?」



 紺星の説明で漸く状況を理解した征治は思わず口を閉ざす。前者は地獄だが、後者は後者で征治にとっては未知すぎて踏み出すのは躊躇われることなのだ。


 暗殺屋の情報を警察に提供する。それは征治にとって死ねと言われていることと同義だった。だがそれは征治がまだ幼かった頃の認識だ。今の征治であれば、例え組織の裏切り者として命を狙われても返り討ちにできるだろう。それ以前に、ユスティーがそんなことを許さない。


 ユスティーならば、情報を手に入れてから一時間もしない内に構成員全てを捕らえ、征治に手を出さないようにすることだって可能だからだ。


 

「……そこの子供が言ったように、警察のトップが許さないだろう」

「それはどうでしょう?」

「なに?」

「暗殺屋はあなたが思っているより面倒な組織です。面倒というのは、私たちユスティーでも手を焼く、という意味ですね。私たちでも捕まえるのが難しい犯罪組織はそう多くありません。でもゼロじゃない。その内の一つが暗殺屋です。こういった組織を捕まえるチャンスが今目の前にある。その為ならあなたにこの組織での立ち位置を与えるのもやぶさかでは無いと、我らが総括は考えるかもしれません。それにあの人はかなり寛容な方ですよ」



 暗殺屋はこれまで、尻尾のしの字も掴ませてくれなかった組織。そんな暗殺屋の情報は日本警察にとって、喉から手が出るほど欲するものだ。暗殺屋の構成員を警察に引き入れても良いと思えるほどに。



「……」

「なぁ……アンタは今の仕事好きじゃないんだろ?なら、人生で一度ぐらい自分で選んだ職に就いてみろよ。警察は事務から戦闘まで、いろんな仕事あるから選び放題だぞ。お得だぞ」

「ふふっ、お得って……そんなことを言うのは紺ぐらいですよ」

「スラム育ちのドケチ精神舐めんな」



 征治はさらっと衝撃事実を吐露した紺星たちに置いてけぼりにされてしまう。ユスティーが実力至上主義というのは知っていたが、まさかその隊員の中にスラム街育ちの子供がいるだなんて予想だにしていなかったのだ。


 紺星の発言で、本当にこの組織なら自分のような犯罪者でも向かい入れてしまうかもしれないと悟った征治は本気で悩み始める。


 紺星の意見は非常に的を得ていた。家族への執着や情さえない征治に、暗殺屋を続ける理由も義理立てする理由もない。選択肢は二つだが、今まで選択肢など無かった征治にとっては自由と言っても過言ではない状況なのだ。


 征治は自由というものを知らない。だからこそ今、どうすればいいのか分からない。征治は自分が何が好きで、何が嫌いなのかもよく分かってないのだから。


 人を殺すことは好きでは無かった。征治はそれだけは断言できた。だが嫌いだったかと聞かれると、断言はできなかった。


 それでも今の征治には、好きなことを探すことが出来る。見つけた好きなことを仕事にできるかもしれない。自分の知らない自分に出会えるかもしれない。


 その小さな好奇心は、未来を選択する決定打には十分だった。



「そうだな……手始めに、暗殺とは正反対の仕事でも紹介してもらおうか」

「交渉成立ですね。あなたはこれから、今まで犯してきた罪をこの組織に尽くすことで償ってください」



 その言葉で、物腰柔らかそうに見えていた凛人の印象が征治の中で変わる。多くの人を殺してきた罪を償いたくても、征治は死刑になることも無ければ牢に入れられることもない。だからこそ、普通に罪を償うことが出来ない苦しみそのものが、征治に対する地獄のような罰だと言われている気がしてならなかったのだ。


 ********


「それでこの情報特務課二係に来たのか?」

「えぇ。どうやら私はこういう地味な作業を機械的にこなす仕事が好きなようです」

「……私の知り合い設定忘れてるだろ?」

「え。そんなこと言いました?私そんなこと言ってませんけど。歳なんじゃないですか?」

「あんちゃん。さも自分が正しいみたいなテンションでよくそんな大嘘つけるな」



 昔話を語るうちに、〝私の知り合い〟が〝私〟にすり替わっていたことに今更気づいた裕五郎。だが征治は慌てることなくキョトンとした相好で大嘘を言ってのけた。


 ここまで冷静だと、本当に裕五郎の聞き間違いだったのかもしれないと勘違いしそうになるほどだ。



「ま。これで謎は解けたな」



 どうして一職員である征治が裕五郎ほどの実力者の殺気に怯むことが無かったのか。その謎が解けた裕五郎は満足そうに破顔した。



「あぁ……そういえば昔そんな組織を壊滅させたっけか。あの頃は何で急に奴らのアジトの情報が手に入ったのかって疑問だったんだが、そういうわけか。ったくあの二人俺に隠し事しまくりだろ。何でだよ」

「さぁ。信頼されてないんじゃないですか?」

「ひでぇ」



 何年か前に暗殺屋を壊滅させたことを思い出した裕五郎は、その詳細を伏せていた紺星たちに恨み言を呟いた。何かと二人で隠し事をする紺星たちなので、若干の不満を隠せない裕五郎に、征治は心底どうでも良いと言った感じの棒読みで返した。



「……この仕事、私にはとても合っているのですが、たまに嫌になることがあります。その点だけは気をつけてください」

「……?何だソイツは?」



 唐突に何でもないような表情でそんなことを言い始めた征治に、裕五郎は怪訝そうに首を傾げた。



「……あの日。あの何でもない、いつも通りの日に。……総括が死んでいることを知った私の気持ち、分かりますか?」

「っ……」



 その言葉で、裕五郎は征治に興味を持った最初のきっかけを思い出す。


 凛人が生きていることを征治が知っていたのは、彼が総括である羽草の死に気づいたことが原因だ。気づいたのは偶然だったが、征治にとっては寝耳に水だったのだ。



「総括は、良い人だったからな……」

「……」



 その無言の間が征治にとっての肯定だった。元暗殺者である征治を警察組織に引き入れたのは凛人と紺星だが、それを承諾したのは他でもない羽草だ。だから征治にとって羽草はこの世に三人しかいない恩人なのだ。


 初めは凛人が死んだという偽りの事実で沈んでいた征治だったが、本当に死んでいたのは羽草だったという真実で余計に混乱してしまった。凛人の生存を喜ぶ反面、羽草の死が余計に精神的に堪えたのだ。



「とは言っても、あんな状況はそうそう起きないはずなのですがね。全くユスティーには困ったものです」

「いやぁ?アイツらのことだ。これからも頻繁に厄介ごとを持ってくるかもしれんぞ?」

「今まではあなたもその厄介ごとを持ってくる側だったんです。せいぜい巻き込まれる方の思いを味わってください」



 そんな軽い憎まれ口を叩いた征治の相好が、どこか嬉しそうに見えたのは裕五郎の勘違いでは無いだろう。


 思えば最初からそうだったと、裕五郎はふと思う。何の見返りも無く、凛人が生きているという秘密を征治が守っていたのは、紺星たちに感謝しているからではないかと想像できるからだ。


 普段の冷たそうな印象とは裏腹に、実は義理堅い男だと感じた裕五郎は破顔一笑する。


 これからもっと征治の違う一面を知れるのだと、期待を膨らませているのだ。




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