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「テディベア?」
怪訝そうな顔で、呟く和一。
「そう、クマのぬいぐるみの事な」
葉子はすぐに遺体をバッグに詰めなおし、自分の座る椅子の傍らに置いた。そんな葉子の代わりに、さっきとは打って変わって落ち着いた態度でマコが、和一に説明をしているところだった。
「コイツはぬいぐるみの悪霊だな。お前が怪異の仕業だと言ったのは当たってたようだよ。バラバラ死体が勝手に動くってのは、まあ他にも原因は考えられるが、動き方の特徴がそれに間違いないんだよ」
「でも何でクマのぬいぐるみ? ぬいぐるみなんていくらでもあるのに」
「聞いた事ないか? ちょっと前にこのあたりで流行った怪談なんだけどな。丁度お前くらいの歳の内気な女の子が居てよ。ペット代わりにぬいぐるみを集めるのが趣味でな。いや、ペット代わりって言うか、友達の代わりにしてたんだとか。その子はカナリの小心者だったらしくて、学校じゃあ周りから陰気な奴だと思われたんだろう。いわゆるイジメってヤツがあったんだよ。でもその女の子、臆病でさ、親にもイジメのことを相談できなかった。誰も助けてくれる人がいなくて段々ストレスは募る一方だったんだ。で、どうしたかというと、ぬいぐるみをストレス発散の道具にした。片っ端からズタズタに引き裂き始めたんだ。怒りをぬいぐるみにぶつけたんだな。いくらぬいぐるみとはいえ、バラバラになった時の惨状は凄まじかったろうな。その後も怒りが爆発する度にひとつかふたつと人形を切り刻んだ。終いには特に気に入っていたぬいぐるみも躊躇なく切り裂いた。次第にぬいぐるみの数が減っていくけど、何せもともと大量に持っていたし、しょっちゅう新しいものを買ってもらってたし、両親に『あのぬいぐるみはどうした?』って訊かれたら、飽きたから捨てたっていえば気づかれることはないわけだ。そんなある日、女の子はある店でそのクマのぬいぐるみに出会った。同じクマなら既に腐るほど持ってるっていうのに、何故か女の子はその人形にひどく惹き付けられた。で結局買ってもらう事にした。女の子はもうその頃にはぬいぐるみを切り刻むのが習慣みたいになっていたんだ。週にひとつかふたつ。次第に快感すら覚え始めていった。で、とうとうその矛先が例の人形にまで向いたんだ。いくら新品だからって女の子は容赦せず切り刻んだ。ところが布に刃を突き刺した瞬間、どこからかうめくような声が聞こえてきた。驚いて辺りを見回したが誰もいないし気配も感じない。女の子は気を取り直して、人形をバラバラになるまで切り刻んだ。けどいつものように得られる満足感を感じない。逆になにか不愉快な気分が蟠っている。仕方なくもうひとつ、側に転がってたカンガルーのぬいぐるみを切り刻む事でその日は治まった。ところが翌朝、信じられないことにあのテディベアが何事も無かったかのように無傷で転がってた。昨日、確かにバラバラに切り刻んだ筈なのに。女の子は不気味に思ったけど、朝は忙しかったから、家を出る頃にはその事は忘れていた。学校に来た時にはもう考える余裕が無かった。なぜなら校門をくぐると同時にイジメが始まるから。しかも今度のイジメはこれまでとは違っていた。その頃急にエスカレート気味になったんだけど、ついに一線を超えちまった。クラスのリーダー格の女子が、仲間の男子に女の子を押さえつけさせて、カッターナイフを取り出した。本人は脅しのつもりだったのかもしれないが女の子が激しく抵抗して偶然にも頬を五センチくらい切ったんだよ。切った本人が動揺するくらい大量に血が出てよ、女の子はそのまま家まで逃げ帰ったんだ。親にも顔を見せずに、自分の部屋に転がり込んだ。母親がどうしたって言っても返事をせず、鍵をかけてただ怒りに身を震わせていた。そして足元にあったクマのぬいぐるみを見つけると、カッターナイフを取り出して切り刻み始めた。ありったけの憎悪を込めて。その時、突如として怪奇現象が起こった。女の子が人形の額の部分を切り裂いた時、カッターナイフを持つ手に一滴の血の滴が落ちた。女の子は学校で切られた頬の傷から流れた血だと思ったけど、違ったんだ。人形を切り裂いた部分と同じ箇所に、同じ大きさを傷が出来ていた。でも女の子は気付かず、カッターを持つ手を休めなかった。そしてテディベアの腕を切れば自分の腕が、足を切れば足が、全く同じ位置に同じ傷が出来た。でも痛みを感じなかった。加えて怒りに我を忘れる余り、全身が血塗れになっても気付かずに居た。ここまで話せばお前ももうわかるだろ? 藁人形と同じだよ。支配しているのは人形本体さ。奴は意思を持った悪霊だったんだよ。数分後、部屋にはバラバラになった女の子の死体だけがが転がっていた」
話が終り、和一は情景を想像して寒気がした。
「けどその話とバッグとはどういう関係があるんだよ」
「そう焦んなって。順を追って話してやるから。まずぬいぐるみの悪霊は指定した相手を操る能力を持っている。それは人間だけでなく他の動物にも有効だ。ただしこいつら本体は非力でな、大抵は手始めに犬や猫を殺して操り、人間を殺させて無傷の死体を手に入れる。何か手頃な大きさのバッグに他の動物のバラバラ死体を持ち運ぶ。勿論、本体もバッグの中に入るか、あるいは操ってる人間の服のどこかに潜り込んで身を隠す。それでどうするかっていうと、いろいろな悪行を働くんだ。こいつら頭がいいくせに、誰かに害を及ぼさずにはいられない腐った野郎ばっかなもんでよ。傷害事件や泥棒、殺人も平気でやる。さっきの話はおそらく作り話だろうが、悪霊の能力を考えると、実際にやろうとしたら不可能ではないだろう」
「じゃああのバッグの持ち主はそいつだってわけか。でもなんであんな所に置いてあったんだろう?」
「さあ、忘れていったんじゃねえの? ともかく、こその人形が少なくとも一匹、この近辺にうろついてるって事だけは間違いねえ。何か悪事を行うつもりかもしれん」
「その事についてだがな」
突然、横から口を挟んできた葉子。
「バッグが置いてあったあの公園の近所で、数日前、下校途中だった男子小学生一人が行方不明になっている」
「マジかよ。もう始まってたんだ……」
俄然、顔面が蒼白になるマコ。普段は口が悪くて乱暴な奴だが、ある程度の正義感は持ち合わせているようだ、と和一は彼女に対する印象を改めた。
和一とて近所にそんな恐ろしい奴がいるとわかれば平静でいられなくなる。だが、葉子だけは依然として僅かの感情も、その相好に示さないでいるのを見て、つくづく彼女というものがわからなかった。
「どうする葉子? 行くんだろ、その公園に」
マコの質問に、葉子は無言で椅子から立ち上がる事で、答えを示した。
「あの、俺はどうすればいいかな?」
「お前はもう教室に戻れよ。ついて来られても迷惑なだけだし」
「ああ、そう……」
マコの言う事ももっともなのだが、仲間はずれにされたようで少し寂しかった。
「じゃあ俺もう行くわ」
「待て」
二人に軽く手を振って、教室を出ようと扉に手をかけた時、葉子が彼を呼び止める。振り返ると、彼女は、椅子の側に置いてあったバッグをこちらに差し出した。
「持って行け。お前が持ってきた物だろう」
「ええ!?」
気がつくとマコと和一とで異口同音に叫んでいた。