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幽霊少女は忘れられたい  作者: Luculia
2/6

二話、もう一人の自分

 一体、何が起こっているのだろう? どうして、こんなことに。

 そんな私の問いに答える声はない。一人ではないこの部屋で、私は初めて孤独というものを感じた。

「そうだ、飲み物を持ってくるよ。何がいい?」

「ありがとう……それじゃあ、お茶をお願いできる?」

「遠慮しなくていいからね。じゃ、ちょっと待ってて」

 未だ状況を把握出来ていない私の横を、生馬が通り過ぎる。

 私はハッとして、急いでその後を付いていく。言いたいことは山ほどあるが、それを伝えようとする脳の処理が追いつかない。私は途切れ途切れになりながらも、その言葉を生馬の背に投げかけた。

「ねぇ! あの人、誰なの⁉︎ いつ知り合ったの? どうして、私の名前……お願い、答えてよ……」

 何食わぬ顔で麦茶を注いでいる生馬を見ていると、勝手に涙が次から次へとこぼれ落ちてきた。

「何も、分からない……分かんないよ」

 手の甲で何度も顔を拭い、子どものように泣きじゃくる。

 そんな私の姿さえも、生馬の目には映らないようだった。



 ──それから、何日……いや、何週間が経っただろう。

 あの日から、何をして過ごしていたのか、全く思い出せない。ただ、これだけは言える。

 私の日常は、完全になくなった。壊されてしまった。

 私の名を騙るあの女は、そのまま家に住み着いていた。

 料理、掃除、スキンシップ──どれも私に出来ないことをしては、私の名前で褒められる。

 本当の私はここにいるのに。何度そう訴えたところで、聞こえていなければ何の意味もない。

 いつしか私は、二人を見ることがないよう使われていない、物置と化した部屋で日々を過ごすようになった。

 カビ臭い、もう必要とされなくなったガラクタの数々。私には、お似合いの場所だった。

 随分と、幽霊らしくなったじゃないか。そう、半ば自虐的に微笑む。

「みんな、ここにいて悲しくならないのか? ……そうか、慣れれば平気か」

 寂しさから、周りにある物に話しかけて気を紛らわす。

 それはこちらが一方的に話すだけのものだったが、そんなことは人間が相手でも同じことだった。

 動くか動かないかだけの違いしかない。たくさんのガラクタに囲まれて、私は少しだけ安堵した。

「……あれ? これは……」

 まるで吸い寄せられるように、私の視線はそれに釘付けになる。

 すっかりホコリを被ってしまった姿見。それを一目見た途端、私は懐かしさのあまり思わず感嘆の声をもらしていた。

「これ、まだあったんだ……」

 まだ私が生きていた時、よく生馬の家に遊びに行っては、この姿見でお姫さまごっこをしたものだ。

 私は鏡の前に立ち、昔と同じようにポーズを決めてみせる。

「……うっ、えぐ……」

 フラついた足取りで、姿見から離れた位置に座り込む。

 鏡には、私の姿が一切映っていなかった。

 私は確かにここに存在しているはずだ。だけど、世界の全てがそれを否定してくる。

 私は自分の姿がどういうものだったのか、思い出すことが出来ない。長い年月の中で、それすらも忘れてしまっていた。

 その事実が、余計に私を追い詰める。

 結局、私自身でさえも自分の存在を認識出来ていないではないか。

「……成仏したい」

 無意識のうちにこぼれ出た言葉に、私はハッとした。

 成仏したいなら、すればいい。本来、幽霊とはそういうものだ。なら何故、それが出来ない?

 それは、まだこの世に未練というものがあるから。私の未練、やり残したこと……それは。

「……生馬に、私のことを忘れてほしい。私の分まで、人生を楽しんで、幸せになってほしい」

 その声は私の内側からどんどん大きくなり、力となって溢れ出る。

「そうだよ……私には、やらないといけないことがあるんだ!」

 そのためにはそう、あの女の正体を確かめねばならない。

 なぜ生馬は、彼女のことを私の名前で呼ぶのか。

 単に同じ名前なだけならば……私は何のあと腐れもなく成仏することが出来るだろう。

 そうであることを、祈ろう。

 私はまだ胸に潜むモヤに気が付かないふりをして、物置部屋を後にした。

「じゃあ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 部屋を出ると、ちょうど生馬が仕事に行こうとしている所だった。

 私は付いて行こうか迷ったが、今はこの女のことを調べるのが先だ。流石に一日中見ていれば、何か分かることがあるだろう。

「よしっ! やるぞー!」

 女から少し離れた場所で生馬を見送った後、私はパンパンと頰を叩いて気合を注入し、右腕を高らかに上げて叫んだ。



 午前は、ほとんど家事だけで終わろうとしていた。

 テキパキとよく動き、山のように積み上げられていた洗濯物がみるみるうちに減っていく。

 どこかホコリっぽかった部屋も、見違えるように綺麗になっている。

 この女が来たことで、生馬の生活水準が向上したことは確かだった。

 しばらく女の後を付いて回るが、今のところ特に目立った動きはない。

 せめて携帯でもいじってくれれば、何かしらの情報が得られそうなものなのだが。

 家事が終わったのは午後二時を回ってからのことだった。紅茶を淹れ、リビングのソファーに座る。

 勿体ぶるような動きでゆっくりカップに口を付けると、誰もいないはずだというのにひとり言を喋り出した。

「生馬……よっぽど不健康な生活を送っていたみたい。私が来て、本当によかった」

 その言葉が、チクリと棘のように私の胸を刺す。

 その通りだ。何も言い返すことが出来なかった。言ったとしても、その声は届かないのだが。

「私が、彼を幸せにする。私なら、それが出来る……」

 なおも話し続ける彼女に、私は後ずさりして身構えてしまう。

「ねぇ、そう思わない?」

 はっきりと告げられた同意を求めるその声に、ドキンと心臓が──心臓のようなものが、跳ね上がる。

 誰に言っている?  今この場には、私と彼女しかいないはずだ。

 まさか、そんなはずはない。だけど──。

「あれ? 聞こえていない? それとも……気付いていない?」

 彼女は振り向き、しっかりと私の目を見据えながら、再度言った。

 間違いない、私に話しかけている。私のことが、見えているのだ。

「何……で、私のこと……」

 やっとのことで絞り出した声はか細く、情けないことに震えてしまっていた。

 それほどまでに、人とコミュニケーションを取るのは久しぶりのことだったのだ。

「本当はね、最初から見えていたの。でも生馬がいたから、なかなか言い出せなくてさ」

 そうだったのか。見えているのなら、話は早い。

 私はタッタと彼女の前まで移動すると、今まで気になっていたことを矢継ぎ早に口にした。

「あの、あなたは誰なんですか? 生馬とはどういう関係で、何で家に?」

「順番に説明するから、待ちなさい」

 諭すようにそう言われると、否が応にも黙るしかなくなる。

 シンと静まり返った部屋で、彼女は信じられないことを口にした。

「私は、一華よ。由月一華。生馬の幼馴染みで、恋人の」

 頭をガンと、思い切り殴られたような、そんなショックが全身を駆け巡る。

「う、嘘だ……だって、一華は、私……」

 口ではそう言いつつも、内心は不安でいっぱいだった。

「本当に、そうかな?」

 彼女の一言が、さらに私の心をかき乱す。

 私は、幽霊になってからの自分の姿を見たことがない。

 もし、私が本当は由月一華ではなく、別人の幽霊だったら? 自分こそが本物だと、思い込んでいるだけだったとしたら?

 怖い。こんなことを思ってしまうのも、それを確かめる術がないということも。

 見ると、女はこれ以上はないというほど、楽しげに笑っていた。

 私が動揺している様が、彼女にとってはひどく愉快なものらしい。

 その様子を見て、確信した。私は……私こそが、由月一華だ。この女なわけがない。

「嘘を言わないで。昔のことはほとんど忘れてしまったけど、それでも生馬との思い出が消えたわけじゃない。私が本物の一華だ」

 そう言って、女の顔をキッと睨み付ける。

 女は一瞬目を丸くしたが、すぐに余裕のある笑みを浮かべ、言った。

「魂だけの存在のくせして、本物だって? ……はっ、よく言えたものね」

「どういう意味だよ」

 女はこの状況を楽しむような不敵な笑みで私を見ると、もうすっかり冷めてしまったであろう紅茶に口を付ける。

「どういうって、そのままの意味だよ。生馬はあんたより、私を選んだ。このアンドロイドである私をね」

「アンドロイド⁉︎ ……って」

 つまり、彼女は人間ではないということか。

 改めて見てみるが、肌や表情の移り変わりなど、どこをとっても人間と変わらない。

 こうして言われなければ、まず気が付かなかっただろう。

 だがそれが、彼女が一華であることと、どう繋がるというのだ。

「意味が分からないって顔だね? 流石は八歳。まだまだお子ちゃまなんだな」

「何だって……!」

 一々癪に障る言い方をしてくる女に、それが彼女を喜ばすだけだと知っていながらも、怒りを抑えることが出来なかった。

「おお、怖い怖い」

「いいから、早く説明したらどう」

 これがさして重要でない話だったら、すぐにでも部屋を出て行くというのに。

 とにかく、一秒でも早くこの会話を終わらせたかった。

「いいよ、教えてあげる。生馬が、とある研究所で博士をしているのは知っているよね?」

「もちろん、それぐらいは知っている。私は生馬がまだ学生だった頃から、一緒にいるんだからな」

 それを言った途端、今まで余裕の表情を浮かべていた女が、僅かに顔を歪める。

 それは羨ましさや妬ましさが混ざった、嫉妬という感情によく似ていた。

「それなら、生馬が何の研究をしていたかは? 当然、分かっているよね?」

「い、いや……何かの機械を造っていたのは知っているけど、それが何なのかは……」

「ふふっ、生馬はね、ずっと私を造ってくれていたのよ」

「何だって⁉︎」

 女は勝ち誇ったように笑うと、さらに続けた。

「驚いた? アンタがずっと応援していた生馬は、私を造るためだけに博士になったのよ!」

 私は、これまでの生馬を思い返してみる。

 徹夜で勉強していたのも、毎日真剣に機械と向き合っていたあの姿も、全部この女のためだったのか……?

 体中から、力が抜けていく。もう、何を言われても言い返す気力などなかった。

「生馬はね、あんたが死んでからもずっと、由月一華という人間を忘れることが出来なかった。せっかく幽霊になって憑いていたアンタにも気付かず、ついに生馬は私を造りあげた。アンタの記憶を受け継いだ私は、もう由月一華そのもの。本人でしかない」

 そこで女──いや、一華はチラッと私を見て、悲しげに目を細める。

「……まぁ、初めてあんたを見た時、正直驚いた。だって魂だけとはいえ、同じ人間が二人もいるんだもの」

 一華はおもむろに立ち上がると、飲み終えたカップをすすぎ始めた。

「でも、しばらくこうやって生活をしていて、ようやく分かったわ」

 流れる水をキュッと止め、一華は私に向き直る。

「こうして実体のある私こそが、生馬にとって相応しい一華であることがね」

「そ、そんなこと……」

 反論など何も、出来なかった。それでも、私は生馬とは十五年も行動を共にしてきたのだ。

 それをたった数週間前に造られた私に全てを持っていかれるなど、プライドが許さなかった。

「私が来てから生馬は、きちんと食事をするようになった。生活習慣だって改善しつつある。あんた、随分と長い間生馬といるようだけど、何か一つでも生馬のためになることをやってあげた?」

「……っ!」

 ただ黙って、それを聞いていることしか出来ない。

 見えないから、聞こえないから──。結局それは、言い訳でしかない。

 私はいつものことだからと、見て見ぬふりをずっと続けてきたのだ。その結果がこれだった。

「生馬は、自分と同じ年齢になったアンタを想像し、そして私が生まれた。分かる? もう、あんたは必要とされていないんだよ。だって、 今の生馬が望んでいる姿が、私なんだから」

 そう言われてやっと、私は一華に抱いていた既視感の正体に気付いた。

 この一華は、私が成長した姿だったのだ。

 ずっと自分の姿を見ていなかったから、分からなかったがそうか……私は、こんな姿をしていたのか。

「これで分かったでしょ? この家にいるべきはアンタじゃなく、この私。だから……早く、出ていってくれない?」

「え……?」

「だって、当然でしょ? 一華が二人もいたら変だもの。ま、どうしてもと言うなら、置いてあげてもいいよ。まだ、居場所が残っていたら、だけど」

「ただいまー」

 この最悪な流れを断ち切るように、のんきな声を響かせて生馬がリビングへと入ってきた。

 私は時計を確認するが、いつも帰ってきていた時間よりも全然早い。

「どうしたの? 早かったね」

「あぁ、一華が待っているって思ったらさ、居ても立っても居られなくなってね」

 ……嫌だ。その人を、一華だなんて呼ばないで。

 本当の私はここなのに、ここにいるのに。

 私以外の人を私の名前で呼び、楽しそうに笑う生馬をこれ以上見ていたくなかった。

 一華の、言う通りだ。ここに私の居場所はない。

「さよなら、生馬……」

 そう呟いて、私は振り返ることなく壁をすり抜けて外へと出る。

 これから、どうすればいいのだろうか。

 答えはなく、太陽が沈んでいくにつれ、辺りは段々と真っ暗な闇に包まれていった。

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