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第一章『表出』 第五人格:ひろ

突如として、光は覚醒した。

深い水底から一気に浮上したような、軽い目眩を含んだ急な目覚め。

ここまでに至る記憶はほとんどない。在るのは純粋なエネルギーの衝撃と断片的に網膜に残るビビッドな幾何学模様だけ。

このあまりに頼りない状態では、過去を紐解いて解答を得ることは叶いそうもない、光はすぐさまに自身の周囲を観察することにした。

とはいえ、外部にも現状を認識するために助けとなるものはなかった。

光が今いる場所は、伸ばした手の先すら見ることのできない暗闇に支配されていた。

知覚での探求は絶たれ他の感覚を研ぎ澄ますが、あるのは静寂のみ。足元は確認できないが、安定した床の上に立っているようだ。慣れ親しんだ肌触りが全身の皮膚から伝わっている。着なれた厚手のシャツにダウンジャケット、下はジーンズといういつもの服装に違いない。

これら一通りの作業は暫しののちに完了され、拠り所を失った光は再びただ立ち尽くす。身を取り囲む闇がひしひしと伝わってくる。

ふと、ぽつり、と一つの明かりが世界に出現した。

それは夏の夜に舞う蛍のような、小さくも夜に滲むような、あたたかい灯。

前触れもなく生まれた一つに呼応するように、あちらこちらで生まれ始める。生まれた明かりは、水に還る雪の結晶のように、ものの数秒で静かに闇に溶けゆく。

観察を続けていた光の眼前にも現れた。反射的に顔を引いてしまう。光にいくらかの心拍の乱れを残し、それは音もなく儚く消え去った。

しかし、一瞬の間でも近くに生まれたものが何かは把握できた。


文字だ。


仄白い均一なサイズの文字が生死を繰り返す。目を奪われる幻想的な光景。再び光の目の前で、ひとつ生まれ、消えた。

光は未だ濁っている思考でぼんやりと見つめていたが、次第に文字の出現の頻度が上がりはじめたのに気づいた。気づけば消えることなく宙に留まる文字も現れている。

森閑とした暗黒の世界が動き始めていた。

輝き続ける文字たちは光と正対して、緩やかな動きで列を形成しはじめた。左から右へ、等間隔に。一定の長さになると、次の文字は一段下で先頭となり、その後ろに再び別の文字が並びはじめる。文字は単語へ、単語は文へ。

絶対的な秩序をもって、創造されたのは次の一文であった。

『平成31年——1919年が明けた。』

文字は弛むことなく整列を続ける。不規則な明滅を繰り返していた文字とは異なり、はっきりとした意思をもって存在している。

不可解極まりない状況であったが、小説を愛し活字中毒である光は、目の前に浮かぶ文字たちを読みはじめた。文字を追うことで無意識のうちに心身の安定を求めたのである。

『光はQ大学で理論物理を研究して天才と言われたが、ある奇縁によってジェイムズ・ジョイスに魅せられ——』

紡ぎ出された文章に思わず目が止まる。

——これは、僕のこと、か?

理論物理研究者としてのキャリアや恋人との甘い時間を捨ててまで、小説家を志すことにしたこと。小説とは読む分には楽しく面白いものであったが、いざ自ら作品を書こうとすると一向に筆が進まず、駄文を書き連ねる日々を過ごしたこと。

先を読み進めるごとに、光の人生の一片が現れてきた。同時に光の記憶も整理され、脳が働き始める。

物語の中の光は、数多の迷作を生み出し続けることに悩み、秋の北海道へと向かっていた。その時、文章を読み進めることで明瞭になってきた光の頭に、むくむくと嫌な予感が湧き出てきた。

『光の脳髄は一世一代のエマージェンシーコールを発動し、時間の流れを減速させた。』

自動化された工場の製造ラインのごとく、物語の抑揚に関係なく愚直に並び続ける文字たち。

物語を読む光の脳髄に生じた予感は、物語とともに或る一つの事実に辿り着こうとしていた。

『しかしそこに勢いよく突っ込んできたトラックを避ける術もなく、光は白い雪道に赤い花を咲かせ、白い巨塔へと運び込まれていった。』

——そうだ。僕はあの日トラックに轢かれて死んだのだ。


こめかみから首へと一筋の汗が流れ落ちていった。その感覚が光を物語から引き剥がす。気づくと大量の汗を含んだ服が、ずっしりと重みをもって体にまとわり付いていた。思わず大きく息を吐く。遠くの方で、読むこともできない文字が、一つ消えた。

ここは死後の世界ということなのか。小説好きの因果で、こんな奇怪な走馬灯体験をしているのだろうか。

高揚の後に訪れた言いようのない虚無感。様々な思いが渦巻く光の内面とは対照的に、文字は無感情に物語を紡ぎ続ける。

交通事故で死んだはずの光は、奇妙なことに物語の中では息を吹き返していた。加えて、事故をきっかけに小説の才能が開花し、夢に見た小説家としての大成も不可能ではないように思えた。

何故、もはや手に入らぬ己の未来を、才能を突きつけられねばならないのか。もはや死んでいるのであれば安らかに眠らせてほしい。

文字の整列は継続していたが、光は読むのをやめた。心を乱されるならこれ以上読むことはない。

下へ下へと続く文章を読もうと中腰の無理な体勢をとっていたため、固まっていた体がきしむ。背筋を伸ばしたことで広がる視界。その視界の上部、これまで読んでいた文章の冒頭部のあたりに、新たな文字が集まりはじめているのに気づいた。どうやら裏返った状態、すなわち光がいる場所とは反対側から見て正となるように文章が再び紡がれはじめているようだ。

集う文字たちの白い明かりによって足元を確かめながら、光は裏側へと回り込んだ。

先ほどまでの沈んだ気分は、新たな物語の出会いでわずかに復調した。やはり読むことが好きな性分なのである。

2作目の作品は既にかなり先に進んでいた。急いで冒頭から追いかける。

『愛は取り憑かれたようにパソコンのキーボードを打つ。呼吸をする時間さえも煩わしく感じられた。』

音もなくただ、文章が、物語が生まれ落ちる世界で、光は唯一の読者として作品を享受しつづける。しかし光の楽しみはまたも中断され、思わず顔をしかめる。こちらの物語でも光が登場しているのだ。しかも先ほどと事故後の設定も同じである。

元来のひねくれた性格が、自らの死後の世界をこのようにデザインしてしまったのだろうか。こんな迂遠な方法で自らを責め苦に追い込むとは、地獄要らずのとんだマゾヒストである。

一旦周りを見渡してみるも、他の文字は離れたところで瞬いているだけで、新たな物語の出現はなさそうだ。とはいえ、淡々と生成され続けている最初の物語に戻る気は起きない。

光は少々不本意ながらも、再び文章を読み進めることにした。少なくともこちらの主人公は光ではない、序章で少し登場するくらいだと期待しよう。


いつしか物語にのめり込んでいた光であったが、没入した状態ですら気になるほどの問題が生じ始めた。元は豆電球ほどだったのが、目を刺すほどの強さまで文字の明度が上がっている。

『そして、覗くことが出来るのなら【行き来する】ことも不可能ではないはずだ。』

一度気になってしまうと、続けて読むのはつらい。白く視界がぶれ、強く目をこする。それでも状況は変わらない。文字は明るさの限界に達したのか、今度は小刻みに揺れはじめていた。

『最近買っ…カヌレ(猫…骨……本……撫で………、…うし…………と………』

もはやそれぞれの文字を認識するのに手一杯で、文章の意味をつかむのは困難だった。それでも光は眩しさに目を細めながら物語に向かう。文字たちはふらつきながらも一定のペースを保ち、文章になろうとする動きを止めない。


「あ、来た…来た、、、来た来た来た来た!やっと開いた!最っっっ高よ(ディモールト・ベネ)!アッハッハッハ!」


これまで世界を包み込んでいた静寂が乱暴に切り裂かれた。笑い声は反響しながら隅々へと拡散していく。

光は思いもしなかった出来事にビクリと体を震わせ、落ち着きなく周りを見回した。気づけば文章を構成している文字だけでなく、周囲に浮かぶ文字たちも暴れはじめている。まるで何かの予感に身震いするかの如く。


そして、物語の生成は続き。

遂にその時を迎えるに至った。


「しばアらく。完成おめでとう。待っていたわよ、この時を……アッハッハッハッハ」


哄笑ともに世界は開かれた。



爆発のように轟いた声と閃光。思わず目を瞑った光が、再び視覚を取り戻した時、少し前までの光景は様変わりしていた。

全ての暗闇は取り払われ、吊り下げられた電球のように点在していた文字たちは姿を消していた。世界は純白に塗り替えられ、見渡す限り何もない広大な空間があるばかり。

ただ、一つの存在を除いて。

それは世界が開かれた時からそこにいた。むしろあまりに強大な存在感を放つが故に、すぐには認識できなかったというのが正しい。対象として捉えられる状態になった時、それは光と同年代の女性として存在していた。

光はその存在を見つけ、しばし一切の思考が止まった。

朝霧を含んだように艶を持って流れる黒髪。色素が薄く、透けてみえるほどのきめ細やかな肌と、楊梅(ヤマモモ)のような赤みを持った唇。桃色のニットワンピースからは、すらりとしたふくらはぎが覗いている。思わず目を留めてしまう、非の打ち所がない美しさだった。

美女は光とは異なる方向をぼんやり見やっていたが、ふと自身を見つめる視線に気づき顔を向けた。

「…ほう。何故ここに登場人物(キャラクター)がいる」

落ち着きをもった涼やかな声と、おおよそ似つかわしくない言葉遣い。彼女が光を見つめる表情は、召使いを前にした支配者のごとき余裕に満ちていた。

「きゃ、キャラクター…?」

「そう。ここに生を受けし者は、皆がその呪縛に囚われる。しかし、登場人物(キャラクター)が我を知覚できるとは面白い。これも我の顕現による作用か…」

呟くうちに彼女は光への興味を失い、考え込みはじめようとしている。彼女から何かしら現状の手がかりをつかめないかと、光は訳も分からないまま慌てて言葉を続ける。

「あなたは一体…」

口にしかけた言葉は、彼女の強い視線に射すくめられ霧散した。圧倒的な力量差。彼女はそんな光の様子を気にもとめず、滔々と語り出した。

「我はアルパなり、オメガなり、最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、(はじめ)なり、(おわり)なり。…そう、そして現在の名は、愛だ」

愛はそこで軽く前方に両手を広げた。一体何が始まるのかと光は息を殺して見つめる。すると、愛はひとかけの笑みを含んだ声で続けた。

淑女(レディー)に名を尋ねたのなら、遅れてでも自己紹介するのが礼儀ではないかな?」

光は恥ずかしさに体が熱くなった。意外にも愛は対等に会話を続けようとしている。乾いた口から言葉を発する。

「あ、私いや僕は、光です」

途端に愛の視線が鋭さを増した。

「光…?光は我が物語によって(・・・・・・・・・・)絶命させたはず(・・・・・・・)

愛の険を帯びた表情に焦った光は、思いつくままに言葉を連ねる。

「そ、そうなんです。僕はもうトラックに轢かれて死んでしまって。あ、何を言っているかわからないと思いますけど、ここは僕の死んだ後の世界っぽくて。そんなところで、こんな出会いがあるとは思いもよらなくて。まあ、死後の世界も捨てたものじゃないと、あはは…」

光の笑いはしぼんで虚空に消えた。愛の視線が痛い。

「ここは死後の世界などではない。より高尚で崇高な世界だ」

どうやら見知らぬ美女との会話は最悪の結末となったようだ。光は言葉を重ねることはおろか、力なく開いた口を閉じることもできなかった。

愛は一点を見つめ熟考している。もはや光と語るつもりはないらしい。光の気まずさが増していく中、閉塞した状況を変えたのは、天から降ってきた声だった。


陛下(マジェスティ)、新たな世界が開きました』


その声に愛の表情が一変する。先ほどまでの光との会話では見ることのなかった、陶酔にも似た笑みを浮かべながら応える。

「ご苦労。幾らかの乱れはあったようだが、概ね順調なようだな」

満足げな愛の視界に光が認識される余地などなかった。棒立ちで見つめる光の前方で、愛の白魚のような手がゆったりと掲げられる。

指を弾く乾いた音を残して、稀代の奇術師よろしく、愛はその姿を消した。



光は独り白い空間を歩いていた。

愛との激しくも苦味の強い邂逅は既に遠く、今はあてもない彷徨を続けていた。

しかし、いくら歩みを進めても、これまでの怒涛の展開が嘘のように、周囲は凪いでいた。

進む方向を考える必要もない。どちらを向いても変わらない景色。

やはりここは死後の世界なのではないか。賽の河原で石を積むように、何もない空間を消えることもなく漂流し続けるのだ。

動かし続けていた脚が鈍い痛みを訴え始めたころ。これまで光を翻弄してきた出来事に比べれば小さな変化であったが、世界に揺らぎが生じた。

初めは見間違いかと思った。しかし歩みを進めるにつれ、細長い形状が判別できるようになった。確信を持った光の歩みが速度を増す。

そして、茫漠とした空間から見つけ拾い上げられたのは、普魯西青色(プルシアンブルー)の万年筆。

手にとってみると、まるで光の身体の一部かのように馴染む。蓋を開け、足元に広がるまっさらな床に走らせる。

一本の線が世界に産み落とされた。

どうやら問題なく書けるようだ。それを確認した光は万年筆をポケットにしまおうとするも、身体は意志に反してピクリとも動かなかった。

無造作に引かれた線、そこから目を離せない。視線が縫い付けられてしまったように、黒い線が視界を埋めていく。指先からにじむ汗が、艶やかな万年筆の表面をぬるりとした感触に変える。

視界を黒が満たした。

弾かれたように動き出した光の腕は、白い床に一文を刻みつけた。

『瞼を閉じ、舌上を転がる7.4gの球体を味わう。』

——これが僕の紡ぐ真実だ(・・・・・・・・・・)



幾許かの時が経った。

一つの汚れもなかった無垢の大地は、のたうち回る文字で浸食されていた。その先端には取り憑かれたように文字を連ねる光。逡巡したり間違えたりすることもなく、筆記できる限界の速度で文章が生成されていた。

息が上がり、視界が揺れる。心臓が早鐘を打つ。もはや正常な意識ではない。内部、身体の奥底から湧き出てくる異常。

万年筆を強く握りしめた指が白い。尺骨がきしみだし、皮膚の下に無数に存在する筋肉のひと筋ひと筋が悲鳴をあげる。

腕から生じた苦痛が全身へと駆け巡り、脳が焼けるような心地の中。

そして、遂に。


「しばアらく。完成おめでとう。待っていたわよ、この時を……アッハッハッハッハ」


溶けた頭蓋に響く笑い声。

臓腑に鈍く痛みを残して、光の意識は暗転した。

まずは魅力的な話をつないで、バトンを渡してくれた執筆者のみなさま、ありがとうございます。

この第1章はそれらの作品なしには生まれませんでした。

少しでもあやかろうと、これでもかと引用させてもらいました。ご容赦ください。


遂に第1章を書くか!渾沌に秩序を!

そう意気込んでプロットを考えはじめたものの、するりするりと掴みきれない物語に途方にくれ。

なんとか骨組みができたと思いきや、今度は自分の筆力が足りず。

さらなる渾沌を生み出してしまった気がしています。


ただ、ここまでの各話の要素や伏線をできる限り生かしつつ、話を前に進めることには全力を注がせていただきました。

お話としての形を整えようと色々と削ぎ落とした結果、重要な布石がこぼれ落ちてしまったかもしれません。

それらは今後のストーリーを紡ぎ出してくれる方々が拾い上げてくれると信じ、多少の無茶ぶりとともにお渡しします。


ここでひとつの流れをつくりましたが、これからの作品がどうなっていくのか楽しみです。

この第1章なんて好きに扱っていただいてかまいません。

だって、物語はいかようにも修正(イレース)できるのですから。

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