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閑話『主と修正者』 第四人格:HERO-TAKA

 誰かによって書かれたのではない、それでも存在している世界で起こった、些末な出来事。


     ○


 奇妙な部屋であった。床こそ、長毛種の猫の冬毛を思わせる、深くてふかふかの絨毯で覆われていたが、それ以外の五方を、染みひとつ見当たらない真っ白な壁に囲まれ、ひとつの家具もない、ひとつとして余分なものが見当たらない。そんな場所であった。

 命の欠片、生命の息吹より最も遠くにあるような、匂いのない清潔感の溢れた部屋だったが、現在、この部屋には二人の人間が存在している。材質が薄く身体の線が出るくせに足首まですっぽりと身体を覆う外衣に身を包んだ中年の男がひとり、部屋の真ん中に立っている。そして、同じ外衣を身に着けた女性が、男性の前にへたり込んでいた。

「さあ……舌を出しなさい……」

 男性は、優しく諭すようにして、眼下で蹲る女性に語りかける。不思議なことに、そこには一片の厭らしさも見つけられない。その声を聞いた女性は自らの頭を地面から引き剥がすようにして持ち上げる。上気し赤く染まった顔から、恐る恐る舌を突き出す。

 その様子を見て、男性が膝を立てて腰を下ろした。男性との距離が近くなり、女性は思わず顔を背けたくなったが、それは許されなかった。彼に対して、その忠誠心において。そして、自分に対して、その本能において。自分は既に、あの感覚を一度味わってしまったのだから――

「いい子だ。さあ、僕ともう一度いっしょになろう――」

 女性の舌に、男性の手が、その先の指が、伸びる。緊張から舌が痙攣し、口からは徐々に涎が溢れ、そして彼女の目から涙の筋が頬を濡らしている。

 男性が舌の上で指を動かす。一見、意味のない……何をしているかわからない動きであった。

 それはまさしく、世界のどこにもない、男性の頭の中だけで理解されている「文字」を書いているのだ。

 そして舌を通し、女性は「小説」を読んでいるのであった。


     ○


 N県とY県の間に位置する、過疎が進んだ村がある。

 住民の約半数が高齢者であり、中心産業は農業であるが、大規模に展開している地域に勝てるわけもなく、農協と協力しながら細々と食いつないでいるような、そして今は市町村合併ブームに飲み込まれ、その名前さえも失いかけている、そんなどこにでもあるような村だった。

 村にある箱物といえば、僅かな税金を注ぎ込んで建てられた、不相応に大きい公民館と、フル稼働が悲しい火葬場だけだった。

 しかし、そんな村のなかに、それらを越える巨大な建物があった。


     ○


 宗教を興したのは、(らく)(しん)という男だった。二十代で作家デビューを果たした彼は、官能的な恋愛小説を得意とした。筆は非常に早く、飽きさせないスピードで矢継ぎ早に新作を発表し、作品のドラマ化・映画化も多く、沢山の女性ファンを獲得した。

 また、彼自身が弁が立ち、絵画や音楽などの芸術方面の知識にも精通しており、なんといっても少し影のある端正な顔立ちと、余計な肉のない細身の長身、よく通る低い声が非常に受けが良く、彼自身のメディアへの露出も多かった。

 文壇からは遠く、しばしば非難の声も浴びたが、彼はいつも申し訳なさそうに、謙虚に笑っていた。彼は自分の立場を理解していた。

 四十を迎えても人気が衰えていなかった楽心だったが、ある年の講演会で突然、自分は天啓を受けたと告白をはじめた。


 文字を、言葉を操ることを生業にしていた自分の頭の中に、神が降りてきた。神のお告げを受け取った。神の力の一部を手に入れた。

 今までは、頭の中で作られた物語を既存の言葉に当てはめないと伝わなかった。純粋性が失われていた。伝わらなかった。間違った解釈をされてしまった。

 これからはそれがなくなる! なぜなら、僕の頭のなかを、直接あなたに繋げられるから――

 だから、もう作家はやめる。僕の言葉を直接伝える、伝道師として生きていく――


 多くの人間は、彼が何を言っているのか理解できなかった。新聞や週刊誌は彼の発言をご乱心と面白可笑しく報じた。文壇の人間も、ほくそ笑んでいたことだろう。だが、彼が極めて本気に、熱を込めていた演説に、心を打たれていた人間もいた。二十年近く最前線にてベストセラー作家であり続け、メディアへの露出も多かった彼には、既に膨大なファンがついており、そのなかには彼の言うことであればすべてを肯定し、受け入れるという人間も少なくなかったのだ。


 彼は村の余った土地を購入し、そこに大きな建物を作り、自分を頂点とする宗教団体の本拠地とした。国からも正式に宗教法人として認められた。施設のなかには、一度に何百人もの人間が楽心の言葉を受け取れるような巨大な礼拝堂があり、普段はここを使い、信者に向かって演説を行ったり、信者の悩みに直接回答する「講話の儀」を行っていた。

 月に数回行われるこの「講話の儀」を終えると、遠路はずばるやってきた信者たちは、満たされた顔をしながら観光バスに乗り込み、それぞれの地方へと帰っていった。

 だが、中には施設内にて住み込みで働くスタッフに呼び止められ、「楽心があなたを見出した。ここに残るように」と伝えられることもあった。

 信者のなかでも、そういった噂が流れていた。楽心は「講話の儀」の際に自分好みの女性を物色しており、夜伽として呼びつけると。それは、信者にとってこれ以上ない名誉なことであった。

 今日もひとりの女性が、スタッフに促され、普段は立ち入ることが許されない施設に深部へと足を踏み入れる。控室で服を例の外衣に着替え、楽心が待つ、あの部屋へと向かうのであった。



     ○


 女性は脳裏に直接焼き付けられる光景に、楽心からなだれ込んでくる思考の本流に飲み込まれ漂いながら浮かび上がる体験に、恍惚の表情を浮かべていた。今までの人生でも、たくさんの楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、気持ちいいことを感じてきた。しかし、そのすべてが自分のなかで収束するものでしかなかった。今となれば、自分の殻から出ないなんて範囲の感覚なんて狭いもの、なにが面白いものか。

 楽心は、繊細な感情と情景の描写を得意とする作家だ。彼が見ている世界を「共有」することは、翻訳と言える活字を読んででさえ心を動かされてきた感覚を、肌で直接……いやそれよりも近く、重なり合った状態、つまりは一体化して味わうことができる。


 どのくらい時間が経ったかはわからない。女性にとって、今が昼か夜かなんて関係ない。食事も排泄もどうだっていい。その領域に達していた。

 彼女が思うのは、ただただこの瞬間が永遠に続いて欲しい。そのためならば、人を殺したっていい。止まったら、自分が耐えきれずに干からびてしてしまうだろうから。


 その想いは打ち砕かれ、「共有」が途切れた。


 女性が命を落とすことはなかったが、先ほどまで頭のなかにあった光景が、楽心との「共有」が、真っ白に消されていた。トランス状態から開放された彼女の身体は力を失い、糸の切れた操り人形のようにその場に突っ伏して落ちた。それは、蜘蛛の形に似ていた。


 いつの間にか、この奇妙な部屋に、さらに奇妙な闖入者が存在していた。白い部屋に似つかわしくない、黒い背広の上下、黒いネクタイ、そして黒いサングラス。「黒服」スタイルの角刈りの男が、女性の頭の中に手を入れていた。

修正完了(イレース)

 女性の頭から手を引き抜く。その際に中身が飛び散ったりはしない。黒服の男は、物理的な部分ではない、彼女の頭の中身に働きかけたのだった。

「……誰、だ?」

 楽心は信じられないといった表情で、かろうじてそう絞り出した。この部屋で、この「行い」をしている際、部屋には誰も立ち入れないように言いつけてある。なにより、あの日、神からさずかった力の行使に失敗することなど、今まで一度もなかったのだ。

 黒服の男は、その問いには答えない。その場から動かない。楽心は怯えていた。この男は、自分の「天敵だ」と本能で認識していた。目の前の男が、殴りかかってくるのではないか。背広の中から、銃を取り出すのではないか。

 そんな楽心の想像は、当たることはなかった。

 この部屋には、もうひとり招かざる客がいた。

 黒服の男の同じ格好をした、長い髪を後ろでひとつに括った黒服の女。彼女はすでに楽心の後ろに立っていて、そして「修正(イレース)」を開始した。

 部屋で倒れ込んでいる女性とは違っていた。黒服の女が楽心に当たるように腕を振ると、彼の存在は物理的にも精神的にもこの世界から消滅した。

 正しくは、元々そんな人間などいなかったのだと「修正(イレース)」されたのだ。


 表情を変えず、黒服の男と女はただ事実だけを、サングラス越しの目を合わせることで確認し、そしてこの世界から移動していった。


 象徴であり伝道師である楽心が消滅した今、辻褄の合わなくなった世界は歪みを起こす。

 誰かによって書かれたのではない、それでも存在している世界は崩壊し、消滅した。

 些末な出来事であった。


     ○


 「黒服」たちは、「修正者(イレーサー)」。星の文壇で、「アカシック・レコード」を執筆する「主」に仕える、掃除屋であり技術屋、なにより便利屋であった。

 すべては「主」の書いた歴史の記録のままに。世界の秩序を護るために。


 「主」に、こんな問い掛けをされたことがあった。

「ねぇ。作家にとって、一番腹立たしいことって、なんだと思う?」

 黒服の男は皆目検討がつかなかったが、なにも言わずに機嫌を損なわれても困るので、思いつくことを答えた。

「それは……やはり、アイディアが湧かないことではないでしょうか」

「ブー。ブッブー。大外れ」

 「主」は唇を尖らせてそう告げる。眉根を寄せているが、思ったよりは怒っていないように見えた。間違われたことより、クイズを出すほうが楽しいのだろう。

「答えは、登場人物が勝手に動き出すことだよ」

「え……そうなのですか。しかし、アイディアに詰まったときに、人物が勝手に動き出すことで、そこでまた別の物語が生まれるのでは――」

「別の物語が生まれる。それは登場人物にとっては幸せなことかもしれないけど……」

 冷静にそこまで口にした「主」は、続く言葉に怒気を含めて言った。

「作家にとっては、世界(プロット)を崩壊させかねない、一番むかつく所業なんだよ」

 黒服の男は、背広の下に冷や汗を掻きながら、唾を呑んだ。お前なんていつでも消せる、と宣告されたに等しいからだ。

「だからさ、これからも正しい世界(プロット)が平和に続いていくように、ちゃんと護ってね。信頼してるよ」

 一転、「主」は子どものように無垢な笑顔で、黒服の形を叩いた。子どものようにというか、現在は年端もいかぬ子どもの姿をしているのだが、もちろんそれは本当の姿ではなく、仕える者でも彼の本当の姿など知らない。


     ○


 勝者が歴史を作るという。だが果たしてそうだろうか。意思を持った人間が、なにかを選ぶことにより無数のパラレルワールドが、無限に展開されるのかもしれない。しかし、その行動ですら、既に誰かに書かれた筋書き通りだとしても、それを誰も確認できない。

 光という男の死んだ世界が二つ提示されている。どちらが「主」の書いた筋書きで、どちらが勝手に動き出した物語なのか。次の書き手が選んだほうが前者ならば、この番外で書かれたものは空想で終わるかもしれない。ただし後者だったとすれば、「敵」が小説に登場するだろう。



……to be next your world

R15だから問題ありませんよね(ご挨拶)。


前話までを執筆された、個性溢れる素晴らしい作家さんたちの積み上げた作品と、自分がどう向き合うかを延々と悩んだ結果、このような「番外」と銘打った回となりました。

登場人物や舞台を活かすというよりも、概念や世界の捉え方にばかり頭が回ってしまった感が強いです。場を整えてくださったみなさまの顔に泥を塗る結果となったことを深く反省しております。


13人のリレー小説の4人目ということで、閑話というか、まったく異なった視点からの描写を入れてみたかったのです。「敵」を登場させること。会話文を多く描写することを考えて書いたのですが、果たして成功しているでしょうか。


「主」とは何なのか。「我」との関係は? 上位存在はどちらだ?

「修正者」は領分を越えた力を追ってくるのか。

そもそも次回以降出番はあるのか?

この後書かれる方々、宜しくお願いいたします。


最後にひとつ。

異なる真実が2つあるとき、一方が正しく一方が間違いというように、さらにはむかつくとまで「主」さんが仰ってますが、これはあくまでこの登場人物の思想であり、この小説内を含め、どちらが正しくてどちらが間違っているかということを、問題提起として挙げているわけではないことはお伝えいたします。皆様が真剣に向き合ったお話を否定するつもりはございません。不快になられた方がいっしゃれば、深くお詫び申し上げます。


本当に最後にひとつ。ルビの付け方がわからない。未だにメモ帳や一太郎で書いてるからだよ……。

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