あとがき『残された物語』 第十三人格:ヤギ郎 <Part 2-1>
あとがき『残された物語-作者と金髪美少女と共に』
Part 1-1
Part 1-2
▲Part 2-1
温田と「遅瀬」 1
Between the Layers 4
温田と「遅瀬」 2
温田と「遅瀬」 1
「・・・以上が『星の文壇』での会合の報告です」
生成色の空間に一人の少女が上体を起こしてベッドの上に座っている。
「ありがとう、温田さん」
「このような状況ですので、今後『遅瀬慎』の物語をお嬢様にお届けするのが難しくなると思います」
「仕方がありませんわね。続きが気になりますが、お世話になっている『星の文壇』のみなさまからの要望ですので、無碍には出来ません」
「はい」
「でも、困ったわ。これでは退屈になってしまう」
少女はおもむろに窓の外を見つめる。彼女を見ているとふと思うときがある。光を捉える眼球をなくし、代わりに『語覚』を手に入れた少女は外の世界をどのように見ているのだろうか。
「温田さん」
「はい、お嬢様」
きっと彼女は誰よりも美しい世界を見ているのだろう。
「また物語を持ってきていただけますか」
「はい、よろこんで」
○
少女の住まう病室を後にした。リノリウムの廊下を歩きながら昨日のことを思い出す。昨日はいつも通りに出勤した。昼食をとった後、来月発売する文芸雑誌の編集作業をしていた時に遅瀬慎からメールが送られてきた。そのメールには、先日読ませていただいた小説の第二校が添付されていた。添付ファイルを開きながら、原稿を確かに受け取った旨を返信した。
そして直ぐに読み始めた。
前半部分はほとんど変わっていなかった。それもそのはずで、彼が記したことはこの物語の事実である。事実は変わりようがない。注目したのは新たに書き加えたところである。この箇所は、彼とファミレスでハンバーグを食べた時からの物語の進展が記されている。じっくりと文字を追う。
かくして、楽心が王を手に入れる遙か前に、主は眼を手に入れていた。
遅瀬慎が記すことはこの物語の真実である。何度も確認することではない。彼がこの物語を記すことが出来るから、説明役として『星の文壇』へ加入することになる「楽心」のもとへ送られたのだ。
お嬢様の眼をとったのは「主」なのか。
先日の会合のことを思い出す。
年齢も性別も不詳の主は、この時は少年の姿で登場した。ロリーポップをペロペロと舐めながら、ニコニコと愛嬌を振りまいていた。あの少年がお嬢様の眼を持っている。体の奥底からぐつぐつの感情が燃え上がろうとしている時に、ふとお嬢様のことを思い出した。
あの生成色の部屋には頭に包帯を巻き、いつも静かにベッドに座って文字をなぞっているお嬢様がいる。ある時、「見えるようになりたいですか?」と彼女に聞いたことがある。科学技術の発展により、まるで本物の眼球のような義眼もある。素人にはその区別がつかない。彼女には義眼を埋め込む選択肢もあるのだ。
お嬢様ははかなげな微笑みを浮かべて、「眼を失って見えていたものが見えなくなった。同時に見えていなかったものが見えるようになったのよ」と言った。これはお嬢様が『語覚』を手に入れたから言えたことである。彼女にこの第6感を授けてくれた神様には感謝しなければならない。
ただ、お嬢様から大切なものを奪っていいことにはならない。
許せない。許せない。
手始めに遅瀬慎を殺そう。彼はあくまでこの物語を文字化した記録者である。『星の文壇』の一員でもないし、おそらく真正なアウェイカーでもない。ただのその他大勢だ。しかし、記録したことが罪である。その記録により私は真実を知ってしまった。そして憎しみを覚えた。
まずは遅瀬慎だ。
はっと、気づく。お嬢様は遅瀬慎の物語を待ち望んでいる。ここは一つ彼女にウソをつくことになる。仕方がない。彼女にはこの箇所を読ませるわけにはいかないのだ。ウソをつこう。彼女のためを思ったウソだ。そして残酷な真実を記した記録者を屠るのだ。
Between the Layers 4
「いくつか確認したいことがあるんだけど」
持参したミルフィーユを食べ終えて、僕とツヴァは紅茶を飲みながらまったり過ごしている。ツヴァに関して言えば、先程から桃色の携帯ゲーム機で遊んでいる。
「なんだ」
「人が話しかけているのに、こっち向こうよ。まぁいい、『語感』と『語覚』についてなんだけど」
「君は細かい男だな。女子に嫌われるぞ」
「僕はツヴァに好かれれば・・・痛い、痛いよ、フォークで刺すな!」
「単なる表記ゆれだろ。ミスだ。同じものを指している。
これだから校閲を入れないと文書がおかしくなるのだ」
「な、なるほど。次は、」
「まだあるのか」
「後一つだけ、今は。えっとね、今までの話の流れ的に『遅瀬慎』が記した物語の解釈が公定理解になりつつあるんだけど、(彼が物語を理解しているから『楽心』のところへ派遣されたわけだしね、)この彼の物語解釈でいいんだよね?」
「どうだかな」
「えっ、どういうこと?」
「では尋ねるが、一体『遅瀬慎』は何の解釈をしたのだ?」
「この物語でしょ」
「この物語の具体的にどこだ?」
「どこって全部、少なくとも彼が解釈を発表するところまで・・・ああなるほど、彼が語らなかったことについては解釈が無いといいたいんだね」
「この物語はそもそも完結していないのだ。未だに君と私がこうして会話を続けているのがその証だ。未完の物語をどうやって解釈をするのだ。蜜柑に笑われるぞ」
「いや蜜柑は笑わないからね。あと、ダジャレを言おうとしているのはわかるけど、滑っているから」
「君なんて『蜜柑』だ!」
「蜜柑を悪口のように使うのをやめてくれます。意味がわからないので。
遅瀬慎は自身が理解するところまでの解釈を記しているから、『遅瀬慎以前』と『遅瀬慎以降』が成立するわけだ。これも完結した後の解釈にかかわることだね」
「解釈論など、君が現実世界に戻って、お酒と女の子を囲みながら議論したまえ。私には関係のないことだ」
「そうだね。言っておくけど、お酒も女の子も囲まないからね」
ツヴァはゲームにもどる。僕はティーカップに残った冷めた紅茶を一気に飲む。
温田と「遅瀬」 2
私と遅瀬慎はニュー日本ブリッジ・ステーションで落ち合い、そのまま近くのファミレスに入った。お昼時だったので店内は混雑していたが、タイミング良く席を確保することができた。お互いの注文した料理はすでに運ばれていて、ほくほくのご飯を前に打ち合わせを進めている。
「そういえば、遅瀬先生、楽心さんにお会いできました?」
「そうだと思います。というか、会ったときの事を書きました、はい」
前回読ませていただいた第一校を思い出す。
「会って早々に神様扱いされていたと思いますが、その後の進展は?」
「そうなんですよ。僕が楽心さんの前に突然現れたことを天啓と勘違したらしく、いろいろおかしな展開になってしまったけれど、丁寧に説明したら納得してくれました」
「というと?」
「僕が『星の文壇』の使者であることと楽心さんを文壇の正式メンバーに迎え入れたいことです」
「それで、楽心さんの返事は?」
今日のランチはハンバーグ。前回の打ち合わせでもハンバーグを注文した気がするけれど、特別ハンバーグが好きな訳ではない。そして私はハンバーグ女ではない。
「二つ返事で了承してくれました」
「そうですか。遅瀬先生から見て楽心さんはどのような印象を受けましたか?」
「一言では言い表せませんね。はじめて彼に出会ったときは、滅紫色のローブを着ていて(そう僕が書いたので)、ヤバい人かと思ったけれど、誤解を解くために事情を説明すると熱心に耳を傾けてくれて。まるで僕のことを全身で受け止めてようとしてくれて、ほんと彼はすばらしい人です。彼に会うと自分の世界が広がるというか、物語がどんどん生み出せそうになるんですよ、本当に。なんで彼をもっと早くに紹介してくれなかったんですか」
「なるほど、わかりました」
概ね私の思惑通りに遅瀬慎は楽心に心酔してしまった。文字以外のものに落ちてしまった小説家は二度と文学をできない。これは編集者としての経験則だ。
「第二校も読ませていただきましたが、今後の展開についてどのように考えていますか?」
「何も考えていません。というか、わかりません」
やっぱり。
「創造神話に秩序を与えたいと思うんですけど、そもそもこの物語のどこまでが創造神話で、いや全部が創造神話なのか、それともこの物語の中に創造神話があるのか。それに、神話に秩序を与えることができるのか。神話という、それこそ何でもアリの世界に秩序という安定を与えることができるのか。もうなにがなんだかわかりません」
ここまでか。
彼は注文したミートソーススパゲッティをフォークでもてあそぶ。料理が届けられてからしばらく時間が経つけれど、一口二口減っただけでほとんど手がつけられていない。
「アウェイカー優遇法制反対!!リジェクターの権利を守れ!!」
「優遇政策反対!!権利を守れ!!」
「最近、多くなりましたね」
「そうですね」
ファミレスの前を反アウェイカーのデモ隊が通り過ぎた。これから宮城前で反対集会を開くのだろうか。
「これからこの物語はどうなるんでしょうね」
彼はお腹を擦っていた。今回の打ち合わせに限らず、基本的に打ち合わせでは彼ばかりが喋っていた。それでも、しっかりと料理を注文し、ちゃんと平らげている。
そろそろ潮時だ。
「あの、温田さん」
「なんですか、遅瀬先生」
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
「はい、どうぞごゆっくり」
遅瀬慎は席から立ち上がり、腹と口を押さえながら店舗の奥にあるトイレへと駆けた。
彼が見えなくなるのを確認してから、彼の荷物と伝票を手に取り、会計を済ませて店を後にする。
ニュー日本ブリッジ・ステーションは昔と変わらずオフィス街にある。首をもたげなければ最上階を視界に入れることができないほどの超高層ビルの間を歩きながら、ジャケットのポケットに手を入れて、中にある小瓶を握りしめる。
ファミレスに入って早々に、遅瀬慎が席を立ったタイミングを見計らって、瓶の中にある毒物を彼のコップに垂らした。この毒物は時限的なものであり、効果が出る数分前は下痢のような強い腹痛に襲われる。スパゲッティにほとんど手をつけていなかったこと、そして腹を抱えるようにしてトイレへ入ったことから、毒物が効き始めたのだろう。おそらく彼は今トイレでげぇげぇ嘔吐をし、絶命していると思う。店員の巡回まで、もしくは閉店まで彼の存在は気づかれないだろう。彼の荷物を回収したのは、会計済みのテーブルに私物が一切見当たらないことから、お客さんが帰ったテーブルだと店員に思わせるためである。どうせ午後になれば店員も入れ替わるので、私や彼がいたことをお店は忘れてしまう。
お店には監視カメラもあるので、完全犯罪を実行することはできない。逮捕されるのは時間の問題だろう。けれど、罪悪感はない。なにせもうすぐこの物語は終わるのだ。多少の罪を重ねたって、物語が終わればどうってことがない。
空を見上げる。摩天楼の間から太陽が見える。宮城へと向かうデモ隊のシュプレヒコールが遠くに聞こえる。
後悔があるとすれば、首謀者である主を殺すことができなかったこととお嬢様にお別れを告げることができなかったことである。主と戦うことは、たとえ不意打ち狙いでも、私の力では全く無理がある。お嬢様については、もしこの物語に神様という存在がいるのなら、彼女に私の最期を伝えてほしい。
私はこれで退場する。
お嬢様が幸せになることを願う。
温田の手の中には毒薬の入った小瓶が握られていた。
◯
「・・・温田さん」
温田さんが持ってきてくれた物語を読んでいたら、見えない隕石が落ちてきた。その隕石は、私の心の中に大きな穴が空けた。
「・・・おんだ、さん」
この大きな穴から悲しみが溢れ出てきた。ドボドボと壊れた堤防から流れ出る水のように悲しみが溢れ出た。
目のもとに手を当てる。そこからは何も出てこない。ただゴワゴワとした包帯が目を覆うように巻かれていただけだった。
涙は悲しみの反射だと誰かが言った。温田さんかもしれないし、他の人かもしれない。ただ私は涙を出せない。そもそも涙が無いのだ。
「おん、だ、さん」
今日この時ほど目をなくしたことを恨んだことがない。そう、私は後に回想するだろう。
両拳をあげて、ベッドに叩きつける。
「うわぁあああああぁあああああ」
頭に巻かれた包帯をむしり取った。
Part 2-2 へつづく