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終章『過去への飛翔』 第十二人格:にんじん

かつて「吾輩」と呼ばれていた猫は『光の聖書』へ続く「道」をひた走っていた。人には通れない空間を人には到底追いつけない速度で進む。躍動する身体とは対照的に、静かに醒めたような頭で彼はマツリカとのやりとりを思い返していた。



◇ ◇ ◇


現状での『やり直し』の方法は限られているわ。光の聖書を媒介にして、あれが生まれる時へ行く、というのが一番現実的ね。


マツリカさん、タイムスリップなんて出来るんですか?


ええ。ただ、媒介が要るわ。闇雲に「飛ぶ」ことはできないの。


目印みたいなものが要るんですね。


そうね。私は「(しるべ)」と呼んでいるわ。何かを導とするにはそれに直接触れる必要がある。ただ、あれは強力な魔力障壁に囲まれているから、手が出せない。そこで...


ぼくの出番ですね。


ええ。あれを守る壁をなるべく薄くして欲しいの。出来れば私が通れるくらいの穴を開けて欲しいけれど、出来る限りで構わないわ。


マツリカさん、お願いがあります。


時間旅行に付き合いたいのなら無理よ。


...やっぱり、ダメですか。


私一人をコントロールするので精一杯。二人して迷子になるのが関の山よ。導があっても同じこと。一人で山に登るのと、荷物を抱えて登るのでは随分違うでしょう?


ぼくは荷物ですか


ものの例えよ。


◇ ◇ ◇




やがて「道」が終わり、猫は『書斎』に降り立った。あたりを本棚に囲まれた部屋の中央、よく磨かれた机の上に不自然なほど輝く本がぽつんと置かれている。

乱れた息を整えながら、彼はゆっくりとそれに近付いていく。

ここには何度も遊びに来ているが、これの破壊を目的に来たのは初めてで、だから少し、目眩がした。


光の聖書は常に、自身を中心に半径1メートル前後の、球状の「壁」に囲まれている。光の加減で何色にも見える美しいそれが、今は不気味だった。




◇ ◇ ◇


『デウス・エクス・マキナ』としての私は、彼に、オッカムに“(おわ)り”にしてもらうわ。


つまり、偽物を用意するということですか?


まあ、そんなところね。


オッカムには?


伝えなくて良いわ。私たちの繋がりを知らない方がきっと他の人たちにバレないし、なにより彼の戦闘思考からして真っ先に私を狙うはずよ。


そう上手くいきますかね?


あら、信用してないのね。まあ、見ていなさい。


◇ ◇ ◇




オッカムが陽動として機能している間に、なんとかしなければならない。

派手に動くが一人ではあまり時間を稼げないだろう、と言っていた。

我々が『あれ』をどう扱うかは重要ではなく、結果的に星の文壇を引っ掻き回してくれるのなら、それでいいと言っていた。オッカムには別の狙いがあるらしい。

「俺は俺の都合で動く。利用するのならそれでもいい。好きにしろ」


そう言ってオッカムは笑った。何か大きなものに闘いを挑む時のような、不敵な笑みだった。





猫は「壁」の前に静かに座ると大きく息を吸った。

取り込んだ空気と魔力を体内で練り合わせ、ひと息にそれを「壁」に吹きかける。「壁」を構成する魔力を自分の魔力で塗り替えるようなイメージだ。練られた魔力が放出されると同時にズキリと頭が痛む。

何度かそれを繰り返しているとオレンジ色の「壁」に黒くひびが走り、音もなく割れた。しかし、そっくり同じものが即座に現れ、何事も無かったように光の聖書を守り続けている。


そう簡単にはいかないか...


猫は短く息をつき、先程よりも強く丁寧に魔力を練り始めた。

頭の痛みが次第に激しさを増していくのを感じながら、星の文壇の前身であるかつての文学サロンを想った。

そこで過ごした月日を懐かしく思い返し、あの日々に帰ることの出来るマツリカを羨ましく思うと同時に、彼女にとっても良い思い出であったろう過去へ、辛い責務を果たしに戻る彼女を哀れにも思った。


願わくば心安らかな旅路であるように、自分に出来ることはただ彼女の負担を減らすため、「壁」を可能な限り無力化することだけだった。




◇ ◇ ◇


...もう彼らとは、和解の道は無いのでしょうか?


難しいでしょうね。強硬にことを進めすぎて、後戻り出来ないほど拗れてしまった。だから、その根を断つの。


もう、それしかないんですね...


ええ。だから、『やり直し』がすこしでも上手くいくように願うしかないわ。


...やっぱり、『やり直し』は卑怯ではないでしょうか。


...どういうことかしら


アウェイカーの素晴らしさを先頭に立って広め、覚醒を促してきたぼくたちには、彼らの、リジェクターたちの怨嗟を受け止める義務がある気がします。


それで、その身を差し出して殺されてやるのが最良だとでも?仮にそうしても、その後でアウェイカーは彼らを根絶やしにするでしょうね。未来は変わらないわ。結局最初から、アウェイカーが生まれる前から『やり直し』て、覚醒を防ぐしかないのよ。


ぼくは、始まらなければ良かったなんて思えません。『小説』が生まれるあの悦びを、みんなの物語に触れた時のあの感覚を、無かったことにはしたくない。


私もそうよ。でも、それはリジェクターであっても感じられることだわ。私は、手に入れた力の大きさに目がくらんでそんなことも忘れてしまっていた。


マツリカさん...


お願い。私にもう一度やり直させて欲しいの。


...協力することに変わりはありません。ただ、過去に飛んですぐには“焉り”にしないで欲しいんです。少し様子を見て下さい。上手くは言えませんが、彼らを信じられそうなら、見守ってあげて欲しい。


それでまた、別の形で争いが生まれたらどうするの?


わかりません。ただ、ぼくは、なかったことにはしたくない。たとえ悲しい結末でも、納得のいかない未来でも、最後までやりきらないといけないと思うんです。


◇ ◇ ◇




猫はマツリカのことを想った。今までに出会った人々を、出会った物語を、音楽を、季節を、食物を、彼の心に浮かぶあらゆるものを想った。

素晴らしいものやそうでもないもの、醜いもの、美しいもの、出会った様々なものたちが今、自分に力を貸してくれているのを感じた。


割れるように痛む頭のことをつかの間忘れ、今までとは比べ物にならぬ程に熱く冷たい息を眼前の空間に吹きかけると、そよと吹く風だけを残して「壁」とそれを構成していた魔力は消えていった。


新緑の森を思わせる魔力の残滓を肌に受け、思いがけず穏やかな心地にさせられたが、目の奥を鈍器でめちゃくちゃに叩かれるような激しい頭痛は変わらずに続いている。全身に力が入らず、座っているのも億劫だった。


だが、まだ倒れるわけにはいかない。今から過去へ飛ぶ彼女に、弱っている姿を見られたくはなかった。

隠していても恐らく気取られてしまうだろうが、痩せ我慢でもする価値はあると思えた。


必死の思いで今にも倒れようとする体を支えていると、わずかな空気のゆらぎとともにマツリカが現れた。

出来うる限りの速度で進んできたのだろう、その顔にはおよそ見たことのない疲れと大量の汗が浮かんでいた。


マツリカは囲いを剥がされてなお輝く光の聖書と、飾り物のように生気なく座る猫とを交互に見て状況をつかんだようで、やがて切れ切れの息で「ありがとう」と呟いた。


猫は返事の代わりにぱたりと尻尾を動かした。温かな何かが疲れ切った体に満ちていくのを感じていた。



いつの間にか息を整えていたマツリカは、光の聖書に手をかざして魔力を練り始めた。

空色の涼し気な魔力の波動が徐々に力強さを増していく様を、猫はマツリカの背中越しにぼんやりと見つめていた。

聖書の光がややかげり、マツリカの魔力が柔らかくそれを包み込んでいく。彼女の姿が周囲の景色に溶け込み、陽炎のように揺らめいている。過去への飛翔が始まっていた。



マツリカさん、あとは頼みましたよ


猫が祈るように呟くと



「あとは任せなさい」


振り返らずに彼女はそう言った。




やがてマツリカの姿が完全に消え去り、辺りを静寂が包んだ。光の聖書は元の輝きを取り戻している。



自分を支えているものが無くなったのを感じ、猫はぺたん、と地面に突っ伏した。

直後、抗いがたい衝動が胃を突き上げ、朝に食べた果物と魚の残骸を多量の赤黒い液体とともに吐き出していた。

体が、自分の意思とは無関係に震えている。 頭が熱くて何も考えられないのに首から下は凍えるように寒かった。


もうすぐ自分は死ぬのだろう。そういう暗い確信があった。

だが、過去に飛んでいくマツリカの頼もしい背中を思うと、少しでも力になれたことが誇らしく、満ち足りたような気持ちにすらなれた。

全身の痛みも寒さも、徐々に遠くなっていく。





「変わらないことを愛する人々はたくさんいます。変わることを好む人々もまた、たくさんいます。ぼくらがすべきだったのは、それぞれに心地好い『場所』を作ることだったのではないのかな、って最近考えているんです。」


これは、自分の声だろうか。何も分からず、渾沌とした記憶の海を漂っていく。



「ぼくたちは、もっと彼らの声を聴き、心を探っていくべきだったんですね。己の意に染むように『修正』するのではなくてお互いに納得のいくような『対話』をしなければいけなかった...」



マツリカは上手く『あの頃』へ辿り着けただろうか。彼女を想う気持ちもろとも、自分という存在が世界に溶けてゆるやかに消えていくのを感じる。



「何かに操られていようが、ぼくはぼくで、みんなはみんなです。改変される世界ではなく、まっすぐに進む世界だ。」



マツリカの、自分たちの選択が正しいのかは分からない。上手くいかなかったものをなかったことにしてやり直すのは、力あるものの傲慢だろう。

だが、「やり直したい」と話したマツリカの苦悩を自分は知っている。彼女は自身が壊してしまった未来を悔い、温かな世界を求めている。

今度こそは、色々なことが上手くいけばいい。素直にそう思えた。







やあやあ、しばらくだね。


お久しぶりです。


また話が出来るようで良かったよ。君は新しい玩具に夢中だったからなあ。


面目ありません。ただ、これからはまたお話が出来そうですよ。


ああ、そうかそうか。嬉しい限りだ。さて何から話そうか。


そうですね... そういえば、まだお名前を伺ってなかったですね。


何でも構わんよ。


いや、そういうわけには...


ワシは君から生まれた。君の『物語』だ。だからどう呼んでもらっても構わんさ。君が名付けとくれ。


では、ほこりさんで。


それは少々、安直過ぎないかね。


いえ、ずっと自分の中でそう呼んでたものですから。


そうか、じゃあワシはねこくんと呼ばせてもらうよ。


それはまた安直な。


君が言うかね。


ふふふ、そうですね。


ふふ、そうだろう。


ああ、そうだ、ほこりさん。


なんだね、ねこくん。


本は、お好きですか?


自分なりに物語を終わりにしてみました。なので終章と銘打っています。色々と粗はあるかと思いますが、書きたいものは全部詰め込めたので満足です。次はアンカーのヤギ郎さん、よろしくお願いします。

お題は『コスモス』で!

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