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第95話 山田。帰国す。

 雰囲気というものは空間が生み出す。


 ワイワイガヤガヤと大きな声で、ガハガハ笑い声を上げやすい環境づくりとでも表現すればよいであろうか。照明に特段の意味を持たすこともなく単なる照明としての役割を与え、隣席同士の会話が聴こえる距離感を用意してしまえば、客は自分たちの声がかき消されてしまわないように、それなりの声量を意識しだす。


 そう考えると客さえも雰囲気づくりの一端なのかもしれない。


 それと同じように、多少暗めの照明に『温かみ』であるとか、『上品さ』を持たせることで隣り合う者同士の距離感を曖昧に仕立て、目には見えない衝立ついたてを設けたかのように独特な雰囲気を用意することもできる。


 『色白豚男』こと平林は、どちらかと言えば後者の雰囲気を好む傾向にあった。


 雑多な繁華街の一角、名前さえ知らない雑居ビル。地下への階段の先にある薄暗い隠れ場的なBAR。制限された視界、心地よいJAZZの音色の中、キャラメルのように薫る甘ったるい洋酒を舐めるようにチビチビとやりながら。


 ただただ酒に酔い、雰囲気に酔いしれる。それだけで、そろもん幼稚園での騒がしい日常を楽しく振り返ることができる。振り返るついでに『昔のこと』を思い出して苦笑してしまうのも、また一興。


「……少し、お話しても……よろしいですか?」


 こんな風に予期もせず話かけられるのも悪いものではない。


 日中、ブラブラしているところで「ちょっとお話よろしいでしょうか?」と話しかけられると嫌な予感しかしないものであるが、何とも不思議なものだ。


 それが雰囲気というもの。


 強いて挙げれば好みの異性であれば猶のこと良し。今回のケースであれば褐色肌に無精髭の肉体派である。……失礼。男である。そんな輩であろうが、この場の雰囲気をもってすれば是非も無し。「ええ、私なんかでよろしければ」 平林が落ち着いた声で返すと「ありがとうございます」 と男は白い歯をニカリと輝かせた。


……


「実は先日、日本に帰ってきたばかりでして……」


「ほう、それはまた。どちらに?」


「スウェーデンまで。と言っても上海から陸路で向かいましたので国々を巡っていたんですがね」


 平林は事情を聴かなかった。出張なのか、それとも『自分を探す旅』的なアレなのか。男が『話をしたい』というのであるから聞き手は、ひたすら聞き手に徹することが礼儀なのだということを平林は知っていた。


「陸路でヨーロッパまでですか……いやはやそれは大変でしたな。それにしても、どうやら私と然程変わらぬ年齢のようにお見受けいたしますが、……羨ましい限りですね。」


「いい経験をさせていただきました」


「それはそれは」


「……」


「……」


 会話の隙間に生まれる無言の間を、店内の静かなJAZZが補完してくれる。当人たちからすれば、それさえも会話のエッセンスとして楽しく感じることができる。


 ガタイの良い男は、ロックグラスに注がれた酒をグッと飲み干し、腹に溜め込んだ言葉を空気と一緒に押し出すようにして平林に話す。男の視線がグラスに残された丸い氷に注がれていて、その言葉が正真正銘、本音であるとか、弱音のようなものであることは、平林には容易に想像できた。


「……その、実はですね。僕がいない間、職場では後任人事があったようでして。情けない話ですが帰る場所が無くなったような気がして……笑っちゃいますよね。僕はただ、子どもたちの笑顔が見たかっただけなんだけどなぁ」


 天を仰ぐように首を後方にもたげ、はにかむ。


「……」


「……」


「私も、子どもたちと接する仕事をしておりますので、その気持ちはわかります。ただ、一言だけ言わせてもらえれば、それは貴方が悪いのだと思います」


「……」


「『子どもたちの為に』やったことなのかもしれない。けれど、事実として貴方は子どもたちから離れてしまった。事情がどうであれ現場に貴方がいなかったのだから、誰かしらに仕事を宛がうのは何も不思議な話ではないでしょう?」


「……」


「……帰る場所を準備していない職場も大概ですが」


「……」


「……」


「ですよねぇ……実は、幼稚園でバスの運転手をやっていたんです。それに遊具の整備だとか、勿論、子どもたちと一緒に遊んだり、時には叱ったり。僕ぁどこで間違えたんでしょうかね……」


 (自分と同じだ)と平林は思う。思うからこそ自分と照らし合わせて具体的に想像してしまう。突然ある日、そろもん幼稚園から三行半みくだりはんを下されたら果たして堪えられるであろうか。


 何の脈絡もなく意味の分からない無茶振りをしてくる同僚。

 やたらと冷たい視線を送ってくる同僚。

 何かあれば気を失う程に腹に拳を放ってくる同僚

 払われない給料。

 休みの無い勤務体系。

 ブレ続けるキャラ設定。




 ……あれ? これ自分から離れた方がよくないか? 

 

 平林は沈黙の中、己の考えを整理して答えた。


「一度、話をされてみてはいかがですか? まずは貴方の率直な気持ちを伝えるべきだと思いますよ。戻りたいのでしょう? 帰りたいのでしょう? だったらやることは一つ。……『行動』すべきだ」


「『行動』ですか」


「ええ、少なくとも私はそう思います」


「……」


「……」


 男の手の内に握られたグラスがビキビキと異質な音を鳴らす。褐色で引き締まった肉体は、ジムで作られた『魅せる為の歪なモノ』ではなく、実践的(遊具の整備とか)な用途に用いられる類いのものなのであろう。所謂、本当の意味での使える筋肉。


 程なくしてグラスはパリンと割れ、弾けた。


「ハハハッ。その後任の方と対面している場面を想像するだけで体に力が入ってしまいますね。殴りかかってしまいそうだ」


 笑いを含んだ言葉とは裏腹に男の目は笑っていなかった。平林は、その光景を見ても所詮は他人事。無責任な発言で締めくくる。


「それもいいんじゃないですか? 人生色々ですから。……いやぁしかし、貴方の腕力で殴られる方が実に可哀相だ。まったくもって同情しますよ。運が無い。せめて私だけは、その不幸な御方の今後の人生を案じてあげることにしましょう」


続く


次回予告

 血に染まるそろもん幼稚園

 交差する男と男の拳

 暗躍する黒幕の正体とは

 そして平林はどうなってしまうのか

 次回、無認可幼稚園そろもん


 『平林、天に召される』


 お楽しみに!


(注)次回予告と本編は多少変更となる場合もございます。


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