第85話 しわしわかおの海山川島次郎
しましまとらのしまじろう
言わずとしれたテレビせとうち制作のテレビアニメ。
今回、調べるまで『しましまじまのしまじろう』だと勘違いしていました。。
「縞々島の島次郎」みたいな。
よく考えてみたら、これだとトラ要素皆無だな、と思いました。
住宅街にある幼稚園は近隣の皆々様の協力なくして運営することはできない。それは経営的な話ではなくて、あくまで環境的な話である。『何をやっているのかわからない怪しい幼稚園』なんてレッテルが貼られてしまおうものなら、翌年度の入園希望はおろか、今いる子どもたちすらも転園させられてしまうことになりかねないものである。
子どものハシャぐ声をにこやかに受け入れてもらえるか、それとも騒音とばかりに苦虫を噛み潰したかのように拒絶されるか、園内で行われていることは違わなくても、そこには大きな隔たりがあるものだ。
園児同士にしたって似たようなものであろう。時と場合に寄りけりな部分は多々あれども『好き』『嫌い』あるいは『お前誰だよ』をオブラートに包まずに素直に表現してしまう。
顔も背格好も喋り方も違う『自分とは何かが違う存在』との数多くのコミュニケーションを通じて、少しずつ物の見方、言い方を学んでいく。
要するに、たかだか数十年の年齢差とは、如何に多くのコミュニケーションを交わしてきたかの違いに過ぎない訳なのだ。
そんな訳で、無認可幼稚園そろもんでは、人生の大先輩である知らない老人(近隣住人)をお呼びして、お話を伺う機会を設けている。
人の話に耳を傾ける。そのうえで自分の中で咀嚼して、質問を投げかけ、回答をもらう。それを重ねていき、どういう人物なのか想像する。
これが実学を旨とする『そろもん流教育』なのである。
教室は静まりかえっていた。いつもは騒がしいお調子者も、ふらふらと外に出て日向ぼっこするマイペースな子も、すぐに泣いちゃう泣き虫も、みんなが借りてきた猫のように緊張した素振りをみせている。
いつもは先生が立っている場所に、誰だか知らないお爺さんが立っていた。白髪を通りこしてしまったのであろう、目に見えない透明な髪をかき上げる爺さんの鋭い眼光。くぐってきた修羅場の数だけ皺を刻まれて、最早よくわからないことになっている皺々な顔。戦友を失った悲しみを乗り越えてきた肝の据わり具合。……どうやら今日も多くを学ばせてくれそうだ。
なんてことはどの子も考えていなくて、ぶっちゃけ知らない爺の略歴なんぞ興味すらない。それでも誰もが爺から目を離せなかったのは……
「そろもん幼稚園の皆さん。どうもこんにちは。皺々顔の海山川島次郎と申します」
「(しまじろう!)」「(しまじろう!)」
「(しまじろう!)」「(しまじろう!)」
「(しまじろう!)」「(しまじろう!)」
「私はこの街にある老人倶楽部の総代理をやっていますので、えー、今日は、その取り組みについてですねー……」
「(しまじろうクラブ!)」「(しまじろうクラブ!)」
「(しまじろうクラブ!)」「(しまじろうクラブ!)」
「(しまじろうクラブ!)」「(しまじろうクラブ!)」
「……そろもん幼稚園の皆さんと一緒に色々とチャレンジしていきたいなと……」
「(こどもチャレンジ!)」「(こどもチャレンジ!)」
「(こどもチャレンジ!)」「(こどもチャレンジ!)」
「(こどもチャレンジ!)」「(こどもチャレンジ!)」
海山川島次郎は表情には出さないが、心底驚いていた。この位の年齢であれば人の話に傾注することは難しいものであるはずだ。ただでさえ知らない老人のフガフガ混じりの言葉は聞きづらくて、加えて話している内容も決して面白いものではない。にも関わらず集中を切らさず、目を離すことの無い幼子たちの賢さに。
勿論、誰も海山川島次郎の話になぞ興味はない。……結局のところ、他人の考えていることなんて、いくら歳を重ねたところで分からないものなのであろう。
そんなことは露知らず、海山川島次郎は、自分の話を興味津々で聞いてくれる子どもたちが可愛くて仕方がなかった。
「ひとつ、提案ではあるのですが、我々、老人倶楽部とそろもん幼稚園の皆さんとの取り組みをですね、Webチャンネルで全国に公開してみてはどうかと思っているのですよ。遠藤先生。いかがでしょうか?」
「それはいいご提案ですね。……そうなるとチャンネル名は」
「(しまじろうチャンネル!)」「(しまじろうチャンネル!)」
「(しまじろうチャンネル!)」「(しまじろうチャンネル!)」
「(しまじろうチャンネル!)」「(しまじろうチャンネル!)」
「『しまじろうチャンネル』でいかがでしょうか?」
「(キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!)」
「(キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!)」
「(キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!)」
遠藤の提案に海山川島次郎は即答せずに少しだけ俯いて返答した。
「……うーむ、遠藤先生。どうせなら子どもたちを前面に押し出すような名前の方がよろしいのではないでしょうか? 『幼稚園運営と地元老人会の取組事例』辺りが無難なのではないでしょうか?」
「(それは無い)」「(センスの欠片もない)」
「(やっぱクソ爺だわ)」「(誰も視ない定期)」
「(自己満足の極み)」「(ありえない)」
「(身内しか視ない定期)」「(視聴数二十五)」
「(もっと持ち味を活かせ)」
海山川島次郎は、急激に冷めていく教室内の空気に身震いした。さきほどまでイキイキしていた児童たちの目は、何か深淵でも覗いているかのように暗く黒く輝きを失っていた。
「……や、やはり遠藤先生の仰ることも一理ありますな。し、しまじろうチャンネルの方がいいのかなぁ~なんて」 海山川島次郎。思わず日和る。
「そうですよねぇ! 『幼稚園運営と地元老人会の取組事例』だと流石に少し硬すぎるかなぁと思うんです私」
遠藤の呆気らかんとした振る舞いに園児たちの『しまじろうチャンネル』開設への想いが溢れて、ついつい口をついてしまう。
「しまじろうチャンネルがいいです!」
「えんどうせんせー、さすがです!」
「えんどうせんせー、さいこうです!」
「うみやまかわしまじろうさんも、よいていあん!」
「なんていうか、なまえがいい! しまじろう!」
ギャースカと喚き立てるような声援と拍手の雨に会場(教室)の熱気は最高潮に達し、今まさに燃え上がらんとする熱き血潮は、ぶつける先が見つからず、小さな身体の中を沸々と滾らせ、身体は闘争を求め始める。
「……ちょっとよろしいですか?」 熱気に水を差したのは海山川島次郎であった。
「名前……なのですが」
「はい?」 遠藤は首を傾げた。教室内の園児たちを代弁したかのような一言は、皆の首をも傾げさせる。
「ええ、名前です。海山川島次郎は、『海山川 島次郎』ではなく、『海山川島 次郎』なので、そのネーミングでいけば『じろうチャンネル』が正しいかと……」
「痔瘻チャンネル……」
「痔瘻ですが違います。そうじゃなくて『じろうチャンネル』」
しまじろうではなかった。
一気に冷めてしまった気持ちとは裏腹に、ひとたび熱気を帯びてしまった子どもたちの脳内は、その経験の乏しさから熱を解放させる術を知らなかった。結果として、『海山川島次郎は痔瘻である』という事実のみを強烈に認識してしまい、その日の夜に各ご家庭の夕飯時の話題に『痔瘻とはなにか?』が取り上げられるのであった。
『……幼稚園で何をやっているのかしら? えっ、大丈夫なの?』
御両親のそろもん幼稚園に対する心象が大きく下がった。