第76話 フォラスちゃんと変身する青虫
フォラス
29の軍団を率いる序列31番の総裁
屈強な爺の姿で現れる。論理学、倫理学に精通しておりパワーストーンが大好きな悪魔。
「あのね、ごほんをよんでほしいの」
「本? フォラスちゃんが好きな本なのかな?」
波留は、ペタペタと寄ってきたフォラスちゃんの話に耳を傾ける。キッチリと目を合わせて意思疎通を図ることは『言わずとも察しろ』という無茶振りの過ぎる大人な事情を知らないお子様たちにとっては非常に重要な行為である。
言わずもがな、モチモチほっぺのフォラスちゃんが「よんでほしい」という要望も文字面通りの「読む」ではなく無論「呼んで欲しい」訳でもなく、「音読して聴かせろ」を意味することも当然に拾い上げてあげる必要がある。
保母さんという職業は他のどのような職種と比べても、この辺りの『察する力』が求められるのだ。
さて、そうした場合、今回のケースにおいて波留が『読み聞かせる』べき本は何なのかが大変重要なファクターとなるのであるが、どうにも手ぶらが過ぎるフォラスちゃんの見た目からは目的物を把握することができない。
波留は、そんなフォラスちゃんに問いかける。
「フォラスちゃんはどんな『ごほん』を読んで欲しいのかな?」
コミュニケーションが成功した子どもというものは晴れやかな表情を浮かべる。加えてシンプルに相対した大人への好感度がアップする。例えるならばパーフェクトコミュニケーションを達成すれば子どもからの評価が上がり引退コンサ……卒園式では多くの思い出となってプレイヤ……思い出となることであろう。
「んとね、オババがいつも読んでくれるヤツがいい!」
「う~ん、それだけじゃ先生にはわからないかな。どんなお話かなぁ?」
「……おおきなあおむしがでてくるおはなし!」
『はらぺこあおむし』言わずとしれた児童向け絵本の代名詞である。エリックカールの描いたインパクトの大きな青虫が表紙を飾っており、夜中に見かけると思わず声を上げてしまいたくなるような毒々しさは、一度目にすると焼き付いて離れないくらいには衝撃的である。
そろもん園でも、塗り絵の教材として『はらぺこあおむし、ぬりえ絵本』を用いたことがあったが、もう、それは、えらいことになったものである。枠線からはみ出すなんて可愛いもので、緑色を主体としているはずの青虫の身体が虹の如く七色に、あるいはモノトーンでシックな装いに統一された個体、節々が無地の白のまま放置され、絶妙な邪悪さを醸し出す個体、百人百様の禍々しさを放ち、教室の壁に張り出された彼らが夜な夜な動いているのを目撃したという話が出たほどである。
まぁ、子どもの感性とは実に多彩でいて、大人になってカブトムシすら触れられなくなってしまった侘しさと対比させると、その可能性の大きさに驚愕する場面も多々あるのである。
ちなみに波留は『はらぺこあおむし』を暗記している。子どもに読み聞かせをしている過程で覚えてしまったというクソ真面目なエピソードの他に、作者であるエリックカールが、思いの外ナイスミドルなシルバーエイジであることにも起因していたことは誰も知らない。
「「おや? 葉っぱの上に、小さな……」」
「そっちじゃない!」
フォラスちゃんは声を張り上げた。
……バッドコミュニケーションである。例えるならばバッドコミュニケーションを繰り返してしまえば子どもからの評価は下がり引退コンサー(略
「え? そうなの? 先生、てっきり『はらぺこあおむし』のことかと思ってた」
「そうじゃなくて、あさおきたら、あおむしになってるほう!」
「……」
「……みためがへんかすることで、あいでんてぃてぃがほうかいしてしまい、けっきょくのところ、じぶんというそんざいが、まわりのひとたちによってかたちづくられているっていう」
「カフカだそれ! 変身!」
「そう! それ!」
「青虫じゃなくて毒虫?」
「そうそう! それがいいたかったのです」
「す、すごいねぇ! フォラスちゃん。そんな難しい『ご本』読んでるんだぁ……」
「ウチのおばあちゃん、ちょっとボケてるから。はらぺこあおむしじゃなくて、そっちをよんでくれてる」
「……(笑うところかしら)」
思い返してみれば、フォラスちゃんの『はらぺこあおむし』だけ、いやにリアルな色彩でした。
フォラスちゃん「おはながおおきな……」
波留「(これは象)」
フォラスちゃん「和尚さん」
波留「あくたがわっ!!」
おしまい