第64話 CAT8をベルトにする男
LANケーブル(CAT8)
カテゴリ8。
伝送域帯2000MHzをクリアした超高速40ギガビットを実現した最早ご家庭のインターネット環境には不必要な……いや、来るべき5G環境においては、いずれこれが標準になる日も来るのかもしれない。
人類史なんてものを紐解くときに一つのターニングポイントとするのは、やはり文化だとか文明の起こりの時点であろう。
争いごとに限っていえば、それ以前から木の棒やら石器でガシガシと殴り合っていたのであろうが、英雄視されるような人物は得てして戦乱の渦中に産まれて名を遺す。逆説的に言えば太平の世ともいえる、現代日本にあっては、英雄となるべく生を受けた者も俗物としての人生を歩むことになるのかもしれない。
この日、そろもんの職員室には珍客が紛れ込んでいた。
真冬であるにも関わらず、オレンジチェックのシャツに肌着のみの軽装。その割に汗だく。シャツインされた濃紺デニムの腰回りをLANケーブル(CAT8)でグイッと締め上げているのが何とも見苦しい。……普通にベルト買えよ。みたいなツッコミをしてしまったが最後、聞いてもよくわからない、当人のみが知り得る拘りのようなものを、含み笑いを交えながら話し出してしまいそうで手に負えない。
「遠藤氏~、未だ思い出されぬでござるか~デュフフフフ」
「……いや、そうは言われましても。……ひょっとして武士でござるか?」
「小生、武士ではござらぬ! 武士ではござらぬよぅ! 昔と変わらずキレておりますなぁ遠藤氏ぃ~デュフフフフ」
職員室が、そんな具合に混沌な状況であることなんて露知らず、買い出しから帰ってきた佐藤は素知らぬ顔をした波留に声を掛けた。
「アレを一撃でやればいいんですか? いいですよ。それが園のためになるのであれば。ひいては子どもたちを護ることに繋がるのであれば喜んで、この拳、血に染めて差し上げます」
見てはいけないものを目にしてしまった衝撃からか、普段は実に温厚なはずの佐藤の口から飛び出た、聞いたこともないような物騒な言葉は、言い終わりを待つこともなく、問いかけた波留からの返答を待つまでもなく、一瞬の閃光となって男の額を貫いた、
その一撃。まさに『必殺』
引いた拳に残る熱い余韻が冷めきるまでの残心。万が一にも討ち洩らしたとあらば、師の名が廃るというもの。佐藤に追撃の準備アリ、さりとて確実に決まった必殺の一撃目に対して二撃目はさもありなん。
この段になって、ようやく打撃音が室内に鳴り響く。
「ちょっ、何をやっているんですか佐藤先生っ!」
波留は、思いがけずに起きてしまった出来事というか暴挙というか惨劇に突飛な声を上げる。腰掛けたソファごとひっくり返ってしまった男がピクリとも動かないので、アワアワした。
「押忍っ!」
「「押忍っ!」じゃないっ!」
「波留先生っ! 彼なら大丈夫! 物理攻撃は効かない!」
「遠藤先生に関しては、もはや意味すらわからない!」
気が動転していた波留は、遠藤の妄言を鵜呑みにするつもりは無かったけれど、あまりにも自身満々な表情に、限りなくゼロに近い確率で『そんなことがありえるのかもしれない』と、藁にもすがる思いで佐藤の顔をみた。
「思いっきり手応えありましたよ?」
「駄目じゃん! 効いてるじゃん! やっぱり救急車呼ばなきゃ!!」
ひと仕事を終えた顔で落ち着き払った佐藤と対照的に慌てふためく波留。遠藤は改めて波留に告げた。少しだけ笑いを交えながら。
「だから大丈夫ですって。そのうちドロドロに溶けますから」
「……そんな人間がいてたまるかっ!」
『やれやれ、波留先生のツッコミにはついていけませんなぁ全く。ふぅ~』的に肩を竦めながら遠藤は男のこと素性を話し始める。波留は、その顔にイラっとした。
なにやら、男は遠藤たちと同じように大昔に出会っていたのだという。ただし、モンスターとして。いわゆる不定形生物。言い換えれば『スライム』
形が無い故に物理の一切は効かない。形が無い故に、どのような造形にも成ることができる。現代社会においてクソザコナメクジの名を欲しいままにしているスライムも、当時は邪悪の化身とも呼ばれる程に悪魔であったのだという。
ソロモン七十二柱の悪魔の台頭を快く思っていなかった彼は、外道悪魔でありながら人間である者達の味方をする数少ない悪魔のひとつであった。
そんな彼の役目は物理無効の特性を活かした皆のサンドバック。新技の実験台、動く的、ギクシャクした人間関係の潤滑油。惜しまれつつ、ストーリーの都合上フェードアウトしてしまった彼の今際の際の願いは『次に生まれるならば彼らと同じ人間として生まれること』
そう! 彼の願いは叶い、こうして『そろもん』に現れたのであった。
「……って本人が熱弁してましたから」
「遠藤先生? 全然、意味がわからないのですが……というか、彼、ビクビク痙攣し始めたんですけど本当に大丈夫なんです?」
「あっ、でも素性といえば、実家暮らしみたいですから身内の方に確認してみるのもいいかもしれないですね。……はい、これ履歴書」
「「履歴書」って遠藤先生? この人……」
「例の求人募集みて来られたみたいですよ?」
「……」
「……」
「……押忍?」
「押忍じゃないっ! はよう救急車っ!」
こうして、(罪滅ぼし的な流れで)スラリンが『そろもん』の新たな仲間として加わった。
「男は仲間になりたそうにこちらを見ている」
今回はご縁が無かったということで……
→ 仲間に加えますので、先程の件は何卒穏便に……




