第5話 白百合組のアスモデウスちゃん
アスモデウス
72の軍団を率いる序列32番目の大いなる王
毒蛇の尻尾をもち、槍を持って竜にまたがる。ガチョウの肉をくれる悪魔。
ちなみに七つの大罪のうち色欲を司る。
「愛だよ。愛」
「おさるさん?」
「うん。それはアイアイだね」
遠藤は(これでも)園児からは慕われている。園の軒先に置かれたベンチでは週に一回、『遠藤先生のお悩み相談』と自称する会が催されていた。
本日ゲストはアスモデウスちゃん。ご両親の趣味なのであろう本人の意思とは思えない縦巻きパーマがなんとも可愛らしい女の子であった。そんな彼女だからこその少しだけマセた『お悩み』であった。
パパとママに対する好きという感情と友達に対する好きという感情の違いは何なのかといった、考えてみると意外と深い話を振られて遠藤が出した精一杯の答えがそれ。
「あのねアスモデウスちゃん。パパとママのことは好きでしょう?」
「ママはすき!」
「おうふ……何だか一気に重くなった気がするけどまあいいや。それが『愛』っていうの。とても素晴らしいものなの」
聖母である遠藤は目を輝かせながら愛を語る。この時を待っていましたとばかりに少女の両手をギュッと握り、まるで怪しい宗教に勧誘しているかの如く神への愛と説く。
「じゃあえんどーせんせー。おともだちのすきってゆーのは?」
「んー。女の子に対するものは、やっぱり愛に近いかな。でもねアスモデウスちゃん。これだけは忘れないで。『男は獣』なの」
「けもの? わんちゃん? さだはる? おうさだはるなの?」
「うん。わんちゃん違いだね。そのわんちゃんは良いわんちゃんだから」
「べりあるくんも『けもの』なの? おうさだはるなの?」
「いや、王ちゃんではないね。確実にそれは違うね。ごめん。忘れて。『男は獣』なんて言った先生がどうかしてた」
無垢な少女の質問が遠藤に降り注ぐ。
「えんどーせんせーはおとこのひとをあいしたことがありますか?」
「そりゃあ先生は大人だから。勿論アルよ」
語尾が似非中国人のようになってしまったのは自信の無さの現れであろう。こうなってしまっては、もうどう言い繕っても本当の事に聞こえはしない。そこから先の遠藤の話は実に滑稽なものであった。
夜景の視える海辺をドライブした後、ムーディーなBGMをバックにどうのこうの……
「へーそれで?」
悪意のない瞳が遠藤を苦しめる。遠藤は自分の首を真綿で絞め続けるような自傷行為を迫られ、嘘に嘘を重ねた結果、土砂降りの雨が降りしきる浜辺で傘もささずに追いかけあうといったサスペンスさながらの光景へと至り収拾がつかなくなるのであった。
「それが『あい』?」
「……たぶん違います」
「ふーん。じゃあえんどーせんせいは『愛を知らない』んだねー」
「それは違うよ! アスモデウスちゃん。みんな愛されて生まれてきたの。愛っていうものはね、とっても尊いものなの。んー、なかなか言葉で表すことが難しいかなぁー」
遠藤はドジっ娘のように自分の頭をポカリと叩き、『これ以上ツッコまれては身が持たぬ』と逃げるようにしてアスモデウスの前から立ち去っていく。
縦巻きロールの少女は、その後ろ姿に日曜の朝アニメの悪役が敗走する姿を重ねるのであった。
遠藤恵里。独身女性。前世を含めて一度たりとも異性とお付き合いをしたことのない者の精一杯の力技である。