第43話 そろもん、クリスマスに消ゆ
「波留先生。『粉塵爆発』って知ってます?」
「なにを馬鹿なことを言ってるんですか!」
クリスマスというものは元来、キリストの誕生を祝う祭りであり降誕祭ともいわれている。言うなれば教会であるとか、神であるとか、そういった善の要素を強く孕んだイベントなのである。
こと、サンタクロースの存在を意識し始めた子どもたちにしてみれば、そんな大人の都合は知ったことではない訳で、何となくイメージしているのは誕生日以外に問答無用でプレゼントが貰えて、ケーキが食べられる。
加えて、一週間もすれば、お小遣いをたんまりと頂戴することができるボーナスステージといった具合であろう。
クリスマスという文字面、言葉だけで、それが自分にとって決してマイナスになることはなくて『万事全てがオールOK』な感じ。
プライベートでは完全なるOFFである大人の立場からしてみれば『クリスマスは子どもたちと過ごした』なんて誰に対して言うわけでもない、体の良い言い訳にもなるのでwinwinだったりもする。
「第一、日頃から自分が『聖母』だと思い込んでいる保母さんなのに、クリスマスケーキを作る過程で『粉塵爆発』だなんて危ないキーワードを選択している辺り、常識的に考えておかしいですよ」
「あれ、波留先生、なんだかいつもよりツッコミがトゲトゲしくないですか?」
冷たい風を遮断するように閉め切られた室内。園児の人数に合わせた数のスポンジケーキを拵えるだけの大量の薄力粉だったり卵に諸々。波留と遠藤、それに数人の女児を加えたメンバーで楽し気に泡立てたり、湯せんした後に、また泡立てて、粉をふるいにかける一方で、また泡立てたり、とにかく泡立ててる。
「それにアニメなんかだと、簡単に『粉塵爆発』が起きてますけど、色々条件があるらしいですね。よく知らないですけど」
わざとなのか、天然なのか、鼻の頭を白く汚した遠藤は『なにをそんなこと』と言わんばかりに波留に返した。
「ええ、……うどんを捏ねている時なんかにですね、何度かチャレンジしてみたんですが」
「なんですかそれは。新手の高度な切腹かなにかですか?」
「顔を火傷しました」
「ええ……なにをやってるんですか!」
「ねえ、えんどうせんせー! 『ふんじんばくはつ』って、わたしにもできるの?」
「できるよ~。……こうやってね、粉物で小さいお山さんを作ってあげてね」
「やめてください! 遠藤先生!」
……
園の庭先、阪神園芸から取り寄せた茶色いマウンド上に薄らと灰雪が舞い降りて、まるで大きなチョコケーキに粉砂糖をまぶした具合に可愛くデコレーションされていた。
中央のロボピッチャは緑色に塗装され、山田お手製の綿入り赤ちゃんちゃんこ風なサンタの衣装を纏う。残すところはブッシュドノエルを模した立派なヒノキをロボピッチャに添えて準備は終わり。ここで敢えて『もみの木』を外したのは山田なりの拘り。
クリスマス会の打ち合わせの席で、勿論もみの木を植樹する案も出た。しかし、山田はこれに反論したのである。「クリスマスの、ただ一日の為だけに植樹するという場当たり的な対応は幼稚園の先生としていかがなものだろうか!」と。
……予算も割り振られず、一体どこからもみの木を入手するのか、誰が作業をするのか、面倒をみるのは? っていうか、そんなスペースないが? みたいな不満ではなく、園の保父さんとしての意見であった。
重機はないので、大きなブッシュドノエル(ひのき)を数人の子どもたちと一緒にコロコロと転がして運ぶ。
「ああ、スポンジの焼けるイイ匂いがしてきたなぁ……よおーし皆、もう少しだ! 頑張るぞ!」
「はい! おやかた!」
……
一方その頃、佐藤はパーティー会場の飾りつけを残った園児たちと。色とりどりの折り紙で輪っかを作って繋げてぶら下げて、スノーステンシルにお絵描きして切り抜いて貼り付けて。
「ちょ、ちょっと、危ない事しないの! ……ほら、カッターの刃を人に向けないで! ……ああ、スノースプレ―は床に撒いちゃだめだってば!」
人手不足といってしまえばそれまでであろう。このご時世、どこでもそれは変わりない今回の件でいえば、包丁などを扱うケーキ部隊には二人を割く必要があったし、外の力仕事に至って山田にしかできない。残る五十人近い園児を一手に引き受けるには佐藤の手しかない訳だ。
「出なくなったスプレー缶は、山田先生の所に持っていってね!」
「はーい! じゃあ、ここのかんかん、もっていきまーす」
……
雪はひらひらと舞い散る。
風は無いけれど寒いから子どもたちは手を取り合い、身を寄せ合う。
まだ、ほんのり温かさの残るケーキは、いつも自宅で食べているものよりも見栄えはよくないけれど、それでも、いつもより甘く、美味しいように感じる。
小さな音量でジングルベル・ロックが鳴り響く園内は、ホッコリとした空気に包まれた。
奇跡というものは、こんな日に起きるのかもしれない。
極々小さな確率が偶然にも同時多発的に生じる。そんなことは、まずありえない。山田が施した金属加工。雪がもたらした極度の乾燥、微風とはいえパタパタとはためく赤色の綿の生地、そんな『偶然』にも居合わせた環境が起こした小さな静電気。
パチンッ……
静電気から小さな、小さな火花が散った。
ボッ……
赤いロボサンタの衣装が偶然にも燃えやすい綿であったため、一気に火がつく。
パチ……パチ……パチ……パチ……
火の着いた衣服の欠片が、偶然にも燃えやすい材質であるブッシュドノエル(ひのき)に覆いかぶさり、徐々に火が燃え広がる。茶色のマウンドの上だけに上がる火の手を子どもたちは目を輝かせて眺めていた。
今年の夏、生まれて初めて目にしたキャンプファイヤーを思い出し、興奮し、声を荒げ、顔を赤らめ、代わりに先生たちは青ざめた。
「きーよーしー……こーのよーるー」
「歌っている場合じゃないの! 遠藤先生! 佐藤先生! 子どもたちの避難を! 山田先生は消防署へ」
「いや、波留先生。火の手が上がってるっていってもマウンド上だけですし。そんなに慌てることじゃ」
「ばっ! 馬鹿じゃないですかっ! 初めから馬鹿だとは思ってましたけど」
「なにをー! 馬鹿って言う方が馬鹿なんです!」
「あああ、あの波留先生、遠藤先生、それよりも避難を……」
……
……ウィイイイイイン……ガシュ……スポーン
突如として動き出したロボピッチャは、燃え盛る火球を放り投げる。恐らくは焼け落ちた衣類、熱で溶けた塗装がダマになったもの、もしくは児童がロボピッチャの中に詰め込んだ落ち葉やらゴミ。何はともあれ火球は火球。
教室のガラス戸にドンッ、とぶつかるが、ガラスが割れる程の勢いはなかった。
これが良くなかった。いや、小火が出た時点でだいぶ良くはないのだが……
教室の外には行儀よく並んだ『空のスプレー缶』の列。
小さい子どもが『使用後のスプレー缶は穴を開けてガス抜きさせる必要がある』なんてことを知る由もなく、ちょっと出が悪くなっただけの、ほぼ中身入りの状態のものがいくつか含まれていたなんてことも誰も知らない。
そして、その光景を誰も見てはいない。既に全員、園外に退避済み。プスプスと黒煙を上げる園の庭を心配そうに見守る園児たち。
念のために避難はしたものの、どうせ大したことにはならない、と高をくくっているのは大人四人。
火球を放ち続けるロボピッチャ。
熱された空気に晒され、一本のスプレー缶が轟音と共に爆発し始めると、それに呼応するように列をなしたスプレー缶に、そして空気中の可燃性物質へと引火していく。
さらには教室内に残っていた未使用のスプレー缶に引火してさらなる爆発を招く。
この段階で、もう取り返しがつかない状態であることを大人四人が悟り、年末年始の過ごし方に想いを巡らす(現実からの脱却)。
キッチンに残された大量の薄力粉は、炎の熱波に巻かれ、袋を破裂させ、室内に粉を撒き散らせ、程なくして起きる粉塵爆発。
次から次へと起こる花火のような壮大な炎の演出に唖然とする大人の姿。それを見て、子どもたちにも『何か大変なことになっているのでは?』といった想いが過ぎるが、胸の内に秘めた抑えきれない興奮がピークを迎えて歌となって現れた。
「サーイレンナーイ……ホーオリーナーイ……ふーんふんふーん……ふーんふんふーん……」
無認可幼稚園『そろもん』校舎は、クリスマス当日に全焼して更地となった。
遠藤「……大掃除の手間が省けましたし」
波留「……そうですね」
山田、佐藤「波留先生?」