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第42話 沈丁花組のシャクスちゃん

シャクス

30の軍団を率いる序列44番の大侯爵

繊細な声をもつコウノトリの姿。召喚した者の感覚を奪うが、召喚者に従順な悪魔


 小雨がしとしとと男の肩口を濡らす。服の色が変わる程の湿り気を帯びてもなお男の意識はあることに夢中で気に留める事すらなかった。


 目を細め、それでも虚ろな瞳に荒れた呼吸。


「(トイレはどこだ……)」


 吸い込む息が腹腔を広げ下腹をギュルリと刺激する。額を流れる水滴は汗かそれとも雨粒か、滲んだ脂と険しい表情が男の緊急事態を容易に想像させる。


 初めて訪れた土地、初めて訪れた街、男にとっては本来なら何の工夫もない簡単な用事を済ませれば何事もなく通り過ぎていたようなどこにでもありふれた風景。


「(ここを左に曲がればコンビニがあるかもしれない。いやしかし、このまま真っ直ぐ進んだところに公園があるかもしれない)」


 充電の切れたスマートホンが恨めしい。

 日頃から文明の利器のお世話になっていることを、男は痛く思い知らされる。そんな反省は後でいくらでも時間をとってあげるから、ああ、どうか神様。今は、なるべく早くトイレを……


電波の届く範囲であれば自身がどこにいるのか、周囲に何があるのかを瞬時に把握することができる文明の利器。どんなに便利なものでも使うことができなければ邪魔くさい機械の箱に過ぎない。


「(民家にトイレを借りるか……いや、待て、あれは幼稚園か? なんでもいい、トイレがあるのであれば背に腹は代えられぬ)」 


 冷える身体を、それでも腹だけは冷やさないように手を添え幼稚園までの数十mを慎重に進む。もう少し、もう少しで楽になれる。そんな男の想いとは裏腹に幼稚園の門は固く閉ざされていた。


 それはそうだ。子どもたちが勝手に出て行ってしまわぬよう、あるいは不審者の侵入を防止するように入口を閉じておくことは至極当然。そんなことにすら考えが回らなかった男は、もはや暴動寸前の下腹の住民たちになんとか気を静めて、待機してくれるように懇願する。


 小雨の降りしきる中、大人の男が苦しそうに門に手をかけ、腹を押さえながら震えている。

 『トイレに行きたいだけ』という事情を除けば存外画になりそうな様子ではある。だからなのかもしれない。興味を持った少年が声をかけたのは。


「おじちゃん……なにしてんの?」


「おじ……、まあいいや。トイレに行きたい……んだけど。君に頼んでもいいかい?」


 ハァハァ、と息も絶え絶えな男に門の中の少年、シャクスちゃんは質問する。


「それって、ぼくにしかできないこと?」


 今にも下半身が爆発系呪文を放ちそうな、よんどころない事情を抱えた男にとってシャクスちゃんは天使のようにも思えた。


「ああ、その通りだ。これは……き、君にしかできないことなんだ」


「そっか……なんで、ぼくがえらばれたの?」


「そ、それは後で説明するから、今はトイレに……」


「それをはっきりしてもらわないと、ぼくにも『かくご』がいるんです」


「わ、わかった。じゃあ君じゃなくていい。別の子を呼んできてくれないかい?」


「やっぱりそうだ! だれでもよかったんじゃないか! おじちゃんはうそつきだ!」


 子どものキーの高い声はお腹に響く。まるで音波攻撃の具合にジワジワと男の下腹を締め付け、男はたまらずその場でうずくまる。


「ご、ごめにょ……」


「かんだ!」


「(ぐぅ……このガキ……)ごめんね、ごめんごめん。でも、おじちゃん、お腹痛くってさ、トイレに行きたいんだ……先生を呼んできてくれないかい?」


 大人が本気で痛そうにうずくまる姿なんて、シャクスちゃんのような小さな子にとっては怖いモノだ。自身よりも何倍も力を持っている存在が、原因も分からずに膝を折る。そういった『わからない』ことに恐怖する。


 以前、佐藤先生のハイキックが山田先生の首筋に『偶然』にも直撃した際に大男が昏倒した姿を目撃したが、その時よりも随分と深刻そうな男の様子にシャクスちゃんは心を決めた。


「わかった。おじちゃん! ちょっとまってて!」


「……ありがとう、少年」


 ……数分後。

 

 雨は相変わらず強くなることもなく、しとしと、パラパラとアスファルトを子気味よく打つ。男はそのリズムに乗ることなく、無心で下腹の暴動者たちの説得を続けていた。


 園の建屋の扉が開く音が聴こえた。


 小さな足音はパシャパシャと急ぐように男に近づいてくる。

 男にとっては、それが救いの鐘の音にも思えた。だが、それをあまりにも意識しすぎると、それはそれで、忠臣蔵における吉良邸討ち入り前の赤穂浪士よろしく熱を帯びて門を壊しかねないと、これも意識の外に置いた。


 男に駆け寄ったシャクスちゃんは一人だった。


「……せ、先生はなんて?」


「ひとりでできるよ!」


「ああ、そうか! じゃあ、すぐにこの門を……」


「おじちゃんのかわりにトイレにいってきたよ!」


「ち、違う! そうじゃ……あああああああああ」


「えんどーせんせー! おじちゃんがくるしそー!」


「や、やめろぉーーーーーーーー! 今、人を呼ばないでーーーーー! (あああああああああああああああああ)呼ばないで……」


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