第40話 寒椿組のダンタリアンちゃん
ダンタリアン
36の軍団を率いる序列71番の大侯爵
老若男女の顔を持つ。あらゆる知識をもち人の心を意のままに操る悪魔
何故か定期的に『なぞなぞ』が流行る。
言葉を覚えたばかりの子ども特有のもの、ハマる年齢に多少の誤差はあるにせよ大抵のお子様が通る道。そんな『なぞなぞ』に魅せられた園児の一人がダンタリアンちゃん。
動物図鑑や植物図鑑。お子様向けの可愛らしいイラスト付きの百科事典を隙あらば眺めているような男の子。
たどたどしい口調で遠藤に話しかけるのは、彼自身が消化しきれていない知識を一度吐き出して咀嚼するようなものなのであろう。そんな他愛もないやりとりであれば耳を傾けてあげるだけでいいのであるが、問答ともなれば話は別。
「えんどーせんせー。『なぞなぞ』だして。『なぞなぞ』」
裾をグイグイと引っ張られると相手にしないという選択肢は存在しない。……それが波留から頼まれた面倒な仕事であっても仕方がない。ああ仕方がない。仕方がないのだ。
「えー、先生ちょっと忙しいんだけどなー。ダンタリアンちゃんのお願いなら仕方がないな~」
遠藤。ノリノリである。
「そうねぇ。『パンはパンでも食べられないパンはな~んだ!』」
小難しい『なぞなぞ』なんてものは望まれてはいない。子どもたちの承認欲求を満たしてあげること。喜んでくれること。それが子どもにとってプラスになることであれば基本的に遠藤は協力を惜しまない。
「ピーマン!」
「うん。食べられないっていうのは好き嫌いじゃないかな。あとピーマンはパンじゃないね」
流石にピーマンは想定の範疇には無い回答ではあったが、それを鼻で笑うようなことは決して行ってはならない。幼い子どもというものは大人の気にも留めない言動に簡単に傷つくことだってある。
「ショートケーキ!」
「うん。別に好きなものでもないね。それにパンじゃないかな。……パンだよ?」
質問の意図を取り違えた、なんてことも往々にしてある。柔軟な思考を持つ子ども特有のアレである。それでも回答に辿り着くことのできない場合は誘導するような工夫をしてあげるのもよい。
「パンダ!」
「そうじゃない! ごめん。私の言い方が悪かった。食べられないパンだね!」
大人が素直に非を認めて謝る。これも重要な教育の一環である。昨今、素直に謝ることのできない子どもが増えているのだとか。それもこれも、お手本となる大人が見本をみせてあげることができていないからだと誰かが言っていた気がする。
「ピーターパン!」
「あー、遠ざかった」
軌道修正をしてあげるのも大人の大切な仕事。
「おそらとぶの!」
「そうだね。でも、そうじゃないね。『ふ』から始まるよ」
もう、こうなれば隠さずにヒントを与えるのもひとつの手である。
「フック?」
「(フックて……船長つけないの? なに? 友達?)ピーターパンから離れよっか」
子どもの先入観というものは線引きが難しいものだ。そんな時は、どこまで戻ればいいのかを教えてあげるのも効果的。
「ふ……ジーパン!」
「もういいや、正解!」
答えは一つではない。時折、子どもはそんなことを考えさせてくれる。なるほどジーパンは確かに食べられない。
……自ら『なぞなぞ』を出してくれと言ってくる園児が、こんな王道中の王道のような『なぞなぞ』にフライパンと答えられないものなのか。ふと遠藤はそんなことを考えてしまう。
「じゃあ、つぎは、ぼくが『なぞなぞ』だすね!」
「うーん。先生『なぞなぞ』下手だからな~」
まぁ、大人が何を言おうがダンタリアンちゃんは出題を取りやめることはない。
「えんどーせんせーは、けさ、ねぼうをしました」
「うん」
「れいぞうこのなかには、さくばんのカレーがのこっていました」
「うん」
「レンジでチンして、あさごはんにしました」
「ん? なんで知ってるの?」
「さて、きょう、いえにかえると、だれがいたでしょう?」
「こわっ! 怖い怖い! え? ちょ……え? なんで過去形なの?」
子どもには大人の目には見えないものが見えていることがあるのだとか。
それは、いわゆる世界の常識というものが身についていないがために、見えていることに何の抵抗もなく、見たままのものを口にしているだけなので、特に気にする必要はない。
気にしてはいけない! (戒め)
×××「遠藤さんですか?」
遠藤「……ええ、そうですが」
×××「N〇Kのほうからきました」
遠藤「(テレビ)ないです」
×××「パソコンかスマホはお持ちでは?」
遠藤「(パソコンもスマホも)ないです」
×××「西郷さんの最終回、いかがでした?」
遠藤「見てません! シ〇ゴジラ観てました!」
×××「テレビあるじゃないですか」
遠藤「いやああああああああああああああああ!」