第2話 牡牛組のザガンちゃん
ザガン
地獄の33の軍団を率いる序列61番の王。
牡牛の姿と人の姿をもつ。水をワインに、血をワインに変質させることができる錬金術を操る、
「はるせんせー、これみてー」
「んー? なにかなぁ」
可愛らしい男の子の手にはキレイに磨かれた泥団子が握られていた。きっと何日もかけてせっせと拵えたのであろう。陽の光に当たると白く光の輪を描くように反射する。
保母である波留は時折、子供たちの成長に驚かされる。
「へーすごいね! 先生びっくりだよー」
「えっとね、えっとね、それ先生にあげるの」
少し照れているような早口で、砂まみれの手が添えられたハニカミ笑顔に波留の心は締め付けられるような想いで「そっかー、先生、嬉しいなぁ」とガチ目の感想を返す。
男の子は波留の心の底から嬉しそうな表情を直視することができなかったのか、そそくさと波留の前から退散し、遠藤の下へ、トテトテ駆け寄る。
「遠藤先生、遠藤先生。これ、見ていただけますか」
「んー? なにかなぁ」
可愛らしい男の子の手に握られていたのは水の入ったペットボトル。透明な液体は一振りするごとに濃い赤を滲ませたような何かに変わっていく。陽の光をも飲み込むような酸化した血液を思わせる液体。
「んー? 本当になにかなぁ……」
「『ワイン』ですよ。遠藤先生。私がその気になれば遠藤先生。あなたの体内を流れる一切の血液を葡萄酒に変えることも可能なのですよ」
遠藤は、へらへらとした口調でのらりくらりと返答する。波留のように子供たちの成長がどうだとか、そんなことには興味がなくて、専ら気になっているのは今夜放送予定の期待の新作のこと。
「へえ、血液がワインになっちゃうのかー。それはちょっと困るかなぁ。先生、自動車通勤だから血中アルコール濃度が高くなっちゃうと飲酒運転で捕まっちゃうからねー」
「よいではないか。悦なものではあるまいか。血を滾らせ肉を喰らう。望むのであれば賢者の石を授けてやろう。どうだ? 余の軍門にくだらぬか? 悪い話ではなかろう」
「おっ先生にプロポーズしてくれているのかなぁ。ザガンちゃんが先生たちくらいの大人になったときに、まだ先生のことを必要としてくれているのなら嬉しいかなぁ」
「……その言葉、努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ」
遠藤はクスッと微笑みかけながらザガンの頭を二度三度ポムポムと愛でるように撫で、かざした腕をもって周囲の視線を退けながら冷たい目で告げる。
「おのれが誇った三十三の軍団は実に他愛もなかった。たかだか序列六十一の存在が容易く懐柔できる程に聖母の名は安くはないと心しておくがいい」
ザガンは、大昔に背筋を凍らせた『人為らざるチカラ』を抱いた者達の、悪魔を悪魔とも思わぬ、悪魔よりも悪魔染みた彼女らの所業を脳裏によぎらせてゾッとした。
遠藤が立ち上がり、大きくパンと手を叩くとザガンは恐怖のあまりその場に立ち尽くし全身を震わせてしまう。かつての今わの際、羽虫を潰す程度のチカラで『パン』と一蹴されたことを鮮明に思い出してしまったのであった。
聖母は周囲の園児にも届くような声で告げる。
「はーい! みんな、お昼寝の時間ですよー! 手と足をしっかり洗って教室に戻りましょうねー」
無邪気な園児たちは素直に「はーい!」と反応を示して指示に従う。
ぶるぶると震えるザガンは、落雷のような、天から見下されているような視線を感じて天を仰ぐ。そこには、ちょうど影がかかって深淵の中にある異物のような怪物の黒々とした目があった。
「……ザガンちゃんも、ね。お昼寝だから、ね」
「は、はひ……」