第19話 山田先生のおやつは角砂糖
神様はこの日、ある決断を下した。
テレビアニメを通じて覚醒を促してきた遠藤が遅々として使命を認識してくれないのでネタバラシ的な意味合いで神であることを明かそう。というものである。
かつて地上は我が物と君臨した悪童七十二柱の存在は今まさに人類にとって悪夢の再来とならんとしている。
とはいえ、後光が射した状態で地上に降りる訳にはいかない。
ちょっとした拍子に奇跡を起こしてしまうかもしれないので能力の制限をしなければいけない。
ひょっとしたら七十二柱の魂に刺激を与えてしまうかもしれないので、正体を明かすのはあくまでも遠藤ただ一人に対してでなければならない。
全能の神のやることである。曲がり間違っても下手を踏むようなことはありえない。完璧すぎる変装もまた、神の力によるものなのだ。
『そろもん』幼稚園の近隣に住む人間のうち、一番人口層の厚い年代は四十代後半。日中に出歩いても不審に思われない一般的な職種はサラリーマン。おっと、近年は近視が進んでいる人間が多いと聞いた。眼鏡を忘れる訳にはいかないであろう。
平均的な身長は百六十八cm。飽食の国であれば腹回りは多少出ていた方が自然だ。鞄は黒、スーツは紺、ツータック。人間という者は老いがすすむと体毛が薄くなる生き物であるから髪も薄くするべきであろう。……こんなところであろうか。
……
「波留先生、波留先生」
「どうされました遠藤先生?」
『そろもん』の職員室は防犯上の理由から表門が見える位置にある。ともすれば訪問者の姿や道行く人々を目にすることは当然ながらある訳で、その男の姿が遠藤の目に入ったのは何もサボっていた訳ではなくて『防犯上』の業務の一環として外をボケっと……警戒していたということになる。
「今日、どこかの業者の方がいらっしゃるなんて話、聞いてたりします?」
「んもう! 遠藤先生、朝のミーティングちゃんとメモしておいてくださいよ~。今日は園長先生のお知り合いの市議の先生が視察に来られるって言ったじゃないですか!」
「えっ? そうでしたっけ? いや、でもそれにしたって、どこからどうみても『普通のおじさん』ですよ?」
波留は遠藤の話には耳を貸さない。常識的に考えて、人様を見た目で判断するなんて、とても失礼なことであると波留は思うから。
「……遠藤先生。お暇なら応接室に御通ししてもらえませんか? いいですか、園長先生のお客様ですから、くれぐれも失礼のないようにお願いしますよ!」
「いや、波留先生がそうおっしゃるなら構いませんけど……」
職員室から見える門前の男は、名前は知らないけれど確実にどこかで見たことがある姿、顔つき、いや敢えていうならどこにでもいそうな出で立ちのように遠藤には思えた。とてもじゃないが人前で高らかに市政について演説をするような人には見えず、どちらかといえば、駅前で演説している風景には目もくれずに自宅と会社の往復を繰り返す働きアリのような……
それはそれで物凄く失礼。
……
神は思案していた。
いざ地上に降り立ち、人の姿を模したところでアポイント無しで幼稚園を訪れる中年男というものは、あまりにも不自然過ぎはしないだろうか。いや、何も園内に入る必要もないであろう。聖母として使わせた遠藤が仕事を終えて出てくるまで待っていればいいのではないか。
と。導き出した結論は『特段やることがないので門前で遠藤が出てくるのをひたすら待つ』であった。
なにせ神は待つのが得意である。自ら誰かの下へ訪れるということは基本的に無い。……地上に降りた時点で自分から動いているじゃないかというのはさておき。
幼稚園の門前に立ち尽くすスーツ姿の薄ら汗ばんだ中年男性に遠藤は、そろりと声をかける。失礼のないように、失礼な内容にならないように簡単な挨拶を頭の中に浮かべた状態で、若干オドオドした雰囲気で。
「こ、こんにちは! 申し訳ございません、ご挨拶が遅くなってしまいまして~……ひょっとして、かなり待たれましたか?」
神は遠藤の到来に驚きを隠せないでいた。
まだ仕事が終わる時間でもない。日はまだ高い位置にある。こちらから呼び出した訳でもない。しかし、こちらの気配を察するように顔を出した。
なによりも、自身の存在を明かす前から既に神の存在を認識しているかの様な立ち振る舞いではないか。と驚愕した。
確かに遠藤は、はるか昔の勇者としての記憶の一切は消去されている。それは間違いない。聖母として地上へ送り出し、己の内な使命への覚醒を促すために現代のテレビ技術を用いてアニメといったコンテンツで刷り込んできたのだが……効果は見られないとばかり考えていた。
だが、現実はどうだ! 今まさに神の存在を明かさんと訪れた男の姿に『全ては聖母である私に任せていただきたい。神様の出る幕はないのだから』と言わんばかりではないか。
それも決して驕ることなく、腰を低く、礼儀正しく……
試練を与えるように地に堕とした遠藤の、聖母遠藤の、いや敢えてこの名を使おう! 勇者エイリーン=エンデゥーの意志は確かにここに力強く現れようとしているではないか。
そうする他に選択肢の無かった無力な神を恨むでもなく、怒るでもなく、慈しむように、そう! それはまさに聖母の姿。
神はホロリと一筋の涙を流し、会釈する程度に頭を垂らし遠藤に告げる。
「大きく、大きくなったなぁ……どうやら私の目は、いつのまにやら曇っていたようだ。お礼を言わせてもらおう。ありがとう。ありがとう」
「え? あっはい。どういたしまして?」
「(地上を)よろしく頼む!」
「(ん? 選挙の話かな?)勿論ですよ」
神様は遠藤の両手をギュッと握る。その手はどこか温かいようで……ちょっと汗ばんだおじさんの手であった。
「(聖母の力で)この世界はきっと良くなる!」
「(あっ、やっぱり選挙か)そうですね! 私も頑張ります!」
「よくぞ言ってくれた(聖母よ)私は天から応援しているぞ!」
「(天って、やっぱり政治家の先生は住む世界が違うんだなぁ)はい!」
……
ガラガラと扉を開く遠藤の姿に波留は尋ねる。職員室から様子を窺っていたが、客人を招き入れるはずが、どういう訳か園内に入ることなく、それどころかどこかに行ってしまったので、一体どういうことなのか。もしかすると失礼なことをしてしまったのではないか、と危惧して。
「いやぁ、何だか選挙のご挨拶? にお越しになられただけみたいでしたよ? 次回の選挙、よろしくお願いしますって握手されちゃいました」
「なんだ。それだけなの? 園長先生のお客様だからって緊張してたのに……じゃあ準備していたシュークリーム、食べちゃいましょう!」
「ちょうど三つですしね!」
今日も地上は平和そのものであった。