第115話 ヒラバヤビッチの穴 その1
「……私、すごいことに気づいたんです」
あぁ、遠藤先生のいつもの発作か。という具合に片付けられればなんと気が楽なのだろうかと波留は思う。
佐藤も思う。
那古も思う。
誰しもが思う訳であるから自然と聞かないフリする空気が生まれるのも、ある意味当然なのかもしれない。
波留が思い出したかのように「そうそう」と那古に話を振ったのはそんな雰囲気に中てられたからとみて間違いないであろう。
「那古さん、それに佐藤先生、来週の市役所からのご依頼の件なんですが」
「ああ、あれな? 佐藤さんトコの道場で演舞やってくれるって話だし、そろもん幼稚園の小僧共の顔を皆に魅せる良い機会だと思うんだよ」
「う~ん、未だに那古さんの仰ることが私には理解できないんですけどねぇ」
「この幼稚園に上り階段があるじゃないですか?」
「……(遠藤)」
「……(遠藤先生)」
「……(遠藤先生)」
是が非でも己の話を聞かせようとする『真性かまってちゃん』こと遠藤が空気を読めない訳ではない。空気を読んだうえで、我を貫く。
だから非常に面倒臭い。
「このぉ! 幼稚園にぃ! 上り階段がぁ! あるじゃあないですかぁ!!」
「うっさいわ! 階段に上りも下りもあるかぁ!」
「……あ、那古さん、そろもん幼稚園にはそもそも階段ないです」
「平屋ですからねぇ。プレハブの。那古さんの力添えで幼稚園の校舎再建に向けての補助金なんて出ないものなんですかねぇ?」
「そうだそうだ。私たち(遠藤を除く)で「いつまでも仮校舎のままじゃあね」って話になったんですよ。園児の親御さんたちからもそんな話が出始めてるみたいですし……」
「ふむふむ、まぁ市民の声を聴くのは市議会議員としての務めでもあるしなぁ。ただ、一日やそこいらで決まるものでもないからな」
三人は腕組みをしながらウ~ンと唸る。
佐藤の言葉のとおり、対外的にもプレハブという状態はよろしくないだろう。
とはいえ、ハコモノばかりは先立つモノが大きすぎて彼女たちだけの力でどうこうできるものではないのもまた事実。
「あ、すいません、私ちょっとお手洗いに」
「おお佐藤さん、スマンがついでに耕太を連れてきてくれんか?」
「耕太? ……あぁデ……平林先生ですか。わかりましたぁ」
「(今、デブって言おうとしたな佐藤)」
「(佐藤先生、今、平林先生のことデブって……デブだけど)」
それくらいに平林の見た目は丸かった。
「こぉのぉ! 幼稚ぃ園にぃ! 上りぃ! 階段がぁ!」
「……」
「……はいはい、無いですけどそれがなにか?」
波留は折れる。これ以上の抵抗は無駄だと判断したので。
「いや、あるじゃないですか? この職員室の隣に」
「いや、『あるじゃないですか?』と言われましても職員室の隣って外じゃないですか? 何を仰ってるんですか」
「……ありました」
「佐藤先生、えらく早いお戻りで。それで、なにがあったんです?」
「……上り階段」
「だから階段に上りも下りもないって言ってるだろ?」
「いえ、上り階段が、でも下ろうと思えば……下れる、のかな?」
ほら言った通りだろ? 顔をする遠藤には目もくれず、波留と那古は『何をそんな馬鹿な話が』と顔を見合わせて訝し気な視線を佐藤に送った。
「本当ですって! こっちに来てみてくださいよ! ホラホラ」
「う~ん『佐藤先生が』冗談を言うって考えにくいしなぁ……」
「ワタシ、ジョウダン、キライデスヨ?」
「『佐藤さんは』嘘つかないからねぇ……」
「ワタシ、ウソ、ツイタコトナイヨ?」
「どこですか? 佐藤先生?」
「あれじゃないか? 山田くんが勝手に増築(DIY)やってるんじゃあないのか?」
「いやだなぁ那古さん、それじゃあDIYどころじゃないですよぉ!」
キャッキャウフフと三人は仲良さげに職員室から出るのであった。
……
そこには佐藤の言葉どおりの光景があった。
確かに今朝時点においては壁であった。というか壁の反対側は外であって、そもそも廊下すらなかったはず。
伸長された廊下に『一方通行、下り厳禁』と書かれた標識、階段の側面にも長く伸びた矢印沿うように『上りり上り上り上り……』と。天井からぶら下がる案内版には『この先下るべかざる』の文字、階段の一段ごとに消費カロリーの表示までされている。
「しつこいなっ!」
「いやいや波留くん、そうではないだろう? 通勤ラッシュ時の駅の階段で逆走している馬鹿は非常に厄介なのだぞ? こういうのは大事だぞ」
「アンタ引き籠りやろがいっ!」
「……」
「……」
「失礼しました。つい勢いで」
「いいのだよ。事実だから」
言葉とは裏腹に那古の目は笑っていなかった。
「とはいえ、この階段は一体なんなのでしょうか……波留先生でもご存じないのなら、やはり那古さんが仰られていた例の影響なのでしょうか?」
「ふむ……」
那古は思案した。
『確かに今日、そろもん幼稚園を訪れた際にも外観としての異常は見られなかった。波留も佐藤も特段様子が変わった様子はなかったという。
園児か、佐多の仕業であろうか?
それとも最近よく耳にする外からの来訪者の仕業であろうか?
考えるまでもなく十中八九そうなのだけども、この私が知らないものであることには相違ない。
どうする? しばらく様子を見るか? いや、いくら何でもここまでに現世に影響を及ぼしている以上、放置をしておくことはできまい。
仮に偶然の産物として、魔界や異界に繋がる転移門だったとするならば……誰かが一度でも門を開けてしまえば完全に繋がってしまうことになりかねない。
それだけは避けなければ……
それに、唯一、遠藤だけは気づいていた節があった。
どんなに私が「危ないから階段を上るな」と注意を促したところで前フリ位にしか聞かないだろう。
遠藤だし』
不安げな表情を浮かべる波留と佐藤に「なあに心配はいらない」と言葉を投げかけ、那古は真っ暗な階段の先を指差すと「どれ、私が様子を見て来よう」と何事もないような口振りで告げる。
そんな緊張の中、背後から聴こえてきたのは遠藤の声であった。
「丁度良かったですね、那古さん。その階段の先、ヒラバヤビッチの穴に繋がってますから。何か用事があったんでしょ? 平林先生に」
「……?」
「……?」
「……ま、まさかとは思うが階段、上ったのか?」
「そりゃあ上るでしょう。階段ですから」
「怖いとか、不気味とか、あるだろうお前……」
「不気味っちゃあ不気味ですけど、私、お化け屋敷好きですし」
「『門』なんてなかったよな? あったとしても開けてないよな?」
「いえいえ『門』なんてありませんでしたから」
「ホッ……そうか、そりゃあなにより」
「扉は開けましたけど」
「あばばばばばばば」
「那古さんが泡拭いて倒れたぁ! 一体何を言ったんですか遠藤先生!」
「いえ、ですから平林先生に繋がってるんです。この階段」
「……?」
「……?」
「だから『ヒラバヤビッチの穴』」
「?????」
「?????」
「だから、平林先生に繋がってるんですってば!」
「?????」
「?????」
「なので、何度も言いますけど……」
この後、十二回に渡って遠藤の要領を得ない話が繰り返された。
続く!!