第114話 夏のお弁当クライシス
「遠藤先生って案外器用ですよね?」
「どうしたんですか山田先生、藪から棒に」
お昼ご飯タイムの教室内で、園児たちに混じって遠藤と山田は持参した弁当を広げていた。
どの子のお弁当も個性豊かでいて、各々のご家庭での力の入れよう、見栄の張り合いが手に取る様にわかる。
我が子を喜ばすためなのであろう、今やオーソドックスとも呼べる地位を確立したキャラ弁から、栄養の偏りに配慮したバランス重視弁、『ウチの家計は裕福でございますのよ。オホホ』と聴こえてきそうな攻撃タイプ、サーロイン重弁。『今はお野菜がお高いザマスが、たっぷりと使ってるザマス』的なディフェンシブ志向に見せかけて実はオフェンシブな一面も隠しきれていないサラダ中心弁まで充実のラインアップである。
「いやぁ、お恥ずかしい話ですが僕の料理の腕はからっきしでして」
山田が持ってきたのはバランス重視ではあるが、全体的にステータスの低い感が否めないコンビニ弁である。とはいえ、昨今のコンビニ弁も馬鹿にできたものではない。
何気なく貼付されているシールには原材料と成分表を具に記載し、如何にも『健康に五月蠅い客が増えたからちゃんと作ってますよ?』と、聞いてもいないのに『私が作りました』などと、どこの誰だかわからない農家さんの写真まで掲示していることも珍しくはない。
『私が作りました』と書かれたところで、そもそも面識のない人物の顔を見て安心できるものなのであろうか?
撮影に慣れていないのであろうギコチない笑顔は好感が持てるのかもしれないけれど、実は、一歩畑の外に出てしまえば、フルスモークを貼った厳つく真っ白な高級外車を乗り回し、畦道を制限速度以下の速度で、我が物顔をして走っているかもしれない。
新鮮なお野菜を一秒でも早く届ける為に、と、改造軽トラで峠のキワキワを攻め続け、公道最速理論を掲げ、蓋を開けたワンカップを零さないドライビングテクを売りにしているテクニシャンかもしれない。
地元ヤクザ同士の抗争の火中に代打ちとして非合法の麻雀賭博に興じているのかもしれない。
「それ、ロンだ……」
「あぁ、いやぁ参ったなぁ、マサさん強いから」
「いいから出す物だしな」
「はい、土地の権利証」
「へへ、あンた、背中が煤けてるぜ」
なんてアウトローの高見に立った翌日の畑でニヤニヤしながら「この野菜は私が作りました」とか言ってるのかもしれない。
そうやって皆様の下に届くコンビニ弁は、やはり馬鹿にできる物ではないのだ。
ちなみに、真の健康志向を名乗る程の強者であれば迷わず自炊を選択するところであろう。
生半可な気持ちで自炊を始めたがる一人暮らし初心者は生鮮食料品を買いたがり、八割方、消費しきれず腐らせる。
そんな経験を踏まえたうえで山田はコンビニ弁な訳である。
「なんだかんだ言っても自炊の方が安上がりですからね」
そう、平然と言ってのける遠藤の方が珍しいのである。人間、誰しもひとつは長所があるものなのだ。
褒められることを喜ばない者はいない。純粋な高評価はどんな分野においても嬉しいものだ。
誰かの評価が上がれば、相対的に周囲の評価は下がるもので、果たしてそんなことを認識しるのかと問われれば十中八九そうではないのだけれど、まぁ、とりあえず、子どもたちは対抗心を剥き出しにして母親の存在をアピールしだした。
「でもでもぉ、ぼくのママのほうが、おりょうりはうまいんだよ?」
「いや、アタシのママのほうが」
「ぼくんちだって」
「これ、みてよ!おにくだよおにく」
「まぁ、私は本気出してないから」
「……」
「……」
「……」
「うちのママだってほんきじゃあないもの!」
「そんなこといったらアタシのママは『ごわり』ていどのちからしか」
「私は三割程度だけどね」
「……」
「……」
「……」
「じゃあ、ぼくんちは『にわり』」
「うちなんて『いちわり』」
「なんならこのおべんとうは、きのうののこりだもん」
本気を出していないということは自慢できることなのであろうか、という疑問はさておき、いちど火が付いてしまうと、燃え尽きてしまうか、誰かに消火するまで鎮まることはない。
それも、定期的に油が注がれるような状況であれば際限なく燃え続けてしまうのは当然であろう。山田は山火事に出くわしたかのようにどうすることもできずアワアワとしてしまう。
事の発端といえば発端なのであろうが、調子に乗ってしまった遠藤の大人気ない(というよりも子ども染みた)行ないに山田が油断していたということであろう。
「んもう、皆がそこまで言うなら山田先生にひと口ずつ食べてもらって判定してもらおっか?」
「え? ひと口ずつとはいえ、数十人分のお弁当を?」
「やまだせんせいなら、できらぁ」
「やまだせんせい、おねがいします」
「やまだせんせい、かっこいい」
「やまだせんせい、こうてつのいぶくろ」
「よっ、みすたーこんびにべんとう」
かくいう山田も大概、調子に乗りやすい。
そして、乗せられやすい。お人よしなので頼まれると断れない。平気で保証人とかなっちゃうタイプである。
「まぁ、僕が遠藤先生のお弁当を褒めていなかったら皆がこんなに盛り上がることもなかったし……」
どう考えても遠藤の責任であるにも関わらず、こんなことをサラリと言ってしまう。
遠藤がすかさず「じゃあ私から」と手を挙げたのは『数十人分の弁当を食べるなんて、土台無理な話で、最も余裕のある一番初めに食べさせれば、その後のお弁当評価の参考基準にもなり、一番にはなれないまでも、それなりの評価は固いであろう』という遠藤にしては素早い判断によるものであった。
数十人の視線を一身に受けながら、弁当を食べる。それは、なんとも異様な光景にして、山田の両肩にのしかかる重圧もなかなかのものである。
「では、まず、この煮つけから……」
パクリ……もぐもぐ……
「うっ、美味い。これは、薄くスライスしたキノコですか? 歯応えといい、口に含んだ瞬間、ホワッと鼻に抜ける香辛料の香り。サッパリとした中にも濃厚な……これは白味噌? 白米に併せた味わいは、おかずとして申し分のない役割を……ああ、食事でこんなにもフワフワとした気分になるだなんて生まれて初めてかもしれない。遠藤先生、貴女にこんな才能があっただなんて」
「ご評価いただき、光栄の極み。キノコに含まれるイボテン酸を最大限に活かすことで、こんなにも味わい深い逸品に仕立てあげることができるのですよ。山田先生」
「イボテン酸? よくわからないですが、感動すら覚える。もうひと口、もうひと口。ああ、箸が、箸が止まらない!! 遠藤先生、このエリンギ、凄く美味しいです」
「え? それエリンギなんですか?」
「え? じゃあなんなんです?」
「は?」
「いやいや」
「はい」
「『はい』じゃなくて」
「え? 美味しいんですよね?」
「ええ、まあ味は良かったですけど……」
「じゃあよかった」
「え?」
程なくして山田は意識を失った。
知らないキノコは食べちゃ駄目、絶対




