第106話 レベル5兆
「そうそう、偉い議員先生に訊いてみたかったのですが、『二千万の粘菌』というのは一体どういうことでしょうか……」
「ええい佐多は黙れ黙れ! ごめんなさいね、佐多ってば顔が良いだけで生きてきたような節がありまして、頭の方はからっきしなんです。だから高校も県内最低偏差値レベルでしたし」
「遠藤先生、佐多さんと同じ高校じゃなかったですか? 佐多さんを馬鹿にしているようで己の馬鹿を露呈しちゃってますがそれは……」
佐藤の心配する様な言葉に遠藤は「ああああ、しまった」と、頭を抱えて何やら楽しそうであった。
さて、子どもたちによる『ドキドキッ! 小悪魔だらけの洗脳教室』の一件を波留から聞いた那古は「心当たりがある」と一言だけ伝え、関係者をそろもん幼稚園の応接室に集めて今日に至る。
那古はパンと手を鳴らして場を静め、唐突に話を始めた。
「実は私は、かつての世界において魔導士にして八賢者が一人。ナゴ=ルルと言う名であった者だ」
……大の大人を集めて、しかもその中でも最年長(38歳)、かつ、市議会議員という立派な肩書を有した那古が切り出した言葉に一人を除いて誰もが唖然となった。
そう、一人を除いて。
「……なるほど。そういうことでしたか」 遠藤は『フッ』と不敵に微笑み続ける。
「結構今さらな感じはしますよね? まるで手垢にまみれた話だ。荒唐無稽というのも憚られるシナリオ」
「ほう、そうか。流石は英雄にして自称聖母。やはり遠藤は把握しておったか!」
「ええ、勿論です。しかし、その手の妄想は38歳にしては……ちょっと」
「全然わかってないじゃあないか!? まぁよい。事実は小説より奇なり。百聞は一見に如かず。魔法を失った代わりに科学が栄えた今世においても我が魔導は衰えず。しかと目に焼き付けるがよい……」
歳の割に幼過ぎる容姿の那古が舌足らずにも饒舌にそう語ると、両手で円を作るように胸の前で組み、ブツブツと詠唱を始めた。
「こ、これが俗にいう賢者TIMEというヤツですな……ごくり」
「違うぞ?」
那古は仕切り直して再度、詠唱を始める。
それは少なくとも日本の言語ではなく、集った誰もが耳にしたことのないどこかの言語。それでも何故か聞いたことのあるような懐かしさを孕んだ音。
不思議なことが起きた。
那古は手に何も持っていない。持っていないにも関わらず詠唱が続くにつれて小さな掌で描かれた円の中心部が煌々と橙を抱き始めたのだ。
応接室の窓は閉じられていた。空調こそ効いているため初夏にしては随分と過ごしやすい涼やかな状態にあったはずであるが、次第に熱気を帯びていく。
橙はグルグルと蠢き、蠢くほどに大きく膨らんで。那古が口にした訳ではないけれども場にいた誰もが火をイメージした。巻き起こる炎を想像した。……なにせ熱い! 暑いというより熱い!
「ちょっ、ちょ、ちょ、ちょっとまって那古さん落ち着いて! 熱いから! たぶんそれ室内でやっちゃ駄目なヤツだから!」
波留の必死の呼びかけも虚しく変性意識状態にある那古の耳には届かない。
「平林先生っ! 消火器! 消火器! はよっ! 焼豚になる!」 遠藤は叫んだ。
「誰が焼豚ですか誰が!」
応接室から飛び出そうとした平林を制止したのは『妙なもの』を視た佐藤であった。
「遠藤先生。ちょっと待ってください。なんだか佐多さんも同じようなことしてます!」
佐多は那古と同じように聞き慣れない言語で何やらブツブツと……
「……あっ、ごめんなさい。寝てた」
「消火器!!!!!!!!!」
……
「……と言う訳で、私が言っていることが真実味を増してきたのではないかね?」
得意満面な顔を浮かべた那古に対して、滝の様な汗をダラダラと垂らしながら一同は『もう何が何だか……』という気持ちで胸が張り裂けんばかりであったのだが、そんなことを口にしようものなら目の前のババア幼女が「ならばもう一度」なんて言い出しかねないので納得したフリをするほか選択肢はないのであった。
そこから先の話も実に想像豊かなものが続く。
「私のように完全に記憶が戻っている訳ではないようだが、これまでも危機的な状況に瀕した際には無意識下に、身を護るような奇跡が発現していたのではないかね?」
「……『危機的な状況に奇跡が発現』ああ、もしかして」
「知っているのか雷……じゃなくて佐多!」
那古の言葉に唯一反応を返した佐多は、高校生時代の遠藤を思い出すようにして答える。それは今と同じ夏の出来事。陽射しの眩しいプールでのこと。
「恐らく、ですが。遠藤さんって水泳の授業の時には凄いことやってましたから」
「凄い? 『オリンピック級の記録を出した』みたいな?」 波留は佐多に問いかける。
「いえいえ、遠藤さんって泳げないので、飛び込みスタートの時に20mくらい飛んでましたからね。泳いでたの実質5m。あれはみんな驚いてたなぁ……」
「もうやめてよ! 恥ずかしいなぁ!」 遠藤は照れた。
「(それだ)」
「(それだな)」
「(間違いない)」
「(アホだ)」
規格外というか馬鹿というか、普通に考えてありえないレベルの話をしているのに誰もがそれを嘘だとか、誇張だとか思わなかったのは、既にありえない事を目撃してしまっていたからなのであろう。
トンデモ奇跡体験に呆れるように那古はボヤく。そのボヤキに対して誰ともなく相槌のようなものが送られ、それに応答するようにして那古は続けた。
「……まぁ、遠藤は昔からレベルも規格外だったからな」
「レ、レベル制だったのか……ゲームみたいだ」
「これでも『八賢者にこの人あり』とまで言われた私がレベル80くらいだったかな」
「高いのか低いのかよくわからないんですが……」
「高いさ! そこのラスボスが異常なだけで」
「……ラスボス?」
「佐多」
「!!!!!!!!」
「七十二柱の悪魔を従えた魔界の王サタン。それが佐多」
「????????」
「ちなみにレベル255」
「たっか!」
「強っ!」
佐多は俯き、物を言わずにコクコクと頷きを繰り返すだけで、そのほかには何らの反応を示さない。よもやこのような場面でネタバレされるとは思ってなかったのであろうか。その静かさは不気味ささえ。
「……ごめんなさい。寝てました」
「……」
「……」
「……」
遠藤は逸る気持ちを抑えられずに自ら訊ねる。「それで、私のレベルは?」と。隠す訳でもなく那古はサラリと言い切った。
「5兆」
「!!!!!!!!」
「インフレの度合いが酷過ぎる! ディスガイアか!!」
「いやいや、どちらかといえば世界観的にはドラクエに近いぞ?」
「ドラクエの世界観にレベル5兆なんてあってたまるかっ!」
「フィールドに出ただけでスライム蒸発するわ!」
「実際、サタンも指先一つでダウンしてたからな」
「一子相伝の暗殺拳みたいに言うなっ! あとラスボスぅ!」
「あの時は凄い痛かったゾ……」
「お前も記憶あるんかいっ!」
「それに、当時は聖職者の祈りによって自身のレベルを知ることができたのだ」
「そこはドラクエみたいな……」
「違う違う。どちらかといえば『ドラクエがパクったのだ』」
「サラッと凄い失礼なこと言うなっ! 世界が誇るドラクエだぞ?」
「ちなみに男女パーティが宿屋に泊まると『ゆうべはおたのしみでしたね』と言われたものだ」
「下世話が過ぎる!!」
山田「なんだか応接室、楽しそうだなぁ」 ← 呼ばれてない