第105話 うどんこね職人たちの朝はまだ来ない
園児は粘土をこねて遊ぶ。一心不乱にこねる。魂でも込めているかのようにこねる。
こねこねこねこねこねこねこねこね……
それは夢中になってこねる。なにかの宗教的儀式のようにこねる。
ある種の子猫がうどん職人ばりにクッションをこねくり回すように、ムニムニと、ムニュリムニュリと。
こねこねこねこねこねこねこねこね……
普段はキャイキャイと騒がしい園内も今日ばかりは静けさが保たれている。波留は、こねこねやってる園児たちを見回りながら、彼らの集中を乱してしまわないように注意を払い、遠藤にボソリと呟いた。
「こうやって一つのことに夢中になってる子どもって可愛いですよね」
「同感です。こう、鍛冶職人のスキルとか授けてあげたくなりますよね?」
「それはないですけど、最近いろいろとバタバタしていたじゃないですか」
「あー、聖母である私があの夜にとうとう……」
「テレビで視てた佐多さんが突然現れたり、市議の那古先生だったり、変なシールをご近所さんに配り始めたり、なんだか『普通』じゃないなぁって感じてたんですよ」
目の前の『普通に』粘土をこねこねこねこね……している子どもたちを見ながら波留はシミジミと思う。
『普通』とは何か、なんてことはこれまで考えてもこなかったので波留自身『普通』という言葉にピンとはこないのだけれど、世間一般における常識的な視点からすれば、そろもん幼稚園が普通ではないのであろうことは容易に想像できる。
「はるせんせー、みてみてー」
「んー? ウェパルちゃんなになに? ……わかったぁ、猫さんだー」
「ベルフェゴールです」
「本当だぁ、ちゃんと便器になってるねコレ。表情もよくできてるー凄いねぇ! まるでルーブルを徘徊してる本物みたいだよー」
ウェパルちゃんは渾身の一作を波留に褒められご満悦の表情を浮かべた。
それを見た波留もニコニコと笑みを返す。
そこには紛れもない平和な空間が存在していた。
「遠藤先生、私、時々思うんです」
「えと、ちょっと待って波留先生。今の流れは正しいの? あの聖母的には邪悪な感じがするんですが……」
「もう、まだ『聖母』なんて言ってるんですか遠藤先生は?」
「え? いや、それはそうなんですけど……ん? あれ? 私がおかしいのかな?」
いつもとは様子の違う波留に遠藤は少しだけ恐怖した。
そろもん幼稚園の絶対的良心である波留が常識人でなくなったとすれば、果たして、この空間はどうなってしまうのか。拾われないボケはボケとして成立せず、スルーされる。下手すると天然キャラの扱いづらい子認定されてしまうのではないか。そんな不安が(空っぽの)頭を過ぎる。
「はるせんせー、ぼくのもみてー」
「おー、アモンちゃんは……カバさんだぁー。すっごいね、大きなお口。先生、すぐにわかったよー」
「アバドンです」
「そうだねーアバドンだねー。アモンちゃんはアトラスが好きなんだねぇ。先生も好きだよ女神転……」
「波留先生っ!!」 遠藤の大きな声に、それまで黙々とこねこねしていた園児たちも一斉に顔を上げて遠藤の顔を見やる。呼ばれた当の波留はキョトンとしていた。
「どうされたんですか波留先生……今日の波留先生、なにかおかしいですよ? ねぇ、皆もそう思わない?」
「おかしい? 私がですか? 何を言ってるんですか遠藤先生。皆がこわがっ」
「おかしいですよ! だって」
「だって?」
「……」
「……」
「……」
「つ、ツッコミが甘い……」
「ボケが弱いからや!!」
「ひぇ!!」
波留は、やれやれとため息をつきながら遠藤を諭すように返した。
「遠藤先生、わかりますか?」
「……はい?」
「いつまで経っても中途半端な中二病設定にしがみついて、やれ聖母だの、やれ前世からのうんぬんだの、やいのやいの、もう少し、進歩しましょうよ。成長しましょうよ。新しいネタ仕入れましょうよ。ね? 遠藤先生? アニメが好きなのはわかります。録画が溜まってマラソン鑑賞会するもの好きにしてください。大人ですから? 自己責任でいいんじゃないですか? わざわざ他人に報せるようなことじゃないでしょう?」
「……はい」
「私は遠藤先生のことが嫌いだからこんなことを言っているんじゃないんです」
「……はい」
「遠藤先生のことが好きだから、もっと自分の可能性を信じて欲しんです。無茶をして欲しいんじゃない。私がツッコミとして自然にツッコミを入れられるようになってもらいたいんです。貴女は私のパートナーなのだから」
「……は、波留先生」
「はい、遠藤先生」
「……」
「……や」
「……」
「やっぱりおかしいって!! なんか幻惑的なステータス異常に陥ってますって波留先生!! あれか? さっき喰った饅頭か? 饅頭に毒盛られたか? あの饅頭……山田ぁ! おいっ山田ぁ!」
……
……
……
そして、教室から飛び出した遠藤を確認した後、子どもたちは粘土をこねる手を止め、一仕事終えたオッサンのように腰に手を当てて伸びをしてみたり、隣り合う仲間とハイタッチを交わすのであった。
チビッコ悪魔たちに過去の記憶が戻ったとはいえども、彼らはまだ幼子。個々の力は微々たるものであることを理解していた。故に結束。故に団結。か細い糸を寄り合わせて一本の紐を作るかのように、無心となって(一部園児を除く)粘土をこねこねすることで得られる極限まで高められた集中力をもって、ようやく大人一人を錯乱させることができる程度の力を顕現させることができたのであった。
かつて世界を席巻した魔法という名の技術が廃れた現代において、彼らが成し得たこの事実は、非常に大きな意味を持つことになる。
なお、聖母として神の加護を受けている遠藤にはこの手のステータス異常は無効であった模様。
~翌日~
波留「へぇ、格好いいウシさんだねーグシオンちゃんもやるね~」
グシオン「バフォメットです」
波留「あ、本当だー。先生、グシオンちゃんに異端審問しちゃうぞ~」
グシオン「キャッキャッ」
……
チビッコ悪魔たち「(あれ? 錯乱の効果なんて、とっくに切れてるはずなのに。どうして波留先生の様子に変化がないの?)」




